世界の森の半分近くはもう切り倒されてしまった

森の中へ 地球最後まで残り時間はわずか 



ジョン・バード(Jon Bird)

アーティスト、著述家、キュレーター。
ロンドンのミドルセックス大学の美術・批評理論名誉教授。

訳:大竹秀子 


 新型コロナウィルス蔓延下のロンドンのヘイワード・ギャラリーで、展覧会『木々の間で(Among the Trees)』が2020年10月30日まで開催された。ロックダウンによって移動の自由を制限され、庭でのお茶でさえ恵まれた人々だけが楽しめるささやかな贅沢となっている中、自然を満喫する喜びに枯渇する大勢の住人にとって、この展覧会は、歴史を越えて木や木々とのふれあいがもたらしてきた人や人間社会への身体的・心理的・社会的恩恵や影響をあらためて実感させると共に、地球が人間の手で滅亡する「真夜中」に向け、終末時計の針が刻々と進んでいる現実を思い起こさせる機会ともなった。[日本語版編集部]

(英語版2020年10月号より)

Tacita Dean, Crowhurst II (2007), gouache on photograph, De Pont Museum, Tilburg (Netherlands)
All images are from Among the Trees, courtesy of Hayward Gallery


 新型コロナウィルスによるロックダウン中のいまでも多くのロンドン住人は太陽の光とオープンスペースを楽しんでいるが、そんな彼らにとって、現在、サウスバンクのヘイワード・ギャラリーで開催中の展覧会『木々の間で』は、自然界の多様性と不安定さをまさに思い起こさせる機会となっている。とは言うものの、同展はコロナウィルス到来のずっと前、自由な移動と社会活動が可能だった、いまにして思えばのどかだった日々に企画された。

 展覧会には、5大陸から38人のアーティストの作品が集められている。キュレーターは、2006年以来、ヘイワードのディレクターを務めるラルフ・ラゴフ。アース・デー50周年[訳注]に向けて3月にオープンされたが、わずか2週間後にギャラリーが封鎖されてしまい、4カ月後、厳しいコロナ感染症対策下で再開された時には、オンライン予約、入場者数制限、マスク着用厳守、各展示場は一方通行のみ、作品を再度見直すために後戻りすることは禁止という条件が付けられた。このような条件にもかかわらず、観客は、閉鎖空間では常に付きまとう感染の恐怖から逃れて多くの人々を心底からほっとさせる世界、すなわち、屋外の表象を体験することができる(衛生の専門家は[このギャラリー体験を]比較的安全とのべている)。

 予測しがたいこの地の天候、そして都市の極端な密集によって自然との関係を複雑なものにされている英国人にとって、ここ数カ月間、市内の公園での散策、森の中での散歩、そして庭でのお茶さえもが、屋外空間や自然にふれる機会になり、庭をもつことができる幸運な人々にとっては、そこが家庭生活と遊びの中心になっている。夏の間、外食と交友は、屋外で行われてきた。

 こうした自然なものすべてへの感謝は、温暖な天候がいつもより長かったこと、また少なくともロックダウンがはじまったばかりの数週間は、車の往来が無くなり、大気の質と視界が改善され、誰もが鳥のさえずりをこれまでになく耳にするようになったことで強まった。市のいたるところで高台に行けば、誰もが「何マイルも何マイルも先を見る」ことができ、晴れ渡った青空を横切るたった一機の飛行機でさえ、驚嘆の的となった。



Eija-Liisa Ahtila, ‘Horizontal — Vaakasuora’ (2011)
courtesy of the artist and Marian Goodman Gallery, London

