製品保証期間の長期化で世界が変わる

安価品から長持ちする商品へ


ラズミク・クシェイアン(Razmig Keucheyan)

社会学者
Les besoins artificiels. Comment sortir du consumérisme,
La Découverte, Paris, 2019の著者


訳:村上好古


 フランスでは、大量消費社会を改め「環境に優しい社会」に移行する観点から、商品の保証期間を10年に延ばすことを求める運動が広がっている。その期間内に修理に出される件数が増えることから、雇用機会も確保されるという。また、耐用年数のほか低賃金労働など隠れたコストを加味した新たな価格表示方法が、あわせてこの記事で提案されている。[日本語版編集部]

(仏語版2019年9月号より)

Laïla Bourebrab. — De la série « Les Mains et les Outils », 2004
www.artistescontemporains.net


 大量消費社会をどうやって脱出したらよいのか。製品の保証期間を延長すればよい。ある単純な事実がこれを裏付ける。保証期間内に故障した製品は、その80%が販売店、あるいはメーカーに修理に出される(1)。もちろんこの割合は、場合によって異なる。腕時計とプリンターでは両方が同じ値段であっても、腕時計の方が手離しにくいし、より長い寿命が期待される。一般的なものでありながらあまり知られていないこの数字は、大多数の消費者はその機会があれば自分の権利を活用するということを意味している。

 ところが保証期間を過ぎると、修理依頼に出される割合はすぐに半分以下になる。たとえば、電化製品や電子機器の場合40%を切る。その通りかどうかはともかく、持ち主はこの時点で新しいトースターやパソコンを買った方が、より実際的だし安いと考える。だとすると、法律での決め事を変えさえすれば製品の寿命を延ばすことができる。つまり、保証期間をより長くすれば、製品はより多く修理に出されるようになり、その製品寿命は長くなる。買替えのサイクル、また自然資源の利用、それに製造に要するエネルギー消費のペースも、したがって緩慢なものになる。保証期間はこうしたことに関係ないように見えるが、経済と、それを通して政治をも変える強力な手段になるのだ。

 フランスでは複数の団体がまとまって保証期間の長期化を要求している。「フランス自然環境連合」(France Nature Environnement)、計画的陳腐化[メーカーが製品寿命を意図的に、時として短期に設定すること]の停止を求める消費者団体であるHOP(Halte à l’obsolescence programée)、「気候変動ネットワーク」(le Réseau Action Climat)などの支援を受ける「地球の友」(Les Amis de la Terre)は、保証期間を10年に延長することを求める署名活動を行った(2)。「アモン法」と呼ばれる2014年の消費者法以来、フランスの法律は1999年のEU指令に従い保証の最低期間を2年としている。それまでは、例えば1年だとか6カ月であっても、メーカーがそれを決めてしまってかまわなかった。保証期間を10年、いやさらにそれ以上に延ばすことは、私たちの世界を全く別のものに転換し、商品の生産と消費の姿を一変させることになるのかもしれない。物をたえず新品と取り換える生活とこうして訣別することは、他の方策と組み合わせれば、環境面でより持続可能な社会の誕生につながるのではないだろうか。

買い替えるよりも修理に出すこと

 企業がこれに激しく抵抗する理由は容易に理解できる。市場に出される商品が少なければ、他の条件が同じだとすると利益はそれだけ少なくなる。確かに修理は収益分野になり得るだろう。すでに一部の分野がそうなっているし、多くの自動車修理業者がこれで生活している。しかしこの提案は、現在の生産モデルを一から考え直すことを意味するものなのかもしれない。

 こうした転換を望む声が大きくなる前にそれをつぶしてしまおうと、企業は、最終的には消費者が保証期間延長に伴う製品コストの上昇を負担することになるのだと繰り返す。今よりずっと多くの修理依頼が行われることになると、メーカーと販売店には当然追加的な費用がかかり、それは価格に転嫁される。あるいは、製品が常に回転することで生み出されるイノベーションが滞ることになる、と泣き言をいう。この速度を落とすと、研究・開発が資本主義メカニズムの中心的な位置を占めることができなくなり、こうなると消費者はさらに追加費用を払うことになる。ただしこの場合のそれは消費者の自由に関るものであり、自分がそうしたいと思うほど頻繁にはスマートフォンを交換することができなくなるのだ、と言う。

