気候問題を根拠とした介入権の是非

アマゾンの森林は誰のもの?


ルノー・ランベール(Renaud Lambert)

ル・モンド・ディプロマティーク副編集長


訳:村松恭平


 気候変動問題への関心が世界でますます高まる中、アマゾンの森林破壊が特に注視されている。ブラジルのボルソナロ大統領とフランスのマクロン大統領の間の議論の応酬はメディアによって広く報道された。マクロン氏がアマゾンの森林破壊を「世界の問題」であると主張した際には、ブラジル政府は「領土主権への侵害だ」として強く反発した。アマゾンを巡るこうした議論は、今回が初めてではない。[日本語版編集部]

(仏語版2019年10月号より)

George Catlin, entre 1854 et 1869.

 エマニュエル・マクロン仏大統領は、自分こそが、「非自由主義者」といわれている他国の首脳に対抗している重要人物だと積極的に示そうとしている(1)。彼はまずハンガリー首相のオルバーン・ヴィクトル、次にイタリアの「同盟」党首、マッテオ・サルヴィーニと対立した。2019年の年初以降アマゾンの森林を破壊している火災は、恰好の条件を備えた新たなる敵をマクロンに与えた——女性蔑視で同性愛者嫌い、そして地球温暖化に懐疑的な極右のブラジル大統領、ジャイール・ボルソナロだ。サンパウロまでブラジルの空を暗くしていた煙雲と、今やブラジル政府が推し進めている森林伐採政策の間のつながりをサイエンス誌が8月末に明らかにした時(2)、マクロンは「この地域の指導者たちが地球にとって有害な決定をした場合には、アマゾンの森に国際法上の地位(3)」を与えることを提案した。

 アマゾンの森によって守られているすべての人々が立ち上がれば、太古の昔から存在するこの森は伐採から免れるのだろうか? 仏大統領の演説では、世界はジェームズ・キャメロン監督が映画『アバター』(2009年)の中で構想したパンドラ惑星に少し似ている。映画館を魅了した青い肌の先住民族、ナヴィ族の抵抗の地球バージョンをマクロンは具現していた。だが残念ながらマクロンの提案は、この男が仮に青色のボディースーツを身にまとって述べたとしても、ボルソナロに反対する人々を含めたすべてのブラジル人を熱狂させることは難しいだろう。

 一部のブラジル人は、ドイツ人の自然主義者アレクサンダー・フォン・フンボルト(1769年〜1859年)が「ハイラエア」と名付けたこの地域の主権を自分たちの国から奪おうとした数々の計画をまだ忘れてはいない。マクロンの野望は今日、それらの計画を思い起こさせる。

 19世紀、ワシントンDCにあったアメリカ海軍天文台(USNO)の局長を務め、水路測量師・気象学者だったマシュー・フォンテーン・モーリーは、アマゾン地域を植民地化してアメリカ黒人をそこに移住させることによってアメリカの人種問題を解決することを提案した。彼の当初の戦略は、アマゾン川の航行許可を要求することに過ぎなかった。歴史家のルイス・アルベルト・モニス・バンデイラが語るには、「すべての新聞がこのキャンペーンに加わりました。奴隷制支持者も武器製造業者も、商人も海賊も、モーリーが“科学の利益になる商業政策”と主張するものを支持しようと立ち上がりました(4)

 1849年、ワシントンにいたブラジルの代表(大使に相当)が警鐘を鳴らした。アマゾン川の航行を許可すれば「アメリカの商館の設置と大量移住が行われ、それゆえ(アメリカ政府が)テキサスを手中にしたのと同様のやり口が繰り返されるだろう」。ブラジルの新聞(5)が暴露した1853年のモーリーの書簡は、こうした懸念には根拠があったことを裏付けている。「外交ルートを通じて我々の相手の説得を試みよう。なぜなら、平和的に(アマゾンの)航行権を得る事はおそらく可能だからだ」とこの元海軍将校は書いている。その後に彼は方法について明言している——「できれば平和的に。必要ならば武力を用いて」。しかしながら、この計画は失敗に終わった。

