フランスにおける階級闘争


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

本紙統括編集長

ピエール・ランベール(Pierre Rimbert)

本紙記者

訳:土田 修


 「黄色いベスト」運動はバカンスをはさんで再開された。あるグループはパリ空港の民営化に反対し、空港で抗議活動を展開するなど、反緊縮、反貧困・格差是正といったネオリベ経済批判へと突き進んでいる。この記事のタイトルは、1848年6月の労働者蜂起とそれへの弾圧を分析して書いたカール・マルクスの『フランスにおける階級闘争』を想起させる。筆者は新しい時代の階級闘争を提起している。[日本語版編集部]

(仏語版2019年2月号より)

photo credit: Patrice CALATAYU, Les Gilets Jaunes

 恐怖がある。それは票を失う恐怖でも、「改革」に失敗し、証券取引所で資産が紙くずになるのを目にする恐怖でもない。蜂起、反乱、失職に対する恐怖だ。半世紀以上も、フランスのエリートたちはこうした恐怖の感情を抱いたことはなかった。2018年12月1日土曜日、「黄色いベスト」の抗議行動は突然、エリートたちの心を恐怖で凍らせた。「緊急事態です、皆さん家に帰りましょう」。BFMテレビ局のスター記者ルース・エルクリフは取り乱した様子でこう叫んだ。テレビの画面にはより良い生活を掴み取ろうと決意した「黄色いベスト」運動の参加者たちの映像が次々と映し出された。

 数日後、企業寄りのオピニオン紙の記者はスタジオで、どれほどの嵐が街頭で吹き荒れているのかを明らかにした。「大企業グループすべてが特別手当を支払う用意をしています。彼らは頭を槍の上に突き上げられた時のような本当の恐怖を感じたからなのです。そうなんです、あらゆるものが破壊されたあの恐怖の土曜日の後で、大企業はMedef(メデフ=フランス企業運動)[フランスの企業経営者の組織]の会長ジョフロワ・ルー・ド・ベジューにこう要請しました。“すべてを投げ出しなさい。さもないと……。”彼らは身の危険を感じたのです」

 記者の隣では世論調査機関のトップは、自分の番になるとこう語った。「大企業経営者はとても不安です」、まるでその雰囲気は「1936年[人民戦線]や1968年[パリ5月革命]について言われてきたことに似ています。今やこう考える時です。“重要なものを失う前に大金を投げ出す覚悟が必要です”(1)」。人民戦線時代に労働総同盟(CGT)書記長だったブノワ・フラションは、工場占拠を伴う予期せぬストライキに続いて始まった首相官邸との交渉の最中に経営者たちが「あらゆる面で譲歩した」ことさえあったと語る。

 エリート階級のこうした崩壊はまれだが、それは歴史を通じて次のような教訓を導き出した。怖がっている者たちは、自分たちを怖がらせた者をも、また自分たちが怖がっているのを目撃した者をも許すことはない(2)。持続的でとらえどころがなく、リーダー不在で体制側が理解できないことばを話し、治安部隊による抑圧にも負けず粘り強く、略奪や破壊行為についての悪意あるメディア報道にもかかわらず「黄色いベスト」運動の人気は衰えていない。それゆえこの運動は過去にも例のあったさまざまな反応を引き起こしている。社会運動に人々が結集した誰の目にも明らかな階級闘争の時代には、各々がそれぞれの陣営を選ばなければならなかった。中道派は姿を消し、穏健派も消え去った。そして、最もリベラルで、高等教育を受け、最も優秀な人たちでさえ、あらゆる階級の人びとが一緒に暮らしているのだというフリをするのを忘れてしまった。

 エリート階級は恐怖に襲われ、『回想録』の中で1848年6月の労働者蜂起について書いたアレクシ・ド・トクヴィルのように、冷静さを失った。悲惨な状況に追いやられていたパリの労働者たちは、「大砲こそが世紀の問題を解決できる(3)」と信じ込んだブルジョワが送り込んだ軍隊によって虐殺された。

 トクヴィルは礼儀正しさを失い、社会主義者の指導者オーギュスト・ブランキについてこう書いた。「病的で、よこしまで、薄汚い様子で、ひどく青ざめ、カビ臭い死体のようだ……。下水道で暮らし、そこから出てきたようだ。まるで尻尾をつままれた蛇を思わせた」

 パリコミューンの時にも同様に、礼儀正しさが激しい怒りへと変貌した。この時は、多くの知識人や芸術家、平時であれば進歩主義者だった人たちも同じ変貌ぶりを見せた。詩人のルコント・ド・リールは「あらゆる落伍者、無能力者、羨望者、殺人者、泥棒といった輩」に対して腹を立てた。ギュスターヴ・フロベールにとっては「一番の特効薬は人間精神の恥である普通選挙に終止符を打つこと」だった。2万人の死者と4万人の逮捕者という当局の懲罰措置に安心したエミール・ゾラはパリ市民に対する次のような教訓を導き出した。「たった今、彼らが浴びた血の海は労働者階級の熱を抑えるのに必要な恐怖であった(4)

