コロナが暴く医療界の新自由主義 

ポストコロナ社会と病院 



アンドレ・グリマルディ(André Grimaldi)

ピティエ=サルペトリエール大学病院名誉教授

フレデリック・ピエル(Frédéric Pierru)

社会学者

フランス国立科学研究センター(CNRS)とリール第2大学による共同研究ユニット、

行政政治社会研究センター(CERAPS)研究員


著書に共同監修したSanté urgence(Odile Jacob、近刊)がある。

訳:内藤朝樹


 入院期間の短縮やべッド数の削減など新自由主義的な医療を続けてきたフランス。新型コロナウイルスはフランスの商業化した医療のあり方を暴き出した。あるべき医療の未来のためには社会保障創設期の理念へ回帰し、人間本位かつ公共的な医療政策にする必要がある。[日本語版編集部]

(仏語版2020年4月号より)


Dhruvi Acharya. – « Ashes »(灰), 2016

© Dhruvi Acharya - www.dhruvi.com

 「今は戦争のさなかにいる」。2020年3月16日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、仰々しい演説で6回もその台詞を繰り返した。一体、何に対する戦争だろうか? それは重症化せず命を奪われない人にとっては軽症で済むウイルスに対してである。しかし、このウイルスは感染力がとりわけ強いため、ワクチンがない状況下では、高齢者や持病のある人だけに限らず多くの人を死に至らす可能性がある。そのため、政府のメッセージがあれこれ変わっているのである。

 実際、この数週間のうちに私たちは「高リスク」といわれる人を保護することを目的に国民を安心させるメッセージから、一刻も早い安全な場所への退避を各人に命じる総動員令までを経験した。矛盾が極まったのは、1回目の統一地方選の前日だ。エドゥアール・フィリップ首相がレストランやバーをすぐさま閉鎖するよう求める一方で、国民に対しては翌日に投票所へ足を運ぶように呼びかけたからだ。マクロン氏の「右も左も同時に」という政治手法も混乱を極めた。その結果、有権者の多数が政府のお墨付きで大手を振って棄権した。[パリ市長選出馬のため]保健大臣の職を辞して臨んだものの、パリ市長選挙第1回投票の結果[現職のイダルゴ市長に大きく水をあけられた]を悔いていたアニエス・ビュザン氏の言葉を借りれば「茶番」はこうして幕を閉じた。以後、「軍の総司令官」であるマクロン大統領は、この分野の専門家たちの出す答申とやらを隠れみのにして守りに入り、命令を守らないフランス国民を軽率だと暗に批判している。大統領の仰々しく、気取っていて、芝居がかった演説の非現実的な印象というのはここに由来する。

 さらに深刻なのは、この戦争というのは、クラウゼヴィッツの慣用の表現を用れば「他の手段でもってする政治の継続」ではないはずだろう。この戦争は急激な変化を強いるものなのだ。実際に、この伝染病は、1970年代後半から継続する新自由主義的な政策の危険ほどの無能さを暴きだした。加えてマクロン氏が、サラリーマンを個人事業主に仕立て、そして公的サービスの利用者を顧客とみなして、その新自由主義政策を推し進めてきたことをも明らかにした。経済大臣で後の大統領候補のマクロン氏は当時、ますます多くの「フランスの若者が億万長者になりたい(1)」と思うようになることを望み、また彼は「もう自分を雇ってくれる人を探すのはやめにして、お客さんを探そう(2)」と説いていた。

 2004年の公立病院へ医療財源を供給するための「治療実績に応じた報酬制度」(T2A)の導入以降、この金もうけ主義の考え方は、次々と実行されている医療政策の指針となっている(3)。それはつまり、公立病院と民間の商業的なクリニックを、行政が管理する擬似的な市場で競合させるということだ。各医療機関の目的は、医療のニーズに応えるということではもはやなく、経費を減らす一方で利益の上がる診療を増やしてマーケットシェアを獲得するということなのだ。

 したがって、病院の収支のバランスを取るためには、入院を増やすのと同時に、入院期間の短縮や病床数の削減(10年間で7万床)を行う必要がある。加えて、給料の据え置き、人員の削減、それに常にギリギリの人手で現場を回すことで、賃金総額を抑える必要もある。このイデオロギー的発想は、公立病院を単なるライン作業あるいは空港のプラットフォームのようにしようとする発想である。これは民間のクリニックが優先して行うペースメーカーや血管内のステントの植込み、透析、大腸内視鏡検査あるいは日帰り手術といったあらかじめ手順が決まっていて標準化されるまでに至った医療技術の発展を理由に正当化しようとする。

