EU指令が混乱させたニジェールの町

アガデスの罠にかかった移民たち


レミ・カラヨル(Rémi Carayol)

ジャーナリスト


訳:福井睦美


 サハラ砂漠の南部に位置する世界文化遺産の町アガデス。14世紀以前よりサブサハラアフリカから北アフリカや地中海への人口移動をコントロールする要所として栄えてきた。ところが2015年、北上する移民を堰き止めたいEUはニジェール政府に圧力をかけ、それまで容認されていた移民援助が違法に。以来、アガデスの地元経済は大きなカオスに陥っている。[日本語版編集部]

(仏語版2019年6月号より)

photo credit: Joris-Jan van den Boom  1 Year ago: minivan to Agadez

 水曜の朝、やわらかな倦怠感に包まれたアガデスのバスターミナル。暑い季節が近づいている。夜明けとともに町は土ぼこりに包まれている。でもこの天気は旅人の少なさには関係がない。「もう長いこと乗客はやってきていないよ」。窓口係は悲しそうに言う。「北に行くやつらは隠れてるんだ」。居眠りしている同僚の横で、彼もマットに寝そべっていた。

 旅行業界で「砂漠の入り口」と呼ばれていたニジェール北部の中心都市アガデスに、もうそのニックネームは合わない。かつてディルクやリビア方面への車列が出発していた中央ターミナルは、活気にあふれたこの町の心臓部だった。毎週月曜になると数十台、時には200台もの車両が家畜や乗客を積み込んで砂漠に旅立っていった。アフリカ西部と、数は少ないが中央部、東部からもやってきたその乗客たちは、リビアや、あわよくばその先のヨーロッパを目指していた。軍にエスコートされてリビアとの国境まで旅していく車列は、そこに乗り込む人たちにとっては大いなる希望だったし、アガデスの住民にとっては、生きるためになくてはならない空気のようなものだった。「町全体がそれに頼って生きていたんです」とため息をつき、物思いにふけるのは地元で良く知られた協同組合の活動家マハマン・サヌーシ氏だ。「移民は合法的だったし、運輸業者は繁盛していて、他の業者同様きちんと税金を支払っていました。 2015-36法がそれらすべてを変えたんです」

EUの最優先「援助」先

 2015年5月26日の不法移民の仲介に関する法律は、ニジェール北部の惨劇と評される。この法施行はそれまで他の商売と変わらなかった商業活動を一夜にして非合法化し、何十人もの若者を監獄に送った。2015年、北上してくる移民の波を食い止めるために目に見えない壁を建設したEUは、移民対策をアジェンダに掲げバレッタ・サミットを開催した。このマルタ共和国の首都に集合した28カ国の代表は、いかにして移民対策を外注化し、アフリカの関係諸国をこの対策に引き込むかに知恵を絞った。EUは「パートナー」たちをどうやって納得させるかを心得ていた。金欠状態の国々に、遠大な旅を試みる者たちを引き留める「手助け」をしてもらう代わりに「巨額」の援助金(20億ユーロ以上)を約束したのだ。「非合法移民問題の根本的な原因やアフリカの難民問題と戦い、解決策を継続維持するため」のEU緊急信託基金(FFU)は、欧州委員会がナイジェリア、セネガル、エチオピア、マリ、ニジェール各国との「テーラーメード協力(1)」と名付けた枠組みに沿った複数のプロジェクトに資金を提供している。

 アルジェリア、リビアと国境を接するニジェールは、このヨーロッパの戦略の中核に位置している。2011年、英仏部隊によるリビアのカダフィ政権の解体後、アガデスはヨーロッパ大陸への移動の主要な中継地となった。2016年には40万人近くの移民がこの町を通過した(2) 。彼らはマグレブに向かい、さらにそのうちの多くは地中海を目指していた。2015年、EUは彼らを移民撲滅政策の主要ターゲットと定めた。国際連合開発計画が世界の最貧国としているニジェールは南東にボコ・ハラム、北西にマリの武装勢力、北部にはトゥブ族の民兵団など、国境に複数の脅威を抱えていた。マハマドゥ・イスフ大統領が率い、フランスと同盟を組むこの国には資金と軍事協力が必要だった。EU緊急信託基金(FFU)は3年間でニジェールに2億6,620万ユーロの資金を割り当てた。これは他のどの国よりも多額だ。開発援助や人身売買との戦いというのが表向きの発表だが、武力を使ってでもヨーロッパへの移民の流れをせき止めるという見え透いた本当の目的はカモフラージュできていない(「民兵のパラダイス」参照)。