 企業側の主張で正しいことがひとつある。長い保証期間を設けるには製造方法を変えねばならず、より耐久性のある材料を使う必要があるということだ。これは、19世紀の終わりに発明されたジレット社のカミソリ以来、消費社会の柱となっている使い捨て文化の終焉を意味する(3)。法的な保証期間を長期化することは、いくつかの家電メーカーが実現しているように、10年、さらにそれ以上、個々の交換部品も長期にわたって入手可能にすることが前提になるだろう。メーカーは、陳腐化を促すため部品を意図的に手に入れにくくしている。これらの部品の入手には手間と時間を要するようになっており、販売店でさえそれがまだあるのかどうかわからない。消費者は待ち切れなくなり、新しい製品を買う。

 誰でもアクセスできる交換部品の統合的なデータベースを分野ごとに作ることが、必要な第一歩になるだろう。自動車などですでに、この種のリストの初期段階のものが作られているが、アクセスが皆に開放されることが重要だ。著作権や企業秘密に関する法律は現状のままではあり得ないだろう。なぜなら交換部品を容易に入手可能とすることへの要請の背後で、私的所有に対する疑問がはっきりしてきているからだ。企業は製品を市場に投入しその販売で利益を上げるが、それは企業がその製品について絶対的な権利を持っているからだ。そしてこの権利から最終的に資本家の利潤が発生する。労働運動がその始まりからそうしてきたように、この「利潤」を疑問視することが、新たな経済システムへの道を開くことになるのではないだろうか。

 保証期間を長くしようとすると、より多くの修理業者が必要になる。ところがこの10年間でフランスの自営業者の半分は店を閉めた(4)。自動車修理業者は好調だが、家電製品や靴の修理業では、ほとんどその姿が見られなくなってきている。保証期間が長期化されれば、こうした伝統ある職業は復活する。いくつかの都市の中心部では、修理屋がいて消費者に物品の修理をしに来るよう呼びかける「修理カフェ」運動が盛況になっている(5)。おそらくレトロ趣味もあろうが、最近の経済危機で、多くの人々が、買い替えるよりも手入れして使おうという気になったことの現れでもある。

 自営の修理業という職種にはひとつの特性がある。海外移転など分散化のしようがないのだ。スマートフォンが壊れた時、その機械はしばしば地球の反対側まで送られ、そして返送されてくる。これは特に修理を販売店(フランスでよく行われるケース)や、メーカー(ドイツなどの場合)に依頼したときのケースだ。これに対し、修理を自営業者に依頼すると、その場で生身の人の力を頼ることになる。保証期間の延長は生産と流通にかかるコストを引き上げ雇用を脅かす、といった企業の主張とは逆に、保証が拡大すれば修理が増え、したがってより多くの仕事が生まれる。ただしもちろん労働市場の構造変化が必要だろうし、こうした分野への転換策を講じることが国には求められよう。

 交換部品の入手可能期間を延ばし修理業を復活させても、製品が修理可能でなければ意味がない。つまり修理できるように設計されていなければならない。ところが、それがどんどん少なくなっている。部材を接着するかねじで止めるか、こうした単純な違いが部品の交換を難しくも易しくもする。部材がひとかたまりになった「単体構造」と呼ばれるものでは、組み立てるという概念自体がなくなっている。取り付けるか捨てるか、という選択しかない。自動車のヘッドランプがその例だ。メーカーは、製品の性能を劣化させるというもともとの意味での「計画的陳腐化」を行う必要がいささかもない。ただ修理不能な商品を設計すれば足りるのだ。その方がはるかに単純だし、法的なリスクも小さい。

 保証期間の延長は、産業の地元回帰――それなくしては環境に優しい社会への移行の達成はあり得ない――の促進にも役立つだろう。実際のところ、大量の温室効果ガスの排出を伴いながら地球の反対側で生産される低価格製品は、保証期間を10年にするという要請にはなかなか応えられないだろう。次のことはつい忘れがちとなる。つまり、商品のグローバリゼーションは必然的に製品の質の低下を伴い、その多くの場合、保証がつかない。企業は製品に10年間保証を付けなければならなくなると、多数かつ地理的に分散しているその供給者に対して、品質の高い部品を届けるよう強いるに違いない(6)

