19世紀、禁じられた入浴と香水戦略

瘴気と若い女性


エリカ・ヴィキ(Érika Wicky)

歴史家、リュミエール・リヨン第2大学


訳:三竿梓


 「入浴」は古代エジプトの時代から存在するが、中世の西洋世界ではキリスト教の影響によりこの習慣が姿を消すことになる。とりわけ若い女性は入浴を禁止され、香水を使うこともできず、その「生来の匂い」を発することが望まれた。19世紀になってようやく彼女たちにも香水を勧める風潮が生まれるが、その背景には香水メーカーの戦略があった。[日本語版編集部]

(仏語版2020年11月号より)


Alfred Stevens. – « Le Bain », vers 1867
Photographie : Rmn-Grand Palais (Musée D’orsay) - Hervé Lewandowski

 現代の女性たちは、デオドラント用品やマウスウォッシュ、香り付き生理用ナプキン、「膣ケア用品」といった体臭と戦うアイテムを一通り揃えている。これは、女性たちが体臭を恥ずかしいものとする社会の眼を気にしなければならず、また他人から不潔と思われるのではないかという不安の中で生きている証だろう。自分自身の体臭を数値化するのは難しいだけに、臭いに対する不安を刷り込むのは容易であり、これを利用して製薬会社と香水メーカーは大きな利益を得ているのだ。この体臭を気にする風潮には長い歴史があり、フランスに関しては19世紀後半が決定的な時期とされる。これに先立つ1832年にはコレラの大流行により環境衛生に関する運動が加速し、香水メーカーは飛躍的な発展を遂げていた。また、カトリック規範に基づいていた女子教育が議論を呼んでいた(1)

 当時、医療冊子や信仰ガイド、礼儀作法の手引き、女性雑誌は数えきれないほど発行され、そこには若い女性とその母親への様々なアドバイスが載っていた。母親は娘の教育の責任を負っており、その負担はどんどん増えていたのだ。女子に一定の知的教育を受けさせ、献身の気持ちを教え込み、習い事をさせることに反対意見はなかったが、衛生面に関してはさまざまな意見があった。

修道院の掟と衛生状態

 まず、修道院と医師の間に対立があった。ここで作家ジュディット・ゴーティエ(1845-1917)の話を紹介しよう。彼女は女子修道院寄宿学校で暮らしていた当時、父親のテオフィルから「せめて体は洗ってもらえているだろうね?」と聞かれたという。このセリフは父親が宗教施設の慣行に疑問を持っていたことを物語る。1904年に出版された自伝(2)でジュディットが記したこの話の続きには、父親が抱いていた数々の危惧や下着を着たまま風呂に入ること、また修道女たちの当惑が記されており、笑いを誘う内容となっている。修道院では長らく入浴が否定されており、清潔さというものは見た目だけの問題だったのだ。1868年に刊行された『若い女性のための本——修道女からの助言(未邦訳)』にはこう書かれている。「汚れたり破れたりした服や下着は決して身につけてはなりません。髪の手入れを怠らず、顔は毎日洗い、必要な時には1日に何回でも手を洗いましょう。靴は常に綺麗にしておきなさい(3)」。香水の使用は、不品行につながるという理由で全く認められていなかった。

 医師たちは女子宗教教育における衛生観念の欠如を著作の中で非難し、その口調は、彼らを駆り立てた反教権主義の程度に応じて差はあれど激しいものだった。しかしながら教会と医師の見解には共通点もあった。それは、「品行」と特に入浴によってもたらされる自慰行為や官能的快楽への危惧という点である。時代と共にこれらの議論はあからさまになり、1857年にはジャン=バティスト・ヴノという医師が梅毒に罹患した娼婦を世話する修道女たちの献身を褒め称えた。しかし、「最低限の清め、つまりごく単純に体を洗うこと(4)」に対して罪の意識を感じる彼女たちの頑なな態度には落胆した。のちにオーギュスタン・ギャロパン医師は、逆に、若い女性たちに性器を洗うことを禁止するのは掻痒症やかゆみの原因となり、危険な自慰行為に繋がるとはっきり述べている(5)

衛生と匂いに関する医師の見解

 女子修道院寄宿学校や世俗の寄宿学校では入浴の拒絶があっただけでなく、幽閉や共同生活が強いられ、出歩かないように言われていた。医師たちはこの環境を批判し、それよりも体を動かしたり、外に出かけたり、室内を換気するよう強く勧めた。『若い女性の衛生(1882)(未邦訳)』の著者であるアドリアン・コリヴォは、密集状態の危険性への理解を促すために次のようなフィクションを書いている。「どんなに小さな隙間もふさいだ部屋にあなたが見出した最も美しく魅力的な若い女性を20人招き、扉を閉めて出られないようにしてください。彼女たちのうっすら漂う気品や美しい肢体は、最も聞き心地のよい詩の流れを作り出すインスピレーションを詩人たちに与えます。それから彼女たちにおしゃべりさせたり、歌ったり踊ったりさせてください。要するに1日だけ彼女たちに普通の生活を送らせるのです。その後、この小さな女性用宿舎に入ってみてください。当初漂っていた20人のうっとりする芳香はぞっとする悪臭に変わっているでしょう。日々の活動から絶え間なく生じるあらゆる排出物が混ざり合った湿った空気が充満する室内は、20人の愛くるしい口元と処女性のイメージを損ないかねない胸元から作り出されたのです」

