コソヴォ報道の事例

line
 大陸欧州のフランスでは、今回のコソヴォ紛争勃発以前も、1989年頃からミロシェヴィッチが声高に訴えてきたセルビア民族主義を典型例とするバルカンの民族主義の噴出を警戒する一方、91年以降の旧ユーゴ諸国の独立宣言に対してEUが拙速な承認を与えたことを反省し、そして95年のデイトン協定でコソヴォ問題が看過されたことを批判する論調も散見された。

 近年のル・モンド・ディプロマティークの関連記事を追ってみると、

  • 98年春にコソヴォ紛争が本格的に再燃する少し前の97年11月に、民族国家としてのセルビアの将来を大いに疑問とする特派員報告と、ルゴヴァの平和主義の限界を予測した囲み記事を掲載し、

  • コソヴォの「大統領選」が行われた直後の98年4月には、コソヴォ内アクターとセルビアの戦略を分析する特派員報告と、コソヴォ解放軍に注目した小論を掲載する

という先見性を見せている。

  • 続く98年7月のバルカン小特集では、NATOの不介入政策を問題とする論文、

  • ホルブルック特使による交渉の直後の98年11月には、同年春に締結された北アイルランド和平を範とせよという提言、

  • OSCEの枠組みによる検証団の限界が見えてきた99年2月には、独立ではなく自治を与えるべきと主張する巻頭論説日本語・電子メール版に掲載)、

  • そして4月には、セルビアの内政状況を活写する特派員報告と、冷戦後のNATOの戦略概念に関する論文ともに日本語・電子メール版に掲載

が掲載された。

 1日を発売とする月刊紙であることから、3月下旬に開始されたNATOの空爆については、5月号で大々的に特集が組まれた。失敗に終わったランブイエ交渉の舞台となったフランスにおいても、セルビアから迫害されるアルバニア系住民を保護するための人道的介入は正当との論理が主流を占めるなか、ル・モンド・ディプロマティークは以下のような視点を提示した:

    - バルカンにおける軍事紛争が連鎖する危険
    - 国連ないし各国議会の承認がなかったという手続き的な問題
    - セルビアの民主勢力を体制支持に回らせることになった矛盾
    - 人道的介入の選択基準の恣意性
    - 50周年を迎えたNATOの自己正当化
    - 超大国として国際秩序を軽視するアメリカ
    - ランブイエ合意案の検証、
    - コソヴォ解放軍の沿革を踏まえた性格分析、
    - アルバニア・マケドニア・モンテネグロ・ボスニアなど周辺諸国の状況、
    - クリントン政権の軍事戦略、
    - バルカン地域秩序の枠組みの検討 記事全文へ)、
    - 第二次大戦期やボスニア紛争期に様々な民族によって他民族の「浄化」が行われた事実
    - 民族主義という差違の絶対化に対する普遍の絶対化の危険
    - 国連憲章に則った紛争解決手段の模索
    - 情緒に訴える大本営発表を無批判に伝えるマスコミ

といった視点である(赤字で示した諸点を含む7本の記事を日本語・電子メール版に掲載)。

 依然として空爆が続くなかで刊行された6月号でも、

    - 対セルビア戦をその大義名分・遂行方法・目的から新時代を開いたものと位置づける批判的分析記事全文へ)、
    - 心性のレベルでの「バルカン化」の現状を示した特派員報告
    - 大統領宛の公開書簡の形で発表した現地ルポが親セルビア的とされてフランス論壇の袋だたきにあった哲学者のメディア批判、
    - ロシア政治への影響の分析
    - コソヴォで使用されたと目される劣化ウラン弾の危険性に言及した評論

    - 19世紀以降に形成されたネーションの概念の歴史性・政治性に関する論文

などが掲載された(赤字で示した5本の記事を日本語・電子メール版に掲載)。

 当事者間の合意を受けてコソヴォに国際部隊が展開された後の7月号(原語版)では、

    - 保護領という帝国主義的な発想はいずれ民族主義的な反発を招くだけとの批判、
    - バルカン諸国を欧州に統合しようとする側の心構えを喚起する小論、
    - 5月にコソヴォに赴いた国連視察団の報告書の抜粋

などが掲載されている。

 以上が月刊ル・モンド・ディプロマティークがコソヴォ問題に関して提示してきた諸々の論点の概観であるが、日刊ル・モンドの記事や論壇を見ても、ミロシェヴィッチというかセルビアが悪玉であるとか、コソヴォ解放軍が正義の義勇軍であるとかいう単純な捉え方ではなく、過去の歴史や周辺地域の現状を踏まえつつ、チトーの死後に同じく民族主義を昂揚させながらクロアチアがさほど欧米の不興をかわずに済んだこと、麻薬取引のアルバニアン・コネクションが存在することなどへの言及もあったように記憶している。特に、オスマン・トルコに対する1389年のコソヴォの戦いがバルカン諸民族の連合軍によるものであり、それゆえコソヴォがセルビアの聖地であるというのは飽くまでセルビア史観であるとの観点は重要かと思う。また、フランスが欧州統合の牽引役を自負する立場から、かねてより主張していた欧州独自の防衛体制や、バルカン諸国を組み込んでいくための方策へと論議が広がっているのも印象的である。

 日刊ル・モンドの論壇で最も目立っていたのが、上で触れた哲学者レジス・ドゥブレの現地ルポをめぐる激論である。本人は知識人の目で見た現地の観察を政治家の判断材料として提供したという趣旨のことを述べているが、その主調音が空爆反対であったためもあろうか、ジャーナリズム論やドゴール主義、第二次大戦の際のフランスのトラウマ、戦争の大義など様々な軸を混在させた大論争となった。フランスでは、主要政治勢力がおおむね空爆を支持していたという政情から、空爆に反対すれば極右と同一視されかねないという、危ない熱気がただよっていたような感があるのだが、ドゥブレが集中砲火を浴びた背景には、EU統合の深化、広くはグローバル経済に通底する自由主義による国家主権の喪失に対して国民国家や共和国というフランスの伝統的な価値観を訴える勢力(シュヴェーヌマン内相など)が、「国民共和主義者」とレッテルを貼られる構図がある。かなり特殊フランス的な現象とも映るが、同様のパラドックスは日本でも起こり得るのではないだろうか?

 話が脱線したが、コソヴォ問題に限らず、連綿たる歴史を抱えながら、来世紀に向けてEUという壮大な実験に取り組みつづける大陸欧州の論調は、様々な点で刺激に満ちている。数十万の人々に読まれているル・モンド・ディプロマティークの論調を、日本語で味わっていただければ幸いである。


1999年7月記

追記:ドゥブレ事件の経緯は『論座』1999年9月号「コソボ戦争で引き裂かれた欧米の知識人たち」で紹介されている。


line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)