アイデンティティに関するアメリカの国勢調査

「あなたの人種は何ですか?」


ブノワ・ブレヴィル(Benoît Bréville)

ル・モンド・ディプロマティーク編集長

訳:村松恭平


 アメリカでは、10年に一度の国勢調査が2020年に実施される。その調査の歴史は200年以上前に遡り、時代の趨勢にしたがって質問項目や回答方法が変更されてきたという。アメリカ社会の変化を映し出すこの国勢調査は、特に人種や民族に関する「アイデンティティ」を巡り、人々の間で激しい論争の的となってきた。[日本語版編集部]

(仏語版2019年7月号より)

photo credit: Erika Herzog, 1930 US Census

 およそ10年前からアメリカの行政機関が準備を進め、研究やテスト、ヒアリング、レポートを積み重ねてきた。2020年にアメリカ合衆国は、歴史上24回目の住民調査を実施する。数百人の調査員が、インターネット上で回答しなかった人々の調査を行うために国中を駆け巡る。言うことを聞かない人に警告する——この調査を拒んだ者には5,000ドルの罰金が科せられる(1)。1976年までは、違反者は投獄されるおそれすらあった。

 このアメリカの調査は、合衆国憲法第一条に記載されている10年毎の義務である(2)。連邦主義の支柱であるこの調査によって、各州が下院に送る議員の数を定めることができる。また、選挙区を再区分する際のベースとしても役に立つ。この調査は連邦資金(2018年には8,000億ドルという“天の恵み”)を各州の間でどう分配するかを定め、1960年代以降はアファーマティブ・アクション政策の方針も決めてきた。面倒臭そうなものに見える——『ザ・ホワイトハウス』シリーズの創案・制作を行ったアーロン・ソーキンは、「“調査”という言葉を聞くだけで誰もが眠ってしまう(3)」とある日指摘した——が、この調査は重要だ。そして、すべての人がきちんと調査に含まれたほうがよい。

 だが、ちょっとした操作をするだけで調査結果に偏りが出る。質問を一つ加えたり、チェックボックスを一つ削除したり、一箇所の表現を曖昧にするだけで、その計算は歪められてしまう。2020年の国勢調査では、ここ70年来提起されていない質問をトランプ政権が加えようとしている——あなたはアメリカ国籍ですか? ハーバード大学のショーレンスタインセンターによると、この質問を加えるだけで、とりわけ民主党を基盤とする街や州において、600万人以上のヒスパニック系移民が調査への回答を拒否するかもしれないという。そして、彼らには罰則が科せられるとのことだ。トランプ大統領が始めた移民狩りを背景として、それらの調査データがいいかげんに扱われ、特に警察や移民局に渡ることを一部の住民たちは実際に懸念しているかもしれない。なぜなら、国勢調査局はこれまでに守秘義務規則を破ったことがあるからだ。第二次世界大戦中、同局はいくつもの情報を他の行政諸機関に提供し、それによって日系の在住者たちが強制収容されるに至った。もっと最近のことでは、9.11テロの後、同局はイラクとエジプト出身の在留外国人が多く集まる地区を諜報機関に知らせた(4)

 約15の州、多くの街、いくつかの団体が、トランプ氏による当該の質問に対する法的闘争を開始した。この件は今では連邦最高裁判所の手に委ねられている。人々が見守っているその決定は、数週間後になされるだろう。

 したがって、この調査には眠気を催す効果が常にあるわけではない。歴史家のポール・ショーによれば、「各国がみずからの姿を見る鏡」である国勢調査は「エリートたちが自分たち以外の階層を客観的に把握するプロセス(5)」を明らかにする。200年以上前からアメリカの国勢調査は激しい論争の的となってきた。そして大抵の場合、それらの論争は同じ一つの質問に集中した——「あなたの人種は何ですか?」。この質問は1790年に実施された初めての調査以降、さまざまな形で途切れなく投げかけられてきた。

