年金改革、汚職、生活費…… 

サンチャゴからパリまで、収まらぬ大衆の抗議行動 



セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク統括編集長

訳:土田 修 


 ネオリベ機構とその支配者に対する大衆抗議行動の第3または第4の波が既に訪れているのだろうか? ベイルートやサンチャゴ、もちろんパリでも、何はともあれ各国政府は暴力的な手段に訴えているが、状況を立て直すことができそうにない。[日本語版編集部]

(仏語版2020年1月号より)


photo credit: Les Gilets Jaunes by Patrice CALATAYU


 Aはアルジェリア、Bはブラジル、Cはコロンビア、Eはエクアドル、Fはフランス……抗議行動の発端は1カ月もすればそれほど重要なものではなくなるし、当初の要求が満たされたとしても、デモは収束しそうにない。チリのセバスティアン・ピニェラ大統領は地下鉄料金の4パーセント値上げを取り消したが、首都サンチャゴで起きた抗議行動を一掃することができなかったし、香港政府は中国本土への容疑者引き渡し法案[逃亡犯条例の改正案]を撤回したが、反政府デモを抑え込むことができなかった。ひとたび運動が始まると、当局はそれ以上の譲歩をしなければならなくなる。万一の場合は、治安部隊や軍隊の出動が必要となる。イラクやチリ、アルジェリアでは憲法の改正を約束しなければならなかった。

 運動の火がどこかで静まっても、また別の場所で再点火した。その要求はどんどん増えていった。「大衆は現政権の崩壊を願っている」からだ。それはどうやったら可能になるのか? それは何のためなのか? 大衆は常にそれを理解しているわけではないが、前へ進もうとしている。アルジェリアで抗議デモが始まって丸1年になる。香港で大衆は昨年4月に運動を始めた。その功績は大きい。猛烈な弾圧を恐れてデモ参加者は身をすくませかねないからだ。だが、彼らは諦めない。イランはどうか? デモ参加者は弾圧によって殺害されているが、その数は秘密のままだ。

 皆が抱く不信感によって大衆運動は団結力を高める。それは富裕層と最下層による階級社会を入念に作り上げる経済リベラリズムに対する不信感だ。だが、とりわけ、現在の政治システムの傲慢さや不正に対する不信感でもある。その政治システムは、支配階級、すなわち「エリート」が彼らの特権を守る護衛システムに変えてしまった。

 環境問題はエリートたちが無力であることを立証した。COP21でも仰々しい宣言が発されて4年がたち、その当初の輝きはすっかり消えてしまった。世界中の金持ちが自らの消費欲を抑えることはなかったし、地球温暖化の危険がはっきりしたからだ。パリ市長のアンヌ・イダルゴ氏は環境問題を決まり文句のように口にするが、その端からパリの大きなビルを高級ブランドと携帯電話の馬鹿でかい電飾広告で覆ってしまった。フランスの交通大臣は、自らの分野で将来性のある職が創出されることを大いに喜んでこう言った。「この先、数年間で3万人の運転手が必要になるでしょう。それは特に若者に奨励すべき仕事といえます」。車の運転手や「マクロン・カー」[訳注1]が増えることで生態系は守られるのだろうか? 鉄道貨物輸送、フランス国有鉄道(SNCF)はどうなるのか? 公共企業部門での過剰人員を抑制しなければならないのだから論外だ。

 2010年12月、チュニジアの民衆蜂起によって「アラブの春」はスタートした。翌年5月にはスペインの「広場占拠運動」(15M運動)、6月にはチリの学生運動、9月にはニューヨーク・ウォール街のオキュパイ運動が始まった。今年はこうした運動の10周年に当たる。当時から指摘されていた共通の言葉は、若者、自発性、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、政治的な取り込みへの拒否、銀行が引き起こした損失を補填するための経済政策への怒りなどだ。チュニジアの独裁政権は倒れ、9年たっても、民衆蜂起の発端となった社会的要求は実現する気配を見せていない。そして、情勢は他の国でも良くなっていない。こうした状況のもとで、良いニュースがありがたいのは理解できる。彼ら自身が守ろうとしている優先課題に近い意識を国際社会も持っていると過大評価したがる気持ちもそうだ。だが、横の連携をとることに何の関心もない、雑多で不安定な運動があるだけだ。

