ロシアの戦略思想を理解する

モスクワが見ている世界


リチャード・サクワ(Richard Sakwa)

ケント大学(イギリス)教授、著書に Russia’s Future, Polity Press, Cambridge, 2019 

訳:村上好古


 文化的にはヨーロッパに近いと感じているロシアは、「多極主義」を掲げアメリカ・西欧諸国と対立し、世界秩序を乱していると非難されている。その一方で大ユーラシア主義を提唱しつつ中国と接近しているが、その戦略の本当の意図はどこにあるのか。冷戦終了後の歴史をたどり、それを探る。[日本語版編集部]

(仏語版2019年10月号より)

photo credit: Larry Koester, Kremlin 

 ロシアは何を望んでいるのか。西側の多くの解説者によれば、一昔前の世界秩序に固執しているのだという。それは冷戦時代のヤルタ体制を指し、クレムリン[当時のソ連共産党のこと。現在については、ロシア大統領府を指す]は東欧を勢力圏としこれを意のままにしていた。2014年のクリミア併合はウクライナに体制からの離反を許さないことを示す証左だ。2017年12月18日に公表されたアメリカの国家安全保障戦略に関する報告書はこうしてロシアを「修正主義の大国」と呼び、現在の国際秩序を壊そうとしていると暗に示した(1)。国内問題に対する注意をそらすため対外的に冒険主義をとっている権威主義的な体制だと言うのだ。あまつさえ、モスクワ[ロシア政府のこと。以下「北京」、「ワシントン」についても同様]は中国と権威主義に基づく同盟関係を結び、今後その政治モデルを輸出しようとしていると言う。

 モスクワが西側に仕掛けたいくつかの挑戦的行為は、確かに一時国内の政治的結束を強めた。しかし、その行動を、上記の考えだけで説明することは間違いだろう。クレムリンが本当に望んでいることは何なのか、自らの目的追求の中で中国に接近することはどういう意味を持つのか。

 ロシア首脳部が求めているものの根本は、国際関係を取仕切る一翼を担い、それが認知されることにある。無残に裏切られた野望だ。冷戦終結時、ソ連、次いでロシアは、好んで使っていた「歴史上の西洋」を改め「『大』西洋」という概念を編み出し、自らがその一員になろうとした(2)。モスクワが望んだのは、この枠組みが、相互の利益に資する政治的対話と相互依存に基づく文化を発展させ、冷戦時の大西洋主義に基づく制度や理念から西欧を解き放つものになるということだった。しかしながら西側は、既存の仕組みを拡張することで応えただけだった。ソ連の思想的、軍事的な脅威から解放された自由主義陣営は、アメリカの指揮下での世界的なモンロー主義体制(3)をとったのだ。アメリカの勢力圏は世界全体に広がり、覇権から独立した小グループに存立の余地を残さなかった。

 モスクワは、この世界主義が[アメリカの]道具になっているとして、明確にこれに反対することになった。外務大臣(1996年~1998年)、ついで首相(1998年~1999年)であったエフゲニー・プリマコフは、ロシアを対抗勢力と位置づけた最初の指導者だった。北大西洋条約機構(NATO)が参加国の新規加入を認め続け、ロシアの立場を顧みずコソボに介入しようとしていることが明らかになった時、彼は多極主義の概念を再び唱えた。1998年12月にインドを訪問した際には、アメリカの一極主義に対する抑止力としての考えを発展させ、これをもとに、非大西洋主義をとる強国での同盟を提案した。これがロシア・インド・中国での「戦略的トライアングル」となり、後のブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカによるBricsの中核となった。その政策は元ソ連共産党中央委員会第一書記のニキータ・フルシチョフの平和共存主義に想を得たものであり、それによれば社会や政治の制度は、必ずしも互いに衝突することなく並んで競いあうことができるというものだった(4)

 2000年に権力の座に就いたウラジミール・プーチン氏が力を注いだのは、「共産党体制後」の新体制初期の大西洋主義をプリマコフの戦略とつなぎ合わせることだった。2001年には上海協力機構(SCO)が設立され、当初は中国、カザフスタン、キルギス、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタンが参加し、2017年にインドとパキスタンが加わった。これは、非西洋諸国による同盟体制創設に向けた一歩となった。プーチン氏はこれと並行して、EUとの関係をより緊密なものにしようとした。ロシアがNATOに加盟するとさえ考えられた。しかしこのあと、アメリカのイラクへの介入、2002年にジョージ・W・ブッシュ氏が弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM、1972年締結)の廃止を決定したこと、そしてまたアメリカ国務省に近いいくつかの財団に支援されて各国で「色の革命」[訳注1]が起こったことなどがあり、プーチン氏は幻想を断たれた。彼は2007年2月にミュンヘンで行われた安全保障会議でアメリカをあからさまに非難した。「盟主も主権も一国だけという(……)一極主義の世界」の危険に警戒を呼びかけ、ロシアには「1000年の歴史」があり、国際関係においてどう振る舞うべきか他から教えてもらう必要は全くない、と指摘して話を括った。