 それから約100年後の1948年には、国連教育科学文化機関(UNESCO)が「アマゾンの森国際研究所(IIHA)」を設立した。自然科学分野の研究センターとして当初構想されたIIHAは「アマゾン地域の経済開発を活動の主軸としながら」発展した、とユネスコ所属の研究者マルコム・ハードリーは報告している。この研究所の設立に賛同したブラジル人たちは当時、「アマゾンの“自然保護区域”に国際機関の設置を許可することで、国の安全を危うくしていると批判されていました(6)」。批判者の筆頭には元大統領アルトゥール・ベルナルデスがいた。1950年1月24日、彼は下院の演壇から、アマゾンの森が「各国のコンドミニアム」へと変貌し、ついには「植民地という形でこの地域が分割される(7)」と盛んに脅威を煽った。

 IIHAは閉鎖へと向かったが、別の様々な構想が生まれた。最も突飛なアイデアの一つは、アメリカの保守系シンクタンクであるハドソン研究所から出てきた。1967年、同研究所の所長だった未来学者ハーマン・カーンは、隣国との間の行き来を容易にし、莫大な量のエネルギーの産出を可能にする「[南米]大陸の巨大湖」を作るために、アマゾン川を堰き止めることを提案した。「ばかげている」と地理学者エルヴェ・テリーはその構想を切り捨てた——「数キロメートルに及ぶ堰き止めが必要だろうし、水位の上昇によってアマゾンに住む人々の大部分が水没の被害を受けるだろう(8)」。だがこの提案は、1964年のクーデター以降政権の座にあった軍人たちによって真剣に受け止められ、アマゾンに関する彼らの主張を形成させた——「領土を奪われないためにこの地を統合する」

 したがって独裁政権は、空所とみなされていた場所を占有するための一連の壮大な建設工事に乗り出した。その中で最も象徴的なのは高速道路の建設であり、北東部地域のカベデロからボリビアとの国境に近いラブレアまで、4,000キロメートル以上ものアスファルトの帯を広げようとした。この高速道路は——完全には完成しなかったものの——1972年に開通され、最も貧しい人々に土地を獲得させるという約束がなされた。軍人たちが拒んだ農地改革は行われなかった。「人のいない土地に、土地のない人を」と政府のプロパガンダは当時訴えていた。

 “ブラジルがアマゾン地域を占有する”というこの主張は、政府が取り組んでいたこの国の経済開放をかえって促進した。無限の富の貯蔵地と考えられたアマゾンの広大な森のおかげで、ブラジルに欠けていた資本と先端技術をもたらしてくれる多国籍企業を引き寄せるに違いなかった。

 外国企業の欲望に領土を委ねるために、国の領土主権を確保する。軍人たちのこの構想は、政権を握る際の公約——国の経済発展の促進——のために努力することを口実として、彼らがみずから定めた第一の責任——国の安全を保障すること——を後退させたため、矛盾しているように見られただろう。しかし、冷戦によって地理的な境界がイデオロギー的な境界と結び付けられたことで、この困難は都合よく解消された。研究者のアナ・クリスティーナ・ダ・マッタ・フュルニエルが説明するには、「世界は当時、キリスト教の西側と共産主義の東側に分断されていました。こうした状況のおかげで、軍部は安全保障と経済発展という2つの問題を(前者は西洋諸国と同盟を結ぶことによって、後者は西側からの民間投資を通して)解決できました(9)」。したがって、多国籍企業と契約を結ぶことおよび密林に潜むゲリラを狩り出すことは、ブラジルの主権防衛という同じ一つの野望に集約された。

 1985年、環境および先住民族の権利への関心の高まりが際立った国際的背景の中で、ブラジルは民主制に復帰した。新憲法がそのことを示している。その231条には「先住民に(⋯⋯)彼らが伝統的に住み着いていた土地への本来的な権利を認める」とともに、境界を定めてその土地を保護するのはブラジル政府の責任だと規定されている。パラゴムの木の農園で乳液を採取する労働者の権利を擁護していた組合活動家フランシスコ・アウヴェス(通称シコ・メンデス)が1988年に殺された時には、芸能スターたちによって支えられた国際キャンペーンが巻き起こり、その中にはビートルズの元メンバー、ポール・マッカートニーもいた。同年、いくつかの研究が、1970年代に1,000万ヘクタールものアマゾンの森が牧草地に変えられたことを示した際には(10)批判が降り注いだ。上院議員で後のアメリカ副大統領アル・ゴアは、1989年に「ブラジル人たちが考えていることとは違い、アマゾンは彼らのものではなく、私たち皆のものだ(11)」と発言した。フランス大統領のフランソワ・ミッテランもさらに次のように述べた。「ブラジルは、アマゾンに対する主権が限られていることを受け入れなければなりません(12)

