ルクセンブルクという実験室 

言語はいかに形成されるか 


フィリップ・デカン(Philippe Descamps)

本紙記者 

グザヴィエ・モンテアール(Xavier Monthéard)

本紙特派員 

訳:福井睦美


 金融やEU関連機関のひしめく小国ルクセンブルクは、ほとんどの国民が3~4カ国語を操る驚くべき多言語国家でもある。もともとドイツ語、フランス語が優勢を占めていたこの国で、これまで家庭内の話し言葉の域に留まっていたレッツェブーエシュ(ルクセンブルク語)の見直し機運が高まっている。[日本語版編集部]

(仏語版2020年1月号より)

Isabelle Mattern — « Rotondes : Explorations culturelles 1/8 », 2016 www.isabellemattern.com

 「シェンゲン」ビザを申請する人々の中で、それがブドウ畑に囲まれたフランスとドイツ国境に接するルクセンブルクの村の名前だと知っている人がいるだろうか? ヨーロッパ内での人の往来の自由に関する最初の条約が調印されたのは1985年、モーゼル川に浮かぶプリンセス・マリー=アストリッド号の船上だった。左岸には記念に移築されたベルリンの壁と、その奥にこの「国境の消去」を記念する「ヨーロッパミュージアム」が建っている。EUの公式言語それぞれに割り当てられた24枚のプレートに刻まれた黄金の伝説は、ルクセンブルクがもう一つの自由往来物、つまり資本から得ている莫大な恩恵には触れていない。今のところ、このプレート群にはルクセンブルクの国語であるLëtzebuergesch[ルクセンブルク語]のものが欠けているが、この言語の最近の台頭は、ルクセンブルク大公国の特異な歴史を明らかにしている。

 ある秋の早朝。シェンゲン村から30km北にある首都では冷たい霧雨の中を数十人の人々が国立言語研究所(INL)に集まっている。数分後には今期最初のルクセンブルク語の授業が始まる。「私はもう5カ国語ができます。これで私の会社にとってもう一言語が加わることになりますね」とスウェーデン人女性が言う。

 ポーランド人男性とロシア人男性はやや自信なさげに地元の人々への「敬意」を口にする。「ルクセンブルクにいるんですから、そこはやはり、ね!」。モロッコ人女性は「この国を出たらなんの役にも立たない」言語を習うのに年間400ユーロも払うのが不満だと言う。例年のように、フランス語とルクセンブルク語がコースの4分の3を占めている。「でも今年は初めてルクセンブルク語コースがフランス語のものより多いんです」と副所長のリュック・シュミッツ氏が説明する。「ウェイティングリストもいっぱいです。教師が足りていません」。INSが発行する証明書類は、最近雇用主から要求されるケースが増えていて、ルクセンブルク国籍の取得にも必要な大事なものだ。2000年以来、住民の10人に1人を上回る6万7千人がこの国に帰化した。

 市の中心部、アルム広場のカフェで、ルクセンブルク翻訳通訳協会のリタ・シュミットさんとクリスティーヌ・シュミットさん(1)に話を聞いたところ、彼女たちはルクセンブルク語の最近の発展を裏付ける話をしてくれた。「例えば子ども用書籍では、少し前まではルクセンブルク語の本はほとんどありませんでした」。商業の分野では「自社製品の取扱説明書を翻訳してほしいという外国企業がどんどん増えています。“ルクセンブルク・ドイツ語”や“ルクセンブルク・フランス語”の翻訳を頼んでくるケースもあります。フランス語のケベック方言のような単なる地域的バリエーションだと思っているんですよ」と2人は笑う。フランスからやってきてヴィル=オート地区[市中心部]を歩き回る旅行者の驚きが彼女たちにわかるだろうか? 看板の文字で一番多いのはフランス語だが、耳にはルクセンブルク語はあたり前として、それ以外にドイツ語、英語、ポルトガル語、イタリア語がひっきりなしに聞こえてくる。ノートルダム大聖堂ではこれらすべての言語でミサが行われているほどだ。人々は、時には一つの文章の中で、時には話し相手によって、一つの言語からもう一つの言語にいとも簡単に言葉を切り替えているようだ。