 そして最後の点だが、保証期間の延長には、あわせて「使用価格」[訳注]を表示すること、つまりアモン法の表現で言うと「その商品の所有ではなく、その商品から生まれる便益の使用に関係づけられて決まる商品の価値(7)」を表示すること、が必要だ。政府は当時、この実験的な試みを義務にするのではなく企業の自主性に任せた。その結果と言えば、「使用価格」は何の話題にもならなかった。しかし、これは驚くべきひとつの道具なのだ。販売価格が極めて安価であっても、「使用価格」は高いということがあり、このふたつの要素はしばしば反比例さえする。安価であることはおそらく、素材の品質が粗悪であったり、生産者の労働環境が劣悪なものであったりすること――両者は併存するのが一般的だ――を内に隠している。「使用価格」は隠されたコスト、すなわち短寿命であるため消費者が短期間で製品の買替えを余儀なくされることに伴うコストを含む。こうしたことについて表示があると、顧客は購入の際、製品を買い替えるうちに嵩んでしまう費用を節約するため、より高い値段を払ってもよいという気になる。

 使用価格の算定は、製品の「通常の」寿命に依存する。どの商品でも想定寿命があり、設計段階でそれが見積もられ、私たちもそれをイメージしている。私たちは、平均して20カ月ごとに新製品に入れ替わるスマートフォンよりも冷蔵庫の方が長く使えるものと思っている(8)。製品の耐用期間が延びると、使用に供されるコストの総体が長い年限に分割されることから、その使用価格は低くなる。別の要素も計算に入る。自動車が古くなると修理費用がどんどん嵩むようになるが、そうすると使用コストは高騰する。

 価格のブラックボックスを開けることは、消費習慣の変更を促進することに他ならない。食料品を買うと、そのラベルには多かれ少なかれ正確かつ網羅的にその成分――とくに栄養素とカロリー――が表示されている。もっとも、その生産環境や生産者の賃金、納入業者のマージンなどは知り得ない(9)。このことは食料品だけでなく、程度の差はあるが、すべての商品に当てはまる。

 使用価格の表示は、生産の全工程についての正確な情報を含むものでなければならない。新しいラベル表示は義務的なものになるだろう。そこには賃金、労働時間、女性男性間の平等の尊重度など、その生産が行われた労働環境が示される。それは、かつて工場や商店に労働組合があるかどうかを表示していた「組合ラベル」の伝統の復活になるのかもしれない(10)。耐久商品の場合は、ラベルにはさらに使用期間を加味したコストが表示され、材料の品質、したがって環境の持続可能性に関する情報になる。

 いずれ使用価格の表示に関する思考法は、より根本的な変革への認識につながって行く。その変革とは一部の人が「機能性の経済」と呼ぶものであり、物品そのものではなく、その「使用」が売られるのだと言う。私が買うものはもはや車ではなく、運転する時間になる。言い換えれば、もはや所有の移転ということが存在しない。これは賃貸システムの原理であり、それが経済全体に一般化される。つまりこのとき、使用価値が交換価値に対して優位に立つのだ。

 しかし、この交換方式の利点が私的な民間システムに取り込まれてしまわないためには、物品の所有が共同体で行われることが重要である。私たちが車を借りるとき、車を所有しているのはレンタカー会社であり、それゆえ使用条件や価格を設定する権利はその会社が有している。しかし、保有車両を国や公共体など社会で所有するようになれば、利用者がその使用条件や価格を設定できるだろう。議論と反論を伴いながら、使用についての民主化が実現されるようになるのだ。

 この種の移行を実現可能なものにして行くには、交換価値を支持する社会勢力と対峙することがやはり避けられまい。この勢力は強い。この点からすると、機能性の経済には、社会的に規模の大きい勢力の数々、そして何よりも庶民階級を動かすことのできる政治的な計画性が必要だ。私的所有に対して使用価値を守ることは、社会主義と政治的な環境保護主義の共通基盤をかたちづくって行くことであり、間違いなくその出発点となるだろう。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年9月号より)