 民主主義政権は年々、環境問題と原住民問題を彼らの計画に組み入れることで、“外国の強欲の一つの形態”と彼らがみなし続けてきたものを無力化しようとした。1992年、専ら環境問題に携わる省庁がブラジルで初めて設立された。同年に開催されたリオ地球サミットの数カ月前には、940万ヘクタールの広さのヤノマミ族居住地区を作るとフェルナンド・コロール・デ・メロ大統領が発表した。ブラジルの開発政策は「持続可能」であり、原住民たちを尊重しているため、ブラジルの主権を侵害しようと考える必要はない、と政府関係者は説明した。

 軍人たちは政権を失っても不安を抱き続けた。彼らは、原住民保留地はアマゾンが「バルカン化」するきっかけを作り、「裕福な国々に容易に操られる」複数の原住民小区域が生み出されると見ていた。環境保護の要求については、彼らはこのバルカン化によって「国家間の権利の平等や非介入、民族自決といった古くからの原則からかけ離れた国際規範」の出現が助長されると考えた(13)。こうして、敵は共産主義から環境保護へ、銃からNGOへと変わった。だからといって、脅威はなくなったわけではないようだ。1991年12月10日、かつて軍事政権で大臣を務めたレオニダス・ピレス・ゴンサウヴェスは日刊紙フォーリャ・ジ・サンパウロの中で、「共産党リーダーだったルイス・カルロス・プレステスに対してかつて私が抱いたものと同じ憎しみを」環境担当副大臣に対しても感じていると語った。

 環境大臣のポストに(アグロビジネスの拠点である)ブラジル農村協会(SRB)の元重役リカルド・サレスを任命したボルソナロは、友人である軍人たちの考えに回帰した。持続的発展および環境保護の約束に関する彼の前任大統領たちの言葉は忘れ去られた。アマゾンは、そこから利益を得るために守るべき富の源泉である、とボルソナロは考えている。このような彼の姿勢によって、「国際協調を重んじるべき」という批判……および様々な疑念が再浮上するようになった。自然保護を南側諸国にとっての最優先事項に押し上げる諸大国は大抵の場合、自分たちはその重荷を負担しないということを、ブラジル政府は見逃さなかった。2007年には、ヤスニ国立公園のアマゾンを開発した場合に得られるであろう利益の半分を支払ってもらう代わりに、その場所を保護するといったエクアドル政府の提案を「国際コミュニティー」は無視していた(14)。それでも、多くのブラジル人はボルソナロのことを非常に嫌っていることから、彼らは自国の大統領が発する様々な疑念を“妄想症のくだらないもの”とみなしている。

 アマゾンの森林破壊を「世界の問題」と考え、「これはブラジルだけの問題」と主張するのを誰にも許さない(ツイッター、2019年8月26日)マクロンは、気候変動に関する2019年サンティアゴ会議(COP25)において、アマゾンの「住民たちの幸福」を確保し、この地域の「持続可能でエコロジカルな発展(15)」を保証することを狙いとする「長期的戦略」の発表を計画している[訳注]。その結果、ソマリア(1992年)やハイチ(1994年)、旧ユーゴスラビア(1999年)などへの西洋による軍事介入を正当化した人道主義的介入にならって構想された、“気候問題を根拠とした介入権”という考えがふたたび浮上した。

 フランス軍事学校戦略研究所(IRSEM)所長ジャン=バティスト・ジャンジェーヌ・ヴィルメールは、2019年8月27日付けのル・モンド紙で次のように述べている。「国連安全保障理事会は、アマゾンの森林破壊は気候変動を促進し、平和と国際安全保障に対する脅威となるため、自分たちは強制措置を採ることができる、と考えているかもしれない。武力の行使——たとえば、保護区域を定め、森林伐採を阻止するための軍事介入——という考えは突飛で危険に見えるかもしれない。というのも、確かにそれは逆効果だからだ。だが、10年あるいは20年後にも今と似た状況、すなわち、気候変動が死活問題だとみなされた場合、結局はこの武力の行使という問題は生じうる」。軍隊が懸念している脅威に対応するには、彼らの反動的ナショナリズムを激しく批判するだけで十分なのだろうか?