 当時の医学では、きわどい暗示的表現にことよせて見解を述べることがよくあった。若い女性たちの自然な香気は人々の感情を強く掻き立てたので、その存在は医学的見地と文学的見地の差異を曖昧にしてしまったのである。時間が経つにつれ香りが弱まっていく香水の性質は、あっという間に終わってしまう「若さ」を連想させるので、若い女性の香しさは束の間のものとして立ち現れる。また、ギャロパン医師は女性の「嗅覚の年齢」に関しても次のように書いている。「まだ性に目覚めていない若い女性はかぐわしい香りを存分に放っている。彼女たちからは風のそよぎや春の太陽の光、キイチゴの香りがする冷たい水の匂いがしてくる。一方、恋をしている女性はより強い香りを放つ。性に目覚めた若い女性や愛人のいる人には特別な匂いはない」。若い女性が開花し、成熟していく過程を医師は植物になぞらえようとしたので、その詩的な独創性にもかかわらず、そこで用いられた比喩は植物の領域にとどまった。このようにして医師らは科学的な裏付けと共に「花のような若い女性」という強固な神話を作り出す。ひとたび処女が失われると軽やかでフローラルな匂いは、強く動物的な匂いになるという。この匂いの差は、香水メーカーが事業で最大限成功するために躍起になって手に入れようとするほどに重要なものとされた。実際のところ、香水が大衆に広まり、1830年代から始まった商業的発展が長く続くことになったのは1860年代以降の生産の機械化と化学の進歩のおかげである(売上高は1836年から1856年の間に63%増加)(6)

Jean De Paleologue, dit Pal. – « Thymol-Toilett, seul extrait parfumé antiseptique », 1896
gallica.bnf.fr - Bibliothèque nationale de France


香水メーカーの戦略

 医師の処方箋に重要なセールスポイントがあることを発見した香水メーカーは、著名な科学者らのサインが入った証明書や特許、保証書に加え、内容を変更する必要はあったが医師の推薦を取り付けた広告を打った。医師のジャン=バティスト・フォンサグリーヴはこうした状況を見過ごせず、こう述べている。「ずっと前から香水メーカーは衛生に関心を寄せてきました。(中略)彼らは、事業の善意を正当化するために高名な医師の名が必要だと考えたのです(7)」。たしかに、香水メーカーのカタログには多くの衛生用品——最も市場規模が大きいのは石鹸——だけでなく、ハウス用ビネガーやオードトワレ用の香料も掲載されている。香水メーカーは、女性雑誌や数々の礼儀作法の手引きと同じ考えのもと、アンシャンレジームと放蕩を連想させるムスクの香りへの嫌悪感を広めた。その代わりに各メーカーはクマツヅラやスミレのエッセンスの香調(ノート)、あるいは軽やかな香りと評判のフローラルフレグランスや神経系へのダメージが少ない香水を提案した。例えば、いずれもフランスのメーカーである、ゲランのオーインペリアル(1853)やヴィオレのホワイトヒヤシンス(1857)、オリザ・ルイ・ルグランのヴィオレット・ドゥ・ツァーリ(1862)がある。

 女性雑誌も、しばしば貴族女性の名前のサインが入っていた礼儀作法の手引きも、読者に対し、神だけでなく男性にも気に入られる必要性を説いていた。ゆえに、『社会の慣習——現代社会の礼節(未邦訳)(1891)』を出版し有名になった作家のバロンヌ・スタッフ(1843-1911)は、1892年になってもなお女子修道院寄宿学校や世俗の寄宿学校を出たばかりの若い女性たちが衛生ルールを知らないことにやきもきし、甘くさりげない香りの香水をつけることを勧めたのだ。誰からも選ばれない状況は花嫁候補の女性にとって何よりも恐ろしいことだった。その一方で、作家のジャン・ニコラス・ブイイは、1813年の初版から一世紀に渡って読み続けられた『若い女性への助言(未邦訳)』の中で、アルマンティンヌという女性の「香水の好み」について長い文章を書いている。強い香りを好んだ彼女は、香水をつけたことで皆に笑われ、さらにはその香りによって神経が敏感な人の体調を悪くしてしまった。最終的に彼女は知人から忠告を受けてその悪しき習慣を改めることになったという。

 つまり、この文学作品の中では香水の使用が認められているということだ。しかし、そこには「使用量を最小限に抑える」ことをはじめとする条件がいくつかあった。今と違ってスプレータイプの香水はまだほとんど使われていなかったので、一滴ずつ垂らして使うフラコンタイプの香水が主流だった。当時、多くの支持を得ていたある礼儀作法の手引きにはこう書かれている。「香水の量は少なければ少ないほどいいです。でも、とても軽やかで上品な香りがさり気なく漂うのは許されるでしょう。繰り返しますが、大切なのは使用量を少なくすることです。アヤメのエキス乳液やオーデコロンを少しだけ水に溶かして使えば完璧。ハンカチにスミレの香水を一滴垂らすのもいいでしょう。でも、多く使いすぎないように。誰かから反感を買ったり、悪く思われることのない、さりげない香りのものだけを選んでください(8)

