毎年8300人以上の女性が殺害されるロシア

ロシアで深刻化するドメスティック・バイオレンス


オドレイ・ルベル(Audrey Lebel)

ジャーナリスト 

訳:嶋谷園加


 昨今、被害に遭った女性たちがSNSを通じて声を上げることで、部分的にではあるが、ドメスティック・バイオレンスの実情を窺い知ることができるようになった。もちろんそれは氷山の一角に過ぎない。ロシアでは毎年8300人を上回る女性たちがなすすべもなく、その配偶者や近親者に殺害されるという尋常ではない状況にある。家族主義を前面に出す伝統が、法律上でも女性たちの生命を危険にさらしている。[日本語版編集部]

(仏語版2019年11月号より)

Viktoria Sorochinski. – « Room 7 », from the series « The Space Between », 2007-2008
©Viktoria Sorochinski, www.viktoria-sorochinski.com  

 彼女たちは20年におよび刑務所に収監される恐れがある。計画的殺人の被疑者である、クレスティーナ、アンゲリーナとマリーアのハチャトリアン姉妹は自分たちの父親を殺害した容疑で公判を待っている。その父親は事件当時、おのおの19歳、18歳、17歳だった3人の娘に対する性暴力、強姦、傷害罪の加害者である。それは2018年7月27日のことだった。

 ハチャトリアン姉妹が受ける刑罰に直面して、フェミニスト活動家アレーナ・ポポヴァはSNSで女性差別主義者による暴力に対する告発キャンペーンを始めた。インスタグラム、フコンタクテ(ロシア版フェイスブック)またはツイッター上で、何百万人ものインターネットユーザーたちが、傷や血腫を思わせるようなメイキャップを施した自身の顔写真を投稿している。ロシア連邦国家統計局(1)Rosstatが2012年に発表した数字では、1600万人の女性たちが夫婦間暴力を受けている。この15歳から44歳までの1万人のサンプル調査では、回答者の5人に1人が、パートナーや元パートナーから、これまでに少なくとも1度は身体的暴力を受けたと申告している。1993年に被害者支援のために初めてこの国に出来た組織アンナセンターによると、63分毎に1人の女性が配偶者または元配偶者の殴打によって亡くなり、その数は年に8300人を上回る。

ソ連法のアンビバレントな遺産 

 ロシアは、この問題についての特定の法律を持っていない数少ない国のうちのひとつだ。この7月に、初めて欧州人権裁判所(CEDH)がロシア政府に夫婦間暴力の事件で制裁を科した。裁判所はロシア当局に対し、十分な保護を受けられなかったと訴えたヴァレリア・ヴォローディナさんに損害賠償金2万ユーロを支払うように命じた。また、法律の不備と保護命令の欠如が、この害毒を体系的に解消できないことを示している、と結論付けた。欧州評議会のメンバー47カ国の中でロシアとアゼルバイジャンのみが、2011年にさかのぼる、女性に対する暴力及びドメスティック・バイオレンス防止に関するイスタンブール条約を批准せず、調印もしなかった。欧州人権裁判所はその判決において、ロシアの当局は問題の「深刻さを認めようとしない」と宣告した。他にも同じような4つの事案がCEDHによる審理を待っている。

 特定の法制がないことは、ソ連法のアンビバレントな遺産によって部分的には説明できる。その草創期にソ連は女性の権利擁護の先駆となった。1917年にはすでに「婚姻の解消」に関する政令が離婚を広く認めていた。同じ年にボリシェビキが女性に選挙権を与えたのだ。1920年に、ソ連は自由意思による妊娠中絶(IVG)を合法化した初めての国となった。女性を家事から解放するために、現代史初の女性大臣であり、自由恋愛をとりわけ主張したアレクサンドラ・コロンタイの後押しの下、託児所やセルフサービスの洗濯場、食堂が作られた。当時の狙いはブルジョワ制度としての家族を壊す事だった。

 しかし1930年代に、ヨシフ・スターリンが進歩主義的な事柄すべてを変えてしまった。第一次世界大戦とロシア内戦が続き、男性たちが死亡したことにより女性たちはパートナーを見つけるのに苦労していた時であり、離婚の自由化は彼女たちに常に有利に働いたのではなかった。独身の母親たちが激増し、養育費の不払いに対する訴えで彼女たちは裁判所を埋め尽くした。貧困生活を強いられ大多数の女性は中絶を選んだ。当局は出生率の大幅な低下を案じた。この現状は農民出身者たちの政党幹部への昇進と相まって、締めつけが強まった。「女性たちの問題と性的な問題は、公式には解決済と宣言されている。ソ連の家庭は今や、安定して多産でなければならない(2)」と社会学者のモナ・クラロは説明する。1936年、妊娠中絶は禁止され、離婚手続きは著しく重いものになった。大戦後、こうした立法上の振り子の動きは、革命期の伝統への部分的回帰と、子供を中心とした家族の単位をさらに確実とするための配慮との間で妥協点を見出した。