 2000年11月、アメリカのある大学の討論会において、ブラジル労働者党(PT、左派)の幹部の一人クリストヴァン・ブアルケが、アマゾンを国際管理下に置くという考えについて、ある学生から質問を受けた。同氏の回答はブラジルで今でも有名だ——「もしアメリカが、アマゾンをブラジル人だけの責任に任せるというリスクを冒さないためにアマゾンを国際管理下に置きたいと思うのであれば、アメリカの核兵器も同様に国際管理下に置こうではありませんか。というのもアメリカは、自分たちが核兵器を使えることをすでに証明し、我々がブラジルで目にしている(⋯⋯)火災よりもはるかに大きな破壊をもたらしたことがあるからです(16)



  • (1) Lire Serge Halimi et Pierre Rimbert, « Libéraux contre populistes, un clivage trompeur », Le Monde diplomatique, septembre 2018.
  • (2) Cf. Herton Escobar, « There’s no doubt that Brazil’s fires are linked to deforestation, scientists say », Science, Washington, DC, 26 août 2019.
  • (3) Agence France-Presse (AFP), 29 août 2019.
  • (4) Luiz Alberto Moniz Bandeira, Presença dos Estados Unidos no Brasil, Civilização Brasileira, Rio de Janeiro, 2007. 次の段落の情報や引用も同様に、この著作が出典となっている。
  • (5) Correio Mercantil, Rio de Janeiro, 12 septembre 1853.
  • (6) Malcolm Hadley, « La nature au premier plan. Les premières années du programme environnemental de l’Unesco, 1945-1965 », dans collectif, Soixante Ans de science à l’Unesco, 1945-2005, Unesco, Paris, 2006.
  • (7) J. Taketomi, « Artur Bernardes, a luta contra os EUA e a internacionalização da Amazônia », 24 septembre 2017.
  • (8) « Pourquoi l’Amazonie ? Présentation d’une recherche et d’un espace », Bulletin de l’Association de géographes français, no 441-442, Paris, mars-avril 1977.
  • (9) Ana Cristina da Matta Furniel, « Amazônia. A ocupação de um espaço : internacionalização x soberania nacional (1960-1990) » (PDF), dissertation présentée en vue de l’obtention de la maîtrise en relations internationales, Université catholique de Rio de Janeiro, 14 décembre 1993.
  • (10) Ibid.
  • (11) Alexei Barrionuevo, « Whose rain forest is this, anyway ? », The New York Times, 18 mai 2008. M. Gore affirme en 2019 n’avoir jamais prononcé ces paroles.
  • (12) Cité par Chantal Rayes, « Amazonie : Bolsonaro répond à la pression internationale », Libération, Paris, 24 août 2019.
  • (13) Documents de l’école de commandement de l’armée de terre brésilienne publiés en 1998 et 2001 et cités par Adriana Aparecida Marques dans « Amazônia : pensamento e presença militar » (PDF), thèse présentée pour l’obtention du doctorat en science politique, université de São Paulo, 2007.
  • (14) Lire Aurélien Bernier, « En Équateur, la biodiversité à l’épreuve de la solidarité internationale », Le Monde diplomatique, juin 2012.
  • (15) Silvia Ayuso, « El G7 moviliza 18 millones para combatir el fuego en la Amazonia », El País, Madrid, 26 août 2019.
  • (16) « A internacionalização da Amazônia », O Globo, Rio de Janeiro, 23 octobre 2000.
  • 訳注]COP25は当初サンティアゴで開催される予定だったが、同国の治安悪化にともないマドリードで開催されることとなった。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年10月号より)