新たなる世界秩序

イニャシオ・ラモネ(Ignacio Ramonet)
ル・モンド・ディプロマティーク編集総長

訳・井川浩

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 北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラヴィア連邦と対立している現在の戦争は、国際関係史に新たな局面を開く。新たなる世界秩序の到来を告げているのである。私たちは、ベルリンの壁が崩壊した1989年11月に冷戦が終了し、91年12月のソヴィエト連邦の解体とともに戦後が終わったことは知っていた。そしていま、コソヴォ紛争が不確実性・混乱・暗中模索の十年(1991〜99年)に幕を下ろし、21世紀に向けて新たな国際政治の枠組みを準備したことを知った。

 圧倒的な勢いで現代社会を衝き動かしている経済のグローバル化は、安全保障分野での世界戦略構想による補完を必要とした。その大綱を示したのがコソヴォ紛争だった。NATOにとって初めての戦争は、新たな時代の幕を開いた。これは国際社会にとって、未知の世界へ飛び込むことを意味する。予想外の胸躍る発見もいろいろあるだろうが、多くの落とし穴や危険も待ち受ける処女地に足を踏み入れることになるのである。

 たしかに、今回の戦争の大義名分、戦争の遂行方法、最終目的は、従来この種の紛争で見られてきたものとは似ても似つかない。

−大義名分−

 NATOは、ユーゴ政権がコソヴォで犯している残虐行為を言挙げし、人道、道徳、さらには「文明」を論じて戦争の大義名分とする。たとえば、ジョスパン仏首相は「これは文明のための戦いである」と宣言した(1)。歴史、文化、政治という、ポエニ戦争(2)の昔から主張されてきた大義名分は、一夜にして古色蒼然の色合いを帯びた。これは、軍事面だけの革命ではない。端的に、精神の革命である。

 道徳上すべてに優先すると見なされるようになった人道的介入を名目として掲げたNATOは、国際政治の二大タブーを破ることも辞さなかった。国家主権と国連の地位、この二つのタブーである。

 フランス革命以前の旧体制の下では、主権は「神の恩寵により」王に授けられていた。啓蒙主義哲学の影響を受けたアメリカ独立戦争(1776年)やフランス革命(1789年)では、その後のすべての民主制がそうであるように、主権は人民にあるとされた(「すべての主権の本源は、本質的に国民に存する」と1789年8月の人権宣言第3条はうたっている)。

 この主権原則により、一国の政府には、国内紛争を自国法によって処理することが認められている。何者も他国の内政に口を挟むことは許されない。二世紀に及ぶこの原則が、去る3月24日に砕け散ったのである。「むしろ歓迎すべきことだ。他国が被害者の救援に駆けつけるのを禁止する内政不干渉の原則をよいことに、自国民に対する国家権力の乱用が繰り返されてきたのだから」と言う者もおり、その考えにも一理ある。ユーゴのケースでも、多くの者が次のように考えている。ミロシェヴィッチ大統領は、たしかに民主的な方法で正式に選ばれた大統領とはいえ、独裁者であることに変わりはない。5月27日にハーグの国際法廷により「戦争犯罪」のかどで起訴されてもいる。そして、独裁者が国民から正統性を授与されていない以上、彼の国の主権は、恣意的行為を可能とするための法的トリックにすぎない。そのような主権は、少しも尊重するに値しない。独裁者が人権を侵し、あるいは人道に対する罪を犯している場合はなおさらである。

 私たちはまた、チリのようにまぎれもない民主国家が主権の下に行った決定(左右の主要な政治勢力全体による決定)さえ、ないがしろにされるのを見た。ピノチェト元大統領の問題である。国家としてのチリの決定も、旧独裁者がロンドンで逮捕され、人道に対する罪で彼を裁こうとするスペインが身柄の引き渡しを要求することを阻止できなかった。

 国際刑事裁判所の設立(米国はいまだに反対している)は、時効のない人道に対する罪を犯した者を、主権国家のいかなる法的決定にもしばられずに裁くことを目的としている。

 さらに、国境を消してしまうグローバル化は、文化を均質化し、差異を薄め、そして国家のアイデンティティーと主権を打ち砕く。アラン・ジョックスが言うように、「市場経済の拡大を通じた世界帝国(アメリカ)の形成が、調整役としての従来の国家の特権を奪い、バルカン化・レバノン化というべき現象を引き起こしている(3)

