マクロン大統領のロシアへの接近と「ディープステート」批判

フランス外交の転換?


ジャン・ド・グリニアスティ(Jean de Gliniasty)

元駐露フランス大使、国際関係戦略研究所(IRIS)所長、
著書にGéopolitique de la Russie, Eyrolles, Paris, 2018.


訳:村上好古


 マクロン大統領は、ヨーロッパの存在感が薄れてゆくことに危機感を表明し、就任以来積極的にヨーロッパの再建を目指す外交活動を展開している。最近では、NATOは「脳死状態」にあると語り、アメリカとの関係の見直しの必要性を訴えるとともにロシアとの接近を図るなど、ヨーロッパ政界に波紋を広げている。その行方を探る。[日本語版編集部]

(仏語版2019年12月号より)

Putin's visit to Versailles (2017)

 エマニュエル・マクロン氏は、2017年5月14日に共和国大統領に就くとすぐに、その前任者たちとは違った外交を多方面に活発化させた。シベリアのように冷え切ったフランソワ・オランド氏在任中の仏露関係の後、2017年5月29日、ベルサイユ宮殿の黄金の輝きのもとウラジーミル・プーチン大統領を歓迎した。「世界中と話をする」(1)調停役を担う大国とフランスを位置づけ、マクロン氏は次いで7月14日の革命記念日の祝典の際、アメリカのドナルド・トランプ大統領をパリに熱く迎えた。そして次は中国の国家主席、習近平氏の番で、2019年3月、両国の外交関係樹立55周年を祝うため、フランスの首都での祭典に招いた。

 こうした積極外交の行く手に、しばしば「ド・ゴール=ミッテラン流」(2)と言われるその対外政策からはどんな成果が引き出されることになるのだろうか。アラブ世界との関係では、確かにその継続性が重んじられている。武器輸出の大顧客である湾岸諸国とは良好な関係を、パレスチナ問題では慎重を保ち、シリアの体制に近よることなく「イスラム国」(IS)と闘う。2012年以来閉鎖されているダマスカスのフランス大使館の門は閉じられたままだ。しかし、危機への対処という点では、独自の分析を行うことに努め、何より、それに応じて行動する。すなわちイランの核合意維持に向けてイニシアティブをとり、気候変動問題に関するパリ合意を守るのに力を尽くし、多国間主義を擁護し、G5サヘル(越境)合同軍[マリ、モーリタニア、ニジェール、ブルキナファソ、チャド]を組成し(3)、国連から任ぜられてカリファ・ハフタル将軍とリビアのファーイズ・シラ-ジュ国民統一政府首相の仲介を試みた、等々。

 さらに、いくつかの発意によりロシアとヨーロッパの関係に新たな風が吹くのを期待させた。2018年5月、フランスとロシア両国の大統領はサンクトペテルブルグで、シリアでの戦争の解決を目指して、アスタナグループ(トルコ、ロシア、イラン)[アスタナは、カザフスタンの首都ヌルスルタンの旧名]と、西欧の同盟諸国の支持を受けバシャール・アル・アサド氏に反対するアラブ諸国(スモールグループ)[訳注1]との間の橋渡しを行った。フランス政府はまた「凍った紛争」(ナゴルノ・カラバフ、南オセチア、アブハジア、トランスニストリア)[訳注2]の解決を企図し、10年前に当時ロシア大統領であったドミトリ・メドヴェージェフ氏が作成した条約案に沿ったヨーロッパの安全保障についての新たな枠組みを2018年8月末に提案した。

 ただアメリカは、穏やかな説得を受け入れるような状況にはなかった。トランプ氏は露骨な力関係の方を好んだ。アメリカの優位に従わせられそうもない多国間主義の制約すべてから離脱することを望み、イランや気候変動問題へのフランスの意見にほとんど耳を貸さなかった。この状況は第一次世界大戦後アメリカが、多国間主義の秩序を斥けるとともに、ウッドロウ・ウィルソン大統領の「14か条の平和原則」を掲げ国際連盟を自ら創設しながらこれに参加しなかった時のことを彷彿とさせる。

ワシントンに同調するヨーロッパ諸国

 2017年9月26日にソルボンヌ大学での演説で述べられた「ヨーロッパの再建」について言えば、それが容易でないことが明らかになっている。北欧諸国は、経済運営が不安定であまりにも過大な負債を抱える諸国とさらに経済統合を進めることについてためらいを見せている。一方「日和見的」と言われる国々(アイルランド、バルト諸国、ポーランド、それにオランダも)は、ヨーロッパがもともと自国に有利な市場であり、助成金を得ていることもあって、さらなる協調強化には意欲を見せていない。

