Brexit論議にあって英国中道政党が迎える困難

再度の飛躍を狙った英国自由民主党


リチャード・シーモア(Richard Seymour)

著述家、近著にThe Twittering Machine,
The Indigo Press, Southampton, 2019がある。


訳:茂木愛一郎


 英国の12月の総選挙は保守党が議席数で過半数を大きく超える結果で終わった。EU残留を掲げ中道の姿勢で臨んだ自由民主党は、この論説の予測どおり受け入れられず議席数を減らしたうえスコットランド独立党の後塵を拝し第4党に沈むことになった。この論説では、選挙に至るまでの背景、さらには中道政治の主張が受け入れられない英国の現状を、自由民主党の歴史を踏まえ論説したものである。[日本語版編集部]

(英語版2019年10月号より)

photo credit: Alex Foster  Lib Dem Constitution


 「ストップBrexit」。これは英国政界で第4の地位にありEU「残留」支持の自由民主党が掲げる、一見シンプルに見えるが実は難題を抱える提案である。自由民主党はこの方針の力あって、この5月の欧州議会選挙では第2位に躍り出た。それ以来、極めて重要な補欠選挙区(1)で保守党候補を破るに至っている。その後自由民主党は、保守党ならびに「変化をめざす独立グループ」(労働党員と保守党員からの離党者を構成メンバーとする)からの離反者を加えて、活気づいてきている。

 ここ20年から30年にわたって、自由民主党は、政治的には中道で産業界からも献金を受け、丁度、アメリカ民主党の英国版であろうとして、英国政界を再編させたいと望んできた。デイビッド・キャメロンの連立政権においてニック・クレッグ党首の味わった苦渋の時代が終わり、2016年の国民投票(英国のEU離脱の是非を問うたもの)は、それを実現できるチャンスだったのだ。Brexitに反対という立場を打ち出すことによって、左派右派の分断を超え、大衆一般が気にする課題をついに見つけることができたのだ。また9月の党大会の期間中、ジョー・スウィンソンという新任の若い女性党首のもとで、同党はもし国政選挙において過半数が取れたならば、欧州連合条約第50条(離脱希望国が、その意思を欧州理事会に通告する手続きを規定)を撤回し、英国はEUに加盟し続けると宣言したのである。

 しかし、自由民主党の議会で採る戦略は明解さを欠いている。2回目の国民投票提案を欠くあらゆる妥協案を拒否してきた。一方で、前国務大臣でテリーザ・メイのBrexit案に一貫して賛成の票を入れてきたロウリー・スチュアートといった保守党議員とは選挙戦での協定を結んできていた。さらに驚くことには、フィリップ・リー国会議員のように同性婚に反対しHIV保持の移民に強い反対を示すリベラル度の低い鞍替え組とも友好的な関係にあることだ。

 スウィンソンはジェレミー・コービンの下での労働党との連立はありえないという。一方、得られる各種の情報からみて、保守党が圧倒的にBrexitを支持しているにもかかわらず、自由民主党の同党との連立の道は開かれているといってよい。自由民主党は合意なき離脱には即座に反対するが、それを食い止められる最も明白な手段の実施には反対するのである。それというのは、現政府を不信任し、野党党首を首班とする暫定選挙管理内閣の形成という方法である。

二つの政治的背景をもった政党の後継者とは

 コービンの登場によって自由民主党は危機意識をもったということを思い起せば、この明らかな矛盾点を理解することが簡単になるであろう。この恐れは1980年代にこの党が形成された時点まで遡ることになる。この近代政党は二つの政治グループから作られたものである。一つは、かつて強大であった自由党の生き残り部分である。同党は19世紀英国政界を牛耳っていたものだが、労働党が勢力を伸ばすことによって20世紀のほとんどをその残存組として中産階級の政党に成り下ったままでいた。二つ目は、労働党右派の一部から成っていた。彼らは、冷戦期の闘士、英米といった大西洋を囲む国々が牛耳るという立場、NATO支持、核保持、市場重視の立場である。1970年代の政治危機と労働運動の左傾化が、このグループが割って出ることを促進し、1981年に社会民主党(The Social Democratic Party=SDP)として立ち上がった。

 SDPと自由党は急いで連合を形成した。欧州統合は、欧州流社会民主主義の進展には障害になるとみて賛成し、外交政策で共同歩調をとった。また両党は、抑止力としての核保有に賛成し、左派の新しい社会運動や「いかれた左翼」が多数を占める地方協議会が打ち出す反人種差別政策に対する軽蔑を共有していた。際立ってこの連合を性格づけていたのは、過激な労働組合活動に対しはっきりと反対を示していたことである。そのことは、過激な組合活動が英国産業を沈滞させていると確信していたマーガレット・サッチャーが、いわば組合潰しに役立つ首相候補として選出されていたという、この当時の時代精神を表していた。

