アフリカ美術工芸品の返還論争


フィリップ・バケ(Philippe Baqué)

ジャーナリスト
Un nouvel or noir, pillage des œuvres d’art en Afrique (2021年 Agone出版)の著者


訳:嶋谷園加


 極東の美術館や博物館の常設展示でも、アフリカ美術に触れることができる現在、エマニュエル・マクロン大統領はアフリカの文化財を現地に返還することを決定した。だが、フランス美術業界からは反対の声が上がり、かつて植民地支配を受けた国の方でも受け入れ態勢が十分とは言えない。進まぬ返還の一方で、作品を生み出したアフリカでは、生活の一部である宗教儀式に必要な道具ですらもコレクターに狙われるという現状がある。[日本語版編集部]

(仏語版2020年8月号より)

Royaume du Danhomè : trône du roi Ghézo.


 2019年3月23日に、アフリカ大陸製の300点の武具と祭具がナントの会場で競売にかけられた。「あなた方は購入した作品の領収書を受け取れますが、それらの作り手たちは死を受け入れるしかありませんでした」。アフリカ・ロワール協会の広報担当者[兼代表]、トマ・ブーリ氏は競りを中断させて言った。「フランスは、略奪し不当に獲得したアフリカの文化財を返還する基本方針を表明したばかりです。ここに出品されている作品はその一部です」。競売吏は、文化大臣の要請に応じてベナン製のおよそ30点の作品をカタログから削除する、と発表した。ベナン政府は、ナントの活動家から知らせを受けた後にこのような返還を求めていた唯一の政府だった。

 「この人たちには、大義名分があったとしても、それに泥を塗っているのです」とサン=ジェルマン=デ=プレ古美術組合の弁護士、イヴ=ベルナール・デビ氏は憤る。落札に失敗した悔しさとは別に、この法律家は「返還」の概念についてさえも強く抵抗している。なぜなら、彼らからすれば「非合法な所有者と略奪された人々という対立したもの同士での分配」を 行うからだ。この美術業界の専門家が、かたくなに異議を唱えるのはこの二元対立に対してだ。

 オークションが開かれるおよそ一年半前、2017年11月28日のブルキナファソのワガドゥグ大学での演説で、エマニュエル・マクロン大統領は、論争を巻き起こすこの話題について言及して皆を驚かせていた。「私は、アフリカ諸国の文化遺産の大部分がフランスにあることを容認出来ません」と、フランス大統領はその当時明言していた。「これについて歴史的な経緯を説明することはできますが、今日そして将来にわたって納得のいく絶対的な弁明はなく、アフリカの文化遺産は個人のコレクションやヨーロッパの美術館だけのものであってはなりません……。私は今後5年間で、アフリカにおいて、その文化遺産の一時的あるいは完全な返還を行うための環境を整えたいと思います」。こうして、マクロン大統領はタブーを破った。2016年7月、当時のジャン=マルク・エロー外務大臣は文化遺産の譲渡不可能性を理由に、ベナンのパトリス・タロン大統領の要求をきっぱりと断った。その要求とは、現在パリのケ・ブランリ美術館が所蔵する王の美術工芸品の返還だった。それらは1892年から1894年にかけ、フランスのアルフレッド・アメデ・ドッズ将軍のダホメー王国への遠征時に「収集」されたものだ。

コントロールが効かない状況で

 演説の勢いに乗って、エマニュエル・マクロン大統領は、ベルリン工科大学のベネディクト・サヴォワ教授(美術史学)とセネガルにあるガストン・ベルジェ大学のフェルイン・サール教授(経済学)に報告書の作成を依頼した。彼らの仕事の成果は、2018年11月にタイトル『アフリカ文化遺産の返還』として出版された(1)。2人の研究者は、西洋諸国が所有している数十万点の美術工芸品(そのうち8万8千点はフランス所蔵)と、アフリカ大陸にある美術館の作品目録に記載された数千点の作品とを比較検討している。サヴォワとサールからすると、植民地時代はフランスにとって自国の植民地での文化財の「調達」と美術工芸品を所有したい願望に、一切歯止めが効かなくなっていた時期と一致していた。植民地時代の支配関係の下「美術工芸品を持ち出す際に地元民の承諾がなかった」と、彼らは見ており、「暴力や策略あるいは、不公平この上ない条件によって」獲得された、と考えるよう促している。したがって、彼らは武力制圧時に押収した作品のみにとどまらず、学術調査団、あるいは植民地行政機関の職員が収集した美術工芸品についても返還するように強く勧めている。彼らはまた1960年以降の美術工芸品の違法な取引によって得た文化財も返すように要求している。法的な障害を取り除くために、2人の研究者は、公的施設のコレクションに含まれる文化財の譲渡不可能性と時効不適用の法理を規定するものへと文化遺産法典の改正を提案している。