 そして大部分のヨーロッパ政府は、アメリカの傘に疑念を抱きながらも、自らの防衛を保障し、外交のリーダーシップをとってもらうという点でアメリカに頼っている。[2019年1月22日に]エクス・ラ・シャペル(ドイツ語ではアーヘン)で、56年前にエリゼ宮でシャルル・ド・ゴールとコンラート・アデナウアーによって署名されて以来となるフランスとドイツの友好協力条約が調印されたが、これによって両国の連携関係が刷新されたとは言い難い。長い歴史の中で初めて意見に亀裂さえ見えている。Brexitに関するイギリスの合意期限の延長についてそうだし、武器輸出、さらにバルト海を通るロシアからのガス輸送用パイプライン、ノルド・ストリーム2に関するものなどだ。マクロン氏が最近エコノミスト誌で語ったいくつかの発言、すなわちNATOを「脳死状態」にあると断じたことや、財政赤字をGDPの3%内に抑えるというEUのルールを「前世紀の議論だ」と評したことも、事態の改善にはつながらないだろう(4)。これらの発言に、メルケル首相はいつになく強硬に反応したのだった。

 明らかに他の署名者すべて(ドイツ、中国、イギリス、ロシア、EU)が一致しているにもかかわらず、イラン核合意の救済は失敗した。アメリカの法律の域外適用(5)と、イランと貿易する者へのアメリカによる制裁に対し、貿易取引支援機関(Instex)と呼ばれるヨーロッパのプログラムは、物々交換による最低限の貿易をも保証するに至らなかった[訳注3]。トタルはこうしてサウス・パース2の巨大ガス田の持ち分を中国に売却することを強いられ[訳注4]、ルノーはPSA(プジョ―・シトロエン・グループ)と同様にイラン市場での支配的な地位を放棄しなければならなかった。

 フランスの姿勢があいまいさを免れない場合があったことにも目を向けておこう。フランス政府の立場は、イラン政府にはミサイル開発を制限する内容の付則について協議を受け入れる義務があったが、それは当初の合意では予定されていなかった。フランスがこれを突然要求したことは、イラン政府にとって、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアに同調したものと当然のように受け止められた。要するにヨーロッパ諸国は、アメリカの制裁で大きな打撃を受けているイランに対し、経済的な見返りなしに協定の核合意部分を遵守し続けるようがむしゃらに求めたのだ。

 フランス外交にとってのもうひとつの課題は、ウクライナでの戦争に終止符を打つために2015年2月12日に結ばれた「ミンスク2」合意である。この合意は、ドイツとフランスが当初の成功に導いたものだが、罠を含んでいた。アメリカとイギリスの承認を得るため、フランスとドイツは実は、この合意の「全面的な履行」が、クリミア併合後、とくにロシアがドンバスでの反乱を支援した後とられていた対露制裁解除の条件となることを了解していた。ただ、その「全面的な履行」はとてもおぼつかないものだった。このことは制裁の継続を望むウクライナに[合意履行に関する]権限を与えるに等しいことだったのだ。フランスは対露制裁で最も損害を受けている国だった。2013年から2017年の間に輸出が3分の1減り、一方ポーランドとイギリスを除くすべての制裁参加国は同じ期間にロシア市場でのシェアを伸ばし、なかでもアメリカの伸び率はそのトップだった(6)

 アメリカ政府が1987年に結ばれた中距離核戦力全廃条約(INF)を破棄したことは、フランソワ・ミッテランが率いたフランス外交の成果を無にするものだった。ミッテランは1983年にソヴィエトのSS-20に対しアメリカのパーシング・ミサイルを配備することを支持し、次いですべての中距離核ミサイルの廃棄に関するロシア、アメリカ間の合意形成に助力し、そしてフランスの抑止力については議論の対象外にするという成果を収めたのだった。アメリカ政府は条約に違反しているのはロシアだとして同国が提案する査察訪問までも拒否したが、その立場をフランス政府は支持し、NATOに同調した。それによって、ヨーロッパが核武装化の道に再び乗り出すことに一役買うことになったのだ。

 マクロン氏がその意中を表明したにもかかわらず、フランス外務省、国防省その他の政治組織の中では、新保守主義的あるいは西欧主義的な分析の影響力が引き続き支配的であった。つまりその分析は、アメリカとの基本的な価値観の近さをもとに組み立てられていた。しかしそれにもましてフランスの大統領は、ほとんど影響力を行使しようもない多くの障害にぶつかった。礼儀だとか国際秩序だとかいうものにほとんど無頓着なあのアメリカ大統領、シリアでは勝ち誇りウクライナでは一向に譲歩しようとしないあのプーチン、国内の政治紛争で動きがとれず、予期せず表に出てこない同盟国ドイツ、それにフランスは、近東では完璧と言っていいほど出る幕がなく、そもそも湾岸諸国に対してはある種の依存関係にあることからこれらに反抗したくてもできないこと、などだ。