 サッチャーが1984年、NUM(the National Union of Miners、全国炭鉱労働者組合)と対決していたとき、この連合は彼女の側に付いていた。自由党党首デイビッド・スティールは「マルキストの帝国を拡張しようとしている」と炭鉱労働者の代表アーサー・スカーギルを非難した。一方SDPの党首であるデイビッド・オーエンは選挙民に対し、スカーギルという人物はかつて「目的のためならば手段は正当化される」と言っていた共産党の活発な党員であったことを忘れてはならないと語った。SDPはピケ破りの労働者を支援する動議に賛成し、さらにこの争議に介入しようとしない政府を非難までしているのである。

 この連合への支持は1983年の総選挙の時がピークで、25.4%の得票率を得た(この時、労働党は27.6%、保守党は42%であった)。1988年には両党は統合し自由民主党(Liberal Democrats)となったが、この時、統合された有権者層は、労働党が政権への返り咲きを狙う際、必ずや奪還を要する層だった。1994年にトニー・ブレアが労働党の党首となったこと、そして同党が新自由主義に鞍替えしたことは、労働党との収斂を容易にするものであった。2006年2月の労働党創設100周年記念集会の最中に、ブレアは自由民主党との連携の可能性を臭わせながら、その場でブレアは労働党を作り出したこと自体が歴史的な誤りであったとすら思わせる発言をしたのである。このことは党内を分断し自由民主党と一緒になってこの流れを進める多数派を作ることを不可能にしてしまった。

 進歩的な連合といったものはこれまで成功したためしがなかった。そしてニュー・レイバーが右旋回する一方、自由民主党は左旋回することとなった。愛すべき社会民主主義者であるチャールズ・ケネディのもと、同党はブレアが主導したイラク戦争を含むいくつかの基本政策に反対した。そして「テロとの戦い」の期間中に採られた市民的自由の制限に疑問を投げかけたのだ。

自由民主党の衣替え

 2005年の総選挙では、自由民主党はマンチェスター、リーズ、カーディフ、ブリストル、そしてロンドンといった労働党が伝統的に強い都市部の選挙区においてすら、同党を破ることに成功した。しかしながら、ケネディ党首の穏健な路線のもとでは、Royal Mail(国営郵便)を民営化せよと主張(これは人気を集めることはできないと、ケネディは拒否権を発動していた)する党の右派を満足させることはできなかった。2007年、彼らはケネディに替えて、名門出身で5つの言語を話す若いニック・クレッグを後任にした。彼のもとで、自由民主党は経済政策的には右派の立場から労働党を攻撃していたのである。

 2008年の金融危機が市場ベースの自由主義に疑問符を投げかけたと言ってよいかも知れない。しかし2009年にクレッグは、The Liberal Momentという小冊子を出版し、そこで「この時代が要請していることから逸脱して」政府には万能の力があるというような考えを批判していた。この考えはすでにニュー・レイバーが使い、選挙民の間では不人気なメッセージであったはずなのだが、自由民主党は2010年の選挙の際、既成政治が行う‘公約違反’を強く非難し、政治に「正直さ」を求めるという、決して政治的でないメッセージをもって臨んだ。クレッグはYouTubeで、「彼らは公約違反ばかりやっているではないか……、やり方を変えなければならないときなのだ。英国の政治に公正明大さが必要なときがきた。これからは、公約は必ずや守られなければならないと信じている」(2)と発言した。

 自由民主党は次のような約束もした。それは高学歴層の間で支持が大きかったことなのだが、大学授業料の徴収を廃止することであった。「授業料がなくなることを是非実現したい」とクレッグは語った。そして「青年たちは社会にでて働き始める前に、今のように負債を抱えるようなことがあってはならない」(3)とも言った。

 クレッグの人気は短期間上昇し、彼への投票支持が順調に続くかにみえた。彼の少年のような風貌は、彼の情熱を顕わにしたような話しぶりも加わって、彼をこの国が必要としている誠実な仲介者であるかのように思わせた。なぜなら国会議員たちが歳費の使用をめぐってスキャンダルによって信用を失墜していた時であったからである。2010年5月の選挙結果は専らメディアの作り出した現象であるかの如くみなされた。しかしクレッグへの熱い支持があったにしても結果に結びつかなかった。自由民主党の得票率は僅かに1%増加したのみで、この選挙によって5議席を失った。政権に加わることになったのは、もし加わらなかったならば、保守党の連立政権は過半数を取れないことになったからであり、そういった連立は自由民主党の党首がケネディであったなら想定することもできないものであった。しかしクレッグの場合、彼の論考The Liberal Momentのなかで連立政権参加もありうることを公にしていたのである。クレッグの唯一否定する連携は労働党との組み合わせで、彼は同党をなおあまりに「集産主義的」であるとみていたからである。