木と木々の記憶

 私は、6カ月ぶりにロンドン中心部へ足を延ばした。ヘイワード・ギャラリーで開かれている『木々の間で』を見るのが目的だった。1968年に開設された、ブルータリズム様式の極致のような建築空間であるヘイワード・ギャラリーは、ロイヤル・フェスティバル・ホール、ナショナル・シアター、ブリティッシュ・フィルム・インスティテュートを含む芸術複合施設の一部だが、当ギャラリー以外は、現在すべて封鎖されている。荒っぽい打ち放しコンクリートブロックの2階建ての建物には5つの展示ギャラリーがあり、中庭は屋外彫刻スペースになっている。生コンクリートを流し込んだ木製の型枠がヘイワードの内部と外部両面の模様になっている。かつては、むき出しのままの素材感が荒っぽいと酷評されたが、今回は建物がその壁と柱の中に、木材と木の記憶をとどめているかのような、樹皮の跡の暗示が活かされている。

 『木々の間で』は、木々に関する物語を語る。それは、人間の発展にとってきわめて重要な木々について、そしてまた、人間が地表の森の50%以上を破壊してしまったにもかかわらず、地理と文化の違いを超えて木々が持つ、生物としての実用的な、あるいは象徴的な価値についての物語だ。作品は、3つのテーマのセクションに分けて展示されており、ジャンルには絵画、ドローイング、彫刻、写真、ビデオ、インスタレーションが含まれる。

 最初のセクションで展覧会が私たちに語るのは、木々がいかに相互につながりあったシステムかということだ。「ウッド・ワイド・ウェブ」というタイトルのデータベースは、地下の根、菌類、バクテリアの複雑なネットワークを通してつながる2万8000種を超える木を分類し、樹木の専門家たちがマッピングし理解しはじめたばかりの情報を提供している。次のセクションでは、アーティストたちは、産業化や森林伐採をはじめ、自然界への近代テクノロジーによるインパクトを点検する。最後のグループでは、「木の時間(ツリー・タイム)」、時を刻む里程標としての木に焦点をあて、人類の歴史に注目する。こうした広範で普遍化された分類により、差異が相互には関連があるものへと変容し、あるセクションに入っている作品を、別のセクションのテーマの特質を映し出す作品とみることもできる。

 私たちの想像力にとって欠かせない木は、文化的および国のアイデンティティにおいて重要な役割を演じてきた。特に植民地帝国としての英国にとっては、切り倒されたオークの木々が踏査のための船と貿易路を守る海軍の船舶の建造に使われたことが国の権力の一部となった。英国のかつての「清純なる緑野の地」へのノスタルジアは、ブレグジットをめぐる現在の政治的信条と主権構築のあり様を底支えしている。この展覧会はそんな文脈の中にある。絵のような、あるいは崇高な目の楽しみを期待してやってくる観客は、そうしたロマンティックな考えが間違っていたことにまもなく気付くことになる。


Zoe Leonard, Untitled (2000)
courtesy of the artist, Galerie Gisela Capitain, Cologne, and Hauser & Wirth

逆立ちした木

 ラルフ・ルゴフは、この展覧会への彼の意図を、「伝統的なジャンルを再構成し、従来の認識と理解を転換し、木を表現する新たな方法を創り出すこと」と書き記している(1)。展覧会は、芸術的テーマとしての木への現代的アプローチを受け入れ、作品の制作時期の範囲は、木がモチーフとして再登場した1960年代から始まり、現在にいたる。最も時代が早いのは、アメリカのアーティスト、ロバート・スミッソンのUpside Down Treeシリーズからの1969年の作品。一方、最新の作品はエヴァ・ジョスパンの木と厚紙の森Forêt Palatine (2019-20)で、彼女はこの作品を今回の会場のギャラリー空間に収まるように作り変えた。

 スミッソンの、ニューヨークとユカタン半島の間のさまざまな地に上下さかさまに埋められた小さな木々の写真は、通常は隠されている根をあらわにし、カナダのアーティスト、ロドニー・グラハムが1979年に始めたInverted Treeシリーズと奇妙に反響しあっている。グラハムは、独り立ちする木のイメージを撮るために、人が立ったまま入れる大きさの暗箱をこしらえた。彼は、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒのOak Tree in the Snow (1828)のような、独り立ちする木に象徴的な意味を与えて人間存在を表象させるという伝統的な風景描写を否定している。