 フランスの大統領が今また当初の方針を推進してゆく意欲を見せたのは、おそらくこうした期待を裏切る現状を見てのことだろう。ヨ-ロッパ内では、フランスに向かって窓が開かれている。ドイツは控えめだし、Brexitで身動き取れなくなっているイギリスは先が見えていない。一方イタリアはマッテオ・サルヴィーニ氏の離脱に伴い予想外かつ歓迎すべき政権交代が起こったところであり、マクロン大統領はこれを受けて2019年9月18日にローマを訪問した。アメリカからある意味で見放されたことを認識したヨーロッパは、新たな安全保障の選択を受け入れる用意が今まで以上にできている。ロシアは、経済の不振とアメリカとの関係修復に対する期待への諦めから、EU、したがってフランスに近づこうとしている。そして何より、2019年4月にウォロディミル・ゼレンスキー氏が圧倒的多数でウクライナの大統領に選出されたことは、2年間眠っていた外交のイニシアティブを再起動させる契機になった。ウクライナの新たなリーダーは確かに、ドンバス問題を解決しロシアとの関係を正常化したいと望んでいる。

孤立の危険

 そして今、フランスの大統領は、行政にやる気がないのを見極めた。2019年8月末の大使会議の演説で、「ディ―プステート」[訳注5]の抵抗を取り上げ、それがロシアとの関係再開に反対するかもしれないが、「大統領の専管事項」を大々的に活用すると強調した。実際、対話の促進と、その深化には目を見張るものがある。4月にはジャン=ピエール・シュヴェヌマン特使を通じてプーチン氏に書簡が手渡され、そこには実現に向けて動いている事案に係る行程表が示されていた。ウクライナの映画監督オレグ・センツォフの解放、欧州評議会(CoE)でのロシアの復権、安全保障に関する対話の再開、などだ。次いで6月にはル・アーブルで、エドゥアール・フィリップ首相とロシアのメドヴェージェフ首相との会談が行われ、8月中旬にはブレガンソン[地中海沿岸にある要塞島で大統領別邸がある]にプーチン氏を迎えた。9月中旬には、外相・国防相合同会議(「2+2」と言われる)が開催された。

 この流れの中で、ウクライナ問題の解決は、大統領自らが求める「ヨーロッパにおける新たな信頼と安全保障の構造」を打ち立てるための最優先課題となった。今のところ、フランスはウクライナ政府の立場に同調してきており、疑念を控えめにしか表明していない。ゼレンスキー氏を[ロシアに]妥協していると非難するウクライナ国内、ヨーロッパ、アメリカの徹底抗戦論者の反抗はあるが、より建設的な新たな対話が始まる可能性がある。投獄者の解放、武装勢力の要所からの撤退、「シュタインマイヤー・フォーマット」(7)をウクライナ政府が受け入れること、これらは「ノルマンディー」方式(8)による首脳会談を今や可能にしており[訳注6]、この方式には期待が持てるかもしれない。

 シリアでは、アメリカ軍の撤退とクルド人に対するトルコの2019年10月の攻撃は、ISを一掃するというフランスの関心に聞く耳を持たないNATO加盟国が複数あるということ、またヨーロッパに「戦略的かつ実効性ある自立」が必要であることを、フランスの大統領に自覚させた。イランについては、ハッサン・ロウハニ大統領が2019年9月のニューヨークでの国連総会の際アメリカのトランプ大統領と会談することを拒否したが、フランス大統領は一時的にせよ対話の呼び水になれたのではないだろうか。

 こうした中でエコノミスト誌とのインタビューは、ヨーロッパが政治的にも安全保障面でも、さらに先端技術の面でも取り残されようとしていることに対する警告を発したものであり、また、NATOが脳死状態にあると語りつつ、正気を保つよう求める主張とも聞こえる。しかし何と言っても、彼はリスクを取ることを強調した。孤立化することを恐れず、フランスの大統領は、フランスが再びその指導的地位を担うことになるかもしれないEUのヴィジョンを主張して行く意気込みを表明したのだ。

 この試みでマクロン氏は有利な環境を巧みに利用した。方向性がしっかりと定められ、現実的なヨーロッパ主義と混じり合ったド・ゴール=ミッテラン主義、というそのかじ取りの方法が確認された。しかし真の試練はまだこれからだ。たとえばアメリカから課された[追加]関税にはまだ何の反応も示していないし、NATOは、ヨーロッパでINF交渉を開始しようというプーチン氏からの提案を拒否する点で一致してアメリカと同調している、などのことだ。さらにフランス大統領の意見はいくつも論争にさらされている。フランスで行政集約化の問題とぶつかり、アメリカや他の諸国とも、またエコノミスト誌インタビューに対する冷ややかな反応が示すようなヨーロッパ諸国の反感や、NATOのもとでの西側の団結という制約ともぶつかる。ヨーロッパとフランスが弱体化するリスクの中で、ますます必要とされていると彼が考える外交上の成果を得るための闘いが求められている。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年12月号より)