 呆れるしかないが、このイデオロギーでは、地方や町での医師不足が進んだ結果である救急外来への患者の殺到や慢性疾患の増加の双方に対して、無関心なままでいる。そして今回もここ数年間に何度も危機の兆候があったにもかかわらずに感染症の流行の繰り返しに対する備えをしていない。

無責任な判断の末路 

 2008年以来、公的な財政上の制約の多くが公立病院に負わされている。10年で80億ユーロが削減され、2020年度はさらに6億ユーロの削減が求められている。2019年秋の細気管支炎を引き起こす感染症の危機の時には、小児救急医は病床とスタッフの不足でパリの住居から200キロ以上離れたところへ乳幼児たちを転送しなければならなかったが、これらは大惨事を予告するものだった。けれども、それによって自身の公的医療財政の見方に固執する政策責任者たちが動揺することはまったくなかったのだ。

 しかしながら、新型コロナウイルス感染症によって病院間協議会(Collectif inter-hôpitaux, CIH)の主張が正しいとされると同時に、病院に課された財政的なくびき、T2Aによる支払い方式、それに公立病院への企業経営手法の導入などの新自由主義的な信条があっという間に評価を失うのは必然だった。マクロン大統領は、医療というのは市場と距離を置かないといけないと突然気がついたようだった。マクロン氏の演説では「社会の指導層にある成功者たち[訳注1]」に代わって、ここ数か月、財政的な苦境に終止符を打つよう訴えている「白衣の英雄たち」に盛んに言及している。

 とは言え、為政者にとって医師以外の医療従事者の給料の引き上げを宣明するというのは論外だ。一方で、看護師の給料について言えば、経済協力開発機構(OECD)が調査した32カ国中でフランスは28位である(4)。防護マスクが不足する「白衣の英雄たち」のために、ジェラルド・ダルマナン行動・公会計大臣氏は「時間外労働については支払われるだろう」と約束し満足しきっていた。彼はなんと気前が良いのだろうか!

 彼のこのお粗末さから懸念されるのは、今回の新型コロナウイルス感染症の大流行の教訓に学ばない人たちがいるということだ。彼らは国民の健康に関して短期的な利益を優先してきた。薬の有効成分をヨーロッパでもう製造しないことを受け入れ、ジェネリック薬品や必要不可欠な医療機器を生産する非営利の製薬会社の設立を議論の俎上にあげることすらしてこなかった。また、彼らはマスクやアルコールジェルを求めに応じて供給する能力がないことを露呈した。そして、何年もの間公立病院の解体を実行して、社会保障費の聖域化に終止符を打ち(5)、そこから今年は25億ユーロを拠出した。それは「黄色いベスト」運動を受けて決定された、社会保険料の免除と社会保障目的の一般社会拠出金(CSG)の減額分を補填するためだった。

 したがって、こうした無責任な諸々の意思決定の功罪を総括して、医療や社会環境にかかる政策を国民に開かれた議論の中心に置く必要がある。実際、医療システムは末端にあるため、医療の地理的かつ社会的な不平等を拡大する財政や経済政策が公衆衛生にもたらす影響を引き受けなくてはならない。最も恵まれた人々とそうでない最も貧しい人々の間には13歳の寿命の差がある(6)。ウイルスは犠牲者を選ばないが、経済的、社会的、そして公衆衛生上の危機は最も貧しい人を襲うのだ。

 「コロナ後」の社会はコロナ以前には戻ることはないだろうと大統領は私たちに約束した。未来はもっと良いものになるだろうと願っているけれども、それはさらに悪くなるかもしれない。経済的に自由主義的である一方で、政治的にはさらに権威主義的になるかもしれないということだ。医療政策はそのひとつの試金石になる。商業的な医療か、それとも公共的な医療か?