 さる1月7日、哲学と政治学の教授資格者で前の青少年・国民教育・研究相のリュック・フェリーは、「黄色いベスト」運動の鎮圧——彼の目には物足りなく映る——について彼がラジオ・クラシックのインタビューで治安部隊に次のように要請した時、かつての同僚の政府高官たちと同じ極端な見解を抱いたも同然だった。彼はこう言ったのだ。「こうした暴漢ども、警官を殴りにやってきた極左や極右、郊外の卑劣漢どもには一度、治安部隊が武器を使うべきだ」。そう言い終わるやいなやフェリーは昼食に想いを馳せた。

 一般に権力は、フランスやEUの高官、知識人、経営者、ジャーナリスト、保守系右派、中道左派など、それぞれ異なる、しかも時には競合もする集団によって成り立っている。こうした居心地の良い環境の中で民主的な儀式(選挙とそれに続く活動停滞)によって政権交代が行われてきた。1900年11月26日、リールで、フランスの社会主義者のリーダーであるジュール・ゲードは「資本主義階級」の権力を長続きさせているこの一連の政治ゲームを詳細に分析している。「急進ブルジョワ、共和派ブルジョワ、教権派ブルジョワ、自由思想ブルジョワに分かれていて、常に、一つの派が敗北すると敵でもある別の派に置き換わるのだ。一つの隔壁が浸水しても沈まない状態に保つ水密隔壁を持った船だ」。だが、海は揺れ動き、船の安定性は脅かされることがある。こうした場合は、共通の緊急事態なので内輪揉めは控えなければならない。

 「黄色いベスト」運動を前にブルジョワたちはこうした動きを見せた。彼らのスポークスマンはいつも通り、平穏な時代には多様な意見を表向き注意深く尊重するが、声を揃えて異議を唱える人々を人種差別主義者、ユダヤ主義者、同性愛嫌い、反乱分子、陰謀主義者、さらには無知蒙昧な輩に一括りにしてしまう。「『黄色いベスト』、それは愚かさの勝利か?」とセバスチアン・ル・フォルは1月10日にル・ポワン誌で問いかけた。コラムニストのブルーノ・ジュディは12月8日にBFM局で「『黄色いベスト』は何も考えずに戦っている連中だ」と語った。ヴァンサン・トレモレ・ド・ヴィレルスも「最も基本的な礼儀さえ顧みない低次元の衝動に突き動かされている」と書いている(12月4日フィガロ紙)。

 というのも「憎しみのこもった少数者」(ドゥニ・オリヴェンヌ[ラガルデール系メディア業界経営者])に導かれたこの「プジャード派[50年代のフランス中南部で起きた反税闘争]の叛徒のような田舎者たちの運動」(ジャン・カトルメール記者[リベラシオン紙欧州政治コラム担当])は、「ノミにやられたように怨恨に蝕まれた」「強盗団、略奪者集団」(フランツ=オリビエ・ジスベール)が「物騒な欲動」(エルベ・ガッテーニョ)を欲しいがままにする「怒りと憎しみの爆発」(ルモンド紙論説)とえてして同一視されるからだ。ジャック・ジュリアールは「この新しい田舎者たちにとって何人の死者が出れば罪悪感を感じるのだろうか?」と心配している。

 「思う存分発揮されたむき出しで無分別な憎悪」に不安を感じているベルナール・アンリ・レヴィはル・パリジャン紙で「黄色いベスト」運動参加者らに「怒りを議論に変える」よう促す請願への署名に応じている。この請願にはシリル・アヌナやジェローム・クレマン、ティエリー・レルミトらが興を添えている。その請願は不首尾に終わっているが、パスカル・ブルックナーはやれやれとため息をついた。「野蛮人」や「覆面をしたくずども」から「警察は冷静に共和国を救った」と(5)

 欧州緑の党(EELV)から社会党の残党まで、フランス民主主義労働同盟(CFDT)からフランス・アンテール局のモーニングショー(放送局の責任者によると「知的パートナーシップ」を結んでいるのだが)の2人の司会者まで、社会全体が、「黄色いベスト」運動に好意的な政治家を激しく攻撃することに専念してきた。このように攻撃をしてきた彼らに過ちがあるとすれば、それは恐怖心を抱く少数派と連帯することなく民主主義を損なったことだ。こうした邪魔者たちを抑え込むには、古めかしい策略を用いることだ。それは「黄色いベスト」運動のスポークスマンを、極右がかつて擁護し繰り返し口にしたのと同じ意見だと思わせる方法を探し出すことだ。マリーヌ・ルペンがプレス向け年頭所感で「[ジャーナリストに対する暴力は]建設的な意見交換も民主的生活も社会生活も存在しないのであれば、民主主義と他者への尊重の否定だ」(1月17日)と発言したからといって、ジャーナリストに対する暴力を助長してもよいことになるのだろうか。

