根強く残る植民地主義

イスラエル・パレスチナ問題 戦争に繋がる「和平」案


アラン・グレシュ(Alain Gresh)

オンラインメディア“Orient XXI"編集長


訳:大津乃子


 2020年1月、トランプ米大統領は「世紀の合意」と自賛する中東和平案を発表した。しかしそれは同大統領の娘婿でユダヤ人のクシュナー上級顧問が中心となり、パレスチナ側の主張を一切考慮せずに作成したもので、パレスチナの人々には到底受け入れられない内容だ。こうした手法は、かつてイギリスやフランスが自国の国益のためにアジアやアフリカを分割した植民地主義を彷彿とさせる。トランプ米大統領の和平案は平和をもたらすどころか、新たな戦争の火種を作りかねないものだ。[日本語版編集部]

(仏語版2020年3月号より)

©ル・モンド・ディプロマティーク日本語版


 2020年1月28日、ホワイトハウスではイスラエルの べンヤミン・ネタニヤフ首相が演壇でただ1人米国の大統領の隣に立ち、その言葉にじっと耳を澄ましながら満足そうな表情を浮かべていた。ドナルド・トランプ氏は自分を支持する人々の前で、ついに「世紀の合意」(1)を発表した。演壇の周りに集まっていた支持者は、聖書やユダヤ教の聖地そしてイスラエルの存在が体現する奇跡を思い起こさせる神秘的な熱情を分かち合う、超国家主義あるいは敬虔なユダヤ教徒、そして有頂天になっているキリスト教福音派たちだ。この2つの国家は完全に調和している。トランプ大統領が和平案の立案者の1人であるデイヴィッド・フリードマン氏に「大使閣下」と言いながら挨拶をした時、それが駐イスラエル米国大使を指していたのか、駐米イスラエル大使を指していたのかよくわからなかったほどだ。

 この会見の間、パレスチナ人の問題が多く話題に上った。何といっても、それは彼らの将来や土地に関することでもあるのだ。しかし、その場にパレスチナ人の代表は1人も出席していなかっただけではなく、この和平案は彼ら抜きで練られたものだった。同和平案を作成したのはアメリカ人──全員筋金入りのシオニスト──とイスラエル人だ。ヨルダン川西岸の3分の1をイスラエルに帰属させることが示すように、彼らはパレスチナ人の要求をよく言ったとしても無視し、悪く言えば侮っている。こうした厳かで盛大な会合は、我々に過ぎ去った時代を思い出させる。スーツを着てシルクハットをかぶった西側諸国の外交官たちが、住民に発言権を与えないまま、会食の終わりに中近東を分割した時代だ。

 それは1917年11月2日のことだった。大英帝国の外務大臣だったアーサー・ジェイムズ・バルフォアは、「英国政府はユダヤ人の民族的郷土を(パレスチナの地に樹立することを)好意を持って見る」と宣言する書簡に署名をしてパレスチナを譲渡した。あまり言及されないが、このシオニズム運動への約束の2点目には「パレスチナに居住する非ユダヤ人たちの市民権や宗教に関する権利(……)を侵害しうることは、何もなされないと了解している」とある。この項目があるにもかかわらず、彼らの90%は政治的権利も国民としての権利も奪われている。今も昔も、彼らの意見が求められたことはないし、彼らのナショナル・アイデンティティーが認知されたこともない。こうしたものの見方には名前がある。植民地主義だ。

 1917年当時、植民地主義的なものの見方は標準的だった。大英帝国とフランス帝国は、自分たちは永遠に存在し、アジアやアフリカの「下等な」人々の運命を決める明白な権利の受託者だと自認することができた。1世紀が経ち、植民地制度は崩壊し、ジュール・フェリーが主張した「文明化の使命」、あるいはラドヤード・キップリングの詩が称揚した「白人の責務」を懐かしんでいるのは懐古趣味の人たちだけだ。

