先史時代の女性を闇から救い出す


マリレーヌ・パトゥ=マシス(Marylène Patou-Mathis)

フランス国立科学研究センター 部長


訳:一ノ倉さやか


 全世界的に男女平等、女性の社会進出が謳われて久しいが、昨今のニュースを見渡せば到達には程遠い。本記事は「かつて母権制は存在したのか?」「男性優位の社会はいつ生まれたのか?」を議論の中心に「第二の性」の役割について、歴史的・科学的根拠を織り交ぜながらレヴィ=ストロース等19世紀~20世紀欧米知識人による考察を紹介する。[日本語版編集部]

(仏語版2020年10月号より)

Alice Guittard. — « L’Ombre de la main », 2018
Alice Guittard - Double V Gallery

 旧石器時代(約250万年前~1万年前)、女性の地位は男性より低かったという仮説を主張する考古学上の論拠は存在しない。考古学者たちは豊富に残された女性の表象[訳注]に基づいて、旧石器時代の社会では、女性は信仰の中心に居て高い地位を占めていたと示唆する(1)。少なくとも、一部の女性が高位にあったことは確かなようだが、それは彼女たちが信仰を取り仕切っていたというだけの理由によるものなのだろうか? 研究者のなかには、はるか遠くの時代、社会は母系社会、さらには母権制の社会だったのではないかと主張する人もいる。

 母権制社会と母系社会についてしばしば混乱が見受けられる。母権制社会では女性が社会的権威、法的権限を保持する。そして、母系社会とは母方の親子関係に基礎を置く類縁関係のシステムを指す。「母権制」という用語はその語源(ギリシャ語のarkhein「指揮する」「操作する」)が示すように女性による支配を含意している。雌による支配を基盤とした位階組織や類似の系譜は数多くの動物、殊に人間に近いというボノボにおいて認められる。また、中国雲南省の人里離れたところに住むナ族という、チベット族を起源とする種族は未だ1990年代においても母権制であり続けたが(2)、この制度は今日では廃れてしまった。しかしながら、どの大陸でも多くの社会が母系社会であったし、そのうちの幾つかは今でも存続している。古代ギリシャ以来、大半の文明社会で男性が女性より優位な経済的社会的権力を所有していたことを指摘したうえで、人類の起源以来母系社会も存在していた、と多くの人々が主張する。彼らは19世紀に幾人かの知識人が主張した、父権制以前に母権制が存在したという説を否定する。先史時代(紀元前3000年以前)における母権制の存在はすでに1世紀半以上議論されているが、未だに激しい論争が続いている。多くの人々にとって「母権制起源説」は神話でしかないようだ。その他の人々にとっては新石器時代(紀元前8000年頃)に父権制が出現するまでは母権制が存在していたかもしれないという程度だ(3)

 雑居生活をしていた民族において、子供の父親が誰なのかを特定することは困難であった。したがって、血縁関係の継承は母親経由以外ありえなかった。ポーランドの人類学者ブロニスラウ・マリノウスキやスイスの判事ヨハン・バハオーフェンによれば、この母系関係は人類の原始社会に存在していた。1861年以降、バハオーフェンは古代神話と旅行譚、とりわけカナダの宣教師でイエズス会のジョセフ・フランソワ・ラフィトウの記述に基づき、「原始社会」は母の権利による「女権政治の時代」であると示唆していた。「偉大な女神」への崇拝と母から娘への権力移譲によって、「母性の神秘」を利用して部族を統率したのであろう、とバハオーフェン判事は主張する。原初の母権制の存在、あるいは少なくとも男女が平等な社会は、19世紀末に幾人もの人類学者および哲学者に支持された。彼らは、男性が権力を獲得し、父系制、次いで父権制を確立したのは、捕食経済(狩猟採集)から生産経済(農牧業)へ移行して行ったときであったと考える。この説は20世紀初頭まで何人かの人類学者が語り続け、1930年代に新たに解釈される。先史時代の社会構造は時代と共に修正される、というものだ。その構造は先ず氏族であり、次いで母権と定住、そして家族(カップルを単位としたもの)と放浪だった、という説だ。いくつもの不確かな記述を残したまま、ピョートル・エフィメンコというロシアの考古学者により提示されたこうした直線的な進化の図式は今日では廃れてしまった。

 それから約30年後、青銅器時代(紀元前2200年から800年)の専門家マリヤ・ギンブタスはインド=ヨーロッパ語族(紀元前4000年から3000年)以前の社会を「母系社会」(4)と表現する。母系社会は紀元前3000年以降、中央アジアのステップ遊牧民族の襲来によって取って代わられるまで、約2万7000年もの間続いていたのだ、と言う。「地下墓地(カタコンベ)」といわれる地中海文明――岩の中に穴を開けた人工的な洞窟内に死者を埋葬するのが特徴である――は同様にこの種の母系制組織に属するが、紀元前3500年頃に同じような運命を辿ったとされる。騎馬民族が母系制の原住民に父権制と戦争のシステムを強いたのだろう。この説にもまた反論が生じた。というのも、とりわけそれらの民族の襲来以前のものと推定される武器や要塞の遺跡が発見され、また彼らの勢力の拡大はしばしば平和的になされたと推測されているからだ。