 マクロン大統領は報告書を受け取ると早速、2016年にベナンが要求していた美術工芸品の一部に相当する、玉座、彫像、彫刻を施された扉、聖遺物箱とレガリア[王位を象徴する持物]など歴代の王が所有していた26点の返還を誓約した。この方針は、ほとんどの学芸員の反感を買った。「美術館は、植民地主義の痛ましい歴史にとらわれるべきではありません」と、ケ・ブランリ美術館の前館長のステファーヌ・マルタン氏は訴えた。一方で彼の同業者で、ベルギー王立中央アフリカ博物館の学芸員ジュリアン・ヴォルペール氏は国の所蔵品に累が及ぶのを心配していた。この博物館はブリュッセルに近いテルヴューレンにあり、ヨーロッパにあるもっとも重要なアフリカ美術のコレクションとなっている(2)

 サヴォワとサールの報告書は公共の施設のみを対象にしているにもかかわらず、美術商と個人コレクターは一斉に論戦の口火を切った。「フランスはアフリカに対する優位を一切失ったので、大統領は中国に対抗してこの市場を守るために、アフリカの指導者たちへ返還を提案したのです」と、美術市場の専門家の大半をまとめているサン=ジェルマン=デ=プレ古美術組合の代表ベルナール・デュロン氏は憤っている。「人類の遺産であるこれらの芸術作品は、一体誰に返還されるのでしょうか。アフリカ各国の政府は文化遺産の保存について、私たちと同じような概念を持っているのでしょうか。また直ちにそれを転売する権利を持つのでしょうか?」。返還の告知は、競売の全体量にほとんど影響しなかったが、レジナルド・グルー氏はこの動向は多かれ少なかれ長期的な影響があると早くも懸念を持っている。この美術商は「コレクターがいなければ、作品に対する知識の欠如や白アリ被害、また立場の異なるあらゆる宗教が原因で起こる焼却の犠牲になって、ヨーロッパにある美術工芸品の99 %の作品はほとんどすべて消えていたでしょう(3)」と言う。愛好家たちは確かに作品を救ったが、一部の人々はまた中間業者を経由して文化財あるいは考古学上の財産を手に入れるために、経済危機や戦争、飢饉を利用したのだ。

 これらの論争から距離を置いていたベネディクト・サヴォワは自身の報告書がフランスよりもドイツでより広く受け入れられたことを嘆き、フランスの学芸員の大半がこの問題を重く受け止めていないことを不満に思っている。「私たちがアフリカで出会ったすべての人が、フランスの美術館をとがめる必要は全くないと言いました。なぜならいくつかの作品は自分たちの国の最高の文化使節なのだからと。ですが、彼らは、ヨーロッパに行くことが出来ない若い世代が自分たちの新たなルーツを見出し、インスピレーションを得て、前の世代から創造性を学ぶために、この文化遺産の重要な部分に触れられるように求めているのです」

 マクロン大統領と親しく、投資銀行家でありベナンの首相を務めたリオネル・ザンスー氏の娘で美術史家の、マリー=セシル・ザンスーは、ベナン南部の沿岸都市の三角貿易時代の奴隷売買の重要な中心地だったウィダーに現代美術館を作った。アフロ・ブラジリアン様式のコロニアルな邸宅の美術館には洗練された装飾が施され、定期的にアフリカ現代美術のアーティストの作品を迎えているが、そのうちの多くは、今や同家のコレクションの重要な一部になっている。「これらの作品の返還は、尊厳と誇りが取り戻されたことを示しています」と、この若い女性は言う。彼女が理事を務めるザンスー財団は、2006年にケ・ブランリ美術館との共催で、コトヌーにおいてダホメー王国のベハンゼン王に関する展覧会を行った。この展覧会は、3カ月で27万5千人の人々を魅了した。「展覧会は確かに大盛況だったのですが、多くのベナン人は、なぜ自分たちの文化遺産が、展示の終了とともにフランスへ戻されなくてはならないのか理解できませんでした」とザンスー氏は指摘する。

