連帯は遠のき分断が深まる

アイデンティティ・ポリティクスの行き詰まり


ステファヌ・ボー(Stéphane Beaud)

社会学者

ジェラール・ノワリエル(Gérard Noiriel)

歴史家

共著にRace et sciences sociales. Essai sur les usages publics
d’une catégorie
, Agone, Marseille.(2021年2月5日に刊行)
本記事はこの書物からの抜粋。


訳:菅野美奈子


 米国の「ブラック・ライヴズ・マター」運動を契機に、世界中でレイシズムへの関心が高まった。移民大国のフランスでも、反レイシズムを訴える声明が相次いで発表された。人種差別を考える上で本来無視できないはずの社会階級という側面が等閑にされる一方、「アイデンティティ」を全面に掲げる抗議運動が勢いを増している。こうしたアイデンティティ・ポリティクス(人種、エスニシティ、ジェンダーなど特定のアイデンティティを土台とした政治的な運動)はSNSの普及によってますます活発となり、メディアも盛んに取り上げているのだが、つまるところ過激な行動ばかりがクローズアップされ、社会の分断を強めている。[日本語版編集部]

(仏語版2021年1月号より)

"Fight Racism!" by Daquella manera photo credit: CC0 1.0.

 2020年5月25日、人種差別問題がいきなり再燃した。通行人がスマートフォンで撮影したジョージ・フロイドさん殺害の模様がSNS上で拡散され、ニュース専門チャンネルで繰り返し放送されたのだ。このアフリカ系アメリカ人がミネアポリスの白人警官から不当な暴力を受けて死亡した事件は世界中を震撼させ、怒涛の勢いで抗議運動が巻き起こった。反レイシズムの活動家、ジャーナリスト、政治家、知識人、専門家、芸術家、作家など多くの人たちが、米国でそして世界各地で、この凄惨な事件とその政治的な意味について意見を述べた。

 フランスでは15年ほど前から、レイシストによる犯罪や人種差別の疑いのある出来事が、終息の見えない「人種差別事件」として、たびたびメディアで批判的に報道されている。2020年7月3日、知識人57名が署名した「反レイシズム・反植民地主義を標榜するフランス共和国のための宣言」という声明がメディアパルト[独立系のオンライン新聞]上で公開された。これに反論するように、週刊誌マリアンヌは同年7月26日、80名以上の個人と20ほどの団体が署名した「社会問題の人種化に反対する訴え」を掲載した。

 2つの声明を比較すれば、ピエール・ブルデューが言っていた「互いに“人の一寸我が一尺”(cécités croisées)」の働きがどのようなものかよく分かる。警官による人種差別的な暴力やアルジェリア独立戦争末期までのフランス植民地における「人種隔離政策」を批判することはもっともだが、メディアパルトに署名した人たちはその考えを貫くがゆえに、目指すべきものとして、社会的要因を無視しながら人種差別や旧植民地関連の問題にばかり取り組む社会の姿を支持してしまっている。反対に、マリアンヌ誌の訴えに署名した人たちは、今日のフランスを揺るがす数々の不平等の根底に社会階級の存在があると強調する。けれども、「ライシテと福祉国家の共和国! みなに機会を!」というスローガンに要約される彼らなりのアイデンティティ運動からは、「わが国はこれまで一度も人種差別的な施策を行なっていない」という発言まで飛び出す始末だ。まともな歴史家や社会学者なら、そのような主張に賛同することはできない。どちらの陣営も少数の知識人集団を動員したが、こうしたアイデンティティ運動の対立が研究者としての自主性を守ろうとする学者たちを難しい立場に置いてしまう。

レイシズムを醸成する公共空間

 このような世論の「人種化(racialisation)」[訳注1]は、2000年代に躍進を遂げたデジタル革命によって拍車がかかった。そしてメディア産業がめざましく発展したことで、ユルゲン・ハーバーマスのいう「生活世界の植民地化(1)」が完全なものとなった。ニュースを製造する巨大マシーンは24時間ずっと稼働している。不公平や侮辱や攻撃を目にするや否や衝動的に反応したくなるような、私たちひとりひとりが人知れず抱え込んでいる感情を掘り起こして、このマシーンを動かす燃料としているのだ。19世紀末マスメディアの発展と同時に登場した、政治ニュースの「三面記事風の報道(fait-diversion)」[訳注2]が今日かつてなく盛んであり、社会問題の考察に代わって、加害者を吊し上げたり被害者のその後を追うような内容がますます増えている。

 SNSを運営するアメリカのグローバル企業はこの流れを急激に加速させた。SNSを利用する何十億人もの個人は、もはやメディアがつくりだした言論をただ受信するだけでなく、その拡散に関与し発展させもする行為者でもあるのだ。こうしてSNSは、国民国家の枠組みを超えて人々をつなげる公共空間を生み出した。その結果、「カラーブラインド(color-blind)」「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)」「キャンセル・カルチャー(cancel culture)」などの表現がすぐさま入ってくるように、社会問題に関する議論のあり方がいっそうアメリカ化している。

