カトリシズムからウィリアム・モリスまで――J.R.R.トールキンの影響

ホビットの理想的な世界 



エヴリン・ピエイエ(Evelyne Pieiller)

ジャーナリスト、本紙特派員

訳:福井千衣 


 1955年に完成したJ.R.R.トールキンの『指輪物語』三部作は、半世紀後、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作として映画化され(2001年~2003年)、世界中で今なお1億5千万部が売られている。現在に至るまで人々を引き付ける魅力の源泉は、著者トールキン自身の信条、すなわち、カトリシズムを基盤とする精神性と、自給自足的世界で育まれる同胞愛にありそうだ。[日本語版編集部]

(仏語版2020年6月号より)

father and son by andrijbulba

 信じる必要はないかもしれないが、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(1892-1973)は、ある雑誌の書評が断言するように、「最も豊穣かつ複雑な20世紀の作品」(1)の著者である。ではあるが、『指輪物語』三部作(2)が、1億5千万部売れたことに変わりはない。それはピーター・ジャクソンの翻案により『ロード・オブ・ザ・リング』として映画化されたことが牽引力となったからだ。劇場上映により30億ドル(26.5億ユーロ)を稼ぎ出し、17人がアカデミー賞を受賞、あるいは同賞にノミネートされた。アマゾンはDVDシリーズ販売の権利を得るために2.5億ドル(2.2億ユーロ)を余裕で支払った。これらに比べれば地味なことではあるが注目に値するのは、トールキンは、外国人著者として唯一、フランス国立図書館で展覧会が開催される栄誉に浴した(2019年10月22日~2020年2月16日開催)。オービュッソン国際タペストリー都市では、トールキン自身が描いた彼の作品のイラストを元に、13枚のタペストリーとカーペットが製造された。明かにトールキンは現代のスターの一人である。ところで、彼が賞賛する芸術的な想像世界ほど、ある時代の想像世界を表しているものはない。

 しかし、トールキンは時代遅れな紋切り型の影響下にあるようだ。彼は二度の世界大戦を体験したが、彼の人生の大部分は研究と執筆に費やされた。文献学及び古英語文学を専門とするオックスフォード大学の教授であり、ゴート語(死語ではあるがゴート族が話していた言語)、ノルド語(中世スカンジナビアで用いられた言語)、フィンランド語を使用し、『エッダ[訳注1]』や『カレワラ物語[訳注2]』などの北欧叙事詩に情熱的に取り組んだ。学識豊かな人物で、児童文学として『ホビットの冒険』[訳注3]を1937年に創作してから、20年かけて三部作に発展させた(三部作は1954年から翌1955年にかけて出版された)。なにも驚くようなことではない。いずれにせよ、のちにルイス・キャロルの名で有名になるチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンもオックスフォード大学の数学の教授であり、同様に子どものためのお話を書くことに熱心に取り組んだ。だがトールキンについては、一つだけ正確に述べておくべきことがある。それは彼がイギリスでは少数派のカトリック信徒であり、しかも熱心な信徒であったことだ。

精神は物質よりも強い

 大学と信仰者というと、長い間、いわゆる「オックスフォード運動」と結びつけられてきた。オックスフォード運動の主導者であるジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)は、英国国教会の聖職者であったが、後にカトリックに改宗し、大きな影響を及ぼした。自己犠牲と信仰における直感の役割などについて熟慮した結果、ニューマンは、とくに英国の多くのキリスト教徒に問題意識を抱かせた。ニューマンは、1891年に回勅『レールム・ノヴァ―ルム』を出した教皇レオ13世から枢機卿に叙任されることになる。『レールム・ノヴァ―ルム』は、後に教皇ピウス11世(在位1922-1939)が発展させ、労働との関係におけるカトリック教会の位置づけを定義することになる。ピウス11世は、労働組合を支持するが、社会主義には反対し、家族単位を社会組織のモデルとすることを提唱した。この概念から分配主義(distributisme)という経済理論が生まれた。それはすなわち、私有財産を認めながらも、それを個人ではなく集団に帰属させることを肯定し、土地と道具についてはギルドに帰属させることを推奨し、(共済組合を除いて)銀行を拒絶し、農業組合及び手工業組合に特典を与え、家族を基礎社会単位とするもので、およそ極端な政治思想を認めない立場だ。