 国際的なアンケートがこの印象を実証している。ルクセンブルク人の5人に4人以上が3カ国語を話し、5人に3人以上が4カ国語が分かる!(2) 文化活動にもこの多様性が見受けられる。劇場ではフランス語の公演が最も多いが、文学の分野ではルクセンブルク語の本が最も目立っている。メディアに関しては、2大日刊紙「ルクセンブルガー・ヴォルト」と「ターゲブラット」はドイツ語新聞だが、両紙とも数ページをフランス語に割いている。そして発行部数の最も多いのはフランス語の無料紙「レソンシエル」だ。テレビラジオ業界では、ルクセンブルク語番組を放送する歴史ある民間放送局RTLが最も視聴率が高い。同局はインターネットサイトでも、最も読まれているメディアの座を占めるようになっている。

 この、ローヌ県と同じサイズの国[埼玉県とほぼ同面積]の言語的特異性は、フランスとドイツという2つの大国に挟まれたその位置に由来する(本紙1月号の付属記事Francophones ou germanophones? 参照)。またそれは、この国が1970年代に製鉄業から脱却する目的で制定した優遇税制による魅力と活気ある経済によっても説明される。人口61万3千人(3)の半数近くが外国人、首都では70%にのぼる。更に、日々国境を越えてくる勤労者は20万人、うち半数がフランス、残りの半分がそれぞれベルギーとドイツから来ている(4)。合計するとこの国の国富の4分の3以上は外国人が生産していることになる。

住民の6人に1人がポルトガル人 

 「この友好的な協調関係の基になっているのは各言語間の役割分担です」と社会言語学者フェルナンド・フェールンは説明する。「それぞれの言語に役割があるので、もしこの国で十分に社会参加をしたければ、状況によって言語を使い分けることを理解し、それができないといけません。ですが、人々が本当に3つの言語を話していると言ってしまうと語弊がありますね。それぞれの習熟度にはむらがありますから」。各種の調査によると家庭と職場とで対照的な様相が見える。「最も習熟度の高い」言語はルクセンブルク語だが、そう答えるのは住民(越境労働者は調査対象外)の42パーセントにすぎず、フランス語(20%)、ポルトガル語(14%)がそれに続く。ルクセンブルクの住民6人に1人以上がポルトガル人かポルトガル出身者だ。職場では住民の80%が話すフランス語が大多数の主要言語で、ルクセンブルク語の多い行政機関、英語が王者の金融保険業界を除きすべての業種でトップの座を占めている(5)

 ルクセンブルク語が優勢なのは住民の50代以上と、30代以下だ。これまで主に話し言葉として使われてきたこの言語は、ソーシャルネットワークの登場とコミュニケーション手段の増加につれて書き言葉として予想外の拡大がみられている。「ルクセンブルク語が重宝されるようになっている秘密の一つは、インスタントメッセージでは[文法やスペルの]ミスが大目に見られることにあります」とエディットプレス・グループ(ターゲブラット、ル・コティディアン、レソンシエルの出版元)のジャン=ルゥ・ジーヴェック社長が認める。「それが楽だからです。ドイツ語だったらスペルミスは受け入れられないでしょう。フランス語ならもっとダメです」。こうして文体の質が重要視されない「言語2.0」が台頭してきているようだ。