 20世紀末以来、資本主義の終焉、階級闘争の収束、グローバリゼーションに基づく覇権争いの限界の到来が、メトロノームのように定期的に告げられてきた。何度もネオリベ勢力は断末魔か、死を宣告されたが、手を替え品を替え生きのびてきた。マーガレット・サッチャーが政権に就いて40年が過ぎ、ネオリべ勢力はまたもや英国で大勝利を収めた。したがって、今年11月の米国大統領選挙でネオリベ勢力が敗北するとは限らない。ブラジル、ギリシャ、ボリビア、イタリアでの数多の失敗から目を背ける方が心地よいが、他国で民衆蜂起の火の手が再燃した時には、そのことをよく理解しておく方が身のためだ。

 同じような民衆蜂起の火種はどこにでも存在している。それは経済的であると同時に政治的なものだ。2008年のリーマンショックが、それを引き起こした当事者たちを利したばかりか、伝統的な政党が、左派・右派を問わず、入れ替わり立ち替わり、人々に税制や労働法などで不平等な選択を強いてきた。必然的に、そうした「制度」の正当性は損なわれ、10年後には地に落ちた。だが、こうした失敗が明らかになるとイデオロギー的に正反対の解釈に道を拓く恐れがある。というのも、われわれが非難する「制度」とは、ひたすら資本家階級の利益を擁護する類のものではないからだ。むしろ、運の悪い人や外国人、「生活保護受給者」ら“隣人たち”を、制度が不当に保護していると考える者もいる。支配階級の特権の保持にはこうした怨恨が利用されている。

 エマニュエル・マクロンの年金「改革」は、その新たな実例となった。この年金改革は、「すべてのフランス人にとって受給条件が例外なく同じ」になる「普遍的な制度」を模索している。それは反対に、現行制度より有利ではない新制度は1975年より前に生まれた労働者は対象外とされる予定であり、世代的な亀裂を固定する。また、上級管理職は「公平性」を理由に、一定水準以上の給料を超えると賦課方式による年金を受給できなくなると規定されている。不足分を補うために年金ファンドへの投資を促すためだ(1)。デモ対策を含めた極めて特殊な部門の一体性を守るため警察官が国家統治に関する職務を果たしているという理由で、法律の規定とは異なった警察官年金制度を維持することを決めている。

公共サービスの破壊と民間企業の利益優先

 他地域では、スンニ派、シーア派、カビリー族、カタロニア人をターゲットにした、こうした分断の企てにもかかわらず、抗議行動の参加者らは目下のところ一体感を抱き続けている。それは世界中のあらゆるところでみられる要求と拒絶についての一体感だ。すなわち、つましくしかるべく生活することであり、新たな社会福祉政策の削減と、交通・エネルギー・通信といった必要不可欠なサービスの料金アップに反対すること、「取るに足らない仕事(emplois poubelles)」[訳注2]の増加が隠蔽する失業率の低下に納得しないことだ。実際、スペインの新採用契約の40パーセント以上が1カ月以下の短期雇用だ(2)。こうした不安定雇用の増加は、不動産価格が急騰している都市圏ほど定着している。物価高、貧困、不平等が抗議運動の骨格を形成している。スーダン、エクアドル、レバノン、チリでもそうだ。

 世界中どこでも、ネオリベラリズムはその露骨な手荒さで国家と資本の関係を覆い隠すベールを引き裂いたが、今度は経済的要求が直ちに政治的要求と重ね合わされてしまった。というのも、労働時間の一部を政党活動に充てていた議会職員や、夕食会の招待客にロブスターを振る舞った国民議会議長[訳注3]といった汚職やスキャンダルは、メディアがそうするように、些細な出来事に矮小化されるものではない。怒りに満ちたツイートや、連続して報道される暴露記事、特別番組などが何度も繰り返し伝えられてきた。今や、腐敗は元々、公共サービスの破壊によって民間企業の利益を優遇するネオリベ国家と関係していることに誰もが気付いている。民間企業は、民営化、税制、年金などの「改革」からも利益を受けている。

