今すぐにだ!


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク統括編集長

(仏語版4月号論説)

訳:土田 修



Dhruvi Acharya. – « Reasoning »(推論), 2015

© Dhruvi Acharya - www.dhruvi.com

 ひとたび、こうした悲劇が克服されたならば、すべては元のまま再開するのだろうか? この30年、新しい危機が襲うたびごとに世界は理性を取り戻し、良識に立ち返り、混乱に終止符を打つといったありもしない希望を膨らませてきた。皆、ついに行き詰まりと脅威をみたとする社会政治的な仕組みを抑え込み、ひっくり返せると考えた(1)。1987年の株価大暴落(ブラックマンデー)は続発する民営化の動きを抑えこみ、1997年と2007-2008年の金融危機は満足し切っているグローバリゼーションに動揺を与えるかに見えたが、実際はそうならなかった。

 2001年9月11日の米同時多発テロ事件は、米国の傲慢さについての批判的な見解や、「どうしてわれわれは嫌われるのか?」といった類いの当惑した問いを引き起こしたが、それも長くは続かなかった。というのも、たとえその方向が正しいにしても、頭の中で考えるだけでは[社会を変える]仕掛け爆弾を作動させるのに十分ではない。やはり自ら手を動かす必要がある。こういう時は厄災に責任を負う立場の政治家たちの手には任せない方が良い。たとえ、こうした放火魔のような連中が愛嬌を振りまき、延焼を招くものを取り除き、自分たちは変わったのだと主張したとしてもだ。特に、われわれの命ともども、彼らの命もあやうくなっている時なのだから。

 われわれの大半は直接的には戦争もクーデタも夜間外出禁止令も経験してこなかった。ところが、3月の終わりには30億近くの住民が外出禁止となっていた。中には、耐えがたい状況に置かれた者もいた。彼らの大部分は田園の別荘で椿の花を観賞している作家ではなかった。これから先、何が起きても、コロナ禍は人類にとって地球規模の最初の脅威になっていることだろう。それは忘れられはしない。政治リーダーは多少なりともそのことを頭に置いておく必要がある(ル・モンド・ディプロマティーク日本語版2020年5月号「次の『この世の終わり』までに…」参照)。

 欧州連合はそれゆえ、[財政赤字をGDPの3%以内に抑えるという加盟国共通の]財政規律の「一時停止」を通知したところだ。エマニュエル・マクロン大統領は、病院スタッフに不利益を与えかねない年金改革を延期した。米議会は米国人の大半に1200ドルの小切手を発送することを決定した。だが以前、10数年前に、苦境に陥っていた経済システムを救い出そうと、ネオリベ派は負債の大幅な増加や景気刺激策、銀行の国有化、資本統制の一部再開を受け入れた。次いで、緊縮財政によって、彼らが経済危機の際に手放したものを取り戻すことができた。そのうえ、もう少し先へ進むことさえできた。すなわち、賃金生活者はより不安定になりつつある状況の中で、より猛烈に、より長く働かなければならないが、「投資家」と金利生活者は税負担が軽くなる一方だ。こうした方針転換の結果、ギリシャでは財政的に困窮し薬品も不足した公立病院では既に消滅したはずの病気が再発し、国民たちは最も被害を受ける羽目に陥った。

 このように、政治家たちが改心したと思わせたものが、結局は「ショック戦略」へと変わっていったようだ。既に2001年に、ワールドトレードセンターへのテロが起きた直後に、英国の大臣顧問の女性は政府高官に次のようなメッセージを送った。「われわれが実行しなければならない政策のすべてをそっと提案し承認を得る絶好の機会だ」

 彼女は、テロとの戦いを口実に公共の自由に制約が課せられ続けること、ましてや、イラク戦争やその英米の決断が引き起こすことになった数限りない災厄に、必ずしも思い至ったわけではなかった。だが、詩人や予言者でなくても、20年後の今では「ショック戦略」の何たるかをイメージすることはできる。