 それでは、いま一国の主権はどこにあるのだろうか。欧米の後押しの下に、地球規模で「限定主権」を制度化する方向に向かうのだろうか。60年代から70年代にかけ、ブレジネフ時代のソ連が社会主義圏の国を対象に考えていた「限定主権」にも似た制度が出現するのだろうか。ならば、かつての植民地時代のような保護領が復活を見ることになるのだろうか。すでに91年には、ソマリアを保護領とすることが計画されていた。現在、ボスニアとアルバニアは事実上の保護領であり、コソヴォも戦後に保護領とすることが考えられている。

 神の許から国民の手に渡った主権は、いまや、個人に託されるのだろうか。「国民主権国家」を経験した後で、私たちは「個人主権国家」の出現に立ち会うことになるのだろうか。これまで国家に属していた権限や特権が、一人ひとりの個人に認められることになるのだろうか。このような変容は、新たな情報通信テクノロジーによって技術的に実現可能となったものだが、まちがいなく、グローバル化とそれを支えるウルトラリベラリズム思想になじみ、さらには促進されていくだろう。

人道的介入のディレンマ

 他方、国連に関してはどうかといえば、安全保障理事会のいかなる決議からも明白な承認を得ていなかったにもかかわらず、NATOがユーゴへの空爆を決定した。これほど重大な事件で、紛争解決と平和維持に関する唯一の国際機構であるはずの国連が迂回されたのは、初めてのケースである。

 米国は、自分たちの役割を国連に肩代わりされるのをいやがるようになったが、その徴候は90年代初頭から数多く見受けられる。たとえば、ブトロス・ガリ前国連事務総長の再選を拒否し、より米国の主張に従順だと考えたコフィ・アナン氏を後継者とした。ボスニア問題に関するデイトン協定は、国連ではなく米国の手によってまとめられ、イスラエル・パレスチナ問題に関するワイ合意についても同様だった。イラクへの空爆を、国連の決定がないままに米国が一方的に決めたのも、これらの徴候の一つだった。

 実際には何もかもが、米国の国連離れを示唆している。いまや覇権を握っている米国は、国連の法的手続きにわずらわされたくない。国連が今世紀を通して存在してきた(最初は国際連盟という形だった)のは、私たちが思っていたように文明の進歩の証だったのではなく、似たような力を持つ複数の大国が同時に存在し、少なくとも軍事的には他を圧倒できないでいたことを意味するにすぎなかったのだ。こうした力の均衡はソ連の解体とともに崩れ去り、ここ二世紀の間では初めて、一つの国(ヴェドリヌ仏外相に言わせれば「ハイパー大国」)が政治、経済、軍事、技術、文化という国力の五つの基本領域で、圧倒的に世界を支配するようになった。この国、つまり米国には、誰にも(国連でさえも)異議を唱える力がなく、思うがままに覇権を行使できるというのに何故、その覇権を分かち合ったり制限したりしなければならないのか理解できない。

 人道の名の下に行われたこの二つの侵害(主権の無視と国連の優位性の拒否)は、いくつかの疑問を引き起こさずにはおかない。人道の尊重と軍事力の行使にどのように折り合いをつけるのか? 倫理的に正しい爆撃というものは、わけても多発する誤爆が数百人の民間人犠牲者を出している状況下で、はたして存在するのだろうか? 戦争当事者間に想像を絶する軍事力と技術力の差があるというのに、「正当な戦争」を唱えることができるのだろうか? コソヴォの人々を庇護することが正当だとしても、どういう道徳の名の下にセルビア人の壊滅をその前提としなければならないのか?  こうした疑問が、ドノヴァンの『ユニバーサル・ソルジャー』などの反戦歌を口ずさんで「戦争ではなく、愛を交わそう」と叫び、(今日の基準に照らすと「正当な大義名分」があったと言えそうな)ヴェトナム戦争に激しく反対したラブ・ジェネレーション、フラワー・パワーに属していた多くの社民指導者(68年世代、旧トロツキー主義者、旧毛沢東主義者、旧共産主義者、旧平和主義者など)の意識に取り憑いている。

 環境保護派の指導者の一部は、熱烈に戦争を支持する態度と、環境保護を唱える元来の主張との間に、何とか折り合いをつけようと苦心している。彼らは、戦争というものがすべてそうであるように、ユーゴで行われている戦争も環境を破壊するものであることに気づいた。製油所が破壊されて有害物質が空中に放散され、空爆を受けた化学工場が川を汚染し、動物を殺している。グラファイト爆弾が発ガン性の浮遊物を発散し、放射性の劣化ウラン爆弾が投下される。クラスター爆弾が使用され、対人地雷に似た爆発物を何百となくまき散らす(米国は対人地雷の使用を禁止するオタワ条約への署名を拒否している)。安全装置をはずした爆弾がアドリア海に投棄され、漁民に脅威を与えている。