 1980年から1990年代にかけて、今度はアメリカの歴史学者たちが、先史時代の社会は母系制であっただけでなく、父権制社会より平等かつ平和で、階級制が緩かったとの見解を示す。これに関しては何人もの研究者が反対意見を主張する。彼らにとって、母権制社会の描写は、一方の性がもう一つの性を支配することのない今はなき「黄金時代」のロマンティシズムをよみがえらせる「識者による神話の構築」でしかないだろう、というのだ(5)。「女性の地位は実際には母系制の時代よりも出自を問わない制度においてより高い(6)」とするエマニュエル・トッドによれば、バハオーフェンの女権政治は「幻想」の類だということになるだろう。それゆえ、母権制起源説は神話でしかない! こうした神話の擁護者は批判者と同じ手法で民族誌学的な議論を拠り所として、経済・社会的な観点からは平等主義的ではあっても男女の関係においてはそうでない伝統的な社会の例をいくつも挙げる。しかしながら、たとえその数が明らかに少数ではあったにしても、両性の関係が平等だった社会が存在していたことを否定することはできない(例えば南アフリカのサン人)。

 1992年11月号L'Histoireの論文に掲載された「母権制は存在しなかった!」という簡潔な表現は、多くの研究者が母権制を頑なに否定する真相を我々に問いかけるものだ。男性支配——父権制——は原始には存在せず、おそらくは狩猟採集遊牧民の共同体の社会構造を変えていった経済秩序の結果として制定された、という仮説を認めたがらないこと、それこそが拒絶の理由なのであろう。富の蓄積は旧石器時代社会においては殆ど存在しなかったが、定住や動植物の栽培や飼育によって促され、それら(動植物)を保護するという新たな活動が生まれ、女性より強靭な肉体を持つとされた男性が果たす機能となったのであろう。次第に収穫物と家畜を所有するようになると男性は、自分の子供たちにこれらの財産を確実に承継させるために父系制を制定する。『親族の基本構造』(1949)におけるクロード・レヴィ=ストロースの理論によると、父権が一般化したことで認められた子供の所有と監督が、組織化された社会において現われた。母系から父系へのこの転換は、多かれ少なかれ一定の時間を経て父権制度の誕生へと繋がっていったとしている。したがって新石器時代(紀元前7000年頃~)に見られた経済的社会的変化が、男性と女性の関係を根底から変えたという説には強い信ぴょう性がある。哲学者オリヴィア・ガザレが述べるように、この変化は間違いなく父権制時代の始めに顕著に見られた。「事の始め性の秩序を覆したのは女性ではなく、男性であった。女性の権利と自由がもっと幅広く、女性性が尊重され神聖視されていた混成的な世界に男性が終止符を打ったその時からだ。新しい世界を打ち立てるために、男性性に依拠した力による世界が作り出され、そこでは女性は過小評価され、閉じ込められ、全ての権力を失う。この新しい文明の夜明けに、力強さの優位性という壮大な物語が始まる。神話(イマージュと象徴による)、形而上学(概念による)、宗教(神の法による)、科学(生理学による)が、世紀を超えてこの物語を補強することになる」(7)

好戦的なエリートの出現

 早くも1884年にはフリードリッヒ・エンゲルスは、母系制が父系制に徐々に取って代わられたことを女性の隷属的な状態の原因の一つとみていた。つまり、母系制が覆されたことは「女性という性の大きな歴史的敗北(8)」と見なしていた。それから120年以上後エマニュエル・トッドもまたそれを強調する。父権制の原理がその後ユーラシア大陸のほぼ全土にわたって普及した(このことは、それ以前に別の原理が存在していたことを前提としている)複雑な家族形態の進展を促したが、その代償に女性の地位が低下し、その結果として文化の伝播における女性の役割が減った。こうして、母権制度──母系と同時に、母方居住(『夫』は『妻』の家族と住むことになる)──があまり見られなくなったのは、男性支配が一般的になっていったことで説明される。女性の従属化は暴力の一形態であり、男女の性差による労働の分業化の結果であるとしている。

 旧石器時代、若くして出産し子供を育てるという点において、女性は氏族の存続に根源的な機能を担っていた。新生児の父親を特定することは不可能だったので、母系制が極めて自然に思われた。数多くの活動に従事し、女性は実際に経済的役割を担い、おそらくは男性と同等の地位を得て、更には、先史時代の芸術で女性の描写が中心的な位置を占めていることから察するに、家庭や象徴の領域では男性より高い地位を得ていただろう。これらの社会において男性女性間の関係は対等であったと考えられるとしても、母権制社会の存在すなわち女性による支配が行われていたと結論付けるに足る手がかりは現時点でまだ得られていない。ただ逆に、父権制であったという証拠もない。母系制が父系制に新石器時代に次第に取って代わられることはあっただろうが、必ずしも全ての場所でそうなったわけではない。というのも、母系社会は世界のいくつかの地域でまだ存続しているからだ。