 しかしながら、1月28日にトランプ大統領が提案した「ビジョン」の各段落からは、これと同じ考え方がにじみ出ている。もちろん同大統領は、我々がもはや植民地主義の時代を生きていないことを無視できないので、和平案はバランスが取れているものだと主張する。なぜなら、そこにはパレスチナ人が自分たちの国家を持つ権利が含まれているからだ。しかし、新しさは何もない。というのも、ジョージ・W・ブッシュ大統領が既にこの権利を2002年6月25日(2)に認めていたのだ。そして、ネタニヤフ氏自身が、2009年の演説(3)においてその考えを容認していた。彼は概要を定め、それはトランプ氏の案にも採用された。しかし、そこにあるのはその面積や区割り(地図を参照)がどんなものであれ、パレスチナの将来の国家には、主権をはじめとした国家に結び付く属性が何もないというものだった。

 自分を正当化するために、起案者たちは図らずも滑稽な説明をする。「国家主権とは自由に造形できる(amorphous)もので、時間が経つにつれて変化した。国家間の相互依存が増す中、各国は自国にとって不可欠な要素を確固たるものとする合意を形成することで、他の国々との付き合い方を決めるのだ」。理屈に合わない主張だ。2つの国家が、自国の国益のみを考慮して行動すると主張するからこうなっているのに!

 非武装化されたパレスチナ国家は、国境も領空も領海も一切管理できないだろう。「パレスチナ自治区の連続性」を確保するとみなされる、さまざまな飛び地をつなぐトンネルや橋さえ、イスラエルの監視下に置かれることになる。パレスチナ人たちのどんな些細な決定も「イスラエルの安全保障」に左右されるだろう。

 イスラエルは、1967年6月の第三次中東戦争の後に占領した領土の大部分──例外なくすべての入植地とヨルダン渓谷──の併合を米国に認められていると考えており、パレスチナ国家はヨルダン川西岸の3分の2を占めるに過ぎなくなる。しかしながら「トランプ氏のビジョン」においては、それは既にとてつもない譲歩なのかもしれない。「自衛戦争で獲得した領土からの撤退は、歴史的に稀なことだ。イスラエルが1967年に獲得した領土の少なくとも88%から既に撤退していることを認識すべきである。この和平案は、イスラエルによる相当大きな領土──それは同国が法的に、そして正当な歴史に基づいて自分たちのものだと主張し、またユダヤ人の先祖の祖国の一部だった──の譲渡を想定したものだ」。トランプ氏とネタニヤフ氏の世界では、泥棒があなたから300ユーロを盗み、そのうち200ユーロを返すと約束すれば、自身の精神の偉大さを示していることになるのだろう。

 なぜならこの未来のバンツースタン[訳注1](やっと4年後に、イスラエルが承認すれば国家として認められる)においてさえ、パレスチナ人たちは彼らの主人たちの要求に服従しなければならないからだ。たった1つの例で、この和平案における隷属の力学を要約できる。1967年の占領以来、パレスチナ人は自由に自分の家を建設できない。多数の住宅が、様々な口実のもとにイスラエル軍によって破壊されてきた。将来の「国家」において、パレスチナ当局は建設許可を出すことはできるだろうが、「エルサレムとアル=クドゥス(4)との国境を含んだイスラエルとパレスチナ国家の国境に隣接する地区にある住居は、イスラエルにとって最優先の安全保障に関する責任の対象となるだろう」。ところが地図を見れば、「イスラエルに隣接」しない地区など存在しないだろうことがわかるのだ。

 これらの制限は、もちろん、「安全保障」──和平案の中で167回、つまり平均して1ページに2回繰り返される言葉である──の名のもとに行われる。しかしそれは中近東地域で最も強力な武器を持ち、核兵器を保有し、その空軍にはレバノン、シリア、現在ではイラク、そしてもちろんガザ地区を空爆する能力があるイスラエルの安全保障しか意味しない。2019年に133人のパレスチナ人が殺害され、そのうち28人が未成年だった(5)のに対して、殺害されたイスラエル人は10人で未成年者は1人だった。(6)それなのに、トランプ氏の文書はこう説明する。「イスラエルに安全保障の分野で妥協を求めるのは非現実的である。イスラエル市民の生命を危険にさらす可能性があるからだ」。

 歴史の書き換えというべきか、和平案は「そのうちのいくつかは存続に関わる性質を持った、イスラエルによる自衛戦争」にしか言及していない。自衛などと言えるのだろうか。1956年のエジプトへの一方的な侵攻を? イスラエルが「先制攻撃」をしたために、当時のド・ゴール将軍に糾弾された1967年の第三次中東戦争を? 1982年のレバノン侵攻を?