 NATOがどうして、スーダン南部、シエラレオネ、リベリア、アンゴラ、東ティモール、チベットなどユーゴ以外の地域でも、苦境にある人々を助けるための人道的介入を行わないのか、疑問に思う者もいる。また他の者は、往々にして人道主義も二重基準の原則から逃れられないとの認識を新たにする。たとえば、国際的な委任のないまま米英両国が日常的に空爆を続けているイラクに関しても、国連の決定した経済封鎖解除にフランス、ロシア、中国が人道的理由から賛成している一方で、同じく安保理常任理事国の米国と英国は反対を繰り返しているが、91年以降この経済封鎖で直接・間接的に命を奪われた民間人は数十万人にのぼっているのだ。

 人道的介入の権利というものは、強者のみの権利であってはならないと述べる者もいる。だが、どのようにして弱者がこの権利を行使できるというのだろう。あるアフリカの国が介入権の名の下に、人権侵害を受けている黒人を保護するためにアメリカのどこかの州に内政干渉することが想像できるだろうか。あるマグレブ(4)の国が、自国出身者が何かと差別の対象となっていると判断したヨーロッパの国に対し、内政干渉することが想像できるだろうか。

 ある人々が言うように、社会的介入権というものを考えてみてはどうだろう。欧州連合(EU)内に5000万人の貧困者がいるという事実は、言語道断ではないだろうか。これは、重大な人権侵害ではないのか。地球規模でみると、二人に一人が一日10フラン(1.53ユーロ≒190円)以下で暮らしているという事実、10億人もの人々が一日5フラン(0.76ユーロ≒95円)以下の極貧状態におかれている事実を容認するのだろうか。NATOがユーゴ空爆に日々費やす6400万ドルで、7700万人分の食糧を確保できるというのに・・・。

−戦争の遂行方法−

 バルカン半島における今回の紛争は、その遂行方法においても新種の戦争であるといえる。クラークNATO欧州連合軍最高司令官が現に行っているような方法で戦争が指揮されたことは、軍事史上かつて一度もなかった。「死者ゼロ」の原則が至上命令となり、二カ月の空爆の間、作戦展開中に死亡した兵士は一人もいない。これは、前代未聞である。

 物質的な損害も軽微と思われる。NATO軍機の出撃回数は25,000回を超えたが、失った航空機は2機のみであり(その2機のパイロットも、特殊部隊により敵地から無事救助された)、「航空機無損失戦争」(5)というクラーク最高司令官のプランを物語っている。戦闘中に損害を受けた艦船、戦車、ヘリコプターは皆無である。

 反面、ユーゴが受けている物質的破壊は甚大である。軍事施設や工業施設(発電所も含まれる)は大きな損壊を受けるか、使用不可能な状態にされた。橋、鉄道、高速道路などの交通幹線も同様である。ありとあらゆる電子システムが混乱に陥り、電話は常時傍受されている。セルビア兵の死亡数は数千人と伝えられる。一部の米軍将官の間では、ユーゴは現時点でも20年前の状態に引き戻されており、仮に空爆がいまのような激しさで続けば、第二次大戦直後の状態に引き戻されてしまうだろうと言われている。50年間にわたる復興が、二世代にわたる人々の努力の結晶が、数週間で元の木阿弥になってしまうのだ。

 NATOとユーゴの軍事力はあまりにも格差が大きく、戦争という言葉を用いるのは不適切である。私たちが目の当たりにしているのは事実上、懲罰にほかならない。いまだかつてどんな国も(イラクを除けば)受けたことのない懲罰である。というのも、NATOの戦略は、ユーゴを受け身の状態にしばりつけ、NATOの軍事力の前で無力な状態におき、何があっても自軍は安全圏にいるというものだからである。

 だが現実には、私たちは二種類の戦争に関わっているのである。一つは、強者と弱者の戦争、つまりNATO対ユーゴの戦争である。これは、すでに触れたように戦争というよりも懲罰である。二つ目は、弱者とより一層の弱者の戦争、つまりセルビア対コソヴォ住民の戦争、ユーゴ軍対コソヴォ解放軍(KLA)の戦争である。一方は電子機器やテクノロジーを駆使した精緻な戦争であり、他方ではチェーンソーを使った虐殺、大規模な強制移送、レイプ、即決の処刑が繰り広げられている。