 スウェーデンの1本のトウヒを写したレイチェル・サスマンのカラー写真を構成しているのは、一見、木に人間存在を託すという美術史の常套句的表現に見える。だが、サスマンは、10年間をかけて、地球上でもっとも古い生存形態を探し、場所をつきとめた。写真の底部に手書きで書かれた彼女のテキストは、この Spruce Gran Piceaが実に樹齢9550年であることを伝えている。 岩でごつごつした殺風景な風景の中で孤立したその木は、写真の中ではそんなに年を重ねたようにみえない。あまりにもやせ細っていて、何千年にもわたる年月を耐えてきたようにみえないのだ。彼女のもうひとつの作品に登場する樹齢7000年の日本の杉は、ねじ曲がったたくましい幹が木の長寿の特徴を見せているし、タシタ・ディーンの樹齢4000年のイチイの習作(Crowhurst II)も同様だ。ディーンは、この生存へのモニュメントのまわりを入念にペイントして、いまではこの木を取り囲んでいる古い墓地を目立たなくしている。

 ウーゴ・ロンディノーネのイタリア南部のオリーブの古樹をアルミニウムの型に流し込んだ作品もまた、ねじ曲がり、さまざまなエレメントによって形づくられて、時の経過の記念碑になっている。古典彫刻の大理石を暗示する白で塗られたオブジェの形は、作り手であるアーティストが審美的に決定したのではなく、時と自然がもつ根源的な力が作りだしたものだ。

 神話や伝説のテーマでもあるこうした古代からの生存者は、地球の諸大陸の多くを森が覆い人間が不在だった木々の世界という、失われた時代の遺物のようにみえる。

 「他者」としての自然が、この展覧会に繰り返し立ち現れる。エヴァ・ジョスパンの、木と厚紙で作られたギャラリーの壁面いっぱいにサイズを合わせたリリーフは、文学、神話、建築を下敷きにして神秘的な魔法の世界を形づくり、童謡の歌詞「今日、きみが森に行くなら、びっくりすること間違いなし……」が私たちに思い起こさせる何かを伝えている。



Eija-Liisa Ahtila, ‘Horizontal — Vaakasuora’ (201Jennifer Steinkamp, ‘Blind Eye 1’ (2018)1)
courtesy of greengrassy, London, and Lehmann Maupin, New York & Hong Kong

ヒトは有害な存在

 トーマス・シュトゥルートの森とジャングルのカラー写真にも、ロバート・ロンゴの単独の木の幹と複数の枝の大きな木炭ドローイングにも、トバ・ケドーリのからまった葉と枝のペインティングにも、シ・グォウェイの森林被覆の写真/ペインティングにも、人の姿はない。他の作品では、ヒトは有害な存在だ。ゾエ・レオナードのメタルの囲いの中でからまるニューヨーク市の木々のクローズアップや、シムリン・ギルのマレーシアの海岸線でマングローブの森の大半がプラスチックに侵入されていく様子を記録するシリーズでのように、ヒトは自然というからだの上の傷や傷跡なのである。

 こうした例は、ルゴフが警告するように「木と森の傷つきやすさと不安定さ」を立証し、それが観客の共感を呼ぶ。英国には木の損失を悼む歴史がある。英国のアイデンティティを語るナラティブの中で、ニレの木はオークと同じように多くの象徴的意味を担っているが、ニレの木は、1970年代に北米の材木に付着して輸入されたとおぼしき菌類、ニレ立枯病でほとんどすべてが破壊されてしまった。もっと最近では、私たちは人々にとても愛されてきたトネリコについて嘆いている。トネリコは、英国に残存している森林地帯の15%に相当するが、2012年にはじめて特定されたトネリコ枝枯れ病によって、徐々にではあるが、葉は容赦なく黒変し、木の優雅な成長が侵害されている。

