宗教的マスツーリズム化が止まらない聖地 

メッカへの巡礼、サウジアラビアの聖なるビジネス 



モハメド・ラルビ・ブゲラ(Mohamed Larbi Bouguerra)

大学教員、チュニジア科学文学アカデミー会員

訳:大津乃子 


 イスラーム教徒の義務の1つであるメッカへの巡礼は、サウジアラビア政府にとって永遠に保証された天の賜物である。常により多くの巡礼者を受け入れて収益を増やしたいワッハーブ派の指導者たちは、たとえメッカから伝統や美しい景観が失われるとしても躊躇なく都市改造を続けている。その結果、聖なる町は終わることがない工事現場となり、安全と健康にも深刻な問題が生じている。[日本語版編集部]

(仏語版2020年8月号より)


 サウジアラビア王国は、世界一の石油輸出国(日量は1,000万バレル以上)であると同時に、イスラーム教発祥の地であり聖地を擁している。国連加盟国でも珍しく国名に一族の名前を冠している同国は、イスラーム教徒の信仰告白である「シャハーダ」の専有権があると主張し、国旗にそれを描くことで、世界中に18億人と推定される信者たちに同国の代々の国王が「聖地の守護者」であることをはっきり示している。預言者ムハンマド(マホメット)が生まれ、イスラーム教徒が1日に5回行う礼拝の際に向かう方角である「キブラ」があるメッカと、ムハンマドが眠るメディナは、国王が独占的な支配権を持つ地である。

 石油という天の賜物がもたらすとてつもない資金力により、サウジアラビアのウンマ(イスラーム教徒の共同体)に対する宗教的な指導力は強化されているが、この王国は聖地の守護者としての正当性を維持するように注意を続ける必要があると自覚している。それゆえ、自国の領内で円滑にそして安全に巡礼ができるように、多大な努力を払っている。とはいえ、物資の補給や安全衛生に関しては非常に大きな困難が伴う。毎年200~300万人が、イスラーム教徒の五行[義務として課せられる5つの行為]のうち最後の行為でハッジと呼ばれるメッカへの巡礼を行うのだ。それは健康で経済的に余裕のあるすべてのイスラーム教徒にとって、一生に1度課せられる義務であり、毎年ヒジュラ暦(太陰暦)の最後の月である「ドゥアルヒジャー」に少なくとも5日間、行われる。ハッジはイスラーム教徒にとって人生最高の栄誉であり、自身のすべての罪が清められる。それは同時に、世界中のイスラーム教徒と再会する機会であり、結束と交流をもたらしている。

 ハッジはサウジアラビアに1年間で平均100~150億ドルをもたらしている(1)。この天の賜物に、「ウムラ」を行う800万人の巡礼者からの40~50億ドルを追加しなければならない。ウムラとは、1年のうちハッジの時期以外ならいつ行ってもよい任意のメッカへの巡礼で、ラマダン[ヒジュラ暦の9月。健康な人は日の出から日没まで飲食を絶つ決まりがある]の月に最も多く行われる。メッカの商工会議所によれば、2つの聖なる町における民間セクターの収入の25~30%は巡礼に依拠している。全体では、ハッジとウムラを合わせた収入は、石油の売り上げに次いでサウジアラビアの2番目の歳入源となっている。2018年、サウジアラビア政府はこれら2種類の巡礼により、この先5年間に1,500億ドルの収入が見込めると予測していた。にもかかわらずこの王国はもっと稼ぎたいのだ。ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子の後押しを受けて練り上げられた、王国経済の多様化に関する計画書である「サウジ・ビジョン2030」を作成した専門家によると、作成時点から10年間、毎年3,000万人がウムラを行うだろうと見込んでいる。同国が原油価格を安定させる唯一の存在であるための手段を失ったと思われる時代に、この計画書は「宗教ツーリズムはサウジアラビアにとって永続的なオプションである」と述べている(2)