 コソヴォ紛争のもう一つの特徴は、NATOが人命の犠牲を避けたいと明言していることである。セルビア人兵士の命を奪うことさえはばかるのだから、民間人の犠牲はなおさら避けたい。兵器対兵器、機材対機材の戦争であり、ほとんどテレビゲームといった趣がある。誤爆のために罪のない者が犠牲になるやいなや、NATOは痛恨と遺憾、反省と後悔を連発し、謝罪を口にする。

 抽象的に敵を粉砕することは目指しても、具体的に敵の人間を殺すことは避けたいのである。「ネオ戦争においては、人命を奪いすぎた方が世論の前で敗者となる」と、ウンベルト・エーコは言う(6)。 コソヴォ紛争が突きつけているのは、この新たな法則なのだ。そして、これを監視しているのが、報道機関である。報道機関を操作することが、紛争当事者双方の主要目標の一つとなっている。この点に関して、今回の戦争は「フォークランド紛争モデル」(7)を大きく出たものではない。フォークランド紛争モデルは82年に初めて実施され、特に湾岸戦争時に適用された。現在のNATOも基本的に、86年に考案され、湾岸戦争の教訓を基に修正された報道体制を踏襲している。その要点は、戦争を目に見えないものとし、報道記者の主要な情報源であり続けることにある。報道記者たちは、きわめて慎重になったとはいえ、この新手の民主的検閲やソフトな宣伝活動を、必ずしも免れてはいない。ベオグラードで旧来型の検閲と粗野な宣伝活動が行われているだけに、真実を明らかにするのは一層困難になっている。

 以上の理由から、報道機関はこの二カ月間、存在しない映像についてコメントし続ける羽目になっている。中心となるはずだった映像は、ユーゴ軍がコソヴォの民間人にはたらく残虐行為である。犯罪行為を語る難民の証言は数多く、その真実性に疑いの余地はない(8)。しかし、実際に犯罪行為を撮影した映像は、一つも私たちの目には届かず、それを自分の目で見たというリポーターもいない。これは、報道機関、とりわけ映像を媒体とする報道機関にとって敗北を意味する。なにせ、彼らはここ十年来、報道の本質は事件に立ち会わせることにある、と私たちに力説し続けてきたのだから。

 こうした事情から、論争も発生する。NATOの「公式の真実」を擁護する一派と、現地を自分の目で確かめた少数の異端・反主流派の間の論争である。英国では、クック外相がBBCのベオグラード特派員であるジョン・シンプソン記者を、公然と「ミロシェヴィッチの共犯者」と非難した。シンプソン特派員は、セルビアにも政権に反対する民主派の人々がいることや、破壊された学校があることを伝えただけだった。英国政府(労働党政権)は圧力をかけ、シンプソン特派員の本国送還さえ要請したが、BBCはそれを拒否した。イタリアでは、ベオグラード空爆、とりわけセルビア国営テレビ局ビルに対する空爆を痛烈に批判したイタリア国営テレビ・ラジオ放送のエンニオ・レモンディーノ特派員が、容赦ない袋だたきにあった。集中砲火を浴びせたジャーナリストや知識人たちは、レモンディーノ特派員を「ミロシェヴィッチの手先」と呼んだ。 フランスでは、コソヴォに短期間滞在したレジス・ドブレがもたらした証言が公式の真実からずれているという理由で、この知識人はリンチも同然の扱いを受けた。

−最終目的−

 今回の戦争の最終目的、ゴール、現実的な目標に関していえば、EUと米国はそれぞれ別個に、また異なった動機に基づいて行動している。そして、きわめて明確ではあるが、公にされていない展望をそれぞれ描いている。EUの側の動機は戦略的なものである。だが、ある地域の戦略的重要性は、従来考えられていたものとは異なってきている。かつては、そこを確保することによって著しい軍事的優位(海洋、航行可能な河川、周囲を見下ろす高地、自然国境などへの通路)を獲得できたり、決定的に重要な資源(石油、ガス、石炭、鉄、水など)や死活的な交易ルート(海峡、運河、峠、渓谷など)を掌握できたりする場合、その地域は戦略的に重要と考えられた。

 衛星が飛び交い、グローバル化が進行し、情報技術を基にした「ニューエコノミー」が取りざたされる現在、上記のような戦略的重要性の概念は、大きく崩れ去った。従来の観点からすれば、コソヴォに戦略的な利益はない。コソヴォを確保したからといって、軍事的に優位に立てるわけでも、決定的に重要な資源が手に入るわけでも、死活的な交易ルートを掌握できるわけでもない。