 首都に隣接するシュトラーセン地区で辞書編纂者のアレクサンドル・エッカーはコンピュータのキーボードを叩いている。彼は優しく落ち着いた声で自分の産みだしたオンライン辞書の機能を説明してくれる。「元言語はルクセンブルク語で、ドイツ語、フランス語、英語、ポルトガル語の4カ国語に翻訳できます。ルクセンブルク語による単語の定義は付けていませんが、翻訳先の4カ国語の目標言語には意味を特定する要素が含まれているので解読の助けになります」。隣にいるのは設立されたばかりのルクセンブルク語センター所長、リュック・マーテリング氏だ。彼が2万8千語の収録されたレッツェブーヤー・オンライン・ディクショナリー(LOD)[ルクセンブルク語オンライン辞書]を指し示す。2人は10人程のチームを率いて、2019年11月にアップの予定されていたルクセンブルグ語のスペリング「総覧」のため、ひとつひとつ単語を確認していた。「ここにいい例がありますよ」とマーテリング氏が話し出す。「“plateau”という単語です。原則的にはフランス語と同じように “t”が一つ、そして“e, a, u”と書きます。ですがルクセンブルク語は単語の第一音節が短いんです。その短さを出すためには “t”の子音を2つ重ねなければならないはずです。それから、なぜ“o”ではなくて“e, a, u”とするのか? この単語がルクセンブルク語のスペルにきちんとマッチするには“platto”と書かなければならないはずです。とはいえ、我々がそう決めていいかどうか?」

 15年来改良を重ねてきているこの辞書の編集作業は、ルクセンブルク特有の問題を明るみに出した。スペルの選択によって、ルクセンブルク語をその起源であるドイツ語に近づけるか、あるいは影響を受けたフランス語に近づけることにならないだろうか? その境目を決めるのは難しく、誰かの誇りを傷つけることになりかねない。例えば、“Courage”だったものを“Kuraasch”と書くのはフランス語の書き方に慣れてきた世代の人々に身の毛のよだつ思いをさせる。マーテリング氏もエッカー氏も、時に魔法使いの弟子のようにみなされることがあるのを自覚している。「我々は寛容なアプローチを尊重しています。強制したくはありません。我々は選択に責任を負う立場にいますが、LODに掲載されていなくとも、その単語が存在していないわけではないのです」とマーテリング氏は結論する。

 1975年の省令で初めてスペル(フランス語ではorthographeだが、ルクセンブルクでは普通orthographieと発音するので、そう書く方が自然?)が確定されたが、それをマスターしている人はあまりいない。無料のオンライン・スペルチェッカーで、オフィスソフト用にダウンロードも可能な“Spellchecker.lu”は目立った競合相手もなくこの穴を埋めている。我々が取材したすべての人が重要なメールを書いたり、記事を編集したり、議事録を作成するなどの際にこれを使っていた。このツールを立案したコンピュータエンジニア、ミシェル・ワイマールキルヒ氏は2013年にインターネットサイトの開発会社を立ち上げた。彼は自分がルクセンブルク語表記の標準化に先導的な役割を果たしたことについて驚いてさえいた。「“Spellchecker.lu”は自分で使うために作ったものなんです! 2008年に大学でチャレンジとして始めた趣味が、私の名刺代わりになり、制作実績見本のようになりました」。彼はITツールを使って、アカデミー・フランセーズが何十年もかけたのと同じ量の仕事を数年でやり遂げた……。「自分の作ったサイトが最初の原典になりました。自分でアルゴリズムを書きそれを自動化できたので、とても早く進めることができました」。“Spellchecker.lu”には同じ語源のフランス語とドイツ語、スペルのバリエーションも含めて8万語以上の見出し語が収録されている。LODの3倍もあるのだ! これは貴重な財産であると同時に、意見対立のもとになる可能性もある。だが今はLODと協力すべき時で、ワイマールキルヒ氏は、“Spellchecker.lu”ツールをLODで改訂されたスペルに対応させた。