 国民の財産はグローバル化したエリートによって横取りされ、自由貿易やタックス・ヘイヴンによって破壊され、海外移転されている。腐敗とは、こうしたことを可能にする政治システムのことでもある。それは汚職にまみれた政治リーダーも同様だ。レバノンでは、彼らは水質が汚染し植生が死に瀕するほど汚物だらけになった町の浄化を保証することもできない。腐敗とはまた、イラクのように本来の使命を放棄して学校も崩壊するままにした非合法な権力のことだ。過去16年でイラクのGDPの2倍の額が貪欲な政治責任者や企業のポケットに消えてしまった(3)。最後に、フランスの首相が口にした次の言葉を聞いて何と言っていいか言葉がみつからない。首相は、公立病院が「調子が悪く失速する飛行機と同様、失速する段階にある」と善人面をして語った。「失速する」とはきりもみ状態で頭から墜落することだ。エドゥアール・フィリップ氏は来年も首相官邸にいて、家族にこの事故についてコメントし、乗客の家族を慰めるつもりなのだろうか?

 イラク人は「われわれは国家がほしい」と主張している。彼らは、450人の抗議者の死に落胆することなく、その名に値する「誠実な」国家を建設するため外国の干渉と宗教性の拒否を連帯の希求に結びつけている。血を流してネオリベラリズムが生み出されたチリでは、カービン銃による鎮圧(200人の失明者を含む1万1000人が負傷し、26人が死亡)によっても、国旗を身にまとった抗議デモ参加者を押さえ込むことができなかった。アルジェリアでも、数百万人のデモ参加者が軍部に、権力、石油、暴力、国家の象徴を一度に独占するのを止めるように求めた。フランスでは、政治や選挙上のあらゆる内部的な分断を乗り越えようと「黄色いベスト」運動の参加者が価値を見出したのも国旗だった。彼らは自分たちの怒りと要求によって町外れのロンポワン(環状交差点)に集まるその日まで違った人生を歩んでいた人たちだった。

 ナショナリズムが個人主義、市場による略奪、市場によって生み出される分断の拒否を表明する時、ナショナリズムはむしろ良さそうに見える。一方、ナショナリズムと対比されるグローバリズムは、自由貿易条約や、われわれの行動を監視し、自らの利益を隠す巨大IT産業によって象徴される時には、また来るべき金融危機の準備をしている投資銀行(再度、無傷のまま立ち直ることだろう)によって象徴される時には、ナショナリズムよりも良く見える。また、レバノン、エジプト、エクアドル、ハイチ、ギリシャ、スーダン、アルゼンチンで疲弊し切った国民に副作用の強い劇薬を強制する国際通貨基金(IMF)によって象徴される時にも同じことが言える。

 少なくとも、グローバリゼーションには支配階級がお互い似通っていることを明らかにするメリットがある。ある国の大統領は元銀行家の1人の若者だし、もう一つの国では70歳代の億万長者だ。一見して彼らはまったく違って見えるが、金持ちに税制優遇措置を与えるという基本政策が一致している。さらに、この指導者らが権力の座を去る時、誰のために仕事をすることだろう? 2010年に年金改革を立案し、「年金総額を減らす」ためのポイント制度に同意した前首相フランソワ・フィヨンは現在、国際金融グループ「バークレイズ」で働いている。フランソワ・バロワンもまったく同じだ。彼のことを大好きなメディアによって右派の次期大統領選候補者として紹介されているバロワンは、極右の台頭を「押さえ込む」ことができるまでは、バークレイズの「フランスで企業買収を進める外国勢のアドバイス役」として働くことになった。

 ポルトガルの前首相で前欧州委員会委員長ホセ・マヌエル・バローゾは、別の銀行のゴールドマン・サックスを選んだ。数週間前、欧州委員会の前デジタルアジェンダ担当委員でオランダ人のネリー・クルースが自動車配車プラットフォームを運営するウーバーに雇われた。1年前には英国の前副首相ニコラス・クレッグがフェイスブックの広報担当副社長に就任している。彼の給料は、下院議員時代の歳費の60倍に当たる年間450万ユーロ以上といわれる。抗議デモの参加者が、国の指導者たちは未来のどの雇用主のために働くのだろうかと疑問を持ったとしてもおかしくはない。チリの人たちは、自身が億万長者であるピニェラ大統領が選んだ金融大臣がこの9月に、食料品価格の高騰に抗議するデモ参加者に向かって、花の値段が安くなっているので「ロマンチスト」は花を買えばいいと語った時、どう反応すべきだったのだろうか?