 これからの公立病院は高度にテクノロジー化するだろう。しかし、医療面、社会面での拠り所となる立場は維持する必要があるだろうし、どんな患者をも受け入れる役割を維持したうえで科学的なイノベーションが実現されなければならないだろう。だから、公立病院の財政というのは、医療関係者と医療利用者の代表を通じて伝えられるニーズに応じて変化する全体の予算によって大部分が確保されることになろう。それゆえ、経済・財務省が電卓をたたいて決めるのではないのだ。医療スタッフと患者は、病院施設の「ガバナンス」に参画すべきである。各々の病院施設ごとに収益性を模索する代わりに、「社会みんなのために最低限の費用で患者にとって最適な治療を」という決まりが適用されることになるだろう。

 専門スタッフのいる病床を必要なところに増やすべきなのは言うまでもないことだ。つまり、一旦救急センターに運ばれた後、長いことそこで待たされるのを解消するために必要であり、助けを必要とする人々を自宅でケアすることが医学的にも社会的にも難しい急性期治療の現場においても必要なのだ。フランスの病院の管理者は「外来へのシフト」を推進するために、病床を30パーセント削減することに執着している。ドイツでは、病床数がフランスの1.5倍であり、住民1人あたりの人工呼吸器の数も2倍である。

 市中医療も病院医療も、医療の質は、十分な人数の専門的で安定した人材の医師や医療スタッフからなる医療チーム次第のところがある。それは専門職間の構造的な連携ということである。つまり、かかりつけの病院(保険診療を行うセクター1の総合診療医や病院所属でない自営の開業看護師)、専門医・専門看護師や病院勤務者、あるいはリハビリ施設の医療スタッフ、さらには、社会医学分野では要介護高齢者居住施設(Ehpad)などの介護のスタッフの連携である。それにはまた、「エキスパート・ペイシェント」の医療チームへの参加が求められている。エキスパート・ペイシェントとは病を経験したり、病を抱えたほかの人のサポートができたりと、病の知識を積み重ねている慢性疾患者のことである。およそこの医療の質に関しては、とりわけ同僚の医療従事者や患者によって評価されるべきなのだ。しかし、人間よりも指標ばかりを重視することに繋がる「質に応じた支払い方式」というアングロ・サクソンモデルと縁を切らない限り、この医療の質は実現できない。

 地域医療のサービスを構築することは欠かせない。それは他方で、地域での医療を希望する医師にとっては、給与制を選択できる余地や、特に超過料金のあるセクター2を選択する自由診療の医師が国内で自由に開業することへの規制の余地を残した上でだ。概して、総合診療医の報酬の再評価を通じて、保険医と呼ばれるセクター1を段階的に切り崩してきたこれまでの意思決定を見直す政治的決断が必要だろう。社会保障、つまり医療支出の社会負担というのは、実際には「客を抱え込んで」報酬を決定する自由とは相容れないものなのだ。

 職業経験認定制度(VAE)に基づく「高度実践看護師」と呼ばれる看護の職種がこれから広まっていくだろう。また、開業医も勤務医もこの職種を選んだ人は社会的地位とそれに見合う報酬を享受するべきである。医師とチームで仕事をするこれらの臨床看護師は一定数の患者を看護でき、手当てを施すこともできるだろう。

社会保障理念への回帰を 

 フランスは国内総生産に占める医療費支出の割合が世界第3位であると鼻にかけている。しかし、人口比ではそれは12番目に落ちる(7)。OECDによれば、2018年時点の1人あたりの医療費の支出は、ドイツが5847ドル(5200ユーロ)でフランスが4931ドル(4300ユーロ)となっている。比較可能な他のヨーロッパ諸国と比較すると、フランスの医療費支出の仕組みは以下のような特徴がある。まず、予防医療のウエイトが低いことがある。また、国民皆保険制度にもかかわらず社会的・地理的に医療面での不平等が大きい。そして、病院勤務者(民間セクター以外)またはかかりつけ医の報酬が低いことが医療行為の増加に拍車をかけている。したがって、病院勤務者の給与をOECDの平均レベルにまで引き上げる必要があるだろう。つまり、医師以外の医療従事者のために医療関係の団体や労組が真っ当に主張する月額300ユーロよりも多くの賃上げを行うことである。かかりつけ医に対して診療行為ごとの報酬制度(一回の診察につき25ユーロ)の代替策を提示する必要もあるだろう。現行制度では、診察時間を短くして回数を増やすことに繋がり、その結果、診察の予約が一杯になってしまう。