 前回と前々回の調査と同様、2020年の国勢調査も5つの「第一次人種」(そこに「他の人種」というカテゴリーが加わる)を区別する見込みだ——白人、黒人・アフリカ系アメリカ黒人、アジア人(このセクションは中国人、日本人、フィリピン人、他のアジア人という分類の仕方でチェックボックスが分けられる)、アメリカ先住民・アラスカ原住民、ハワイ島・太平洋の島々の原住民。1970年に導入された自己申告の原則にしたがって自分のカテゴリーを選び——この選択はかつては調査員が行なっていた——その後に調査回答者は行政機関が提示した例にしたがって自分のサブグループを明示しなければならない。そうして、ドイツやイタリア、アイルランド出身の住民だけでなく、エジプトやレバノン出身の住民もまたみずからを「白人」とするよう促されている。アメリカ先住民は自分の部族を明示しなければならない。ヒスパニック系の住民たちは「人種」ではなく「民族的出自」を選択するよう指示され、彼らだけに対する質問(あなたはヒスパニックですか? ラティーノですか? スペイン人ですか?)が投げかけられる。そして、その後に人種に関する質問がくる。1980年以降は、すべての人々を対象として新しい質問がつけ加えられている——あなたの系統あるいは民族的出自は何ですか? ここではジャマイカ人は“ジャマイカ人”、ウクライナ人は“ウクライナ人”というように、“ニジェール人”や“ケベック人”、“アフリカ系アメリカ黒人”もそのように申告するよう促されている。

 肌の色、地理的ルーツや出身国、帰属する部族や言語グループに関するさまざまな考え方が混ざった雑多な質問の中で、アメリカの住民たちは途方に暮れている。国勢調査局自身の研究によると、多くの人が「エスニシティ」「人種」「出自」「系統」(6)の間の違いがよく分からないと考える一方で、行政機関によって提示されたカテゴリーに対して異議を唱える人もいる。2010年にはヒスパニック系住民の約40%の1,800万人が、選択するよう指示された「白人」ではなく、「他の人種」を選んだ。アラブ系やイラン系の住民たちもまたみずからを「白人」として申告することを拒んでいる。このカテゴリーは自分たちが犠牲者となっているさまざまな差別を反映していないと彼らは言う。ラテン系在住者たちと同じように、彼らは独自のチェックボックスを要求している。「調査に含まれないということは、調査にきちんと含まれたグループに国が提供する財源やサービスを、我々のコミュニティには提供できないということを意味する(7)」とアメリカ・アラブ反差別委員会は主張する。

 だが、マイノリティーの人々は長い間、マジョリティーのカテゴリーから抜け出すために闘うどころか、そのカテゴリーに加わろうと試みてきた。近東出身の移民たちは、20世紀に入る頃にアメリカに居住し始めた時には「アジア人」とみなされていた。この「アジア人」というカテゴリーによって、彼らはアメリカ国籍を申請することができなかった。自分たちがコーカサス系であるという「科学的な」証拠を裏付けとして激しい闘争を展開した末、1915年に彼らはようやく「白人」グループに入ることができた(8)。1930年に行政機関が「メキシコ系人種」というカテゴリーを調査用紙に追加した時には、ヒスパニック系の在住者たちもまたマジョリティーグループに戻るために立ち上がった——1940年になって彼らはその資格を獲得した。[マイノリティーがマジョリティーのカテゴリーに加わろうとする]こうした逆転の動きは、アメリカの民族統計の起源に遡ることなくして理解することはできない。

 1790年にアメリカが自国の住民の肌の色を初めて調査した時、調査員たちは「自由な白人」、「白人以外の自由な人間」、「奴隷」という3つのカテゴリーから選択していた。この分類は、1787年に憲法制定会議が開催された際に定められたいわゆる「5分の3条項」の適用に役立つと考えられた。アメリカ共和国建国の父の一人であるジェームズ・マディソンによると、「各州はその大きさの違いによってではなく(⋯⋯)主に奴隷を所有しているかどうかによって、利害がさまざまに異なっていた」時代だった。奴隷制廃止を訴える北部の州の代議員たちはこの会議の間、議会における議席配分について、その計算から奴隷を除外することを実際に望んでいた。ペンシルベニア州の代議員だったガバヌーア・モリスは、「私は奴隷取引の促進を受け入れることなど絶対にできません(⋯⋯)彼らが所有している奴隷たちのための代表権を[南部の州に]認めることによって」と言い、偽善的にそれを正当化していた(9)。したがって南部の代議員たちは、合衆国に加わる代わりに次のような妥協案の交渉をした——奴隷5人で住民3人と同等とする。誰も気に掛けなかったアメリカ先住民については、計算の際にまったくカウントされなかった。

