原因はBrexitだけだったのか 

2019年の英国総選挙で労働党はなぜ敗北したのか 



ヒチャム・イェザ(Hicham Yezza)

英Ceasefire Magazine誌編集長


訳:茂木愛一郎


 英国の12月の総選挙において、労働党はイングランド北部の長年同党を支持してきた選挙区(通称「赤い壁」)の多くで議席を失い、保守党に地滑り的勝利をもたらした。これはそれらの選挙区でBrexit支持から得票が大きく保守党に移ったことが主因であるが、そのBrexit対応とともに全国党員のための労働党を目指したコービンと議会労働党の対立という内部分裂によるところが大きい。併せて保守党のメディアを使った党首コービン批判のキャンペーンの影響もあったとみられる。[日本語版編集部]

(英語版2020年1月号より)

photo credit: Election Night Projected Results by Andrew Tijou

 ボリス・ジョンソンが今をさる10月に、12月12日を総選挙と宣言したときには、選挙結果に関する予想は、保守党が僅かな過半数を制するか、どこも過半数をとれない「宙吊りの議会」になるというものだった。しかしながら結果を見る限り、英国の選挙史上もっとも明白な勝利によって決着した選挙のひとつに数えられる。すなわち、保守党はマーガレット・サッチャーが党首であった1987年の選挙以来最大の365議席を確保した。一方労働党は202議席と1935年以来で最低となった。ミッドランズからイングランド北部という古くからの工業中心地にある選挙区は、労働党が長らく強固な地盤としていたところであったが、今回青色[保守党の色]に染まることになった。労働党の赤い壁は崩れたのである。

 原因究明の声が直ちに上がったが、それは労働党党首ジェレミー・コービンとそのチーム、コービンが主導していた政治運動とビジョンに対する弾劾を伴うものであった。ITVのスタジオからは労働党のベテラン、アラン・ジョンソンが、議会に議席をもつ労働党員のコンセンサスとして、「コービンは選挙戦で戸別訪問のやり方から失敗したのだ」と総括した。しかし、単純で一面的な診断だけでは労働党の屈辱的な状態を説明できない。労働党は6週間の選挙戦で敗北したのではない。敗北の根源は過去4年あるいはそれ以上の期間にわたる危機的局面とその時点での意思決定にまで遡らなければならない。

 労働党は2019年の総選挙に対して準備ができてなく即応ができなかった。2016年のEUからの離脱の賛否を問う国民投票の結果は同党に、解決の途のない課題を突き付けた。労働党支持の選挙民の3分の2はEUへの残留を希望していたが、議席を有している議員の3分の2は離脱支持の地域から選出されていたのである。労働党で離脱を選択した選挙民の多くが、選挙戦の勝敗に直結する激戦区に属していた。

 労働党は2017年の総選挙において、Brexitに関して態度をはっきりさせないというスタンスをとることで、残留派と離脱派の大半の支持を保ち続けてはいた。しかしほどなくして党内残留派から党はその方針を変更すべきであるという非常に強い圧力を受けることになった。2019年5月の地方選挙や欧州議会選挙において、残留に積極的な自由民主党に敗れるという地域が出てくるという大きな痛手を被ったことで、労働党はついに2回目の国民投票実施の支持を明確に打ち出すこととなった。労働党としては次期総選挙を、Brexitの行き詰まりが解決したところで戦うことを計画し、またそうなることを望んでいた。そしてSNP(スコットランド国民党)と自由民主党が予想しない形で10月に早期解散総選挙の支持を言い出すまでは、これでやり過ごせると思われた。しかしそのことで労働党は不本意な途を歩まざるを得なくなったのである。

後になっての労働党の方向転換 

 労働党が2回目の国民投票を支持すると表明することによって自由民主党からの攻撃を中和する作用はあった。しかし、後になってからの党の方向転換は離脱派の選挙民にとってはとんでもないことであった。労働党は2017年でみると残留支持票の間では保守党に対して30ポイントのリードをしていた。しかし離脱支持者における保守党支持者に対する劣勢が、41%から60%に急上昇した。保守党が離脱票の74%を獲得し、労働党は2017年での離脱支持者から得た票の40%近くを失い、かろうじて14%を確保した。その結果、保守党が労働党から得た54議席のうち52議席は、2016年[国民投票時]にBrexitを支持した地域の議席だった。一方労働党は保守党の残留支持者の票を得ることはできなかった。政治学者のポーラ・サリッジの言によれば、「労働党は離脱派の労働党支持者を失い、保守党の残留支持者は党支持という点では忠実であった」ということになる(1)。保守党の残留支持者がBrexitを嫌う度合いより労働党の離脱派がBrexitを望む度合いの方が、強かったのだ。