 法律と慣行との明らかな隔たりが目立つようになり、当局はスターリンの死後、譲歩をせざるを得なくなる。1955年に中絶は再び合法化された。そして10年後、離婚の手続きは容易になった。それにもかかわらず、当局は人口問題に悩まされる。1968年に採決された“結婚と家族に関する立法の根拠”は、「我々社会主義社会は妊娠出産の保護と奨励、同様に幸福な幼年期の保証に著しい重要性を認める」と宣言している。この条文は、子供のない夫婦に対して市民課に届け出るだけで離婚を認めている。結婚生活は国が関与を控えるべき個人的な問題だと見なされていても、夫婦が子孫をもうけている時は事情が違うのだ。

 この文脈では、女性に対する暴力は男性優位という構造(公には撲滅されている)のせいではない。当局にとって、暴力は「悪しきソ連人たちがアルコールに溺れ、または革命前にさかのぼる家族のしきたりを続けている」というだけのことだ、と社会学者のフランソワーズ・ドセとアマンディーヌ・レガメは強調する。政府としては、「パートナー間の暴力は、社会秩序の違反、あるいは“家族内のもめごと”であり、主としてその介入によって和解へ導くべきものは警察だ(3)」。とりわけ子供たちがいる時には、そのように扱われる。

 ソ連の法制は、男女間の民法の平等に関してはかなり進んでいる。たとえばフランスの場合に触れておくと、既婚女性が夫の許可なしで職業に就くことや銀行の口座を開設できるようになるためには、1965年まで待たねばならなかったのだ。この法制はその上、刑罰に関して女性と男性に同等の厳しさを課している。被害者の性別も、加害者との関係(またはかつての関係)も考慮しない。

 1990年代に増えつつあったフェミニスト団体は、夫婦間暴力の防止措置に関し西側で行っているような規範を求めて闘っていた。国際機関からのプレッシャーの下、ロシアは1990年代に次いで2012年、そして再び2014年と幾度となくこれに関する法律の採用を検討した。2016年の7月に政府与党はおずおずと前進する。「近親者」(配偶者、子供、兄弟、姉妹)を殴打することは、加重(かちょう)情状となる(刑法第116条)。この「近親者」という概念は立法者の保護したいものを上手く物語っている、暴力から守らねばならないのは、家族であり女性ではないのだ。同時にこの法律は、公共の場で見知らぬ者が犯した暴力に対して、刑罰を軽減している(再犯者の場合は除く)。この国は厳格な刑法で知られ、刑務所は定員オーバーになっており、これを解決するための措置なのだ。

「西ヨーロッパの行き過ぎを模倣しない」 

 この法案は、これらの措置を差別的だと考えるロシア正教会と伝統的な家族主義者らの怒りを買った。というのも、街で見知らぬ者が通行人を襲っても、刑務所に入ることを逃れられるかもしれないというのに、わが子を矯正しようとする父親は刑務所へ行かなくてはならないかもしれない、と彼らは言う。モスクワ大司教区の家族問題評議会のインターネットサイトでは「良心的な両親が、子供の教育において節度と分別がある場合でさえも、子供に対する体罰は、いかなるものでも2年にわたる懲役を課されるのだ(再犯の場合)」と憤慨している。

 また同じ調子でエレーナ・ミズーリナ上院議員も言う。「近親者」の概念を排除する先鋒となり、彼女が名づけた「平手打ち法」について訴える。妊娠中絶へのアクセスを制限し、離婚に際し課税する措置を何度も提案した後、彼女はドメスティック・バイオレンスが「家族における中心的問題ではなく、とりわけ女性の側からの不作法、優しさや尊敬の欠如によるものです。私たち女性は弱い存在なのです。殴られても傷ついたりはしません。夫が妻を殴っても、男性が侮辱を受けるときほどの屈辱はないのです(4)」と明言した。