 要するに、適切な診療と処方の改善に向けて真なる医療政策を打ち立てるためには、関係する全ての関係者の参画が前提となる。それは高等保健機構や社会保障制度と連携して、医学会から、教員、医師組合や医療従事者組合、それに患者団体に至る関係者である。

 このようにすれば疾病やケア中心のシステムから、個人的または集団的な予防医療を含む形の人間中心の医療システムに最終的に移行していけるだろう。というのも、人々の健康状態は例えば住居、教育、社会との繋がり、自然環境の質などの社会的決定要因に左右されるからだ。また、そういった医療システムは生物医学的かつ社会心理学的両面で全体的にとらえることを意味する。したがって、患者は自分勝手に欲しい医療を物色する消費者でもなければ、医療従事者も自分の好きなように医療行為を施すサービス業者ではなくなる。患者も医療従事者も予防医療や治療にかかる費用は100パーセント制度側が責任を持つという連帯的なシステムの当事者になる必要があるだろう。とは言え、民主主義的な議論の後にその限度は決められなければならないだろう。

 そうとは言え、医療を金もうけの論理から脱け出させるとともに、国営化も民営化もする必要なく「共有財産」として扱うよう舵取りするためには、「幸せな日々[訳注2]」の精神に回帰しなければいけない。そのような考えを受けて1958年になるが、当時は、社会保障の創設に加え、治療、研究、それに医学教育が有機的に統合された大学病院(CHU)の創立によって病院が生物医学の近代化へ足を踏み入れることになる1958年の一大病院改革が成されたのだった(8)

 医療制度というのは社会政治的に危機的な局面によってしか大胆な改革を経験できないことを歴史は証明している。フランスの場合、それはフランス革命、第二次世界大戦の終戦、アルジェリア危機、第5共和制の到来、そして1968年のパリ5月革命だ。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)はこのような変革の機会を与える可能性がある。さしあたって、ピティエ=サルペトリエール(パリ)大学病院のフランソワ・サラカス神経科医が去る2月27日に大統領に向けた以下のような言葉を繰り返すしかない。「大統領殿、あなたは私たちに頼ることができます。私たちがあなたに頼ることができるかどうかは分かりません」


  • (1) Les Échos, Paris, 6 janvier 2015.

  • (2) L’Obs, Paris, 12 janvier 2016. 

  • (3) Lire « Hôpital entreprise contre hôpital public », Le Monde diplomatique, septembre 2006, および「 『未来の病院』の悪夢 」ル・モンド・ディプロマティーク日本語版2019年11月号

  • (4) « Panorama de la santé », OCDE, Paris, 2019.

  • (5) 1994年のヴェイユ法は社会保険における保険金拠出の免除につき減損分をまとめて返金するよう規定した。マクロン大統領は2019年よりこれを適用していない。 

  • (6) Nathalie Blanpain, « L’espérance de vie par niveau de vie» (PDF), série des documents de travail de la Direction des statistiques démographiques et sociales, n° F1801, Paris, février 2018.

  • (7) « Statistiques de l’OCDE sur la santé 2019 ». 

  • (8) Cf. Pierre-André Juven, Frédéric Pierru et Fanny Vincent,La Casse du siècle. À propos des réformes de l’hôpital public, Raisons d’agir, Paris 2019 (accessible gratuitement sur le site de l’éditeur, en soutien aux personnels du service public hospitalier).


  • [訳注1] 原文は「ザイル・パーティー」(les premiers de cordée)。クライミング用ロープ(ザイル)で繋がれた登攀(とうはん)チームのこと。ここでは政治家や企業のトップなど社会を率いるリーダー達を意味する言葉として使用されている。マクロン大統領が就任当初から好んで使う言葉で、社会を引率する成功者や才能のある人々の比喩として随所で語っているが、同時に金持ち優遇を推進する象徴的な言葉として批判的な受け止めもされている。(Huffpost, En défendant les "premiers de cordée", Macron a offert un nouvel angle d'attaque à ses adversaires, 2017年10月16日付参照)

  • [訳注2] 1943年5月に対独レジスタンス運動の一環で組織された「全国抵抗評議会」(Conseil national de la résistance,CNR)が採用した綱領のタイトル。マクロン大統領も演説で言及している。(RTL, à quoi Macron fait-il référence lorsqu'il évoque "les jours heureux" ?, 2020年4月15日付参照)


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年4月号より)