 コービンは予想されるいかなる国民投票にも中立の立場をとった。それはある種理由のある戦術ではあったが、彼が優柔不断であるという一般の人々がもつ認識を高めてしまう結果になり、それが致命的な結果を生んだ。ジョンソンの選挙戦チーフのアイザック・レヴィドウはその決定を「選挙戦の勝利を分かつ瞬間であった」と呼んだ。

 結果は残留派の敗北であった。もし残留派に効果的な連合ができていたら、保守党は議会運営上支障のない多数派となるための議席数を大きく下回り、300議席の確保がせいぜいであったのではないか。ロンドンの西部、ケンジントン選挙区ではそのようなことが証明されている。そこでは自由民主党のサム・ギーマー候補(直前には保守党の大臣経験者)が、熱心な残留派である労働党現職議員のエマ・デント・コウドに対抗した。ギーマーの立候補により残留派の票が割れ、保守党が150票差で勝利をおさめた。同様のことは残留を主張する各政党の得票数を合計すると保守党の得票数を上回っている選挙区でも起こり、保守党は合計65議席を獲得する結果となった。

 労働党にあっては、Brexitそしてそれが生み出し増幅させた政治的・文化的な分裂と両極化が、選挙戦のさなか各派連合形成がされるべきときに、結束の分裂をもたらしたかもしれないが、実のところこうした結束は、長年にわたって緩んできていた。Bishop Auckland選挙区が135年の歴史のなかで初めて保守党勝利となった。しかし労働党は、過去20年にわたって各選挙において、数千票の単位で票を減らしてきていたのである。このことは多くの「赤い壁」と言われた選挙区において当てはまることであった。

 にもかかわらず、労働党は労働者階級や伝統的な支持基盤を見捨てたといった主張には、決定的な間違いがあるといってよい。なぜなら、労働党が活動する「工業」都市の多くでは工業活動が行われなくなって久しい。そしてより重要なことであるが、選挙に主要な変化をもたらしているのは、経済の変化ではなく、選挙民の世代が変化してきていたことなのだ。労働党が議席を失った「赤い壁」地域の大部分は、長年にわたって若年層が流出し、高齢者層が流入している地域である。労働党は18歳から30歳台という若年層では全国的に有意な得票差をもって優位に立っていること、一方60歳以上の年齢層では保守党が圧倒的に得票していること、これらの事実を考慮すると、イングランドの老齢化の進んだ地域において労働党が長期にわたって党勢を減退させてきたことは驚くに値しない。

「Brexitをやり抜こう」 

 「この選挙結果は、2017年にも起こりうることだった」と選挙戦後、下院でテリーザ・メイが語った。多くの点で、2019年の総選挙は彼女が造りあげた勝利でもあるのだ。デイビッド・キャメロン元首相は当時の保守党を、古いタイプの「カントリーのトーリー」と、大都市の社会的にはリベラルなミドルクラスとの連合体に造り変えようとしたが、それに対して北部の労働者階級に目を向けて党支持層の再編成を試みたのがメイ前首相であった。彼女が2017年にロンドン以外での離脱支持の多い地域で議席確保を目掛けて策定した戦略こそが、ジョンソンが2019年に策定した無情なまでに効率的な選挙戦展開のひな型を形作ることになった。これにより、保守党は勝利を狙った上位50の選挙区のうち47区を獲得した。ジョンソンのチームには2016年の国民投票の際、EUから「支配権を取り戻そう」を公約にして勝ちを収めた「投票は離脱に」作戦のメンバーが含まれていた。「Brexitをやり抜こう」の新しいスローガンは殊のほか有効であった。なぜなら、離脱支持の有権者にアピールするのみならず、その叫びはこのところの政治そして政治家に愛想を尽かしていた選挙民の心に響いたからである。

 国民の意思を反映させるためには議会は障害になっていると議会の実態を評することによって、ジョンソンが選挙民に呼びかけた口上は実に単純なものであった。すなわち、我に過半数を与えよ、さすればBrexitは成就し、論争に終始し遺恨ばかりが残ったこの3年間に終止符が打たれるというものであった。2016年の国民投票時に離脱支持の勝利の原因を作った政治家は、この大混乱を鎮静化することになる人間として自己を演出することを可能にしたのである。ジョンソンは新しく選出されたばかりの党首であるが、その党は過去9年にわたって政権にあるのだ。しかし彼はさも変化を起こす候補者として自己を売り出すことにも成功した。彼にそれが出来たのは、その多くを保守党右派の人物たちが所有することの多い、活字メディアの支持を得ていたという理由が大きい。選挙報道の多くが、保守党政権時代の政策実績に関するものではなく、ジョンソンの芝居がかった「Brexitをやり抜こう」の言説に費やされていた。