 1929年以来、デジタル社会の到来までの間、言語に関する主な権威は「RTL ラジオ・レッツェブーエシュ」に他ならなかった。そこはマーテリング氏の2019年7月までの勤務先でもあった。一日に2時間、テレビプログラムも放映しているこの国内最大のメディアは、未来的な建築の金融企業やEUの各種機関、大企業本社などが集まる首都の高台、キルヒベルグの丘に堂々と本社を構えている。この会社はフランスの系列会社と同じグループに属し、ENEXエージェンシー[RTLグループが中心となって設立した世界規模のニュースコンテンツ配信網]を通じて映像をシェアしているが、ルクセンブルクでは国の補助金を含む特別ステータスを享受している。同局のオンラインメディア部長、オリヴィエ・トレイネンは「ルクセンブルク語はまだ若い言語です。映画、マンガ、テレビやラジオの番組など、ルクセンブルク人がマイノリティになりつつあるまさにこの時期に、アイデンティティが確立されつつあります。この言語は政治的な緊張をはらんでいるのです」と巧みに分析する。



 ルクセンブルク語を話す人がこれまでないほど増えている今、この緊張が多くの商店で見られる。例えば、市中心部のあるパン屋では、高齢の客が国境の外から働きに来ている女店員に言いたいことを伝えるのに四苦八苦している。病院や老人ホームの職員など、健康に関わる細かな配慮が求められる場では、この緊張関係はもっと厄介な問題になりうる。しかし、この「国語」の地位向上は何より政治家にとって、有権者の気を言語に関する緊張から逸らせることと、失われた信頼の回復を図る役を務めている、とジーヴェック氏は読み解く。2015年6月の国民投票に際して開催されたアイデンティティに関する公開討論は緊張に包まれた。この国民投票は、在住10年以上の外国人に国政選挙の投票権を与えるかどうか(地方選挙の投票権はすでに与えられていた)を問うものだった。「この提案は主に経済界から出されたものでした」と彼は付け足す。「民間セクターに就労しているルクセンブルク人はほとんどいません(6)。企業経営者はだんだん自分たちの意見が国政の場に届かなくなっている、と感じています。というのも、選挙民の大部分は公務員で、強力な労働組合を持っているのです。経営者側はそれに我慢できなくなっています。明らかに彼らは、政治的な流れを変えることを狙っていたのです」。国民投票の結果はそんなエリート層に見事な平手打ちを与えた恰好になった。78%が反対票を投じたのだ!

 すべての政党は、2018年10月の国政選挙を前に、最も愛国心の強い国民が「我々の言語(eis Sprooch)」と呼ぶルクセンブルク語を擁護する立場を取った。2013年にそれまでゆるぎなかったキリスト教社会人民党(7)を倒して政権を取った民主党、社会労働党、緑の党の連立政権が、今後20年に渡って「ルクセンブルク語を促進する戦略」を実行する公約を掲げて2018年に再び勝利した。「この国はますます多様化し、多文化になり、家庭でルクセンブルク語を話さなかったり、それが母国語ではない住民が増えています。我々は、この言語がそんな社会において交流を取り持つ役割を果たして欲しいという強い願いを持っています」と国民教育大臣で言語問題を担当するクロード・マイシュ氏は説明する。「人々の移動が頻繁で、非常に開かれた国際的な労働市場を持つルクセンブルクでは、政府の立場も住民の感じ方も変化しました。今では我々はルクセンブルク語をもっと積極的に促進していくべきだと確信しています(8)

 国民議会での議論がルクセンブルク語で行われた(起草されたのはフランス語だったが)2018年7月20日の法律は、ルクセンブルク語担当委員と専門家からなる常設の言語諮問委員会と、中でもLODを使って言語学分野の基準を作成するルクセンブルク語センターの設置を決めた。その「戦略」はまた、2つの主要な制度的手続きを行うとした。ルクセンブルク語を憲法に記載すること、それをEUの公式言語として認定してもらうことだ。マイシュ大臣は2つ目の点についてはただし書きを付けている。「法律言語はフランス語です。EUの法文をルクセンブルク語に翻訳しはじめるなどということはもちろんありません。これはとても象徴的なレベルの問題だと私は考えています。国レベルの言語政策をEUレベルにも適用してもらうことはできるわけです。行政においてはフランス語を用い、時にドイツ語を用いるという一般的なルールはそのままです」