 当時のクレムリンはまだ、大西洋主義諸国と、具体的な共通利害を有する事案、特にテロリストとの闘いでは協力できると信じていた。しかし2011年にリビアへのNATO介入が行われるとこうした考えはすべて潰えてしまった。そして2014年、EUが何ら交渉することなくウクライナを大西洋主義の勢力内に取り込もうとした、としてロシアが激しく反応したことは、冷戦後最も重大な危機を引き起した。

 アメリカの覇権を拒否することの同義語であり、ロシア指導者の議論に常に登場する「多極主義」の意味は曖昧なままである。それは、たとえばロシアを含む第2グループの諸国に今以上の重要性を認める、といった積極戦略の一部をなすひとつの到達目標なのか、あるいは世界情勢の均衡回復の結果生まれた厳然たる事実なのか。2013年9月19日、ヴァルダイ・クラブ(2004年に設立されたロシアおよび西洋諸国の当局者と専門家の集まり)のあるセッションでプーチン氏は、「一極主義の世界標準モデルのいわば復活を狙った数々の試み」を非難し、客観的に見て一極主義は過去のものであると暗示した。さらに、「一極主義の世界は、主権国家をいくつも必要としない。臣下となる国だけでよい。歴史的にみても、それは神が我々に与え給うた各国の特性や多様性を拒否することになる」と付け加えた。2016年10月27日の別の会議では、「世界はますます多極化に向かう」ことへの期待を表明したが、それは、いつか主に国連を通じて、「世界に受け入れられる共通のルールが(……)主権と各国民の利益を保証する」ようになる、そのための条件がそこにあると考えていたのだ。

 ロシアの野望を説明するには「新修正主義」という言葉が最も適切だと思われる(5)。中国についても同じことが言えるが、この言葉は国際関係の現状に関する不満を反映したものだ。それはこれらの国が自分の勢力圏を拡大することに関するものではない。むしろ、典型的には主権という形で示される原則、すなわち各国がそれぞれ近隣諸国と関係構築を図る、という原則(必ずしもどれかのブロックに所属するという伝統的なかたちをとるだけではない)の再確認に関するものだ。ウクライナに関するロシアの反応は、この国の内政運営への野望ではなく、自国の存在に関わる極めて重要な利害が脅威を受けているという認識によって説明される。キルギスタンや最近ではアルメニアなどいくつもの革命の例が示すように、安全保障上の関心が脅かされるのでなければ、モスクワは自国の国境地帯での政治的などんな急変も受け入れている。

 ウェストファリア体制(17世紀~19世紀)──そこでは各国がビリヤードの玉のように、ある玉に当てるために別の玉を狙い、互いに働きかけ合っていた――への単なる回帰なのか。モスクワと北京は、多極主義についてきわめて巧みな解釈をしている。彼らにとって主権がやはり価値の中心を占めていることに変わりはないが、その重要性は、多国間の国際機関を重視することで弱められている。たとえば地域的な新たな組織を設立したり、1944年のブレトンウッズ体制から生まれた世界的な使命を持つ組織――特に世界貿易機構(WTO)――を擁護したりしている。これは多元的な国際システムを構築し、アメリカ主導の大西洋主義体制への従属関係から第2グループの国家を解放することを意味する。

 ロシアと中国は生まれかけの反覇権主義同盟の核となっている(6)。ロシアが経済制裁を受け、中国が太平洋でアメリカの軍事的圧力に直面している間、両国の指導者は2017年に5回、2018年には4回会談した。程度の差はあれロシアの歴代の指導者は皆ユーラシアの経済統合の道を探ってきたが、プーチン氏は一段と深い地政学的な論理の中にこれを組み込んだ。ユーラシア経済連合(EEU)が2015年1月1日に公式に創設され、これによって彼は、この地域に独自の統合ネットワークを構築するという意思を明確にした。このことは2015年5月に彼が習近平中国国家主席と、EEUと新シルクロード構想(「一帯一路」構想<BRI>)との間の「協調」についての合意を調印したことによって確認された。ロシアはまた、ソヴィエト最後の指導者であったミハイル・ゴルバチェフ氏が温めていたものの未実現に終わった「大ヨーロッパ」計画(リスボンからウラジオストックまで)に代わるものとして、「大ユーラシア計画」を提案した。この計画はこの地域の大部分を、相互に接続するいくつものネットワークからなるひとつの集団に包摂してしまうものであり、その態様は事情に応じ変化し、東南アジア諸国連合(ASEAN)など既存の組織もその対象にした。

 この仕組みは、ハルフォード・ジョン・マッキンダー(1861年~1947年)が理論化し、アメリカの政治学者ズビグネフ・ブレジンスキーによって新しい解釈を加えられた「ハートランド」戦略と呼ばれる地政学上の古典的概念である。それはユーラシアを世界の地理上の中心にし、したがって、強国間の争いの的にもするものだ。2015年7月9日、BricsとSCOとの会合が他のEEUの指導者も出席してロシアのウファで開催され、プーチン氏は次のように述べた。「我々にとってこのユーラシア大陸は、チェス盤、すなわち地政学のゲームの場ではない。それは我々の家なのだ。我々は皆それが平和で繁栄することを望むのであり、他人の利益を犠牲にして自らの利益を守ろうとするいくつもの試みや過激思想にそれが手渡されるのを望むものではない」(7)