 19世紀を通じて、民族統計はアメリカの人種への執着を助長させた。黒人がひどい扱いを受けていることではなく、彼らの退化を証明しようと、あらゆる分野の専門家が黒人の高い死亡率を持ち出した。彼らは調査の結果を利用して、新たな移民の社会同化の不可能性、「アングロ・サクソン人の自殺行為」、混血の人々の悪事、あるいは黒人にとっての自由の有害さ——たとえば1840年の調査では、自由な黒人の中に多くの「異常者あるいは重度の知的障害者」がいるとされた——を一緒くたにして証明しようとした(10)。5分の3条項は1865年の奴隷廃止とともになくなったが、民族統計は存続し、誰がアメリカ国籍を申請できるかについて特に定めてきた。1870年からは当時用いられていた分類法にしたがい、行政機関は黄色人種や赤色人種から区別しようと「中国人」と「インディアン」(アメリカ・インディアン)を加えた。1890年には、調査員たちは肌の表皮を見分ける達人——調査回答者が白人か黒人かのみならず、「ムラート(白人と黒人との混血)」か「カルトロン(黒人の血が4分の1入った混血)」か「オクタヴォン(黒人の血が8分の1入った混血)」かも見分けることができる達人——になる必要さえあった。20世紀の前半にはいくつかの人種(メキシコ人、インド人など)が、政治的プライオリティや移民の到来、アクティビストたちによる抗議活動といった状況にしたがって現れたり消えたりした。だが、そこには常に同じ目的があった。それは、アメリカ人の人種的区別を正当化することだ。

 1960年代の市民権運動に続いたアファーマティブ・アクションに関する諸政策の導入は状況を一変させ、人種を区別し続けるために考案された民族統計は、差別との闘いの道具へと突然変化した。特定の地区や街に黒人が何パーセントいるかを正確に把握できるようになったため、割り当て人数(大学における学生や、行政機関における労働者など)について検討することは容易になった。黒人の人数が一定の割合を下回らないようにするためだ。「手にハンマーを持てば、あらゆる問題が釘に見える(11)」とケネス・プレウィットはある有名な諺を用いて皮肉った。国勢調査局の局長(1998年〜2001年)を務めたこの大学教員によれば、アファーマティブ・アクションの設計者たちはそうしてプロセスの順番を逆にした。差別と闘うのに最も有効な政策とは何かを検討した後に、その到達すべき目標に合わせたツールを準備するのではなく、すでに存在していた国勢調査を採用し、そこから政策を引き出したのだ。このやり方はアイデンティティの所属意識を強化し、彼らが闘おうとしていた人種的区別を正当化するおそれがあった。

 それから半世紀が経ったが、このやり方は成果をほとんど上げていない。統計面において、黒人の中間層・上流層が小規模ながら現れたにもかかわらず、黒人全体に関しては警告灯が真っ赤に点灯したままだ——失業率、投獄率、富の格差、都市における居住分離、警察からの暴力、治療へのアクセスなど。同時に、アファーマティブ・アクションに関する諸政策は、貧しい白人たちの間で不公平感を募らせた。彼らは優遇措置プログラムから除外され、今では大学において黒人よりも割合がずっと少なく、社会の底辺層に閉じ込められていると感じている。すなわち、マイノリティーの人々ばかりが注目を集める一方で、貧しい白人たちはもはや見向きもされなくなったようだ(12)。1960年代以降、共和党員たちは貧しい白人たちを民主党員から自陣に引き込もうと、細かい事実は無視してこの感情を利用してきた。1990年の選挙キャンペーンの際、ノースカロライナ州では、共和党の選挙広告が「あなた方はその仕事を必要とし、もっともそれに適した資格をもっていた。しかし、彼らは人種別採用割り当てを理由にその仕事を有色人種に与えてしまった。それは本当に正当なのだろうか?」と疑問を投げかけていた。

 差別に関する問題だけにとどまらず、民族調査はしだいにアイデンティティの承認のための手段となった。1997年にハワイ州のダニエル・アカカ上院議員は、「連邦国家の今の分類法は私たち原住民のアイデンティティを否定している」と嘆いていた。彼は「太平洋の島々の原住民(13)」という人種カテゴリーを新たに創出する闘いの前線に立ち、勝利した。混血運動の活動家たちを立ち上がらせたのもこうした論調だった。彼らは1990年代に回答ボックスを2つ以上選択できることを要求していた——それは2000年の調査以降、認められた。RACE (Reclassify All Children Equally[すべての子どもを平等に再分類する])プロジェクトの共同創設者であり、自身が2人の混血児の母であったスーザン・グラハム氏は、1996年に国会で次のように証言した——「私は大学教員でも弁護士でも議員でもありません。ただの母親です。(⋯⋯)そして私が好む好まないにかかわらず、自尊心は人種的アイデンティティと直接結びついていると私は理解しています。ますます多くの親が私たちの混血の子どもたちに、新たな誇りを教え込んでいます(14)」。マサチューセッツ州の上院議員だった民主党所属のウィリアム・キーティング氏は、調査で複数の人種を選択することができれば、混血の家族はその結びつきを感じることができ、混血の家族として社会から認められるとさえ考えていた。