 首都の中心にある憲法広場には、Gëlle Fra[ルクセンブルク語で黄金の女性の意]と呼ばれる記念碑のオベリスクにピンク地に黄色い大文字で、数年にわたるドイツの占領から解放された後、当時の統治者シャルロット大公が1945年に述べた言葉が刻まれている。「政党、階級、宗教の違いを越えて、我々には共通の現実と理想があります。それはルクセンブルクという国です」。しかしそれから75年ののち、マリア・テレサ大公妃(キューバの出身)はそのちょっとした発言によりSNS上で批判を浴びることになった。「ある日、私はフランス語で夢を見ていることに気づいて驚きました。私はこの言語が私を受け入れたことを知ったのです。以来、フランス語は私の心の言語になりました」

 シャルリー・ゴール(9)の国はアイデンティタリアン運動[極右運動]の餌食になってしまうだろうか? ルクセンブルク語担当委員で、教育大臣のアドバイザーを務めたマルク・バーテレミー氏は、国家への帰属感情は命令されて生まれるものではないという。「ひとつの方言が言語になるのはいつでしょう? その答えは、それを話す人々の意識にあり、それがすべてなのです。例えば中国語では、フランス語とイタリア語よりもずっと離れた関係にある言語をどれも方言とみなしています。そうかと思えば、デンマーク語とスウェ―デン語のように非常に近いにもかかわらず別の言語とされているものもたくさんあります。自分の話しているのがひとつの言語だとある時点で決めるのはその話者自身です。それがまさにここで起こったことなのです」

労働契約の条件項目 

 バーテレミー氏によると、ベルギーやスイスなど、複数の言語圏が隣り合っていても、住民は主に自分の言語で生活している国と違い、ルクセンブルクではすべての住民が状況に応じて3つの言語を使い分けるという、同じ地域で複数言語が混在する関係にある。彼は、だからこそルクセンブルク語はもっと「共通言語」としての役割を果たすことができるはずだ、と考える。ドイツの社会言語学者ペーター・ジルとクリストフ・プルシュケは、ルクセンブルクが言語圏が地理的にわかれていない国だということを認める。ルクセンブルク語は機能的に進化している最中で、あちらこちらに他の方言の名残があるものの、その標準化は中央部で使われている言葉を出発点としている。「政治や社会活動の関係者の中には、時おりイデオロギー的な動機で“真の”解決策や“正しい”言葉を見つけた、と言う人がおり、我々は事態を注視しています」とペーター・ギルは説明する。彼の同僚、プルシュケはそれに付け加えて「我々はもっと慎重です。言語習慣がじわじわと国定化されていくのに巻き込まれたくありませんから」。2003年に設立されたばかりのルクセンブルク大学では、卒業論文を含むカリキュラム全体がルクセンブルク語で行われる唯一の課程をこの2人の研究者が受け持っている。「この言語が自分の目の前で形成されていくのを見るのは素晴らしい気持ちです」とベルヴァル地区にあるキャンパスの研究室で2人は感激している。このキャンパスは世界最大級の製鉄所の跡地に建設されたものだ。未来の知識経済が作りあげられる超近代的な建物群の中央には、地元のエシュ=シュル=アルゼット市が象徴として保存した2つの高炉が聳(そび)えている。

 同じように製鉄工業の名残りが散見できる小さな隣町シフランジュは、ブリルの森自然保護区をつくることで美しさを取り戻した。しかし、その境界になっている丘を越えるや否や、国の新しい未来創生基地、生コン工場とガソリンスタンドが立ち並ぶ巨大な工業地帯に入る。地元の庶民層はルクセンブルク語を日常的に使っている一方で、建設業や公共工事部門など、別のグループの庶民層ではこの言語はほぼ存在していないに等しい。