 資金の一部は国家の再建と国境の管理に充てられるはずだ。具体的には、移民対策の精鋭部隊を創設してニジェール治安部隊を強化し、「非合法移民に関連する犯罪ネットワーク」追跡のための共同調査チーム(ECI)を設置する。2012年に立ち上げられたEUのサヘル地域テロ・組織犯罪対処能力構築ミッション (EUCAP Sahel Niger)もアガデスに支部を開設して活動している。2015年以来、このミッションの移民対策チームは治安部隊の教育を担当し、必要物資を提供している。広くヨーロッパ各国から集まる警察官らは、公式には現場活動は行わず、情報収集、技術的ノウハウの伝授を受け持っている。

 移民に関するEUのアジェンダが策定されたのと、2015-36法が採択されたのはほぼ同時だった。これはEUに押し付けられたものではないにしても、その影響はあったということを、ニジェール政府内で否定する者はいない。しかもこの法律の草案の一部はフランス政府の公務員によって書かれている。大統領府直属で法律の施行を司る組織HACP議長のマハマドゥ・アブ・タルカ将軍は「実際のところ、圧力があったのは否定できません」と認めている。「しかし我々もこれについては以前から検討してきました。2012年以来、爆発的な移民の増加は我々にとっても主要な懸念事項だったのです。当初は我が国の国民にとって生活収入を得るために必要だったため、移民たちを容認していました。しかし彼らが各種の不法取引の温床になっていたのも事実です。ですから、ヨーロッパから“資金を援助するので“、という話があった時我々はそれに飛びついたわけです」。地元には「井戸の底まで落ちてしまった者には、上から来るものはなんでもありがたい、たとえそれが蛇であっても」ということわざがある。



 今後、金銭的、物質的対価を得て移民を不法にニジェール領土に出入りさせる者には5~10年の禁固刑と最大500万CFAフラン(7,630ユーロ)の罰金が科せられかねない。移民に宿泊場所、食物、衣服を提供するなど、その滞在を手助けをした者も2~5年の禁固刑を科される。2016年以来、300人近い運転手や手配業者たちが逮捕され、300台以上の車両が差し押さえられた。

 この法律を支持する人々は、これが客である移民ではなくその手配業者を罰するという点を明確にしようとしている。だが、リビアやアルジェリア、さらにはヨーロッパにたどり着くことを夢見てすべてを捨ててやってきた移民にとってもそれは明らかな懲罰だ。ニジェール国籍がなく、アガデスから北へ、アルジェリアやリビア国境から数百㎞に位置するディルクの町へのルートを行く者は、誰であれ不法移民候補とみなされる。不法移民かもしれないと疑われるだけで、国の南部に追い戻される。その前にしばらく刑務所に入れられることすらある。「実際、法律の施行によって、事実上アガデスより北への移動はすべて禁止となりました(⋯⋯) 。しかも、法文の曖昧さと抑圧的な実施方法は移民を保護するのではなくすべての移民活動を違法化したため、彼らは潜伏を余儀なくされました。彼らを不当に扱い人権を踏みにじることにつながったのです」と国連で移民人権問題を担当するフェリペ・ゴンザレス・モラレス特別報告官は2018年10月のニジェール視察後に報告している (3)

 ヨーロッパにとっては、この政策は成功だった。しかしどんな対価が支払われただろう?  EUCAP Sahel Nigerによると、イタリアへ到着した移民の数は3年間で85%減少している。アガデスを通過する移民の数も2016年の1日平均350人から2018年には100人以下に減っている。リビア国境とディルクの間の砂漠にあるセゲディン検問所では通過者数が29万人(2016年)から3万3,000人(2017年)に減った。しかし、禁令の出ているケースでよくあるように、活動自体が消滅したわけではない。当事者たちが監視の網から姿を隠すようになっただけだ。だから統計数字をそのまま信じるわけにはいかない。ニジェール在住で移民ルートの変遷をつぶさに追っているある研究者(匿名)によると、「法律の施行で影響を受けたのは特に“小規模な“移民輸送業者です。政治家とつながりがあって、治安部隊と結託することのできる“大規模な“組織は活動を続けています」。この汚職にまみれた国では、移民一人当たり数万CFAフランもあれば簡単に警備兵の沈黙を買える。