 「中期または長期の寄託や貸し出しとなると、私たちはフランスの決定を受け身で待つことしかできません」と、ベナンとフランスの美術館と遺産の協力委員会の副理事アラン・ゴドヌー氏は、コトヌーで嘆いている。「ですが、私たちにとって重要なのは、ベナンがいつの日か、これらの美術工芸品の所有権を取り戻すことです。ひとたび正式に、ベナンの文化遺産の中に戻ってくると、それらはパリ、ダカール、アボメイを問わず、絶えず行き来して、展覧会で展示され続けるでしょう。しかしながら、それがどう進展していくかを決めるのは私たちです」。それにしても、美術工芸品の返還については、受け入れ場所に関する難問を解決する必要がある。アフリカの多くの国では、植民地時代の遺産である美術館や博物館、とりわけブラックアフリカ基礎研究所(IFAN)が設立した施設はメンテナンスが行われず、時には略奪の被害にさえ遭ってきた。


Group portrait with the so called 'Dahomey Amazons', visiting Europe


 2016年に、ベナンのアーティスト、ロムアルド・アズメ氏は、国の美術・博物館の過酷な状況を報告し、そこで起きた度重なる盗難について告発した。「50年間、私たちの文化は見捨てられたままです」と彼は憤慨していた(4)。彼にとってダホメー王国の26点の美術工芸品の返還は「誤った名案」だ。「わたしはこれらの美術工芸品を2度も失いたくはありません」と彼は言う。26点のために示された保管先は、アボメイ歴史博物館のはずだった。この博物館はアボメイ王宮群の広大な場所に2つしかない一般開放された建物を利用して運用されている。なおこの王宮群は17世紀から19世紀までに12代の王たちによって建造された。2020年初めに急ピッチで進められた改修工事のあと、王の美術工芸品の一部がそこで再び展示されたが、大きなガラスケースは絶望的にがらんとしている。このガラスケースは、幾度もの戦争を通じて王たちの魔力の象徴となっていた偉大な聖剣を保護していた。ところが、聖剣は2001年に盗まれてからいまだ見つかっていない。幾度も盗難に遭い、度重なる火事に見舞われ、専門の職員もおらず、この施設はほとんど何も保証できるものがない。26点の美術工芸品を引き継ぐことになるのは、おそらく同じ敷地に建つであろう別の博物館だ。それは、フランス開発庁(AFD)からの融資の一部である1200万ユーロの出資を受けた、「アマゾネスとダホメー王国の王たちの叙事詩博物館」だが、その工事はいまだ始まっていない。

 「私たちは、文化遺産を直ちに返還するという、エマニュエル・マクロン大統領の決定には驚きました」と文化遺産と観光促進局(ANPT)のジョゼ・プリヤ氏は告白する。「タロン大統領は、修復と取り戻された記憶の象徴である以上に私たちにとって重要なのは、これらの美術工芸品の経済的側面なのだということを、はっきりと示しています。野心的な観光開発を通して美術工芸品は、私たちの国の経済に貢献するでしょう」。まだ発展途上のこの観光産業を奨励するために、大統領は「ベナンレヴェレ」[明らかにされたベナン]、と名付けられた投資の大掛かりな計画の中に、この分野を組み入れた。この計画には、何よりも自然遺産の活用やクラブメッド式の海浜リゾートの開発、自然動物公園におけるサファリツアー(5)、そして少なくとも4つの美術館を作ることが含まれている。しかし、国の限られた資金源と、フランス人2名の誘拐による観光客の減少が出鼻をくじき、政府は2つの所蔵品収集計画を断念することを余儀なくされた。こうした複雑な状況に、アボメイカラヴィ大学・工芸・考古学・文化国立研究所のディレクター、ディディエ・ウエヌデ氏はあきれている。「当局はマスツーリスムを推進するために、これらの美術工芸品の返還を要求しましたが、美術工芸品は、ただ単に金儲け主義の計画に使われる危険があります」と彼は言う。