ブランドショップとファストフード店ばかりの聖地

 巡礼からの収入を増やすために、サウジアラビアの経済界は、1988年以来実施されている国別の巡礼者数割り当ての撤廃を望んでいる。当局はそれを検討してはいないが、巡礼者数が増加するように常に努め、対応できるように現地を開発している。2,300億ドルを運用するサウジアラビアの公的投資基金は、メッカに押し寄せる膨大な数の人の波に対処するために、この聖なる都市に巨大なインフラを整備した。1950年から2017年の間、飛行機のおかげで巡礼者の総数(ハッジとウムラを合わせた数)は5万人から1,000万人に跳ね上がり、筆舌に尽くしがたい惨劇が起きて数千人の死者が出ている(年表「相次ぐ悲劇」参照)。

 メッカそのものも変化している。この聖地にはホテルの部屋が10万室、高級レストランが70軒、ヘリポートが5カ所、そして裕福ではない巡礼者がテントで寝泊りできるように整備された広大な土地があるが、クレーン車に囲まれ大理石が敷き詰められた木のないコンクリートのジャングルになっている。また「アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ」のような超高層ビルが聖地の中の聖地であるカアバ神殿を取り囲んでいる。他の3つの巡礼地と繋ぐトンネルが60本程度あり、聖なる町は中東にある町というよりも「ディズニーランドとラスベガスを混ぜ合わせたもの(3)」にずっと近い。メッカの「グロテスクなガラスと鋼鉄の建造物」への変貌は非常に醜く、「崇高さと虚飾の間を行ったり来たりしている」と、モロッコ人の人類学者であるアブデルアジズ・ハムディははっきりと述べている。カアバ神殿と200万人の信者を収容できるマスジド・ハラーム(グランド・モスク)の周囲には、もはや40階建ての高級ホテルとブランドショップ、それにファストフード店しかない。文化が残る場所はまったくなく、実際のところ、偶像崇拝を排撃するワッハーブ派の熱狂的な偶像破壊に抗えなかったため、町の過去の名残は何ひとつとして残っていない。最初の破壊は、1924年に国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードがメッカの町を征服した時から始まった。預言者ムハンマドの生家すら駐車場になり、彼の最初の妻であるハディージャの生家があった場所は公衆トイレになっている! 自然の換気装置である張出し格子窓を備え灼熱の気候に非常に適合した伝統的な建築は取り壊されて、醜いコンクリートとブンブンと音を立てるエアコンに変わってしまった。こうした虚飾の中で、努力を示す言葉であるハッジからは宗教的、精神的そして歴史的な重みが取り去られ、機械的な慣例の遵守とショッピングへの誘惑になってしまった。

 こうした変化や絶え間ない開発のせいで、メッカの町は鉄砲水、地下水の汚染そして環境悪化のリスクにさらされている。2012年の巡礼の際に実施された高速道路、トンネル及び都市のインターチェンジに関する調査によると、車の排気ガスによる非常に高濃度のオゾン、一酸化炭素、ベンゼン、有毒な揮発性有機化合物、そしてエアコンから排出される特定フロンCFC-12[訳注]が検出された(4)。そのため、巡礼者は光化学スモッグの中を進まなければならない。彼らはグランド・モスクから東に20㎞のアラファト山方面へ、足の踏み場もないほど人で溢れた道を通って、訪れることが義務とされている3つの場所に向かうからだ。

 「ミナ(メッカから5kmのハッジの儀式で巡礼者が訪れなければならない場所)のバスや車は、巡礼のピークの時期には毎日80トンの排気ガスを排出している。巡礼者の大半は祈っている時間よりも咳き込んでいる時間の方が長いのだ。排気ガス、暑さ、疲労による影響が有害なのは疑いもないほど明白である。私は気を失ったり、亡くなった人々を見た」と、ジェッダにあるメッカ巡礼についての研究機関(ハッジリサーチセンター)に5年間勤務した(5)、作家で大学教員の英国系パキスタン人であるジアウディン・サルダールは書いている。彼は巡礼を取り巻く、「この世の終わりを思わせるほど困難な」運営の課題を研究し、解決策を模索した。しかし彼が打ち明けたところによると、「“美しさ”と“永遠性”という聖なる町に固有の2つの価値が、都市計画のせいで失われてしまうだろう」とまで警告しても、この研究機関の勧告が取り組まれることはなかった。