 新石器時代のごく初期、原始農業社会の社会経済組織は女性の手で入念につくり上げられたように見える(9)。女性の農業従事者が植物の栽培や農業用具の実用化を発案したという。例えば、鍬や小麦を粉砕するための挽き臼などだ。社会組織の変化は紀元前6000年に遡る。それは一定の地域で人口の爆発的増加が顕著な時期であり、それは食糧が豊富になったこと(多くの穀物倉庫の発見がそれを証明している)や定住の広がり(初期の村の出現)と関係している。牧畜の発展と農地に関する新しい技術の習得によって、男性は農業関連の仕事で徐々に女性に取って代わった。羊毛や搾乳用の動物の飼育は女性を家庭とその周辺にとどめ、活動範囲を制限する方向に働いたであろう。富(畑、牧草地、家畜、食糧の貯蓄)の蓄積に伴い共同体において男性は徐々に重要な位置を占めたに違いない。このような変化はエリートや社会階級(戦士階級を含む)を生み出し、社会構造を再編しただろう。そして、男女間の仕事のよりはっきりした分業や、夫方居住(女性が「配偶者」の家族の中で生活すること)と父系制の一般化をもたらした。

 社会で女性の地位を覆したこれらの転換は、紀元前5000年から始まったと見受けられる。それは埋葬品の内容(女性の墓では、女性に特有のものが多くなり、多様でなくなる)と発掘された骨の健康状態から推測できる。重労働、重量物の運搬、度重なる妊娠に関係するものだけでなく、プロテイン不足が原因の欠乏症による病理(でんぷん質と野菜を主食としたたために、男性に比べてより多くの女性がカリエスに罹患したことから証明される)や相次ぐ暴力に起因する外傷性障害からの推測である。とはいえ、そのようなことが全ての女性に当てはまるわけではない。多くの墓で遺体は豪華に飾られ、病気や外傷も見られない(10)。女性の地位は、当時の社会的地位によって様々だったようだ。

 1世紀半以上もの間、考古学の遺跡から読みとられた解釈は、とりわけ経済活動における先史時代の女性たちの重要性を過小評価し、彼女たちの本来の姿を見えなくした。近年の発見は彼女たちについて新たな解釈をもたらしている。人類の発展における女性の役割が男性と同等に重要であったことが明らかになるのだ。

*この論文の原典は、以下のタイトルで2020年10月に出版された。
L’homme préhistorique est aussi une femme. Une histoire de l’invisibilité des femmes(Allary,2020)


  • (1) これは、特にピョートル・エフィメンコ(表記方法、未確認)によって擁護された説である。右記参照。 Cf. Claudine Cohen, « La moitié “invisible” de l’humanité préhistorique », colloque Mnémosyne, Lyon, IUFM, 2005.

  • (2) Cai Hua, Une société sans père ni mari. Les Na de Chine, Presses universitaires de France (PUF), Paris, 1997.

  • (3) Ernest Borneman, Le Patriarcat, PUF, 1979.

  • (4) Marija Gimbutas, Bronze Age Cultures of Central and Eastern Europe, Mouton & Co., Paris, 1965.

  • (5) Cynthia Eller, The Myth of Matriarchal Prehistory. Why an Invented Past Will Not Give Women a Future, Beacon Press, Boston, 2000.

  • (6) Emmanuel Todd, L’Origine des systèmes familiaux, tome I : L’Eurasie, Gallimard, Paris, 2011.

  • (7) Olivia Gazalé, Le Mythe de la virilité, Robert Laffont, Paris, 2017.

  • (8) Friedrich Engels, L’Origine de la famille, de la propriété privée et de l’État, Hottinger, Zürich, 1884.

  • (9) Jacques Cauvin, Naissance des divinités, naissance de l’agriculture : la révolution des symboles au néolithique, Flammarion, Paris, 1998.

  • (10) Anne Augereau, « La condition des femmes au néolithique. Pour une approche du genre dans le néolithique européen », soutenance HDR, Institut national d’histoire de l’art, Paris, 28 janvier 2019.


  • [訳注] 原始美術といえば、後期旧石器時代(約3万年前~約1万年前)のラスコー、ペシュ・メルル、ニオー、レ・トロワ・フレール、スペインのアルタミラなどの洞窟彩画(バイソン・馬等のモチーフ)が有名。ここでいう「女性の表現」とは、フランスのシャラント地方やドルドーニュ地方の岩陰浮彫りに見られる乳房、腹、臀(しり)が誇張された(女性をモチーフにした)描写を指すと思われる。女性性の強調は丸彫りの女性裸像(太古の地母神崇拝に起源を持つといわれるウィレンドルフのビーナスやレスピューグのビーナス等)にも共通しており、多産の呪術にまつわるものと考えられている。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年10月号より)