 エマニュエル・マクロンの選挙基盤となったブルジョワ側の過剰反応は、ル・モンド紙が「黄色いベスト」運動のある家族について「アルノーとジェシカ、ギリギリの生活」(12月16日)という思い入れたっぷりの人物記事を書いた際にこれ以上ないほど露骨に明らかになった。多くの怒りの声が同紙サイトに寄せられた。ある読者は「あまり賢くない夫婦だ……いくつかのケースでは本当の貧困は台所事情ではなく文化的側面にあるのではないか?」とし、もう1人は「貧困の病理学的問題は分不相応な生活を送る能力にある」と書いた。さらにもう1人は「彼らをリサーチャーやエンジニア、クリエーターにするなんて想像できない。彼らの4人の子供たちもあの両親のようになるだけだ。社会のお荷物だ」と結論付けた。「だが、彼らは共和国大統領に何を期待しているのか? ジェシカがちゃんとピルを飲んでいるかどうか確認するため[大統領に]毎日、[フランス・ブルゴーニュ地域圏の都市]サンスを訪問しろというのか」と別の1人は抗議する。この記事を書いたジャーナリストは「家父長的口調」の「洪水のような攻撃」を前にたじろいだ(7)。「家父長主義者」? といっても家族の言い争いのことではなかった。穏健派と定評のある日刊紙の読者が階級間の戦いを煽っているのだ。

 事実、「黄色いベスト」運動は、80年代の終わりに採用されて以来、社会自由主義の福音主義者によって支持されてきた政策の大失敗を浮き彫りにしている。それは庶民階級を、例えば政治制度をテーマにした公開討論の場から排除することでイデオロギー的な混乱に決着をつけたとされる「中道派共和制」の政策だった(8)。依然として国民の大多数を占めつつも手に負えない庶民階級は、教育のある中流階級にあらゆる場を譲らねばならなかった。

 フランスにおける「緊縮財政への転換」(1983年)、ニュージーランドの労働党による反革命(1984年)、トニー・ブレア、ビル・クリントン、ゲアハルト・シュレーダーによる90年代末の「第三の道」が出現し、この政策を実行したということなのだ。社会民主主義は、国家機構に絡め取られ、メディアになじみ、大企業の取締役会に入り込むにつれ、かつて持っていた大衆的基盤を政治的駆け引きの埒外へと追いやってしまった。米国ではヒラリー・クリントン氏が大統領選の資金提供者の会議で、トランプを支持する大衆を「嘆かわしい連中の集まりだ」と片付てしまったことにあまり驚きはなかった。

 だが、フランスの状況はアメリカより良いとはいえない。マクロン大統領の数ある側近を育てた社会党員のドミニク・ストラス=カーン氏は既に17年前に政治戦略の本の中で、左派はこれから「賃金労働者の大部分をなし、賢明で情報に通じ教育のある中間グループの構成員」に立脚しなければならない、「彼らは社会の骨組みを形成しており(……)市場経済と結びつくことで社会の安定性を担保している」と語った。あまり賢明ではない他の者たちの運命は閉ざされている。つまり「最も恵まれない人たちのグループには、不幸にも議会制民主主義への平和的な参加を常に期待できない。そのグループは歴史に関心がないわけではないが、いきなり歴史に暴力を伴って登場するからだ」(9)

 それゆえ、こうした人々は極右に投票するといって非難されることはあるが、5年ごとの大統領選挙の時にしか関心を持たれることがない。選挙が終われば、彼らは忘れられ、目に見えない存在に立ち戻ってしまうのだ。当時はまだ道路交通法によって黄色いベストの装備が全ドライバーに義務付けられてはいなかった[だから「黄色いベスト」を着て存在をアピールすることができなかった]」。

