繊維産業を担う低賃金労働者たち 

イタリアの中国人コミュニティ 



ジョルダン・プイユ(Jordan Pouille)

ジャーナリスト

レイ・ヤン(Lei Yang )

ジャーナリスト

訳:瀧川佐和子 


 イタリア中部にあるトスカーナ州のプラート市長は4月、中国人コミュニティに対して、この度の卓越したコロナウイルス対策に関して称賛の言葉を送った。プラートの人口のおよそ2割を占める中国人たちは、その多くが安価な既製服の製造に従事している。近年母国に帰る中国人に代わってアフリカやパキスタンからの労働者が増えるなど、変わりゆくイタリアの中国人コミュニティの中心地プラートのルポルタージュ。[日本語版編集部]

(仏語版2020年7月号より)


photo credit: Fancy Moda by INGURALDE


 中国の大手メディアは、トスカーナ州のプラート市長マッテオ・ビッフォーニが中国人住民たちに対して表明した称賛の言葉に大いに喜んだ。「中国で感染が発生したとき、イタリアの新聞社やテレビ局はプラートが感染の最悪の場所になるだろうと確信していました。しかし実際には国内のどの地域よりも感染率が低かったのです。とりわけこの町の中国人は誰1人感染しませんでした。中国人コミュニティは非常に注意深かったのです」と市長は2020年4月7日に中国中央テレビ(CCTV)に話していた。「プラートの中国人市民の多くは、1月25日の旧正月を祝うために中国に帰っていました。イタリアへ戻った際に、彼らは率先して自主隔離をしたのです。彼らに感謝しなければなりません」とこの市長は新華社通信に付け加えた。プラートの中国人たちがそんな風に敬意を表されたのは、この町における彼らの長い歴史の中で初めてのことだった。

 トスカーナ州フィレンツェの北約20㎞のこの工業の町で、彼らは25年前から風景の一部になっている。彼らは古くなった工場を買い取って既製服製造業を発展させた。この町の中国人商工会ズー・ロンジン会頭は未だに信じられない様子で、「市長の言葉を聞いてとても誇りに思いました」と4月8日の北京青年報に打ち明けている。1月末、この会頭は他の18の中国人団体とともにイタリア政府が感染拡大防止措置を発令するかなり前に、数千人の中国人労働者たちの外出禁止とマスク着用を義務付ける「コロナ対策特別本部」を組織した。ボランティアチームがすべての移住者が規則を遵守しているかをチェックし、路上や郵便受け、病院の駐車場でプラート市民にマスクを配った。「最終的に中国方式が適用された。唯一異なっていたのはこの市民ボランティアたちは赤いベストや腕章をつけていなかったことだ」と、北京青年報は伝えている。しかし、この活動にとても深く関わっていた信者たちを擁するプラートの6つの中国福音教会については報じなかった。

 プラート当局の調査によると、市の人口19万5000人のうち中国人市民は3万1000人でその4分の1は不法滞在だと推計されている(1)。地域の商工会議所の昨年の調査では、中国人が経営する企業は5850社ありその多くが個人経営であるが、そのうち4280社がもっぱら繊維産業である。この産業は競争が激しく、新しく設立された会社は2年足らずの短い周期で消えていく。

 大半が浙江省の港町、温州市出身のこの中国人コミュニティは、中国全土に大量失業をもたらした大規模な国有企業のリストラが行われた後の1990年代半ばから発展した。やはり中国人移民が多く住むパリのベルヴィル地区では、不法就労の労働者たちはアジア料理のレストランで1日に15時間も餃子を製造している。一方、プラートの中国人労働者は、迅速に手ごろな価格で既製服を作るプロントモーダというすきま産業を発展させている。このシステムはイタリア製という魅力を享受しながらも、1件の注文に2カ月も待ちたくないというヨーロッパの小売商の要求に当時も今も応えている(2)

 単純で低賃金の仕事に雇われたプラートの中国人たちは、わずかな給料から密入国の斡旋者への借金を返済しながら、食事も作業場でとり睡眠もそこでとっていた。同じく温州市出身の雇い主たちは高価な車を乗り回して大名暮らしをしている。それ以来、ブティックやレストラン、カジノや中国風カフェが急増した。

 2008年の金融危機で、イタリア人が経営するすでに危うかった高級服の工場が衰退の一途をたどったのに対し、中国人による既製服製造は発展し続けている。しかしながら、脱税が世間の激しい憤りの的になった。財務警察は、年間10億ユーロに達すると考えられ、その3分の2がプラートを起点とするトスカーナ州と中国間の無申告の現金の流れを見つけ出した。2009年、ベルルスコーニが設立した右派フォルツァイタリア党のロベルト・チェンニが中国人コミュニティとその「3万人の奴隷たち」に対する敵意に満ちたキャンペーンを行い、この共産党の牙城での選挙に勝利し市長になった。