 ジョンソンの選挙戦はテリーザ・メイのおかした失敗からまず学ぶことから始まった。2019年のマニフェストは内容としては不十分なものだった。それは、大衆受けはするが実体的内容の薄い公共支出やNHS(国民保健サービス)、警察に関する公約からなっていた。それらは戦略策定者の意図したとおり、ひっそりと打ち出され、あっというまに姿を消した。

 保守党の選挙戦は友好的で、くつろいだ雰囲気を醸し出させ、真剣な吟味などとは無縁なところで進められた。選挙の争点に関するブリーフィングは当たり障りなく進め、どんなに政敵を攻撃しても咎められることなく、取材に焦る記者からは特段の挑戦を受けることもなかった。選挙戦のやり方で際立っていたのは、真実など気にもかけないアプローチであった(2)。5万人の看護師を採用しようという公約には、すでに現存する1万9千人を含まれるものであった。40カ所の病院の新設という公約では、実際は6カ所しかできないものだった。労働党のBrexit問題担当の報道官をとらえたあるビデオクリップは改ざんされ、実際には受けた質問に答えていたのに、言葉を失って答えに窮しているように見せかけられていた。公式の保守党ツイッターアカウントのひとつは、真偽検証サービスであるかの如き投稿を行っていた。選挙戦最終週に流された保守党のFacebookのメッセージを精査すると、それらの88%は事実を欺くものであり、同様の労働党のものを調べるとそのようなものは0%であった(3)

 ソーシャルメディアには保守党の公式アカウント以外による偽情報が氾濫していた。それにはFacebookへの何千という反労働党を主張する投稿が含まれる。またopenDemocracy[訳注]が発見したことだが、こうした投稿を載せた多くのページは草の根の運動であると見せかけていたが、実は「英国の組織的右翼やPR(広告)産業、さらには闇資金で造られたシンクタンクと繋がっているもの(4)」だった。これらのページに投稿されたビデオは1,600万回もアクセスされているが、対して労働党支援やEU離脱反対のビデオの場合470万回でしかなかった。政治を冷笑し政治への疑念を助長していくなかで、保守党がとった戦略は、政治への無関心や関わりたくないと思わせることを目的とした、綿密に計算されたものであった。それは効果を現した。労働党が失った議席のうち49の選挙区で、投票率は2017年の水準まで低下したのである。

活字メディアが示した敵意 

 2019年総選挙での労働党の選挙戦は2017年同様大きく水をあけられて始まった。マニフェストは好意的に受け取られたと言ってよい。それは160名のエコノミストからお墨付きを得たし(5)、驚くべきことに金融証券市場も政策実現のために政府債務を使うことを支持した(6)。ブロードバンド無料化やグリーン事業による百万人規模の雇用創出といった政策提案は、特に急迫する気候変動問題や経済格差対策を取り入れ、労働党の意欲的な課題設定を知らせるものであり、Brexitだけに占領されたニュースの反復に新鮮なトピックで分け入ろうとする意図で行われた。そのマニフェストは、保守党寄りの反対論者や敵対的なメディア、なかには労働党内部から、ドン・キホーテ的な絵空事と片付けられようとしたが、世論調査をみる限り、鉄道の国有化から上位所得者5%への増税、2030年までにネット・ゼロエミッション達成を目標といった、ほとんどすべての主要政策提案に対し選挙民は好意的だった。しかしながら、政策の件数と対象とする範囲、そして初回の発表時にそれらが未整理に映ったことによって、選挙民に見た目がよくても本当に実現できるのかという疑念を抱かせることになり、選挙戦中労働党はこのイメージからの挽回に苦慮することになった。

 活字メディアの示す敵意は、労働党党首に付きまとってきたものである。しかしコービンがその党首であった4年間、彼に対する攻撃にこめられた悪意には前例がなかった。労働党は、反ユダヤ主義とみなされた記録へのしつこい攻撃を受け大きなダメージを負ったが、一方保守党がイスラム嫌いをめぐる修復の取り組みに失敗したことが注目を浴びる度合いは、著しく低かった(2019年に行われた意見調査によれば、保守党党員の半分近くは首相がムスリムであることを好まないという結果が出ている)。

 ラフバラ大学の研究によれば、2017年総選挙と2019年総選挙の関係をみると「保守党に対する否定的報道が半分に減った」のに対して、労働党に対しては「2017年に認められた新聞社の敵対的姿勢の度合いは、2019年にはその倍を超えるまでになっていた」(7)。メディアの敵対的姿勢は選挙戦が進むなかで高まり、最終週にピークを迎えたが、特に悪影響を与えたのは、コービンは愛国心に欠け、国家の敵に対して軟弱であると描き立てたことである。ジョンソンは、コービンはMI5の廃止を計画しており、NATOの解体を欲しているという虚偽の主張を繰り返すことで、それを助長した。選挙日の5日前、新聞の『サン』は、コービンが「マルクス主義者のインテリから過激分子や不法テロ組織に至るまでと広範な交流をもっており、その蜘蛛の巣」の中心にいることを示したと称するオンライン記事を発信した(8)。この記事の情報源は、ネオナチのAryan Unityや陰謀論を語る反ユダヤ主義のThe Millennium Report[千年王国誌]といったウェブサイトであった。この記事はまもなく、なんの説明も謝罪もなしに削除された。有権者がコービンに対してもつネガティブな見方は、ソーシャルメディアへの投稿や個別訪問の際に交わされる言葉に示されるもので、それらは新聞の見出しに書かれたものをそのまま反映したものであった。