砂漠に置き去りにされる移民たち

 見えていたものが見えなくなり、つまりコントロール不能になった。コントロールを避けるために変更されたルートは今までよりももっと危険なものになった。アガデスで移民を泊めて食事を提供していた大きな「ゲットー」と呼ばれる家屋は違法になり、時にまるで刑務所のような様相になってきた。滞在者は見つかる危険なしに外出することができなくなり、利用料は3倍になった。運転手は警察が近づくのに気づくと子どもを含む乗客を砂漠に置き去りにして逃げることもある(4) 。アガデス地域住民の日常生活は貧しくなっていった。複数の研究結果によれば、アガデスの半数以上の家庭が移民産業を生活の糧にしていた。手配業者、中継ぎ業者、ゲットーホテルのオーナー、運転手など、直接雇用者は6,000人近くいた。それに加え、コック、商人、タクシー運転手と彼らの家族など、間接的な恩恵を受けている人々も何千人もいた。

 歴史的中心部近くの地区で「ボス」と呼ばれていたモハメッド・アブドゥル・カデール氏もその一人だった。アガデス生まれで48歳のカデール氏は一時期リビアに住んでいたこともある。彼は1990年代の終わりに移民に宿を提供しはじめた。このビジネスが生まれつつある時期だった。マリを経由し、モーリタニアとモロッコを通ってヨーロッパへ渡る道はトゥアレグ族の反乱によって閉鎖されたばかりで、ニジェールを通る道が注目を集めるようになっていた(5)。複数の交易ルートの交差点にあたるアガデスは、いつの時代にも塩から奴隷、家畜まであらゆるものの行き交う通過点だった。「私が旅行代理店を立ち上げたのは2002年です」とボスは語る。「まずはバスターミナルに事務所を出しました。当時移民たちはバスで到着し、ここからダンプカーでディルクに出発しました。そこから四輪駆動に乗り換えてリビアに渡って行ったのです」。年々利用客の数が増え、ボスは事業を拡大した。ナイジェリア、ガーナ、ガンビア、セネガル、ブルキナファソからも依頼が来るようになった。一旦移民を迎えると、書類、宿泊、飲食を含め、出発までのすべての面倒をみた。「これは旅行業者としては全く普通の仕事です。客と、我々に連絡をしてきた彼らの国元の“後見人”、そして我々の間に信頼関係を築く必要がありました。やるべきことはきちんとこなさないといけない。客たちをちゃんと元気に目的地へ到着させなければならない。そうしなければ、次の客は来ませんでした」とボスは語るが、彼自身も、そんな自分たちのイメージが変わってしまったのを知っている。

元反政府勢力の立派な仕事になった移民案内業

 すべてのルールは細かく決められていた。移民希望者が町の入り口にあるチェックポイントに到着すると、彼らは警官に非公式の通行税を支払った。バスターミナルに着くとそれぞれに旅行代理業者が付き、彼らをゲットーに案内した(6) 。彼らが出発する際には、再び町に出発税を支払うのだった。一人につき1,100CFAフラン(1.67ユーロ)の税金は町にとっては大きな収入源だった。一週間で300~700万CFAフラン (4,500~1万600ユーロ)にもなり、色々な事業の資金源になっていた。

 ルールも値段もどこでも同じだった。リビアに到達するには、15万CFAフラン(230ユーロ)が必要だった。これはアフリカ人には結構な額で、ニジェール人にとっては一財産にも匹敵する。「金はたくさん稼ぎましたね」とボスは認める。「うまくいっていた頃は、15人も雇っていました。毎週リビアに400~450人の移民を送り出していたんです。我々一人につき週に500万CFAフラン(7,630ユーロ)も稼いでいました。毎週月曜、出発の日、銀行や送金代理店は大混雑でした。マルシェはお祭り状態でしたよ」