 考古学と先史学が専門のディディエ・エンダー准教授は、王宮の遺跡の中で、当時の貨幣であるタカラガイを加工する非常に古い工房跡を発見した。この類では唯一の遺跡だ。彼は「王政時代の美術工芸品の返還が、研究や高等教育にも役立ち、美術工芸品を歴史の文脈の中にとらえ直すことができるよう」期待しているが、政府が研究者の意見を考慮に入れていないことを不満に思っている。アボメイカラヴィ大学の狭苦しく物であふれた研究室で、彼は、資金不足にもかかわらず国内で発掘作業を先頭に立って行っていることを熱心に語りだした。予防考古学の視点が欠けていたため、多くの遺跡が世界銀行からの資金供与を受けた大規模工事の際に破壊されてしまい、他にも考古学者が事前の調査に呼ばれず、中国主導のパイプライン事業計画に遺跡が脅かされる例もあった。さまざまな土地に赴くことで、准教授は農村の民衆的文化遺産の豊かさに気付くことができた。農村の人々は、宗教に関わる道具、あるいは世俗の品々を守っている。それらの中には、何世紀も経たものもあり、長老たちは今もその歴史を語ることができる。

 「この土地で生まれたこれらの美術工芸品を中心とした文化全体を、明らかにするような計画を立てなくてはならないでしょう。大規模な観光開発をする前に、ベナンの人々に、自分たちの歴史遺産の文化的な価値と文化財としての価値を知ってもらう必要があります。でなければ、人々は美術工芸品を売ってしまいます」と、ディディエ・エンダー氏は危惧する。今もなお考古学的、文化的価値のある作品が、「周旋業者」を介して買われたり盗まれたりしており、地元の古美術商は海外のコレクターにそれらを転売する。文化遺産は、違法取引の犠牲となり、国内からの流出が止まらない(6)。こうした美術工芸品の中でもっとも評価が高いものは、ベナンで非常に広まっているアニミズムのブードゥー教の祭具だ。

 ベナンの現代美術界の著名人ドミニク・ジンペ氏からすると、この国に滞在あるいは居住する西欧の愛好家たちに責任がある。「彼らが欲しがる作品は職人工房にはありませんが、村にはあり、誰かに作品を盗ませるには金を払わねばならないことを知っています。人々は飢えています。ある人々は祖父母の庭にある非常に大切な美術工芸品を、まさに売ろうとしています」。そしてこの造形作家は、はっきりとこう言った。「盗難があるのは、依頼者がいるからです。コレクターは、礼拝を行うための聖具だけを探しています。彼らは罪深いです。なぜならそれらの聖具は私たちの宗教に欠かせないからです」。中間業者は、イスラムと福音協会の影響力を利用して、ブードゥーの道具は悪魔的だから処分するようにと信者らにけしかけている。「私たちはフランスの美術館に、我が国の美術工芸品がどれほど展示されているかをほぼ知っていますが、古美術商や個人コレクターによって、既に何が持ち出され、今持ち出されようとしているのかを全く知りません。国境地帯は、自由に行き来できるので制御が難しいのです」と首都ポルトノボのアフリカへリテージ大学の校長、フランク・オグ氏は嘆く。原則として、ベナンから持ち出せるのは複製品のみで、文化財管理局で交付される証明書が必要だ。「残念ながら、コレクターは複製品とオリジナルを入れ替えるために、これらの証明書を利用しています。税関職員を教育し、密売との闘いのゆるぎない決意を表明しなければなりません」と、ディディエ・エンダー氏は述べる。