 既製服製造工場のテレザモーダの悲劇は2013年12月1日に起きた。7人の中国人労働者が他と同じように非常口のない作業場で火に囲まれて死亡した。町は哀悼の日を設けた。大きな影響力を持つ組織であるイタリア労働総連合の事務局長アレッサンドロ・ファブリッツィ氏はプラートに「違法の町」のままでいるのはやめよう、と呼びかけた(3)。壁に「行動」を呼びかけるグラフィティが広がった。

「怠惰な」イタリア人

 その数カ月後、中道左派のビッフォーニ候補が対話と法の回復を約束して市長に選ばれた。2014年の就任後に実行された公約の1つは1万件に近い警察の抜き打ち調査がこれらの企業で行われたことだ。プラートのイタリア人が経営する会計事務所も対象にされた。いくつかの会計事務所は、中国人労働者の滞在許可を更新できるように、賄賂をとって給与明細書、決算書類、雇用証明書を作成していた。滞在許可証を更新した後、中国人労働者は書類上は解雇され、不法就労させられていた。

 この捜査は申告された従業員数と実際のミシンの台数との差が指摘されていた作業場にも及んだ。火災防止の安全基準の順守も当然確認された。それらの作業場は営業停止処分の後、事業計画書の作成と高額の罰金の支払いを条件に再開された。

 「彼らは椅子の高さまで測りました! でも我々が強盗に入られたり、路上で襲われたときに、そこには助けてくれる警官は1人もいないのです」とCOVID-19の流行前に話を聞いたウェン・ジュンウィ氏(4)はため息をつきながら打ち明けた。この経営者はトスカニーニ通り近くで卸売店を所有している。ジャスミンティーを飲みながら、彼はイタリア人たちの「怠けぶり」、ここにいる「中国人労働者の賃金が高騰して雇いにくくなったこと」そして手際よく仕事ができないパキスタンやアフリカ人たちの働き手についての心情を吐露した。その後、彼はグァルキエリナ広場にある在プラート中国人会の至宝であるプ・ユァ仏教寺院に私たちを連れて行った。ヴェルサーチのモカシンとそれに釣り合ったボルサリーノを被った寺院の責任者は、寧波市(浙江省の都市)から特別にやって来て在留している3人の僧侶を私たちに紹介し、企業から支援を受けて行われた最近の改装工事を見せた。

 豪華なその寺院は、町の主要な商店街フィルツィ通りの老朽化した歩道とは対照的だ。その歩道には、電話をすれば「妹」や「いとこ[従姉妹]」に出会えるという中国語の客引き広告がべたべた貼られたごみ箱やパーキングメーターがある。プロントモーダの低賃金労働者たちが、浙江衛星テレビの番組を見ながら豚肉入りの麺をかき込みに来るのは、労働者用の食堂に改装されたそこにあるいくつかの古いビストロだ。そこは最初の中国人移住者による仕立て服の作業場や、夜間に労働していることがわからないように明かり隠しの目張りがある窓や、廃墟のような老朽化した建物があるピストイエゼ通りから遠くない。

 プラートから南に9 kmのところにブドウ畑が広がっている。そのふもとにあるセアノ村では、イタリア人のオーナーに高い賃料を払って、小ぎれいな家々の裏に建てられた真新しい倉庫を中国人が作業場として使用している。ここでも建物の違法な転用はよくあることのようだ。農業機具の代わりにミシンと大量の生地が置かれている。

 スニーカーを履き、肩に高級デザイナーのロゴが入ったアノラックを着た34歳のリュー・ホン氏はプロントモーダの小規模事業者の1人だ。彼女の細いシルエットは山積みの生地に埋もれている。彼女は自ら小型トラックを運転してパリのポパンクール通りの業者に翌日までに配達するフランネルのドレス1800着を用意している。「その業者は、私のように破産した裕福な家庭出身の中国人です。ゼロからの再出発なのです」。彼女は10年前に月800ユーロの給料で労働者として働き始めた。「それより以前は、私は福建省の通信事業会社で経理を担当していました」と彼女は言う。リュー氏はもっと大きいことを考えている。彼女は購入した倉庫を、やはり中国人インテリアデザイナーたちに8つのショールームに改装させたものを貸し出している。「しかし、利益はわずかです。なぜなら多額の罰金を払わなければならないことがすでにわかっているのです」

 [中国人の成功を見て]いやがらせの段階を越えて恐喝などに手を染める者もでてきた。2019年5月3日、中国人の小規模事業者とその妊娠した妻が偽の捜索令状を携えて自宅に押し掛けてきた警官と3人の共犯者に現金1万1000ユーロをだまし取られた。それは犯人たちが期待していた額の10分の1だった。2020年4月に、上役の警官も加担していたことがわかる。三面記事に載るようなこの事件はフランスの中国日刊紙である欧州時報によって報じられ、さらにはウィーチャット[中国の大手企業が開発したインスタントメッセンジャーアプリ]で伝えられた。