 それではいま、EUのような富裕な組織体にとって、ある地域の戦略的重要性がどこに存在するかといえば、その地域がどれほどの害悪を輸出してくるかに主眼がおかれる。つまり、政治的混乱、慢性的な社会不安、不法移民、犯罪、麻薬がらみのマフィアなどの害悪が問題となる。この観点から見ると、ヨーロッパにとって一線級の戦略的重要性を有している地域が、ベルリンの壁崩壊以降二カ所ある。マグレブとバルカン半島である。

 97年にアルバニアの社会不安が爆発した後、コソヴォ紛争は激しさを増した。アルバニアの大混乱は、KLA兵士が武器を容易に入手するとともに、コソヴォに侵入するための安全なアジトを築く好機となった。この「解放戦争」は、両陣営が領土の帰属を熱狂的に主張して最後まで戦いぬく決意も固く、長期にわたる凄惨なものとなるおそれがあった。EUは、この種の紛争が五年、十年と足元でくすぶり続けるのを容認できただろうか? しかも、マケドニアその他のバルカン諸国に数々の悪影響を及ぼすことが予測され、数万人の難民がイタリア経由で他のEU諸国に移住する道を探っていた。これに対する回答が、NATOの空爆であった。

 米国にしてみれば、旧来の意味においても現代の意味においても、コソヴォに戦略的な利益はいっさいない。コソヴォ紛争は、91年以来のバルカン紛争にしぶしぶ介入してきた米国にとって、NATOに新たな正当性を付与するという重要案件に決着をつけるための絶好の口実となった。冷戦時代に創設された防衛機構であるNATOは、ソ連という特定の敵からの攻撃に対処するために構想された。91年12月のソ連の解体、そして共産圏諸国の崩壊やワルシャワ条約機構の解散とともに、NATOも解散して当然だった。そして、西欧においては、固有の防衛機構に代えてしかるべきであった。これに反対したのが、欧州での影響力の温存を望む米国であり、東欧の三カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)を加えることによってNATOを強化し、その影響力を拡大することに全力を注いだ。 「NATOは明らかに、米国に欧州での政治的影響力を与え、米国の戦略システムと張り合う欧州の戦略システムの発展を妨げる機関であるがゆえに、維持されることになったのだろう」と、あるアメリカ人アナリストは断言する(9)

 コソヴォ紛争は、NATOの新戦略概念を、99年4月25日にワシントンで正式に採用される数週間前に実地適用する機会を米国に与えた(10)。その結果は判然としない。空爆開始から二カ月たっても、NATOは戦争に勝ってはいない。そのため、常に19の政府との協議が求められる煩雑なNATOの枠組みよりも、湾岸戦争の時のように国連の委任を受けて介入した方が結局は効果的だったのではないだろうか、と自問するアメリカ人将校も出てくる始末である(11)

 米国にとっては、意のままに行動するほうが、話はもっと簡単である。米国の軍事的優越からすれば、それも可能だろう。そして、市場帝国の下で、新たなる世界秩序を押し付けてくるのだ。とんでもない話だろうか。「ちがう」と、クリントン政権の前国防長官を務めたペリー大将は言う。「米国は、世界的な利害を有する唯一の国なのだから、国際社会のリーダーとなって当然なのだ(12)

(1) ル・モンド紙1999年5月22日付
(2) 紀元前3〜2世紀に起こった、ローマ・カルタゴ間の三度にわたる戦争。
(3) アラン・ジョックス「アメリカ戦略における同盟の新たな位置づけ」(『戦略研究ノート』20号、パリ、1997年春)
(4) モロッコ、アルジェリア、チュニジアの三国を指す。[訳注]
(5) インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙1999年5月18日付
(6) ル・フィガロ紙1999年5月3日付
(7) 『コミュニケーションの猛威』(ガリレ社、パリ、1999年)参照
(8) Cf. Wlliam Branigin, << US Details Serb Terror In Kosovo >>, International Herald Tribune, 12 May 1999.
(9) Cf. William Pfaf, << What Good Is NATO if America Intends to Go It Alone ? >>, International Herald Tribune, 20 May 1999.
(10) 「NATO新戦略概念」資料の大部抜粋(エル・パイス紙1999年4月26日付、マドリッド)参照
(11) Cf. William Pfaf, op.cit.
(12) ウィリアム・J・ペリー「世界的リーダーシップによる同盟の構築と拡張ダイナミックス」(1996年3月4日の演説、前出『戦略研究ノート』収録)


(1999年6月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

* 小見出し「戦争の遂行方法」から二つ前の段落の「アメリカのどこかの国」を「アメリカのどこかの州」に訂正(2003年4月3日)

All rights reserved, 1999, Le Monde diplomatique + Ikawa Hiroshi + Saito Kagumi

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