 トラックミキサや大型土木機械が行き交う中に従業員500人のソピノール社がある。設立したのはこの国のポルトガル語雑誌が「ムッシュ・トラム」と名付けた男だ。建設業界は絶好況で、オルランド・ピント氏は彼の事業が成功したのには出身コミュニティーが関係していたと明言する。「2008年、多くの会社が倒産していた時に私たちの会社は発展したんです。うちはポルトガルから来る良い人材を雇って、それで発展したんですよ……。現場の社員はだいたい95%がポルトガル人ですね。他にはモンテネグロ人が1人、イタリア人が2人、フランス人が3~4人です。事務所にはベルギー人が5人とフランス人が3人で、それ以外は技術職にも管理職にもポルトガル人しかいません」。フランスに定住する同胞たちと違い、ルクセンブルクに住むポルトガル人は、特定の業種の職場と家庭内でとても広くポルトガル語を使い続けており、それが学校教育を複雑にしている(「多言語主義、学校教育における頭痛の種」参照)。

 この状況下で、ルクセンブルク語の使用を推進することは外国人の同化のためのパスポートであり、また保護壁のようにも見受けられる。1996年、欧州司法裁判所から労働者の自由な移動を阻害したとの有罪判決をうけたルクセンブルクは、公職のうちルクセンブルク国籍保持者に限定するものを王権由来の職種(警察、司法など)に限らざるを得なくなった。しかし他の多くの職種で、フランス語とドイツ語の筆記試験に加え、ルクセンブルク語会話の試験への合格が採用条件になっている。民間セクターでも、ルクセンブルク語能力を必要とするケースが増えている。最近、高齢者用公共施設のウェイトレスが解雇に異議を申し立てていた裁判で、高等裁判所はこの訴えを却下した。雇用主はこの女性が就職後1年間にルクセンブルク語を十分習得しなかったことをとがめていた。もっとも、彼女は週40時間も働いていたため、語学クラスを受講するのが困難だったのだ(10)

 「我々の業界では、ほぼすべての労働契約書が言語に関する条項を含んでいると言わねばなりません」と労働組合OGBLの医療・社会福祉・教育産業部会の中央書記、ピット・バッハ氏は残念がる。「裁判官は言語の習得に関する義務があると言いました。我々はそれに納得できません。原告は仕事をこなしていたのですから」。言語能力は職業的特技から解雇を正当化する口実に狡猾にすり替えられた。「今は人手不足と、完全3カ国語話者が足りない経済状況にあります」と社会言語学者のフェルナンド・フェールンは結論付ける。「ルクセンブルク語をマスターしている人はとても珍しく、珍しさには価値がある。そこに、この言語の再評価の究極的な理由があるのです」


  • (1) 同姓だが家族ではない。

  • (2) « Europeans and their languages », Eurobaromètr, Commission européenne, Bruxelles, juin 2012.

  • (3) 特に明記のない場合、数字データの出典は2019年1月、国立統計及び経済研究所(Statec)。

  • (4) « Ensemble des actifs professionnels au Luxembourg résidant en France, en Allemagne ou en Belgique », Inspection générale de la sécurité sociale, grand-duché de Luxembourg, 2019.

  • (5) Regards, n° 9 (PDF), Statec, mai 2019. 

  • (6) 2019年3月末時点で、社会保障総合監督庁によると、公務員のうち87%をルクセンブルク人が占めているが、商業では19%、建設業では9.4%のみだ。

  • (7) その中心人物はジャン=クロード・ユンカー氏(1995年1月~2013年12月まで首相、2014年11月~2019年11月まで欧州委員会委員長)

  • (8) インタビューの全文は本紙ウェブサイトに掲載されている。 « “Le luxembourgeois doit jouer le rôle de langue d’intégration” »

  • (9) 「山岳の天使」と呼ばれ、1999年に「20世紀の偉大なルクセンブルク人スポーツ選手」と命名された自転車競技選手。1958年のツール・ド・フランスを制覇している。

  • (10) Arrêt de la cour d’appel du 25 avril 2019, repris dans Infos juridiques, no 5/2019, Chambre des salariés, Luxembourg.


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2020年1月号より)