 こういったでっち上げの類は偶発的なものではない。Brexitは政治や経済的な意味でどちらにつくかで断絶を生んだだけではなく、文化的な意味でも断絶を作ってきた。保守党が行った、労働党支持者の中心部に踏み入った企ては、「伝統」や「愛国心」を使って郷土愛や原始的な衝動に訴える表現をまとったものだが、本来的に人々の文化に関係し、さらにはアイデンティタリアン[欧米での極右・白人至上のナショナリストの運動]な観点を入れた作戦だった。筆者の現地取材、特にミッドランズで交わした会話から分ったのだが、まさにこれがBrexitで支持投票をした人々のものの見方だということだった。保守党が、労働党は国境を開放する政党であると言及することで、移民削減を公約することはまさにその文脈で理解することができた。選挙日から数日経って、極右グループのBritain Firstはメンバーたちに、「ジョンソンによる統率がより確固たるものになるように」保守党に入党することを促すEメールを送ったという(9)。この選挙以来、人種に纏わる憎悪や偏見をめぐる報告が日々目につくようになった。選挙後に撮られ、口コミで大量に拡散されたビデオのなかでは、軍服まがいに装った男性が移民の両親といる若い英国籍となった女性に対して「ここはお前の国ではない」と告げる場面がある。

 英国は1月31日をもってEUから離脱することになったが、選挙戦での戦略にあった矛盾が政治的現実によって試さることになり、ジョンソン首相のハネムーンがそう続くことはなさそうである。首相はそれを理解しているとみえて、環境面での保護措置や最低生活賃金、児童難民や労働者の権利に関する選挙戦上の公約はすでに放棄してしまっている。しかし、公共支出に関する公約の回避は困難だろう。なぜなら保守党はいまや国家措置に依存して生活する人々の投票に重きを置かざるを得ないからである。ただ、EUから離脱してしまえば、この政府の公約の履行は困難になっていくだろう。保守党の大盤振る舞いを目にすることもないままに、Midlands and North選挙区都市部の選挙民はBrexitがもたらす苦しみを味わうことになるだろう。

 議会に議席をもつ労働党員は、2015年9月にコービンが党首となったこと、そして党員全体が望む方向に党を指導するというやり方を決して認めなかった。労働党の内部エネルギーの多くが支配権をめぐる苦い内部抗争に費やされていた。そのことは党のイメージとコービンの国民の政治家としての地位に修復不可能なダメージを与えるものだった。労働党の議員たちは、一般大衆に対してコービンは党首などではないと語ったが、多くの人々が彼らの言うことを信じ、それに従って投票したことを知ることになった。総選挙後、党内の反コービン勢力は党が軸を中道に戻すことを要求してきている。とはいえ言わば中道2政党が争った結果は悲惨なものであった。

 コービンは彼が戦った2度の選挙に負けた。それゆえ党首を降りる意向を示している。しかしながら選挙結果は労働党にとって壊滅的ともいえる後退となったものの、党がなくなったりコービンの進めてきた運動がなくなるという予想は誤っている。2017年にはコービンは得票率の上昇という点で戦後最高を記録した。この選挙でコービンは、2015年のエド・ミリバンド、2010年のゴードン・ブラウン、そして1987年のニール・キノックや1983年のマイケル・フット時代の誰よりも高い得票率を獲得しており、まるでさらに次のステップがあるかのようであった。おそらく、コービンの党首の時代が達成したもので、後に与える影響が最も大きい点は、労働党を大衆を党員とする組織に変革したことだろう。30年前、保守党は労働党に比べその党員の数で4倍の規模であった。コービンのもとでその比率は完全に逆転した。英国労働党は、西欧における中道左派の政党として今や最大となっている。

 この選挙は、10年前には考えもつかなかった力を働かせ、政治変革の可能性を想起させ、何万人もの活動家を活気づかせた。しかし、このように敵意に満ちた政治とメディア環境にあっては、コービンの統率によって勝利を得るためには奇跡を必要としていた。奇跡はやってこなかった。しかし何百万の労働党の活動家や支援者にとっての闘いは続いて行く。



(ル・モンド・ディプロマティーク 英語版2020年1月号より)