 「征服された者に災いあれ!(Vae victis !)」という表現で、「トランプ氏のビジョン」を要約できる。パレスチナ人の政治犯は殺人を犯した場合、もしくはただ殺人を企てただけで、平和が訪れた後でも釈放されないだろう。難民たちは自分の家に帰ることはできず、補償もされないし、イスラエルの承認がなければパレスチナ国家に引っ越して定住することはできないはずだ。パレスチナの指導者はまた、ヘイトスピーチをやめさせるために、パレスチナ人を「しつける」必要があるだろう(イスラエルでは当然ヘイトスピーチなどは存在しない)。

 結局、パレスチナ人はイスラエルを「ユダヤ人の国民国家」と認めなければならないだろう。それに伴い、シオニストによる歴史認識と、パレスチナ人は聖書に書かれているこの土地への侵入者であるという考え──ユダヤ人国家における二流市民であり、およそ200万人の「1948年のパレスチナ人[訳注2]」、通称「イスラエルのアラブ系市民」の立場を弱くする──を承認しなければならないだろう。そのうえ、領土の交換は、彼らのうち40万人を国境の外に追いやり、イスラエルで大きくなっている「民族的純粋性」の夢を確固たるものにする(7)

 「これを和平案と呼ぶことなかれ」というタイトルで反響を呼んでいる記事の中で、オスロ合意の時にイスラエル側の交渉役だったダニエル・レヴィ氏はこう書いている。「降伏文書と和平案には違いがある。しかし、降伏文書の条件であっても、敗者側の自尊心を形だけでも保つやり方で作成されれば、この和平案よりはもっと永続する可能性が大きいだろう」。米国が提案する「ビジョン」は「憎悪の案」であると彼は結論付ける(8)

 現代史において、歴代の米国大統領はしばしば「和平案」──1982年のロナルド・レーガンのものから、1991年のジョージ・H・ブッシュのものまで──を提案してきた。トランプ氏は初めて、国際連合で採択された文書、とりわけ1967年に採択された国連安保理決議242号を明白に拒否した。同決議は「武力による領土獲得を容認しないこと」を宣言している。恐らくこの和平案がトランプ氏の大統領任期の後も存続することはないだろう。しかし、それはエルサレムをイスラエルの「分割することのできない永遠の首都」とする認識を有効(将来の大統領はこの決定を容易には廃止できないだろう)とするうえに、2020年11月の米国での大統領選挙の前にも米・イスラエル合同委員会を設立するように強く勧めている。同委員会は、米国の支持を得て、イスラエルが併合できる領土の詳細な国境を規定することになるだろう。

 こうした文脈において、パレスチナ人にできることは何だろうか? 彼らは確かにアラブ連盟、イスラム協力機構、そしてアフリカ連合から和平案に対する全会一致の拒否を得ることができた。モロッコで数万人がデモ行進をして和平案を嘲笑したように、多くの人々が不満を示した。しかし、米国に対して公然と立ち上がったアラブの国はほとんどなかった。そしていくつかの国々、とりわけ湾岸諸国では、大使が和平案の発表の場に参加したことが示しているように、和平案を支持したがっているようだ。フランスを含む西洋諸国の政府は、米国から示された意向に従って「トランプ大統領の努力を歓迎」した……和平案の文書を確かめもせずに(9)。そしてパレスチナ人は国連で十分な支持を得られず、安全保障理事会において、和平案を非難するためではなく、ここ数十年にわたって幾度となく承認された原則を再確認するための決議を採択させることができなかった。