自らの力に一層の自信を持つ北京 

 その目的は、拡大する大西洋主義体制と勃興するアジアの勢力、特に中国との対立の中で、ユーラシアがその間に広がる断層帯になってしまうことがないよう注意することだ。2018年、北京は24年連続して軍事費を増額した。もっともそれは依然としてアメリカ(6,490億ドル)の40%に過ぎない。ロシアの軍事予算は2016年以来減少しているが、世界の6番目を維持している(8)。ユーラシアは、なお非常に強力である西洋と、急速な発展途上にある東洋側との間にがっちり挟み込まれている。ロシアはこのふたつの間で理想的な、しかし危険な位置に立っているのだ。

 モスクワと北京のそれぞれの姿勢にはいくつもの大きな違いがある。ロシアは軍事、経済面でのアメリカの優位を認めている。2016年6月17日のサンクトペテルブルクでの国際経済フォーラムで、プーチン氏は、「アメリカは大国であり、おそらく今日唯一の超大国だ。我々はこの事実を認める」と明言した。中国は逆に、自らの経済力に自信を持ち、世界的な政治構想の構築に乗り出した。「人類運命共同体」[訳注2]など、相互に利益を受ける関係を前提とした一連の理念を打ち出したのだ。懐疑的な見方をする者はこれを揶揄するが、これらの理念が新たなシルクロードへの巨額投資や多国間の投資銀行設立[訳注3]に裏付けられているという事実があり、一定の関心を呼び起こしている。

 中露の協調は、だからと言って直ちに文化的アイデンティティという本質的な問題に及ぶ訳ではない。ロシアは、特に1999年のセルビアに対するNATOの78日間の爆撃以降ますます大西洋主義体制と距離を置きつつも、自らの西洋的アイデンティティを棄てることは決してなかった。プーチン氏は、西洋の退廃振りを激しく非難するときでも、暗黙裡にそのアイデンティティを再確認している。2013年9月のヴァルダイ・クラブの集会ではこう語った。「我々は多くのヨーロッパ=大西洋主義の諸国が、こともあろうに自分たちのルーツを現に捨て去ろうとしているのを見ている。西洋文明の基盤であるキリスト教の価値観もそこに含まれる」。ただ、こうした意味の文化的アイデンティティに裏付けられた西洋への回帰を明言しているヨーロッパの政治勢力の間で、ロシアについての見方は今のところ同じでない。マリーヌ・ル・ペン氏やマテオ・サルヴィーニ氏のロシアびいき、またハンガリーのヴィクトル・オバーン氏が見せる好意的中立、そしてポーランドの政権政党「法と正義」のロシアへの激しい敵意、これらが同じではあり得ようがない。北京は、条件さえ整えばロシアが西洋の再発見の先頭に立つ夢を見続けることに変わりはない、と疑っており、おそらくその通りだ。では、「大ユーラシア」計画には一体何が残るのだろうか。


  • (1) « National Security Strategy of the United States » (PDF), Maison Blanche, Washington, DC, décembre 2017.

  • (2) Lire Hélène Richard, « Quand la Russie rêvait d’Europe », Le Monde diplomatique, septembre 2018.

  • (3) 1823年にジェームズ・モンロー大統領によって決められた外交政策で、ラテンアメリカをアメリカの「裏庭」にした。

  • (4) Evgueni Primakov, « The world on the eve of the 21st century : Problems and prospects », International Affairs, vol. 42, no 5-6, Moscou, 1996. 

  • (5) Cf. Russia Against the Rest : The Post-Cold War Crisis of World Order, Cambridge University Press, 2017. 

  • (6) Lire Isabelle Facon, « Pékin et Moscou, complices mais pas alliés », Le Monde diplomatique, août 2018. 

  • (7) « Interfax : Putin says Eurasia’s not a chessboard, it’s our home », Johnson’s Russia List, 9 juillet 2015. 

  • (8) « World military expenditure grows to $1.8 trillion in 2018 », Institut international de recherche sur la paix de Stockholm (Sipri), Solna (Suède), 29 avril 2019. 


  • [訳注1]「花の革命」と呼ばれることもあり、グルジアのバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)、キルギスのチューリップ革命(2005年)など、2000年代に中・東欧や中央アジアの旧共産圏諸国で起こった群衆の街頭抗議活動を通じた一連の政権交代劇を指す。これについては、本文にもあるようにアメリカ(CIA)や、ソロス財団などアメリカのいくつかの財団の関与が指摘されることがある。

  • [訳注2] 習近平国家主席は、2015年9月28日に国連で「協力・ウィンウィンを核心とする新型の国際関係を構築し、人類運命共同体を築く必要性を強調した」(チャイナネット2015年9月29日) 

  • [訳注3] 中国は、アジアにおけるインフラ整備の資金ニーズに応えるため、西側諸国を含む世界各国によびかけ、アジアインフラ投資銀行(AIB、2015年発足)の設立を主導した。 


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年10月号より)