 トールキンは、この運動の思想に敏感に応ずることになる。精神は物質よりも強いという確信をもち、国家統制主義に対して断固反対の立場を取っていたからだ。しかし、彼は同時に、ウィリアム・モリス(1834-1896)(3)の雄大な世界からも影響を受けていた。モリスは、理想化された中世に着想を得た画家かつ作家であり、また、アイスランドの英雄物語の翻訳家でもあり、多くの人々に美を伝える手仕事に積極的に回帰した。モリスは、エリノア・マルクスとともに社会主義同盟を創設した。モリスは、応用芸術刷新の創始者であるが、後に「ファンタジー」と呼ばれる最初の作品、『世界のはての泉』などの著者でもある[訳注4]。

 1930年代から40年代、オックスフォードのパブでメンバーが書いたものを朗読したり議論したりする友人同士のグループ「インクリングス」を結集させていたのは、まさに、その神学上の見解と、神話や伝説上の中世に対する感受性であった。そこには、トールキン、クライブ・ステイプルス・ルイス(C.S.ルイス)、チャールズ・ウィリアムズが参加していた。オックスフォード大学の教授であったC.S.ルイスは英国国教会員であり、キリスト教を擁護する作品のいくつかは、英国で現在でもよく知られている。とりわけ、動物や魔法などが登場し、善と悪の偉大なる戦いを描いた子ども向け作品『ナルニア国物語』(1950-1956年出版)の著者として有名である。薔薇十字団に一時期所属していたことのあるウィリアムズは、英国国教会員でもあり、一種のキリスト教信徒集団「相互扶助集団(les compagnons de la co-inhérence)」を始めた。(「相互扶助集団」は、意外なことに、英国のドラマシリーズ『刑事モース~オックスフォード事件簿~』のエピソードの中に出てくる)彼が書いたものの中には、とりわけ幻想的な小説『天国の戦争(War in Heaven)』(フランス語訳は『聖杯戦争(La Guerre du Graal)』テラン・ヴァーグ社、1990年)がある。黒い魔術師に白魔術の道士を対立させ、多くの読者を熱狂させた。インクリングスのメンバーは、それゆえ、信徒集団でもあり、学者でもあり、熱狂的な文学ファンでもある。つまり、「超自然的なこと」に命を与えようとした人たちで、神秘や恩寵を認識する土壌があり、実際にキリスト教のメッセージを非キリスト教化された世の中に伝えようとした。

 『指輪物語』に生気を与えたのは、このような論点であり、信条であり、議論だった。『指輪物語』三部作を、いくつかの命題を説明したものと単純化することはできないだろう。そうではなくて、三部作は、政治及び精神世界のビジョンを与える、美意識と価値観を持っている。物語の概略を思い出してみよう。冥王が作った絶対的な権力の道具である指輪は、それを使うことによって自分以外の人間を奴隷とすることができる。しかし、冥王は指輪を見失い、指輪を託されたある一人のホビットが、それが作られた場所に投げ捨てて指輪を破壊する責任を負うことになる。そのホビットは、指輪をめぐる同胞愛で結ばれた様々な仲間とともに、幾多の災難――指輪の引力に全く関係のないものも含めて――に遭遇しても、目的を果たすべく務める。目的を達成した魅力的な一人の王が、自分の王国を取り戻すのだ。

