厳重な監視下にある政治と経済の発展

中央アジア、新たな時代は来るか



マルレーヌ・ラリュエル(Marlène Laruelle)

ジョージ・ワシントン大学(ワシントンDC)教授

訳:福井睦美 


 中央アジアのほとんどの国は、ソ連からの独立後、数十年に渡ってたった一人の独裁者の統治下に置かれてきた。初代大統領の世代交代が起こりつつある今、時代が変わろうとしている。継承か、自由化か、後継者の手腕が試される時だ。人口の半数が25歳以下という、先進諸国が垂涎するような若い国民層を抱えたこれら5カ国はコロナ危機をどう乗り切るか、何が課題なのだろうか?[日本語版編集部]

(仏語版2020年9月号より)


対照的な指標を見せる中央アジア


 権威主義政権というものは概して権力の移譲を好まない。老齢や死を理由に身を引かざるを得なくなった強大なリーダーの場合は特にそうだ。中央アジアのほとんどの政権は、基盤が脆弱であるか、国民が違法とみなすような政治体制で成り立っており、近年、このような困難な状況を経験してきた。ソ連時代の共産党書記長から1991年の独立後初の大統領に就任し、その後数十年にわたってトップの地位を掌握していたような指導者たちが次々とその座から去っている。トルクメニタンのサパルムラト・ニヤゾフ氏は2006年に、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ氏は2016年にそれぞれ死去、カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は2019年3月に78歳で大統領を退任している。タジキスタンで28年にわたり大統領の座にあったエモマリ・ラフモン氏(67)でさえ、後継者について考え始めている。

 キルギスタンだけは例外だ。この国の政権交代は、経済利権と出身氏族への忠誠心(北部vs.南部)によって政治的に分派したエリートが組織する民衆の反乱と、民主的な選挙との組み合わせで発生している。2005年と2010年に続けて政変が起こった。2017年に選出されたソロンバイ・ジェンベコフ大統領の現政権は、多元主義モデルを体現するには程遠いが、近隣諸国に比べれば反対派への弾圧が少なく、市民社会が機能している民主主義的な状態を保っている。

 2000年代半ば以降、中央アジアではいくつかの政権交代スタイルが見られた。トルクメニスタンとウズベキスタンでは、「国家の父」と呼ばれた指導者たちが、少なくとも公式には後継者を指名せずにこの世を去ってしまった。しかし、すでに政権の内幕にいたグルバングルィ・ベルディムハメドフ元保健大臣[トルクメニスタン]とシャフカト・ミルジヨエフ元首相[ウズベキスタン]は、政敵をひそかに排除して権力の座につくことに成功した。アゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ大統領は2003年に息子のイルハムを後継者に押し上げ、タジキスタンのラフモン大統領は、それと同じやり方で既に首都ドゥシャンベの市長を務めている息子のルスタムを将来「王座」につけようと狙っている。

ウズベク風ペレストロイカ 

 一方、カザフスタンはこの地域で前例のない大統領交代のモデルを見せそうだ。つまり国家元首が新たにしつらえた地位に移ってそこから後継者を監督する目的で、市民からの圧力も受けずに自ら任期を手放すというものだ。 ナザルバエフ氏は28年に及ぶ大統領職を離れた今も、彼が主導する安保委員会、ヌル・オタン党、そして自身のために作られた「初代大統領府」などの機関を通じて国を支配し続けている。長女のダリガ・ナザルバエヴァ氏は2020年5月初旬まで上院議長を務め、義理の息子ティムール・クリバエフ氏は、主要産業部門(エネルギー、電力、鉄道など)の公営の大企業全てをグループ化した持ち株基金サムルク・カズナを率いている。ナザルエヴァ上院議長が突然職を解かれたことは、カシム=ジョマルト・トカイエフ新大統領が彼女に自由な振る舞いを許さないという意思表示かもしれないが、ナザルバエフ大統領一家は権力を手放したわけではない。

 しかし、大統領交代の経緯からはその後の体制の変遷を予測することはできない。例えば2016年、ウズベキスタンでは10年以上にわたってイスラム・カリモフ大統領下で首相を務めた忠実なシャフカト・ミルジヨエフ氏が政権を握った。その後、彼がこれほどまでに毅然とした態度で改革に取り組むようになるとは、ほとんどの関係者が予想していなかったはずだ。ソ連崩壊後、国家の厳格な管理下にあったウズベキスタンの経済は、通貨スムへの交換性付与、中小商業の競争制限撤廃、税関や税務局など不正搾取の温床になっている機関の権限の制限など、自由を取り戻しつつある。2020年第1四半期には、国が総額3,480億スム(2,900万ユーロ)に相当する299件の資産を売却し、今後さらに1,000件以上が民間投資家の手に渡る予定だ。今年3月には、これまで生産がノルマ化されていた綿花(国家歳入の4分の1を占める)の作付けが自由化された(1)。しかし、このウズベキスタンのペレストロイカが真の民主化につながるとは考えにくい。大統領を擁する与党は政界を支配し続けており、その他の公認組織はエキストラでしかない。