 2020年1月17日に、経済の中心地コトヌー郊外にある博物館le Petit Musée de la Récade [訳注1]で異例の式典が行われた。フランス大使、ベナンの文化大臣代理、アボメイ王家の人々、サン=ジェルマン=デ=プレ古美術組合のメンバーと、アーティストと学生からなる一団が、かつてアボメイ王家に帰属していたおよそ30点の美術工芸品の到着を見守った。その作品の大半は、かつてのダホメー王国の典型的な指揮棒である王杖だ。この博物館は、ベナン現代美術の大収集家であるフランス人の美術商、ベルナール・ヴァロワ氏と、サン=ジェルマン=デ=プレの古美術商たちの支援によって2015年に作られた。博物館は、すでにおよそ40点の展示品を所有していたが、今回新たに到着した作品も評価に値するものだった。「私たちにとって、作品の返還は具体的なものなのです! 私は、ベナンにベナンの美術工芸品を並べるために博物館を作りました」とヴァロワ氏は声を張り上げる。しかしドゥビ氏はこの博物館を「フランス系フランス人からの寄贈を受け取った、フランス系フランス博物館」だとみなしている。

 この返還への展開が大々的にマスコミに取り上げられたことを利用して(7)、返還に反対する者たちは上手く立ち回った。彼らは、フランス文化省を揶揄した。というのも、受理されたおよそ30点の美術工芸品は2019年3月にナントで競売を停止させられたものだったからだ。ベナンは最終的にこれらの美術工芸品を買えなかったので、サン=ジェルマン=デ=プレ古美術商組合が予想通り、2万4千ユーロで手に入れたのだった。「ベナンは、所有者になれるはずだったのです。ベナンにとって、この金額は何を意味するのでしょうか?」とアフリカ・ロワール協会のブーリ氏は憤慨する。「私たちは、アフリカ諸国が自分たちの文化遺産を保護する意欲があるのか疑い始めました」。この活動家は、旧フランス領西アフリカから来た多くの美術工芸品がセネガルに引き継がれ、今もダカールのIFANの建物[訳注2]に収蔵されているが、セネガルはそれらが生まれた国々への返還は考えもしなかったことを想い起している。

 マクロン大統領のワガドゥグでの演説から3年経つが、返還すべき文化財に関するいかなる財産目録も作成されず、また、文化遺産の法規の修正もされていなければ、実際に返還されたものもない……。2019年11月17日の武器輸出に関する重要な契約の署名の前に、エドゥアール・フィリップ首相は、セネガルのマッキー・サル大統領に、植民地化に抵抗したレジスタンスであるエル・アジ・オマル・タルの剣をダカールの黒人文明博物館へ5年間貸し出すという形で手渡した。2020年7月中旬、[首相にジャン・カステックス氏を迎えた]フランスの新政権は、この剣とベナンの26点の美術工芸品の所有権を場合によって委譲することができる法案を検討した。これに対し美術商の圧力団体はどう反応するだろうか? 彼らは2002年にフランスが違法取引を禁止する協定を批准するのを妨害するのに成功している。多くの物議をかもした挙句、また例のコミュニケーション戦略を通り越して、大統領の「私は望む」は、はかない願いにとどまるかもしれない。



  • (1) Felwine Sarr et Bénédicte Savoy, Restituer le patrimoine africain, Philippe Rey - Seuil, Paris, 2018.
  • (2) Nicolas Truong, « Restitutions d’art africain : “Au nom de la repentance coloniale, des musées pourraient se retrouver vidés” », Le Monde, 28 novembre 2018.
  • (3) Réginald Groux, « Restitutions : et si on faisait un peu d’histoire… », La Tribune de l’art, 4 décembre 2018.
  • (4) « Romuald Hazoumé : “Cela fait cinquante ans que la culture béninoise est à l’abandon” », Télérama, Paris, 17 septembre 2016.
  • (5) Lire Jean-Christophe Servant, « Protection de la nature, safaris et bonnes affaires », Le Monde diplomatique, février 2020.
  • (6)文化財略奪の現状を追う』(ル・モンドディプロマティーク日本語版2005年1月号参照)
  • (7) Cf. « Retour au Bénin de vingt-huit objets appartenant aux anciens rois d’Abomey », Le Monde, 18 janvier 2020.
  • 訳注1]ダホメー王国の王杖を主に展示・保存している博物館。
  • 訳注2]テオドール・モノ・アフリカ美術博物館であると推察される。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年8月号より)