 また、女性向けメディアはパトロンから支援を受けるためにその製品の宣伝の仕方を工夫した。フランス人ジャーナリストのイポリット・ドゥ・ヴィルムサンは、著書『メモワール(未邦訳)』の中で、彼の新たな試みについて書いている。彼は、香水メーカーのゲランから資金援助を得る代わりに、彼が新たに創刊した新聞『シルフィード』の紙面にゲランの香りを染み込ませることを思いついた。1840年の創刊当初からこの新聞が「おばあちゃんから孫娘へのアドバイス」というコーナーでゲランの製品を「とても趣味がよい」と謳い若い女性たちに紹介し続けた背景には、こうした事情があったのだ。

宗教と芳香

 身繕いや香水の使用に対して奨励された「素朴、繊細、控えめ」という基準は、社会での立ち居振る舞いに関する掟をいっそう厳しいものにした。宗教に目を向けてみると、そこでも嗅覚は重要なものとされ、その言説は香水メーカーのカタログに引けを取らない。「聖人の芳香」[訳注]という聖書の想像の産物が登場する当時の宗教文学では、嗅覚に関する隠喩が多く見られるようになり、「善の香」が繰り返し賞賛される。この「善の香」は、この世のものではないので消えることはないとされた。もしも作家のクラリス・ジャンヴィユの言葉を信じるなら、極力手をかけずに身なりを整えることは美徳とされ、そうすることでいい匂いがしてきたのだろう。彼女はこう書いている。「ブラシで梳かされ、なめらかで、上手にアレンジしてある髪の毛にも、澄んだ水のように瑞々しい頬にも、爪のピンク色にも、アイロンがけ職人によって整えられたばかりの室内用ガウンの白さにも、ぴんと張ったストッキングにも、ピカピカ輝く靴にも、ピュアな香りの予感があり、うっとりする魅力を備えた生命力のある花の存在が感じられるのです」

 19世紀の若い女性には、ひとつには美徳の「香り」を全身から発散させるために入浴をやめること、またひとつには清潔さや若々しさ、清らかさの証である繊細な香りを纏うこと、それから花の香りの優雅さによって生来のオーラをいっそう高めることが奨励された。したがって彼女たちには各方面から様々な提案が届き、皆それぞれ「これが唯一の方法だ」と言って競い合った。この戦いを制したのは誰か? フランス人香水商のピノーがFlirt(この名前は米国の女子自由教育から取られている)(1891)という香水で大きな成功を収めたことから、軍配は香水メーカーに上がったと言えよう。医師が参入障壁を取り払ったのち市場に滑り込んできた香水メーカーは、しまいには「使用を最小限に抑え、慎み深い香り」をよしとする道徳的な制約を捨て去った。100年後には香水を「たっぷり」使う時代が訪れ、それに伴い「花の香りが漂う女」は「甘い匂いのする女」になっていく。19世紀から早くも香水メーカーに取り込まれていた25歳以下の顧客層は、いまでも主要ターゲットの一つである。今日、売上高の3分の1を占めているのはミレニアル世代なのだ。



  • (1) Cf. Alain Corbin, Le Miasme et la Jonquille. L’odorat et l’imaginaire social (XVIIIe-XIXe siècles), Flammarion, coll. « Champs Histoire », Paris, 2016 (1re éd. : 1982).
  • (2) Judith Gautier, Le Collier des jours. Souvenirs de ma vie, Félix Juven, Paris, 1904.
  • (3) Le Livre des jeunes filles. Conseils aux jeunes personnes par une religieuse de la Nativité, Librairie de Girard et Josserand, Lyon-Paris, 1868.
  • (4) Jean-Baptiste Venot, Hygiène. Rapprochements statistiques entre les deux prostitutions (inscrite et clandestine), au point de vue de la syphilis, G. Gounouilhou, Bordeaux, 1857.
  • (5) Augustin Galopin, Le Parfum de la femme et le sens olfactif dans l’amour. Étude psycho-physiologique, É. Dentu, Paris, 1886.
  • (6) Rosine Lheureux, Une histoire des parfumeurs. France, 1850-1910, Champ Vallon, Paris, 2016.
  • (7) Jean-Baptiste Fonssagrives, Entretiens familiers sur l’hygiène (2e édition), Hachette et Cie - Masson et fils, Paris, 1869.
  • (8) Gabrielle Béal et Marie Maryan, Le Fond et la Forme. Le savoir-vivre pour les jeunes filles, Bloud et Barral, Paris, 1896.

  • 訳注]「特別な聖徳を備えた聖人が死ぬとき、芳香を発すると言う言い伝えから」このような表現がある。(仏和大辞典)                                 

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年11月号より)