エリツィンが下した決断の重さ

誰がソ連の負債を支払ったのか?

エレーヌ・リシャール(Hélène Richard)

本紙記者

訳:村上好古


 ソ連が解体した時、ロシアは700億ドルに上るその対外債務を引き継ぐ選択をした。幾度もリスケ(金融団との協議による債務の返済条件等の組替え)を繰り返しデフォルト(支払い不能)にも至ったが、その債務は結局どのようにして支払われたのか。その支払いを終えた現在のロシアは、果たしてその負担と無縁になったのだろうか。[日本語版編集部]

Manière de voir 第173号より)

William Kentridge ///// « Trieste Ledger Series (6) », 2002
Courtesy of the artist and Marian Goodman gallery


 1991年12月8日。署名されたばかりのソ連邦を解体する合意文書のインクが乾く間もなく、ボリス・エリツィンは電話に手をのばした。このロシア大統領は、彼の政敵であるミハイル・ゴルバチョフに、彼(ゴルバチョフ)が指揮していたソ連が今消滅したと伝えようとしたのだろうか? そうではなかった。その前に、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領に緊急に伝えることがあったのだ。ソ連に代わる新たな独立国家共同体(CIS)の各国は、「旧ソ連と結ばれた協定や条約に基づくすべての義務を履行する。そこには対外債務も含まれる」と(1)

 かつて1918年、ボルシェヴィキは旧帝政が借り入れた債務を破棄した。新生ロシアは今、旧ソ連の債権者に支払いを保証することを選び、彼らからの支援を期待したのだ。レーニンが打ち建てた国は、およそ700億ドルの債務を抱えて崩壊した。それは、概ね1980年代の終わりにソ連政府が銀行や他国から借り入れたものの総額に当たる。1991年には、旧ソ連に所属しその後独立した各国の分担金が覚書で定められた。ロシアが61%、ウクライナが16%、その他の国には数%ずつ、というものだった。しかし、それは空文となった。西側諸国は、今互いに離別しようとしている15カ国を相手とするよりも、単一かつ支払い能力のある1国、すなわちロシアだけを相手にすることを求めたのだった。

 ロシアは、ソ連の対外資産と金準備を引き継ぐ代わりに、その全債務を引き受けることを承諾した。ソ連の後継者としての地位を引き受けることは、世界に広がる大使館網や国連での地位をどうしても承継したいとするロシア政府の威信に関わる問題だった。しかしエリツィンが特に期待したのは、負債を組み替える(リスケ)ための西側諸国の経済援助だった。この期待はたちまち冷や水を浴びせられることになった。1993年、債権国側の集まりであるパリクラブはほんのわずかの期日延長を認めただけだった。期限を20年払いに繰延べるのには1996年まで待たなければならなかったし、減免は一切なかった。ロンドンクラブにまとまった西側の銀行団は、リスケ合意が1997年に調印されるまで90日の期限延長を小出しに21回も繰り返したのだった(2)。やがて、ロシアは破たんの瀬戸際に立つことになる。

 1990年代は、国際金融機関が受け入れてくれた新たな手形債務も加わり、ソ連時代の債務の重荷が増して行った。1989年から1997年の間に半減した生産の落ち込みは、国の財政の重しになった。私有化された大企業の新たな所有者たちは税を払うのを嫌がり、課税額が過大にならないようにと国家の内部にある強いつながりをほしいままに利用した。さらに、IMFからの要求を満たすため、中央銀行が公的債務を賄うことを禁ずる法律が1995年にできた。国際金融市場で資金を調達すること、それが国際機関がこぞって求めることであり、唯一の拠り所となった。

屈辱を味わったモスクワ 

 ロシア政府は1993年に、アメリカの大銀行の支援を得て短期国債(GKO)市場を創設したが、その金利は急上昇した。債務の利子負担は増大し、1998年ついにロシアは債務の支払い不能状態(デフォルト)に陥った。西側諸国は、期限が到来する債務に係るやむを得ない最低限の部分的な免除を2000年になるまで行わず、ロシアを屈辱的な物乞いの地位におとしめた。

 同じ年、国のトップの地位に就いたウラジーミル・プーチン氏はこのことを忘れなかった。この大統領のもとでロシアは、債務を嫌う姿勢を強めた。2006年、世界的な第一次産品価格上昇の機をとらえ、ソ連時代の債権者である17カ国に対し、債務の期限前弁済を行った。2017年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに対し、ソ連と旧ユーゴスラヴィア間の商業貿易上の債務に係る1億2,520万ドル(1億1,500万ユーロ)について、これが最後となる支払いを行った。1998年から2018年の間に、公的債務の水準は、国内総生産(GDP)の92%から、世界でも最も低い水準である15%へと低下した。緊縮財政を継続したおかげだった。そしてその代償を、ロシア国民は今も支払い続けている……。


  • (1) « Memorandum of telephone conversation, Bush-Yeltsin, December 8, 1991 »、アメリカ国家安全保障アーカイブ(National Security Archive)のサイトで閲覧可能な公開済み元機密文書。 

  • (2) Alexandre Zakhov, « La Russie et les pays de la CEI : le problème du règlement de la dette de l’Union soviétique » (ロシア語資料), Manuscrit, Tambov (Russie), n° 7, vol. 57, 2015.


Manière de voir 第173号より)