 昨今レイシズムは最も市民の感情を揺さぶりやすい政治的話題のひとつであるため、メディアがますますトップニュース扱いで批判的に報道している。このような事実確認は、念を押すまでもなく、この問題の存在を否定ないし軽視しているわけではない。まただからといって、レイシズムを隠さないような発言がメディアでも増えていると指摘することを少しも妨げはしない(2)。旧植民地のマグレブおよびサブサハラアフリカ諸国から移民としてやってきた人たちは、その大多数が下層階級に属しており(3)、1980年代から始まる経済危機の影響を受けた最初の犠牲者であった。住居探しや求職活動、国家機関との関わり(警察が外見で判断して身元確認する)といった場面で、さまざまな形の人種差別の被害に遭った。そのうえこの世代の移民たちは、政治に関して言うと、20世紀に労働者と共産主義者による運動が社会全体にもたらした希望の数々が潰えていく様子を目の当たりにした。

人種化の罠

 社会問題に関する議論においてアイデンティティが争点の核となっている。それゆえ[移民2世、3世の]若者たちの一部が宗教、出自、(皮膚の色で決まる)人種といったそれぞれの個人的なアイデンティティに関する事柄を重視して、自分たちに居場所を与えない社会に反発したとしても不思議ではない。不幸なことに、その中でも最貧困層は社会的経済的な理由から、自分のいる社会集団や自ら加わろうとするコミュニティの選択肢を広げたくても、その手立てをもたない。だからこそ、最貧困層は「私たち」vs「彼ら」という二項対立に特定のエスニック・グループをあてはめて世の中を見ている。「私たち」とは団地に住む人々、黒人とアラブ人の若者たち、排除された者たち、さらにはどんどん増えているように感じるイスラーム教徒の「私たち」であり、「彼ら」とはブルジョワ階級の人々、“セフラン”、“ガリア人”[訳注3]、白人、無神論者などを指す。レイシズムと徹底的に闘うつもりなら、このように移民の子孫である彼らが自分たちのアイデンティティに閉じこもっているという問題にも立ち向かう必要がある。そのせいで反抗する若者たちは、下層階級に属するがゆえに自分たちの社会生活が一から十まで決まってしまっていることに気づけないでいるからだ。

 フランス国民の経済的、社会的、文化的な行動様式全般を決定づける変数として皮膚の色を挙げて人種化する言語表現は、社会における人と人との関係や力関係の複雑さと繊細さを破壊する。しかしながら社会学、統計学、民俗学に関するあらゆる調査は、社会的変数とエスニシティ変数がいつも連動しながらさまざまな強度で影響を及ぼしていることを示す。社会科学で最も大切なことは(地理的、歴史的、相互作用的な)人々の事情に応じて、影響変数の作用をつぶさに解明することだが、誰が何と言おうと、(経済資本と文化資本の量で決まる)社会階級が決定要因であるということを忘れてしまったら、私たちの生きる世界において何も理解できないままだ。この階級という決定要因を軸に、人々のアイデンティティを形成する他の側面がつながり合うのだから。

 そのことを最もよく証明しているのは、中流階級(教師、教育者、ソーシャルワーカー、映画や舞台等の制作スタッフなど)、さらには上流階級(テレビ局やラジオ局の放送記者、作家、歌手、映画俳優など)になれるような社会的流動性の恩恵を受けた人々である。このような、いわば「階級を変えた人たち」はほぼ誰でも、交友関係、仕事での人脈、さまざまな場での人付き合いを広げるため、階級の上昇によって獲得した資源を有効に利用している。それがさらなる自由につながる道だと、彼らはちゃんと知っているからだ。永久に下層階級のままである旧植民地からの移民の子孫たちは、どうしていつも犠牲者の立場に引き戻され、こうした解放にたどりつくための手段を奪われているのだろうか?

連帯ではなく分断が進む

 アイデンティティ運動における言論は、社会を形づくる権力関係を隠しながら、下層階級における分断を強めていく。それは1980年代以降、左派の主導権を打ち砕くために保守勢力が考えていた狙いだった。すべての「白人」を特権者とみなして政治的な争いを人種に結びつけて語ることは、白人たちが同じ理屈で反論するのをけしかけることになる。フランスでは「白人」がマジョリティであるため、「非白人」は永遠にマイノリティであることを強いられている。[Amazonの創業者]ジェフ・ベゾス流の改心(4)を通して「白人」とされる個人が自分たちの「特権」を手放すだろうと信じることは、政治を道徳教育に単純化するのに等しい。アメリカでは珍しくないが、フランスでもそうなりつつある。