 「家にいること」と「距離を置くこと」の当然の結果として、あらゆる社会的関係が現在加速しているデジタル化によって一変する可能性がある。インターネットなしで生きられるかどうかという問いは、保健衛生の危機によってより差し迫ったものになるか、あるいはまったく時代遅れなものになるかもしれない(2)。既にフランスでは各々が身分証を持って出歩かなければならない。もうすぐ携帯電話は便利であるだけでなく、監視目的でも必要なものになるだろう。紙幣と貨幣は感染源になる恐れがあるのでデビットカードの使用で公衆衛生は守られるし、それぞれの購買履歴を記載しデータ保存することが可能になる。中国流の「社会的信用」、あるいは「監視資本主義」は、法律に違反しなければ個人を特定されることはないという侵すべからざる権利の歴史的な後退になるのだが、それはわれわれの精神や生活の中に既に浸透し始めているのだ。これには素直な驚きを感じるほかない。今回、コロナウイルス感染が拡大する以前でさえ、身分証を持っていなければ電車に乗ることができなくなっていた。銀行口座をネットで利用するには携帯電話の番号を知らせる必要があったし、散歩すれば監視カメラで撮影されるのは間違いないことだった。コロナ禍で事態はさらに進んだ。パリではドローンが立ち入り禁止区域を監視している。韓国では住民の体温が地域社会にとって危険がある場合、それをセンサーが関知して当局に通報が入る。ポーランドでは住民が外出禁止を守っていることを証明するアプリを携帯電話にインストールしなければ、警察官が不意に自宅に押しかけて来ることになる(3)。こうした監視措置は緊急時には支持されるが、緊急事態が終わった後も続けられるのが常だ。

 来たるべき経済的大混乱もまた、世の中をますます自由が制約されたものにすることになる。感染を防止するため世界中で飲食店やカフェ、映画館、書店の多くが閉まっている。こうした店や施設は宅配サービスを行うことができないし、デジタルコンテンツを販売するチャンスもない。危機が収束した時にどれだけの店や施設がどのような形で再開できるのだろうか? 逆にネット通販の巨大企業アマゾンやスーパーマーケットチェーンのウォルマートにとって事態は有利に展開するだろう。アマゾンは運転手と倉庫係数十万人を雇用しようとしているし、ウォルマートは15万人の「アソシエイト(従業員)」の追加募集を発表した。ところで、われわれの趣味や好みを熟知しているのはこれらの企業を措いて他にないということなのか? コロナ禍はデジタル資本主義とバーチャル社会の到来に抵抗する最後の砦の崩壊を予兆させる最終リハーサルとなる可能性がある(4)

 もし……もし異議申し立ての声や行動、人民、国家が、前もって書かれたシナリオを狂わせなければのことだ。「私は政治に関心がありません」という言葉を聞くことはよくある。そう言っていられるのは、どの患者を救うのか、また犠牲にするのかの選別を医者に強いているのは政治的選択なのだと誰もが気付いていないからだ。われわれはいまやそうした状況にいるのだ。中央ヨーロッパやバルカン半島、アフリカ諸国では事態はより深刻だ。そこでは、数年来、医療従事者がより安全な地域や高収入の就職先へと流出してしまった。それは自然の法則に従った選択ではなかったし、今もそうではない。恐らく、われわれは今日、そのことをよく理解しているはずだ。外出禁止、それはまた、われわれが立ち止まり、よく考える時なのだ。

 行動に関心を持つこと。今すぐにだ。というのも、フランス大統領が提案したのとは反対に、最早、「われわれの世界が推し進める発展モデルを見直し」ている場合ではないからだ。答えはわかりきっているが、「それを変える必要がある」ということだ。それも今すぐにだ。そして、「自分の保護を他人に任せることが愚かなこと」である以上、「自由でゆがみのない市場」を守るため戦略的な依存関係に甘んずるのはやめよう。マクロン氏は「政策転換する決意」[訳注]を表明したが、彼は最も重要な決断を下すことはない。国家主権を犠牲にし競争を絶対視するEU条約と自由貿易協定を、一時的に停止するというだけでなく、決定的に廃棄通告を行うことだ。今すぐにだ。

 患者や病院スタッフ、配送係、レジ係らの命がかかっている数百万枚のマスクや薬品の供給を、世界中に広がり在庫を持たないジャストインタイム方式をとるグローバル・サプライチェーンに依存することが高くつくということは今や誰でも知っていることだ。森林伐採や生産拠点の国外移転、廃棄物の蓄積、不断の人口移動によって地球にどれだけの損害がもたらされているのかもよく知られていることだ。毎年、パリには、人口の17倍の3800万人の旅行者が訪れており、パリはそれを喜んでいるのだが……。

 今や、保護主義、エコロジー、社会正義、保健衛生は一つになった。それらは、“今すぐに”、政策転換を実行するのに十分な力を持っている反資本主義の政治同盟にとって重要な要素なのだ。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年4月号より)