 ヒトの実物の姿が登場する作品は、たったひとつ。エイジャ=リイサ・アーティラの、フィンランドのトウヒのビデオと音響によるインスタレーション、Horizontal-Vaakasuora (2011)だけだ。木は、ギャラリーの壁に合わせて、横倒しにした形にして6つのセクションにわけて投射されているのだが、木の根元には、アーティストがちっぽけな姿で立っているのが見える。風、鳥のさえずり、その他の音のサウンドトラックに合わせて緩やかに揺れながら、それぞれのセクションはわずかに同期しておらず、これもまた、反自然主義的な風景というフォーマットの作品になっている。アーティラは、私たちと自然界との人間中心的な関係を反転させ、展覧会はそれを別個の現実として提示している。


Ugo Rondinone, ‘Cold Moon’ (2011)

目をもつ木もある

 もうひとつ、見るものを包み込むビデオ・プロジェクション作品、ジェニファー・スタインカンプのBlind Eye 1(2018) は、コンピューターで生成したカバの木の森のアニメーションで、3分間のループに圧縮され、葉が芽吹き、繁茂し、落葉する。見るものの視野を方向づける水平線はなく、もげ落ちた枝の跡が「目」のようにみえる木もある。そのため、私たちは、慣れ親しんだものと見知らぬものとの間の世界、のぞき見しようとする私たちのまなざしに自然が応える、感知できるかいなかのぎりぎりの境目に身を置くことになる。

 補足的情報が加わることによって風景がなじみのないものへと変じる衝撃がサリー・マンとスティーブ・マックイーンの作品を特徴づけている。マンは、複雑な19世紀の湿板撮影技法を使っており、これによって生じるやわらかでかすかにピントがぼけたセピアの色調が、失われた世界のノスタルジックな幻のようにも受け止められる。だが、彼女のシリーズのタイトルは、Deep Southであり、アメリカのサトウキビプランテーションで働く奴隷への、心をかき乱す歴史的連想をもたらす。

 奴隷制への連想に導くこの歴史は、スティーヴ・マックイーンのカラー・スライドLynching Tree(2013)の特徴でもある。当作品は、アーティストで映画監督でもある彼が自作映画『それでも夜は明ける』を撮影中にニューオーリンズ郊外で撮影したシリーズのひとつだ。文脈なしに見れば、茂みと木と苗木の間を通る繁茂した小道のイメージは、自然がその天然の側面を取り戻そうとしているかにみえる。だが、付けられたタイトルを読めば、ここでは牧歌的な風景が、恐怖の場としてコード化され直し、この映像が人種的暴力の証言であることがわかる。


Zoe Leonard, Untitled (2000)
courtesy of the artist, Galerie Gisela Capitain, Cologne, and Hauser & Wirth

 地球が気候変動によって破壊されているというもうひとつの恐怖が、ロキシー・ペインの卓上ジオラマDesolation Row(2016)のテーマだ。 焼け焦げた木の切り株と焦土のドラマティックなモデルであるこの作品では、埋め込まれたダイオードが、最近の黙示録的できごとを暗示する構造の中で光を放ち、起こりうる未来の悪夢のようなビジョンとなっている。山火事がカリフォルニア一帯で猛威をふるい、オーストラリアの野火が毎年、深刻化の一途をたどっているいま、アントロポセン、すなわち、人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった時代が、ここでは、焼かれ黒化した土地としてイメージされている。

 大人数のグループ展は、ばらばらだったりテーマの一貫性を欠いていると感じられることが多い。『木々の間で』 展は、共通のテーマと個々の作品全般の強さで、これを回避している。私たち観客は、あらゆる壮麗さと、多様性と奇妙さをそなえた木々に遭遇する。作品は、私たちに、有機的な自然界と身体をもつ存在である私たち自身との間にある深いつながりと相互依存を、そして、私たちがこの関係に損傷を与えていることが結局は自分たちに降りかかってくることを思い起こさせるのである。樹木時計は、終末に向け時を刻んでいる。



  • (1) Ralph Rugoff, ‘The Age of Trees’, Among the Trees, Hayward Gallery Publishing, 2020.

  • [訳注] アースデイは、地球環境について考える日として1970年4月22日に米国で始まった。現在では世界各地の193カ国で実施され、環境保護に関する世界最大級のイベントとなっている。

(ル・モンド・ディプロマティーク 英語版2020年10月号より)