 それでも、社会には解放の風が吹いている。テレビ討論会では熾烈な論戦が交わされ、SNS上では論争が火花を散らし、個人がより自由に意見を表明している。恐怖はある程度なくなった。だが去る6月2日、フェルガナ県のある村の住民らとその地方の知事との口論についてのネット新聞の記事が当局の指示で削除された。この知事については大統領自身が日頃から批判していたのだが、国の主要な政治家を批判すれば逮捕されるリスクがあることに変わりはない。それでも若い世代は、これがまたとないチャンスであると捉え、希望に満ちている(「西洋的価値観かイスラム伝統主義か、揺れる中央アジアの若者たち」参照)。

 他方、カザフスタンでは権力交代はこのような激動に発展しなかった。もともと外交官だったトカイエフ大統領がナザルバエフ前大統領の権威主義路線を維持しているだけでなく、ナザルバエフ氏は昨年11月にタシケントで開催された中央アジア首脳会議で正式な大統領に代わって自国を代表するなど、政治の世界を支配し続けている。

 とはいえ、大統領交代は40歳前後の新しい世代のテクノクラートたちの登用を確実にした。彼らは、依然として石油輸出が年間歳入の30%、総輸出額の3分の2を占めている経済の多様化に腐心している(2)。まだ表立ってはいないこの機運は、特に新型コロナウイルス感染症の大流行による世界的な不況の時代に、国を前進させることができるだろうか?

目立つ地域格差 

 感染症の世界的流行による経済的なダメージはまだ測り知れないが、ウズベキスタンとカザフスタンの政府は公衆衛生問題の困難な局面にあって比較的適切にこの危機をコントロールし、情報の透明性を保ったように見える。この2カ国の体制移行モデルは、地域の地政学的環境にもインパクトを与えている。

 ここでも、改革を試みているのはウズベキスタンだ。政府は20年続いた孤立主義を捨て、特に水とエネルギー問題についての地域交渉のテーブルに戻った。国境をまたぐ大河、アム・ダリヤ川とシル・ダリヤ川の使用を巡りタジキスタン、キルギスタンとそれぞれ続いていた対立は収束した。2016年の大統領交代以来、中央アジアの5人の大統領は何度か会談を重ねており、協力と5カ国の地域統合を願う人々に希望を与えている。

 ウズベキスタン大統領ミルジヨエフ氏の信奉する地域統合主義は、列強国の消滅を意味するものではない。ロシアは非常に巧妙に動いており、特に2020年3月にウズベキスタン政府がユーラシア経済連合(EAEU)への加盟に向けた第一歩として、オブザーバー資格を取得することに合意して以来、二国間関係は極めて良好な状態にある。しかし中国もまた、ロシアに先んじてこの地域の主要貿易相手国としての地位を築くなど、着々と経済的な結びつきを深めている。一方、2018年にはウズベキスタン軍の一部上級将校の訓練プログラムが米国機関で再開され、米国との関係も特に戦略レベルで再び温まってきている。

 カザフスタンのケースでもまた、継続性が支配的だ。トカイエフ大統領は、前任のナザルバエフ氏と同様に、何かにつけてロシア、中国、欧米のバランスをとる「全方位」外交政策を引き合いに出すが、実質的には経済面でも、戦略面ではもっと明らかにロシアの支配下にある。実際のところ、カザフスタンにはユーラシア経済連合への参加による経済面での恩恵はほとんどない。国内企業は、一方ではロシア企業との競争にさらされ、もう一方では2014年のクリミア併合後に欧米がロシアに課した制裁の巻き添えとなった。しかも、ロシア企業と緊密なパートナーシップを結んでいたため、欧米の投資家へのアクセスを失ってしまった。戦略面では、近年ロシアの軍事技術への依存度が高まり、国の自立度がさらに低下している。