 この戦略が機能した。庶民階級は政治的代表制度から閉め出されている。労働者や勤め人の国会議員の割合は元々少数だったのに、この50年で3分の1に減少してしまった。同時に大都市中心部からも閉め出されてきた。というのも、毎年、パリでマイホームを取得する労働者や勤め人は全体のわずか4パーセントにすぎず、[上流階級しか住まなくなった]2019年のパリは、[宮廷人ばかりだった]1789年のヴェルサイユによく似ている。さらにまたテレビ画面からも閉め出されてきた。ニュース番組に出演する人々の60パーセントは、労働人口の9パーセントに当たる高等教育を受けた人々に限られている(10)。大統領にとってはこうした庶民階級は存在していない。彼にとって欧州は「物質的な快適さの中で保護されていると感じているプチブルの古い大陸」でしかない(11)。ただ、消えてしまったこの社会的階層は、学校教育や職業教育にとって扱いにくい存在であるので、彼らの置かれている境遇は自らの責任によるものだと決めつけられてきた。それが突然、凱旋門やシャンゼリゼに姿を現したのだ。国務院の評定官で憲法学者のジャン=エリック・ショエットルは頭が混乱し茫然自失となり、フィガロ紙のネット版で「原始的な形態での階級闘争の再燃だ」(2019年1月11日)と診断を下すしかなかった。

 国民の大多数を政治の世界から遠ざけるこの計画はナポレオンのロシア戦役でのベレジナ渡河作戦のように大敗北を喫したのだが、その一方で、左派と右派の相違を混乱させることを狙った、支配階級のもう一つ別の計画は、望外の幸運に恵まれた。1989年のベルリンの壁崩壊後に支配的となったこの考えは、元々、ネオリベの「理性のサークルcercle de la raison」(エッセイストのアラン・マンクの言葉)に異議を唱えるあらゆる立場を、信用を失った周辺的存在の極左・極右へと追い払うことだった[訳注1]。ところが、政治的正当性はもはや、資本主義的または社会主義的、ナショナリストまたはインターナショナリスト、保守的または解放的、独裁的または民主的といった視点で世界を捉えるのではなく、理性派と急進派、開放派と閉鎖派、進歩主義者とポピュリストといった二分法に依拠している。右派と左派の区別を拒否すること——権力の代理人である職業人[ジャーナリスト]たちはそのことで「黄色いベスト」運動の人たちを非難するのだが——はブルジョワ陣営が数十年来続けてきた“左右の違いを曖昧にする”政策だったが、結局、これを庶民階級が再現することになった。

 この冬、公平な税制、生活水準の改善、政権の独裁的性格の拒絶といった要求は重要な位置を占めたが、賃金の搾取、生産手段の私的所有はまったく問題にならなかった。富裕連帯税の再導入、2車線高速道路を制限時速90キロに戻すこと、議員の出費明細のより厳しい検査、市民発議による住民投票(RIC)といった要求のいずれもが、賃労働者の企業への従属、基本的な所得分配、欧州連合およびグローバリゼーションにおける人民主権のまやかし的な性格を問題視することはなかった。

 もちろん社会運動は進みながら学習していくものだ。予期せぬ障害や思いがけない好機に出会うたびに、再度、目標は見直される。1789年のフランス革命時に全国三部会(Etats généraux)が開催された際、フランスに共和主義者は一握りしかいなかった。「黄色いベスト」運動への連帯を表明することは、それゆえ、彼らの行動を徹底的に掘り下げ、正義と解放の方向へと仕向けることだ。だが、他の者が反対の方向に仕向け、彼らの社会に対する怒りが5月のEU選挙では極右に利することになるということも知っておくべきだ。

 「黄色いベスト」運動を[中流階級から]政治的に孤立させることでこうした帰結が促進されているようだ。権力とメディアは、非難すべきだが脈絡のない彼らの言葉や行為を大げさに報じることで、この運動を[中流階級から]遠ざけようと試みている。こうした信用失墜の企てが万一にも成功すると、政治というものをリベラリストとポピュリスト間の対立に矮小化してしまう、2017年以来のマクロンの戦略に有効性を与えてしまうかもしれない(12)。ひとたび、こうした分裂が定着すれば、マクロン大統領は右派も左派も彼に反対する者たちを“同じ汚辱のグループ”にかき集め、国内のあらゆる異議申し立て運動を「国際派ポピュリスト」の行動に結びつけてしまうに違いない。そこでは、ハンガリーのオルバン・ヴィクトル、イタリアのマッテオ・サルヴィーニとともに、ポーランドの保守派、英国の社会主義者、「不服従のフランス」、ドイツのナショナリストでさえもがひとくくりにされてしまうのだ。

 だがフランス大統領はパラドクスに答えを出さねばなるまい。彼は乏しい社会保障の原資を支えに失業保険や年金、公務員の「改革」を、より強化された独裁的性格や治安部隊による弾圧、「移民についての大討論会」への同意といった代償を払ってしか実行できないだろう。マクロン氏は、世界中の「非リベラル」な政府に小言をのたまわっておきながら、結局、そうした政府のやり口を模倣することになるだろう。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年2月号より)