 その抗議は目的を達成した。全ての「近親者」の記載は2017年より刑法典から消え去った。ロシア政府は「家族内の何らかの行為を“ドメスティック・バイオレンス”と呼ぶことは、法律上の観点から見て物事を(結局のところ)誇張してしまっていた」とスポークスマンを通じて伝えた。フェミニスト団体としては、2016年以前より更に危機的な状況に陥ったことを憂慮している。確かに、理論上では暴力を行った加害者は、再犯の場合10日以上3カ月以下の収監の恐れはあるが、これらの判決が言い渡されることはほとんどない。入院を要するほどの殴打でなければ、加害者と被害者が家族関係にあるという理由で加重情状とはならず、裁判官は暴力を行った配偶者へ単に5000ルーブル(約70ユーロ)の罰金、あるいはもっとも軽い刑罰を課すのみだ。「駐車違反か禁煙の場所でタバコに火をつけたのと同じ額の罰金です」と、2018年末のヒューマンライツ・ウォッチのレポートで、「君を殺しても、僕は捕まらない」を著した、ユーリア・ゴルブノヴァは苛立つ。再犯の場合、罰金は4万ルーブルまで上がり得る(約560ユーロ)が、たいていの場合、夫婦共有の口座から天引きされる……。

 それどころではなく、ロシアでは暴力を振るう配偶者から女性たちを匿うための法規定が全く整っていない。モスクワから陸路2時間ほどのところにあるドメスティック・バイオレンス被害者の受け入れシェルター“キーテジ”では、安全を守るため住所を秘密にしている。2013年の設立からこの民間シェルターでは、毎年子供たちを連れた30人から40人の女性たちを無料で宿泊させている。だがそれは、大海の一滴に過ぎず、緊急時の収容施設の不足は甚だしい。2010年に公式発表された数字によると(5)、ロシアには22カ所にしか福祉避難所が設置されていない。その上、女性たちはその施設のある町に否応なく居住登録を義務付けられるが、彼女たちの大部分には不可能なことだ。「私はいつも、彼女たちの受け入れを断らざるを得ません。彼女たちを宗教団体の運営する施設や、国の施設にさえも送り出さないようにしています。なぜならそこでは全く的外れな、パートナーとの和解や、許し、理解を説くからです」とキーテジの責任者アリオナ・サディコワさんは嘆く。

 2019年、相変わらず夫婦間暴力は夫婦間のもめごとだと見なされており、警察官たちの反応は否定と嘲笑、愚弄と不作為の間を行ったり来たりしている。欧州人権裁判所でロシア政府に対し、初めて訴訟で勝利したヴォローディナさんは、彼女が受けた暴力について、警察に対していくつもの告発をしている時に「痴話げんか」だと何度も繰り返されるのを聞いていた。

 国家院での法案の採決に先立つ審議の際「ロシアの伝統が基礎とするものは、一部の人々が我々をそう思わせようとしてきたような、女性たちへの鞭打ち教育ではないのです」と説いた、ロシア連邦共産党のユーリ・シネチコフ議員を除き、憤慨する国会議員はごく少数だった。反対に統一ロシア[現在の政権与党]のアンドレイ・イサイエフ議員は、同僚議員らと共に「我々が目の当たりにしている、西ヨーロッパの行き過ぎを模倣する」つもりはない、と断言する。近年の流行語となったこのフレーズは、ロシアの伝統的価値観と外国の手先たちを通じてその価値観を押し付けようとしている退廃した西洋とを対比している。これはまたOrganisation russe de soutien aux parents[ロシア両親支援協会]の秘書官、ヴェラ・ニコラエヴナ氏(6)の見方でもある。彼女は私たちに「もしこの”近親者”という概念が刑法116条から削除されなければ、ヨーロッパの場合のように、子供たちの尻を叩いた親が刑務所に送られるところでした。その上、その子供らはヨーロッパのゲイカップルの養子にされていたでしょう」と請け合う。彼女にすれば、このことが夫婦間暴力による女性被害者たちに対する最低限の保護を奪ったのは残念だが仕方がないことだ。また2017年12月冒頭からウラジミール・コロコリツェフ内務大臣がこの罰金がドメスティック・バイオレンスの防止に十分な効果をもたらしていないと認めていたが、それもどうでもいいことだった。

 ハチャトリアン姉妹に対する、次の公判の審理はこの秋に開かれる。この親殺しが法制を進展させることになるかどうかを知る機会となる。それまでは、ロシアのSNSで、こうした暴力が野放しになっていることを終わらせたいと訴える、血腫と血まみれの写真を自撮りした女性ユーザーたちであふれ続ける[訳注]。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年11月号より)