 パレスチナ人の分裂と、二大勢力──ラマッラにはパレスチナ自治政府の本部があり、ガザはハマスに支配されている──に重くのしかかる不人気ぶりが、反論を調整することを難しくしている。イスラエルとの安全保障に関する協力を中断すると脅した後、マフムード・アッバース議長は再び引き下がった。彼はいくつかの外交的な活動に飾られた消極的政策に閉じこもる。パレスチナ側の交渉相手がいないためにこの和平案が立ち消えになることを望みながら。

 というのも、和平案に対する主要な障害になるのは、自分たちの権利と土地に執着し自分たちの敗北を認めない、一致団結したパレスチナ人の姿勢なのだ(10)。パレスチナの歴史的領土の住民の半分はパレスチナ人なので、この抵抗をイスラエルも米国も打ち破ることはできない。

 1989年、米国の歴史家であるデイヴィッド・フロムキンは『平和を破滅させた和平―中東問題の始まり(1914-1922)』(平野 勇夫訳・椋田 直子訳・畑 長年訳、紀伊國屋書店 、2004年)というタイトルの本を出版した(11)。彼はその中で、ヨーロッパの列強が中近東を分割し、パレスチナ人の希望を顧みずにパレスチナをユダヤ人の植民地開発のために引き渡したやり方を分析した。彼は著書にこう書いた。「中近東についてのイギリスの主な幻想──それによると、この地域の人々はイギリスに直接統治されるか、またはその支援を得た統治を望んでいる──は、現実の石壁にぶつかった」。この「幻想」は数百万人の死をもたらした。1世紀が過ぎたが、トランプ氏の「ビジョン」はこれと同じ夢物語であり、同じ結末を予想させるものである。



  • (1) « Peace to prosperity : A vision to improve the lives of the Palestinian and Israeli people » (PDF), Maison Blanche,Washington, DC, janvier 2020.
  • (2) « Full text of George Bush’s speech », The Guardian,Londres, 25 juin 2002.
  • (3) Benyamin Netanyahou, discours au Begin-Sadat Center for Strategic Studies, université Bar-Ilan, Ramat Gan (Tel-Aviv), 14 juin 2009.
  • (4) アル=クドゥス(Al-Qods)はエルサレムのアラビア語での名称。この記事の中では、パレスチナ国家の将来の首都を示す。しかしそれは聖都でも[パレスチナ自治政府が首都とみなしている、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地でもある旧市街を含む]エルサレム東部でもなく、現在のエルサレムの周辺地区とされている。
  • (5) « The year in review : Israeli forces killed 133 Palestinians, 28 of them minors », B’Tselem, Jérusalem, 1er janvier 2020.
  • (6) Israel-Palestine Timeline .
  • (7) Cf. Sylvain Cypel, « En quête du “gène juif” »,Orient XXI, 5 février 2020.
  • (8) Daniel Levy, « Don’t call it a peace plan», The American Prospect, 30 janvier 2020.
  • (9) Georges Malbrunot, « Comment les États-Unis ont demandé à la communauté internationale de soutenir leur plan israélo-palestinien », Le Figaro, Paris, 1er évrier 2020.
  • (10) Lire « La Palestine, toujours recommencée », Le Monde diplomatique, juin 2017.
  • (11) David Fromkin, A Peace to End All Peace : The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Modern Middle East, Henry Holt, New York, 1989.『平和を破滅させた 和平―中東問題の始まり(1914-1922)』(紀伊国屋書店、2004年)

  • 訳注1]アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国政府が行なった領土的隔離政策により、国内の黒人(バンツー語系諸族)に割り当てられた 10の指定居住地域。「バンツー族の国」を意味する。バンツースタンには極めて限定的な自治権しか与えられていなかった。
  • 訳注2]1948年、第一次中東戦争により、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失い難民になった。70年が経った現在、避難先で3世代、4世代目となり、今や難民の数は約500万人に達している。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年3月号より)