 サウジアラビア人ではないイスラーム教徒にとっては、経済的にも旅の手配の面でもハッジは非常に大きな困難を伴う。平均で5,000~8,000ユーロの費用(交通費、現地での宿泊費と食費)がかかり、多くの巡礼者に重い経済的な犠牲を強いている(イスラーム教では巡礼のために借金をすることは禁じられている)。時には、国家がこの費用の一部を援助するが、費用の大半はハッジを行う者が負担する。他の多くのイスラーム教の国と同じように、ナイジェリアでは最低給与が低い(30~75ドル)ために国民の大半は巡礼を計画できず、当局に対するフラストレーションと怒りを引き起こしている。チュニジアでは2020年4月に、イスラーム学者のバドリ・マダニがハッジにかかる法外な費用を批判し、巡礼やウムラやモスクの建設よりも、学校や病院のメンテナンスに出費する方がいいという評価を下した(6)。毎年平均して2万5,000人がメッカへのビザを取得するフランスには、サウジアラビアのハッジ・ウムラ担当省から認定を受けた代理店は約60社しかない。それらの代理店が寡占状態からたっぷりと利益を得ている一方で、合法的にビザを取得できなかった巡礼希望者たちから、詐欺師が躊躇なくお金をだまし取っている(7)

 ハッジは外交問題にもなっている。サウジアラビアの見解を支持しない国を「罰する」ために、同国政府は一方的にその国に対する巡礼者の割り当て人数を減らすことがある。この状況はトルコやイラン、さらにはインドネシアとマレーシアからも批判されている。これらの国々はこうした形での報復を受けたことがあり、サウジアラビアの専制的な決定権が及ばない、イスラーム教徒のバチカンのようなものの創設について何度も呼びかけている。



相次ぐ悲劇

 イスラーム教の聖なる町では1975年以降、多くの死傷者を出す事件や事故がたびたび起きている。

・1975年12月14日:メッカ近くの巡礼者用テントの中でガスボンベが爆発。大規模な火災が発生し、200人が死亡した。

・1979年11月20日:重装備をした数百人のサウジアラビア人とエジプト人の原理主義者が、2週間にわたってグランド・モスクに立てこもった。サウジアラビア政府は聖地内で武力を行使するためにイスラーム法学者のファトワー[見解]を得て、米軍とフランス軍に応援を求めた。公式発表によると、武力衝突で244人(武装集団側が117人、治安維持側が127人)が死亡し、600人が負傷した。

・1987年7月31日:イラン人巡礼者が巡礼を政治問題にし、また自分たちが「大サタン(悪魔)」と呼ぶアメリカとサウジアラビア王国の緊密さを告発しようとしてデモを行い、サウジアラビア軍と衝突した。公式発表によると402人(うちイラン人が275人)が死亡した。

・1989年7月10日:グランド・モスクの外からの2度の攻撃により、1人が犠牲になり、16人が負傷した。16人のシーア派のクウェート人が殺人罪で有罪となり、1週間後に処刑された。

・1990年7月2日:巡礼者が必ず訪れるミナ地区のトンネル内で大規模な群集事故が起き、1,426人が犠牲になった。犠牲者の大半はアジアからの巡礼者だった。これは現代のメッカで起きた最悪の事故である。

・1994年5月24日:ミナでの群集事故により270人の巡礼者が死亡した。

・1997年4月15日:ミナにいた巡礼者のテントで火事が起き、343人が死亡、1,500人以上が負傷した。巡礼者のテントは不燃加工がされておらず、強風により炎が燃え広がった。

・1998年4月9日:ミナにおける群集事故で巡礼者118人が死亡、180人が負傷した。

・2001年3月5日:ハッジの最終日、ミナで群集事故が起きて35人が犠牲になった。

・2004年2月1日:儀式で投石を行っている時に、ミナで群集の圧死事故が起こり、巡礼者250人が死亡、数百人が負傷した。

・2006年1月6日:ハッジ開始の前夜、グランド・モスク近くの8階建ての建物が倒壊し、73人が犠牲になった。

・2006年1月12日:ミナで巡礼者が悪魔に投石する儀式を行っていた際、群集事故で360人以上が死亡した。

・2015年9月11日:ハッジ開始直前に、悪天候により建設工事用のクレーンがグランド・モスクにいた信者たちの上に倒壊した。公式発表によると107人が死亡し、400人が負傷した。

・2015年9月24日:ミナにおける群集事故で数百人(公式には700人以上)が犠牲になり、数百人が負傷した。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年8月号より)