 人種差別問題について話すとき、このところ絶えず米国での出来事が引き合いに出されるため、哲学者マイケル・ウォルツァーが最近[著書の中で]展開した考察は注目に値する。そこで彼は米国における黒人の反レイシズム運動の失敗と、そのせいでレイシズムがいまもなおアメリカの主たる問題であることを説明している。ウォルツァーは1960年代初頭、アメリカの黒人たちが行なった公民権運動に全力で身を投じた一学生であったが、50年後に再びこの政治参加の原点に立ち返った。ハーバードやブランダイスといったアメリカ北東部の一流大学の学生、とくに彼のようなユダヤ人学生と黒人の指導者や活動家との間に[公民権運動が盛んだった]南部で強い絆が結ばれていたことを、彼は思い出させる。

 何十年も経ってから執筆した総括の中で、ウォルツァーは進歩主義勢力の陣営が築くべき政治面での協力体制に関する本質的な問題を提起している。「私たちは、もっともだと理解を示しながらも、黒人のナショナリズムは戦略として間違いだと思っていた。なぜなら、マイノリティは自分たちの声を聞いてもらうために、他の集団と団結するという手段をとらなければならないからだ。ユダヤ人はずっと前にそのことを学んでいた。あなたたちが全人口の10%や2%でしかないとき、孤立してはいられない。一緒に闘ってくれる人たちが必要であり、協力体制を促すような方策を練らなければならない。これは黒人のナショナリズムが拒否したことであり、私が思うに、それがゆえに行き詰まってしまったのだ(……)。“アイデンティティ・ポリティクス”はアメリカでの政治行動を席巻し、黒人、ヒスパニック、女性、ゲイのための運動を個別に生み出した。だが社会的承認を求める多種多様な闘いの間に、連帯は生まれなかった。たとえば“ブラック・ライヴズ・マター”は、とりわけ警察の振る舞いに対する黒人たちのもっともな怒りの切実な表現である。しかしヒスパニックが警察からましな扱いを受けているわけではない。それでも私の知る限り、“ヒスパニック・ライヴズ・マター”は聞こえてこないし、警察改革のためにいくつかのエスニック・グループが団結しようと奮闘している様子も見られない(5)

 フランスの社会が米国の動向から強い影響を受けていることを考えると、ウォルツァーの指摘が残念ながらフランスでも当てはまりつつあると懸念される。たしかに、「さまざまな闘いを収斂させよう」と事あるごとに主張する多くの声が聞こえてくる。しかしながら、こうした方向性で運動している人たちは今や2000年代のデジタル革命とともに生まれたコミュニケーションの新しいシステムの中で行動しなければならない。かつてはある主張を世間に浸透させるなら、多くの活動家たちを結集させるような組織がその主張を社会全体に向けてはっきり説明し支持している必要があった。今日では、誰かから信任されたわけでもないのにあれこれの要求の代表者を自任するような一握りの活動家がメディアの関心を引けば事足りる。したがってレイシズムとの闘いを掲げて演劇の公演を阻止する活動家たちのように、人目を引こうとする行動が目に余る事態となっている。ジャーナリストたちがこうした類の行動を大目に見ているから、進歩主義勢力をしょっちゅう分断するような論争があとを絶たない。これまで左派のもとで表現の自由と反レイシズムはずっと結びついていたが、ごく一部の過激な行動が結局このふたつを対立させてしまう。それこそ、保守派を大いに利する道だ。


  • (1) Jürgen Habermas, Théorie de l’agir communicationnel, Fayard, Paris, 1987 (1re éd. : 1981).

  • (2) Gérard Noiriel, Le Venin dans la plume. Édouard Drumont, Éric Zemmour et la part sombre de la République, La Découverte, Paris, 2019.

  • (3) こうした移民たちが地方メディアの報じる瑣末な事件に関わっていたり、犯罪行為に手を染めたり刑務所に入ったりするケースが非常に多いことの直接的な原因である。

  • (4) ジョージ・フロイドさん殺害に対するアマゾンの反応ツイートより。「わが国の黒人に対する不公平で乱暴な扱いはなくなるべきである」(2020年5月31日)

  • (5) Michael Walzer et Astrid Von Busekist, Penser la justice , Albin Michel, coll. « Itinéraires du savoir », Paris, 2020.

  • [訳注1]「人種化/レイシャライゼーション」とは社会学の用語で、特定の集団に対し人種や民族を理由に偏見をもったり優劣をつけたりすることを指す。

  • [訳注2]ピエール・ブルデューが fait-divers(雑報)と faire diversion(紛らす)の言葉遊びからつくりだした表現。本記事では政治に関するニュースを三面記事のように物語仕立てにして分かりやすく伝えることで、問題の本質から大衆の目を逸らすことにもなりうるという批判が込められている。

  • [訳注3]セフラン(céfrans)は、フランス人を意味する Fran-çais(フラン-セ)の倒語。ガリア人(ゴール人、gaulois)は、古代ローマ人がガリア(Gallia)と呼んでいた地域に居住していたケルト人を指し、フランス人はガリア人の直系の子孫だとする「国民的神話」が広く知られている。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2021年1月号より)