 以降、国勢調査を利用して自分たちを認めてもらうという要求はセクシャル・マイノリティの人々にも及んでいる。数年前からいくつもの団体や政治家が、性的指向や個々人の「性同一性」に関する問題を、差別との闘いやアイデンティティの要求が混在した議論に加えることを求めている。「もし政府が、ある地区にLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア)の人々がどれだけ暮らしているかを知らないとしたら、彼らはどうやって仕事をするのでしょうか。また、さまざまな権利や保護、必要なサービスへの平等なアクセスをどうやって保証するのでしょう?」とNational LGBTQ Task Forceのメーガン・モーリー氏は問いかける。カリフォルニア州の上院議員であり、LGBTQの問題を議論に加えることに強く賛成するスコット・ウィーナー氏も「数十年間、私たちの闘いは目に見えない状態から脱することにありました。あるコミュニティに関するデータがなければ、そのコミュニティは存在していないようなものです」と意見を述べる。だが、この論理がこの国のすべての「コミュニティ」に対して適用された場合、国勢調査の用紙は著しく長くなるおそれがある。

 アメリカでは今日、アファーマティブ・アクションに対する非難が高まっているが、民族調査に異議を唱える者は一人も——あるいはほとんど——いない。病院や学校、刑務所、公営住宅事業者、職業紹介所、メディア、政治家、大学関係者によって利用されている人種カテゴリーは、今やアメリカの日常生活の中に組み込まれている。その原則を採用するのは容易だが、後になってそれを撤回するのは困難だ。民族的出自についての情報の収集が(特例を除いて)禁止されているフランスでは——5年の懲役と30万ユーロの罰金が課されることすらある——、一部の人々がこのアメリカモデルの導入を望んでいるようだ。ニコラ・サルコジ氏は大統領だった時、民族的出自に関するデータの収集を許可しようと考えたが、その後、断念した。それ以降、このアイデアは定期的に議論の俎上に載せられている。それを不平等と闘うために必要不可欠な調査手段とみなしたフランス黒人団体代表者評議会(CRAN)といった団体、モンテーニュ研究所といったシンクタンク、知識人、アクティビストたちが、このアイデアを支持している。しかし、とりわけ国立人口統計学研究所(INED)によって実施されている住居・裁判・雇用・警察・学校に関する差別についてのさまざまな研究が、人種カテゴリーを制度化しなくとも差別に関する正確な調査を行うことが可能であることを示している。アメリカにおけるこうした制度化は、国勢調査を、アイデンティティの要求とコミュニティ間の競争が集中する器へと変えてしまった。それは際限のない議論の源となっており、たいした結果も生まれていない。


  • (1) 4,450ユーロ。比較として、フランスでは、国勢調査への回答を拒んだ場合の罰金は38ユーロ。

  • (2) 「国勢調査は、合衆国連邦議会の最初の開会から3年以内に、そしてそれ以降は10年毎に、法律の定める方法で実施されなければならない」

  • (3) Cité dans Christopher Bigsby, Viewing America. Twenty-First-Century Television Drama, Cambridge University Press, 2014.

  • (4) Katy Steinmetz, « The debate over a new citizenship question isn’t the first census fight », Time, New York, 27 mars 2018.

  • (5) Paul Schor, Compter et classer. Histoire des recensements américains, Éditions de l’Ehess, coll. « En temps et lieux », Paris, 2009.

  • (6) Nicholas A. Jones, « Update on the US Census Bureau’s race and ethnic research for the 2020 census » (PDF), Bureau du recensement américain, Suitland (Maryland), avril 2015. 

  • (7) « Census and identity », American-Arab Anti-Discrimination Committee. 

  • (8) Elena Filippova et France Guérin-Pace, « Les statistiques raciales aux USA : un legs empoisonné », dans Diviser pour unir ? France, Russie, Brésil, États-Unis face aux comptages ethniques (collectif), Éditions de la Maison des sciences de l’homme, Paris, 2018. 

  • (9) Paul Finkelman, Slavery and the Founders. Race and Liberty in the Age of Jefferson, Routledge, Armonk (État de New York), 1999.

  • (10) Paul Schor, Compter et classer, op. cit. 

  • (11) Kenneth Prewitt, What Is Your Race ? The Census and Our Flawed Efforts to Classify Americans, Princeton University Press, 2013. 

  • (12) Lire Arlie Hochschild, « Anatomie d’une colère de droite », Le Monde diplomatique, août 2018.

  • (13) Cité dans Kenneth Prewitt, What Is Your Race ?, op. cit. 

  • (14) Jon M. Spencer, The New Colored People : The Mixed-Race Movement in America, New York University Press, 1997.


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年7月号より)