 チリの例は説明を要しない。軍事独裁政権が崩壊し、民主政に移行し、左翼政権が誕生したにもかかわらず、1980年以来、アウグスト・ピノチェト将軍の憲法はほとんど修正されていない。この国は財政上の利益を守るために作られたネオリベラリズムの枠組みを残したままだ。積立方式の年金、有料の都市高速道路、大学民営化、水道事業の民営化などだ。チリの抗議運動には、スポークスマンはおらず、たくさんの一般大衆が集まり、左翼政党の参加は認めていない。左翼は「リベラルな」右派と対立することで大衆を怖気づかせることを心底恐れている。その結果、「統一した大衆は政党なしに前進する(El pueblo unido avanza sin partido)」ことになった。デモ行進には政治的な旗は見られず、かろうじて国旗と、特に抑圧の対象となったマプチェ族の旗が振られているだけだ。

 チリではアラブ諸国のような諸外国と同様、問題が残っていた。長い間味わってきた失望や失敗、裏切りの経験から、デモ参加者は妥協を望まず、指導者や代表を任命することを拒否するようになった。とはいえ、大衆の力で政治的解決を見出すことがなければ、周辺に追いやられたり、無気力に落ちいったり、制圧されたりすることからどうやって逃れれば良いのか? 司法や警察、軍隊による弾圧の厳しさや資本と国家の緊密な関係はこの議論を二次的なものだと軽視することはできない。フレデリック・ロルドンは「チリの運動は組織化され、向かうべき道を理解する必要がある。というのも他の国の運動は組織化され、向かうべき道を理解しているからだ」と語っている(4)

 差し当たり、30年前からネオリベラリズムによって体系化されたいかなる重要な構造改革(自由貿易、単一市場、民営化、金融の規制緩和)も政権交替によって見直されることはなかったが、ここ数カ月の大衆運動は既に満足な成果を上げている。スーダンで政権が倒れ、レバノンとイラクで首相が辞任し、アルジェリアで病気の大統領が再出馬できなくなり、いくつかの国で新憲法が間もなく旧憲法の規定を打ち壊すことになるだろう(チリの憲法は全面的に書き直されるかもしれない)。特に、学生ローンの返済に苦しみ、不安定な生活を強いられ、大幅に減少した年金しか受け取れず、悪化した環境に身をさらしている新世代の若者は、集団で連帯して戦い勝利するしかないが、この先、どうなるかは分からない。だが、自らをより強く、しかも信頼に値すると感じている数百万人の人々が参加したこの抗議行動が意味しているのは、どの政府も、“元の状態に戻る”という希望をネオリベラリズムに保証することはできないだろうということだ。


  • (1) Lire « Contre l’équité », Le Monde diplomatique, décembre 2010. 

  • (2) Daniel Michaels et Paul Hannon, « Europe’s new jobs lack old guarantees — stoking workers’discontent », The Wall Street Journal, New York, 25 novembre 2019. 

  • (3) « Pour Washington, l’Irak doit répondre aux revendications des manifestants », Le Figaro (avec l’Agence France-Presse), Paris, 29 novembre 2019. 

  • (4) Frédéric Lordon, « Le capitalisme ne rendra pas les clés gentiment », La pompe à phynance, 22 novembre 2019


  • [訳注1] マクロンが経済産業デジタル大臣だった2015年に施行さた「経済の機会均等・経済活動・成長のための法律」(通称「マクロン法」)に基づく規制緩和で、フランス国内の長距離バス事業が自由化され、「マクロン・カー」「マクロン・バス」と呼ばれる低価格の長距離バス路線がフランスの各都市を結ぶようになった。

  • [訳注2] デヴィッド・グレーバーの「どうでもいい仕事(bullshit jobs)」の訳語。

  • [訳注3] 2019年7月、フランソワ・ドルジ環境大臣が、国民議会議長だった2017〜18年にシャンパンとロブスターの並ぶ豪華な夕食会を公費で開催していたことがニュースサイト・メディアパルトの報道で発覚し、環境大臣を辞任した。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年1月号より)