農村回帰の自給自足的世界

 悪霊に対する戦い、精神の探究への手ほどきとなる物語、良心の苦悶、人間の自己中心性を超越し得る強情なまでの愛の力への賛辞。これらの要素から、「『指輪物語』は本質的に宗教的かつカトリック的な作品である」とイエズス会の友人にあてた手紙でトールキン自身が書いている。「最初は無意識だったが、しかし、後に手を加えたときには、はっきりと意識していた」

 しかし、創意に富み、遊び好きな才能のために直接的な寓意を使わないですますことができたトールキンは、同時に、探求の導き手としての民、ホビットの適度に理想的な世界を展開している。ホビットたちは、謙虚で愉快な「小人」であり、まったく政府を持たないが、自発的に古くからのしきたりをそのまま順守するため、国境以外には基本的に警察もいない。登場人物は、後世のファンタジーによって多かれ少なかれ摸倣されることになるだろう。この、非常に「中世的に作られた」世界では魔法が使われ、進歩、技術、歴史の流れという観念をさえ知らない。悪の帝国を特徴づける「闇の鍛冶屋」から遠く離れて、職人や小作人は幸せに生活し、おいしい料理や素晴らしいお話を作る能力に恵まれており、「点数をつけたり、優劣をつけたりするもの」を拒絶する。それに加えて、この話の真の主人公は庭師である。

 ここに描かれている自己防衛的で、節度のある社会モデルは、トールキンの記憶と、純粋な意味での土地に根差している。そこは、封建的ではあるが主従関係はなく、もっぱらささやかな生活の楽しみに気を配り、芽吹くものや実のなる植物すべてに心を砕く。この社会モデルは、1960年代の反体制派から絶賛された。また、政権に近かったネオファシスト政党のイタリア社会運動(MSI)内部では党内対立があり、1977年から1981年にかけて一部の党員が「ホビット派」を形成していた。『指輪物語』三部作は、今日では環境保護を重視する多くの読者から愛されている。技術そのものや、自然がもつ真実との断絶に対して警戒する、このような農村回帰的な自給自足的世界への希求は、消え去ることはなく、現在われわれが直面している公衆衛生上の危機をきっかけに再燃するだろう。それゆえ、死の勢力に対する闘争において、指輪をめぐって形成された同胞愛が王を復活させたことを覚えておくのは、意義のあることだろう。


  • (1) Le Point Pop, hors-série « Le Seigneur des anneaux », Paris, 2018.

  • (2) Disponible en trois volumes aux éditions Christian Bourgois.

  • (3) マリオン・ルクレール(Marion Leclair)「ウィリアム・モリス――革命的な耽美主義者」ル・モンド・ディプロマティーク日本語版(2017年11月号)参照 


  • [訳注1] アイスランドに伝わる北欧の神話と英雄伝説の集大成。古歌謡の集成である古エッダと、スノッリ=スツルソンによる散文の新エッダの2種類がある。神話詩は天地創造や神と巨人の闘争などを主題とし、ゲルマン神話の宝庫(デジタル大辞泉)。『エッダ―古代北欧歌謡集』V.G.ネッケル等編(新潮社 1973年 谷口幸男訳)などがある。 

  • [訳注2] フィンランドの英雄叙事詩。全50章。エリアス=リョンロート編。1835~49刊。古くからの口承文芸を集録したもので、雄大な構想を豊かな想像力で描いており、フィンランド独立運動の精神的支えとなった(デジタル大辞泉)。 『カレワラ:フィンランド叙事詩』(上・下)リョンロット編(岩波書店 1976年 小泉保訳)などがある。

  • [訳注3] 『ホビットの冒険』(新版 上・下)J.R.R.トールキン(岩波書店 2000年 瀬田貞二訳) 

  • [訳注4] 『世界のはての泉』ウィリアム・モリス(晶文社 2000年 川端康雄・兼松誠一訳) 

*本記事中、第2段落10行目「のちにルイス・キャロルの名で有名になるトールキンの文学仲間、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン」→「のちにルイス・キャロルの名で有名になるチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン」に修正いたしました。(2020年12月30日)

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年6月号より)