 保守党党首デイビッド・キャメロンはその選挙戦中、英国国民に抜本的な緊縮政策をとらざるを得ないことを提言していた。財務大臣にジョージ・オズボーンを据え、そしてこれまでになく富裕な大臣の多い政府であったが、キャメロンはそれを提言どおり実行した。自由民主党としては、2013年の同性婚法制化など連立政権での成功面を強調した。しかしクレッグのイメージを永久に汚したのは、大学授業料に関するUターン(前言否定)であった。学生の懐具合の悪化を少しでも止めようとする代わりに、政府はその悪化を助長したのである。しかしクレッグ自身は選挙民の反応に不満だったようで、「政策のもつ論理」に沿って説明することに努力したが、それでは「理知的でない感情」には対抗できなかった(4)と後に書いている。

 連立を組んだことは自由民主党にとって大失策であった。党のプログラムのなかで旗印となる政策を何一つ法制化することができなかったうえに、平均10%の所得減少を伴った緊縮政策の責任を共有させられたのである。保守党はそれまでの「冷酷な(貧乏人にはつらくあたる)党」というイメージをこの連立であることを使って払拭しようとしたのだが、そのイメージは変わらず、自由民主党も同様に責任をとらされた。2015年の総選挙において、自由民主党は得票率が8%を割り込み、英国のEUからの離脱のキャンペーンを張った極右の「英国独立党(UKIP)」をも下回り、第4位の政党に成り下がった。

敬虔なる国教会信者を指導者にして

 その後事態の改善は進まなかった。自由民主党は2015年7月、新しいリーダーとして党の中道左派に属し敬虔な国教会信者であるティム・ファロンを選ぶことで、連立政権時代の同党からは変わったと思わせる戦略的な対処をとった。しかし自由民主党は、右からは反動分子が増加した保守党から攻撃され、左からはその後まもなく労働党党首となるコービンから攻撃を受けた。ファロンはコービンを「歴史上最悪であることが実証できる政治指導者」と呼び、さらに加えて「平等主義の幻想を追うあまり産業界を混乱に陥らせる人物」と評することで対抗した(5)。労働党を敗北させるためなら保守党との連立も辞さないということまで明らかにした。

 2016年の国民投票の結果は、EU残留支持の政党であることを原則にして争点を明確にすることを決めさせた。自由民主党員はおおざっぱに言って、手放しで熱狂的な残留派であった。それに対し離脱派の保守党員はEUの重い社会保障負担に対して批判を行い、ジェレミー・コービンはEU制度が企業寄りのスタンスであることを批判していた。そうではあっても、国民投票以前には、3大政党の指導者たちの誰もが残留でキャンペーンを張っていた。ファロンは、国民投票の結果を受け入れるほど原則通りの民主主義に信を置いているわけではなく、2回目の国民投票を求めるよう運動することを党に望んだ。ヴィンス・ケイブル卿や元党首で貴族院議員のパディ・アッシュダウンといった党の重鎮たちは、党は何らかの妥協点を見つけるべきであると示唆した。ケイブルは、国民に再度の投票を求めることは、(すでに一度投票した)国民への敬意を欠いてはいないかと問うた。アッシュダウンは、残留に投票した人々でも再投票を望んでいるという確証はあるのかと言った(6)。ファロンは、クレッグの支持を得て、これらの留保意見を脇に追いやり、再度の国民投票を約すことを第一のマニフェストとして2017年の総選挙に突入した。自由民主党の得票率は8%と振るわず、その水準は労働党の増加得票数をも下回った。ニック・クレッグはシェフィールド・ハラムの選挙区で労働党に議席を奪われ、その結果彼はFacebook社のためのロビイストの職を得る始末となった。

 しかし3年経ってみると、潮目が変わってきているようにみえる。企業側のリーダーは政府と優先的に対話のできるルートを失ってしまったようにみえる。それまで企業側はその利益擁護を2大政党のうちのどちらか(場合によっては両方)にいつも頼ってきた。そのため逆説的にみえるがEUに好意的で企業寄りのスタンスを体現するのは、自由民主党であるかのようになっている。保守党との連立政権当時、いくつかの大臣経験のあるジョー・スウィンソンが党を指揮することになって、自由民主党は保守的な離脱派やラディカル過ぎるコービンを嫌う主流メディアを味方に引き寄せている。また同党へと離反してくる保守党の親EU派と労働党の右派国会議員によって強化されてきている。

 しかし、メディアの見方は世論と同じではない。自由民主党に多くの支持が集まっているにもかかわらず、総選挙が行われた場合、投票における意思表示は、相変わらず自由民主党を第4党に置くことになるだろうというのである。自由民主党はせいぜいのところ、若干の労働党票を奪って、ボリス・ジョンソンを利するだけに終わるかもしれない。9月9日、スウィンソンは自由民主党が過半数をとって勝利すれば、Brexitは撤回されるだけだと言い切った。だが、彼女がやろうとしていることは、Brexitに賛成した英国の多数派有権者1700万人の票を踏みにじるものである。このことは実はジョンソンを勝たせてEU残留に票を投じた人々の意志を同じように踏みにじる事態を起こしかねないのである。



(ル・モンド・ディプロマティーク 英語版2019年10月号より)