 リュー氏は現在の3人の職人の1人ガオ・ドング氏を私たちに紹介した。40代のアイロン係の給料は歩合制だ。「ここでは、リューさんは私に1着につき0.5ユーロ払ってくれます。私は12時間で最大600着までアイロンをかけることができ、1日90ユーロになります。悪くないでしょう?」。 河北省の農民の息子である彼は、中国の深圳市の郊外の工場で、月額700ユーロでバリーの靴をつくっていた。彼は2017年の旧正月に、海外に送る労働者を探して農村を歩き回っていた男の訪問を受けた。その男はよりよい賃金と快適なベッド、1日3食を彼に約束した。その言葉に惹きつけられて、ガオ氏はこの男に斡旋料を払い、1カ月後にはイタリアに来ていた。彼の妻もその後すぐに合流した。「妻は10㎞先のボタン製造工場に採用されました。彼女はもう1人の労働者と一緒に、工場が用意した部屋で寝起きしています。私たちが会うのは月に1度です」

 故郷でもっと良い生活ができる見通しが立って帰国することで、ここの中国人の働き手が減るにつれて、アフリカ人やパキスタン人が増えている。たとえば、朝7時にはすでにモリヌッツォ通りの1ユーロの麺と0.5ユーロの茶葉蛋[中華風卵の紅茶煮]を売る黄色い小さな食堂トラックの周りで彼らを見かける。「彼らは本当の中国人のように歩道にしゃがんで食べるんだよ」とかつては労働者だった、エプロンが似合うトラックのオーナーは面白がる。彼はプラートから15㎞、フィレンツェから10㎞のセスト・フィオレンティーノにある倉庫で働いていた。その倉庫には狭く仕切られた作業場があり、数百人の中国人革製品職人が潜んでいた。卸売用と物好きな通行人向けの小売用に、現在でもそこではもっぱらハンドバックが製造されている。私たちの前で、ブロンドでミンクのコートを着た老婦人がフィー家族の作業場に近づいた。その女性は封筒を置いて出ていった。「頭金ですよ。私たちは彼女のために1つ14ユーロでオーダーメイドのバッグを作っています。彼女がそれらを幾らで売っているのか私は知りませんし、知りたくもないです」とフィー氏は笑いながら明かす。そのロゴのバッグはオンラインショップで220ユーロで売られている。格子と壁で区切られた小さな作業場だらけのこの迷路の中で、20人ほどのアフリカ人労働者に出会った。その中にセネガル出身の28歳のヒップホップスタイルのシディがいた。彼は背を丸めて椅子に座って作業をしている。彼はここに来てまだ2週間しかたっていない。「まあまあいい感じです。ボスは私のすぐ後ろで作業しています。私は1日30ユーロで朝7時から夜9時まで働いています。パトロンからメールが来るとすぐに別の作業場に飛んで行きます」

「ルールを守れば、誰でも歓迎」

 夕食のために戻ったプラートのカサマツに囲まれた家の前で、23歳のアミンというエネルギードリンクのレッド・ブルのパックを持った労働者に会った。彼は南イタリアの海辺のリゾート地パリヌーロ近隣の難民キャンプでおよそ3年を過ごしたのち、繊維産業の作業場で7カ月間働いていると言う。「政治亡命が認められるのに3年必要でした。私はもう少しで頭がおかしくなるところでしたが、そこでイタリア語を学んだのです」。この若い男性はタリバンの後部基地であるパキスタン北西部の山岳地帯のワジリスタンで育った。母親は亡くなり、父親は障害者だ。「私は父に月300ユーロを何とか送れています」。彼の雇い主は温州市出身の中国人だが、「私はパキスタン人の上司としか話しません 。彼は月150ユーロで寝るところも探してくれました」と彼は話す。アミンが住んでいる家は6つの部屋に分けられている。各部屋には4人の男性が暮らしている。こうして月に3600ユーロの家賃収入を得るのは定年退職したイタリア人だ。彼は私たちが取材に来たことをあまり歓迎しなかった。

 現在の難民問題によって、プラートにやってきたこれらの新しい労働者たちに、ビッフォーニ市長は同じ方針を適用するつもりだ。「アフリカとパキスタンの労働者たちは、たいていの場合不法な状況にはありませんが、パートタイムの契約で非常に長時間働いています。たとえプラートが中国人移住者の中心地であり続けないとしても、私たちは多文化社会にいます。私たちはそれぞれが同じルールを尊重する社会の構築に取り組まなければなりません。プラートでは誰もが歓迎されますが、それは規則を守る場合に限ります」。ビッフォーニ氏は 2019年に再選され、初めて移民2世(5)の2人を市会議員に迎えた。56歳の通信エンジニアであるマルコ・ワン氏と、米国で経済学の学位を取りすでにプロントモーダの家族企業の経営者である24歳のテレサ・リン氏だ。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年7月号より)