 この地域の国家は、どんな大統領であってもどこも比較的同様の課題に直面している。2014年以降、ロシア・ルーブルに引きずられて自国通貨が下落し、国外移住者からの送金が急速に減少した。外貨送金が国内総生産の3分の1から半分を占めているタジキスタンとキルギスタンにとっては壊滅的な状況だ。そうした中での世界的な不況の到来は、中央アジアの経済状況を悪化させ、旧ソ連諸国の中で最貧国であるこの2カ国を弱体化させるだろう。また、この不況により、中央アジア(実質的にはほぼカザフスタンのみ)をロシアとヨーロッパを結ぶ交通の中継点にするはずの中国の名高い新シルクロード・プロジェクトにも影響が及ぶだろうから、その被害はなおさらである(3)

 カザフスタンのもう一つの課題は地域格差にある。南部は国内で最も貧しく、社会指標が低い(病院の設備が整っていない、学校に教師が足りない、若年層の失業者が多い、若い女性が高等学校卒業後すぐに結婚してしまうなど)。一方で、石油が豊富な西部のアティラウとマンギスタウは経済が豊かになり、熟練職の需要がある。このことは、南部の住民の不満を買い、イスラム勢力を助長させることに繋がっている。石油輸出収入のより適切な分配、特に急速に拡大し恩恵を独り占めしてきた都市部の中産階級の陰で過去20年間に大きく後退した農村部への分配が必要だ。

 というのも、中央アジアの人口(合計で7千万人強)の半分以上は25歳以下で、カザフスタンを除いて大半が農村部に住んでいる。「アラブの春」のモデルのように、社会政治システムを爆発させる「若者の拡大」のリスクがあることは誰の目にも明らかだ。しかも主要2カ国であるカザフスタンとウズベキスタンでは市民社会が形成されつつあり、彼らは政権が一層の透明性と説明責任を持ち、対話を通じて市民のニーズをより良く考慮するように支配層に圧力をかけようと決意している。ウズベキスタンでは、都市部でも農村部でも所有権の問題が波紋を呼んでいる。首都の歴史的中心部から数千人の住民を追放することになる「ドバイ風」ビジネスセンター、「タシケント・シティ」の建設を当局が決定したことに対し、SNSを介し前代未聞の抗議の波が巻き起こっている(4)

 カザフスタンでは、2つの抗議勢力が出現している。都市では、都市計画や環境問題(自動車交通、廃棄物処理、光熱費、都市の過密化など)を中心課題とした活動が、まだ隣国ロシアよりは初期段階にあるとはいえ、形成されつつある(5)。都市部の中産階級の若者たちは2019年春、首都アスタナの名称がナザルバエフ氏の個人崇拝の象徴であるヌルスルタンに変更されることに抗議し、自由で公正な選挙を求めて立ち上がった。しかし、彼らはすぐに鎮圧され、多数の逮捕者と有罪判決が出た(6)

 それでも抗議の動きは弱まらず、徐々に「Oyan, Qazaqstan」(「目覚めよ、カザフスタン」)という市民運動を中心に組織化が起こっている。この言葉は、20世紀初頭の民族主義運動「Alash Orda」(「アラシュの大群」)の創設者の一人である詩人、ミルジャキップ・デュラトゥリの詩から引用された。市民行動を主導する様々な団体が「Oyan, Qazaqstan」を標語に利用するようになっており、その中には、ロシアの反汚職サイバー活動家アレクセイ・ナヴァルニーの流れを汲み政治に関心を持つ若者や、芸術家、画家、ラッパー、カザフ人の人気ユーチューバー、LGBT+活動家、それにアルマティ近郊のコック・ジャイラウ山地でのスキー場建設に反対する環境活動家などがいる。大衆からの支持はほとんどないものの、人々のこの活発さには公的な活動に参加したいという意欲が表れている。

 この抗議活動の再燃は首都だけに限らない。外国人に耕地の借用権を解放するとした農地改革法は、中国の企業家が農業を乗っ取るかもしれないというパニックを巻き起こし、忘れられたような小さな町や村で大規模なデモが起こった。土地の所有権は今も国民のプライドとして重要なものなのだ。この地方住民の不満は当局にとっては懸念材料だ。というのも政権は、ロシア語を話し国際的な都市部の中間層は反乱を起こしやすいとみる一方、圧倒的多数がカザフ語を話す地方住民は献身的な国家構造の柱だと捉えているからだ。

 迫り来る危機を前に、いまだ先行きの不透明な政治的転換に取り組んでいる各国の政権が取り得る選択肢は2つある。コロナ後の緊縮財政措置を受け入れさせることも含め、拡大する政治参加への要求に耳を傾けるか、あるいは抑圧的な方向に転じるかだ。中央アジア諸国の将来を方向づける選択はまた、この地域だけでなくロシアや世界の地政学的動向にも左右されるだろう。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年9月号より)