 旅行代理業者は出発のたびに、警察に乗客の名前と国籍を記載した移動証明書を提出することになっていた。政府は1990年代に武装反乱したトゥアレグ族やトゥブ族にさえ、戦争のことをすっかり忘れてこの移民案内業に従事するよう奨励した。「彼らは車両を持っていたが仕事がなく、道を良く知っていたんです⋯⋯」 とアガデスの地方評議会議長に就任したモハメッド・アナコ氏は説明する。最初のトゥアレグ反乱軍(1991年~95年)のリーダーの一人だった彼は、 HACPを率いている時期にこの転職を思いついた。「我々はこの仕事に従事することを彼らに勧めました。車両の通関手続きを手伝い、仕事に就くのを助けました。すべては合法的だった上、彼らは砂漠で起こっていることの情報を持ち帰ってくれていました」

 状況が困難になり始めたのは2011年のカダフィ政権転覆以降だ。それまではカダフィがヨーロッパの沿岸警備隊として機能していたので、海を渡ってヨーロッパ大陸にたどり着くのはほぼ不可能だった。が、移民たちはリビアに滞在することができた。仕事はたくさんあったし、収入も悪くなかった。「カダフィがいなくなって、ヨーロッパへの門が開きました。息ができるようになった感じです。移民候補の数がどんどん増えました」とボスは振り返る。2013年から16年の間にアガデスを通過する移民の数は4倍に膨れ上がったという。2016年、アガデスの警察は70近いゲットーの数を記録していた。

 ボスにとって、それは競争の時代だった。リビアに住んでいた多くのニジェール人たちは戦乱から逃げ戻り、移民ビジネスに参入した。新規参入者は古くから携わっている者たちが確立したルールを守らなかった。ある社会調停人が「信仰もルールも持たない野蛮人」と呼ぶ者たちは、砂漠で移民を恐喝したり、些細な理由で置き去りにしたり、リビアに到着後、警備隊に売り飛ばしたりした。そして今度は警備隊が移民たちを恐喝していた。これらの犯罪行為と非合法物品(麻薬、たばこ、武器)の密輸活動が当局を動かし、EUと協力する結果に至ったのだ。

 ボスのホテルと全く同じように、アガデス郊外にあるモハメッド・D氏の「ゲットー」も空っぽになった。中庭の壁にはかつての客たちが残した名前や電話番号などの跡が残っている。「私にはもう何も残っていません」とかつての手配業者は憤る。「私の2台の車両も差し押さえられました。6カ月牢屋に入れられました。もう収入は全くありません」。かつて栄えていたころに稼いだ金はどうしたのか?「使い果たしましたよ、家族全員を養うのに」

 法律が予告なしに施行されたことが不満をさらに膨れ上がらせている。地元の政治家も含め、アガデスでは事前に知らされていた人は一人もいない。「ある月曜日のことでした」と一人の手配業者が思い起こす。「移民を積んだ車両が町の出口で一斉に止められたんです。みんな最初は砂漠で何か安全上の問題が発生したんだろうと思いました。が、違ったんです。運転手たちは牢屋に放り込まれ、車両は差し押さえられました。そのあとで初めて、法律のことを聞かされたんです」。アナコ氏はこの産業の違法化には異議はないが、施行前に当局が地域の社会経済的現状を考慮したり、事前に対処策を準備しなかったことを残念に思っている。「新しい仕事を見つけるための準備期間を与えてくれるべきでした。EUの資金によるプロジェクトはいつかは結果がでるでしょうが、何年先になることか? 問題は、みんな今仕事が必要なのに、それがない、ということです」

 1980年代、アガデスにはヨーロッパやアメリカからテネレ砂漠やビルマ砂丘、アイール山地などを見にたくさんの観光客が訪れていた。そのころ町は、大型旅客機が国際空港に到着するリズムに合わせてにぎわっていた。しかし、2007年の2度目のトゥアレグ族の反乱後、フランス外務省がこの町を「強い渡航自粛警告」を意味するレッドゾーンに指定した時を境に訪問者は絶えた。ウラニウム鉱山は原子力産業全体のトレンドと同様に、衰退の道をたどっている (7)

 EUはEU緊急信託基金(FFU)を通じて、移民産業に携わっていた人々の転業プログラムに800万ユーロ(全体額の5%)を資金援助している。 「アガデス緊急経済効果アクションプラン(Paiera)」と名付けられたこのプログラムは名称と内容が合っていない。登録されていた「元事業主」が転業申請書類を提出し、それが受理されると150万CFAフラン (2290ユーロ)の援助金が提供される。しかし、手続きには時間がかかる。5,000件の申請のうち、受理されたのはまだ400件程度だ。そして、とりわけ「ゲットー」や車両の持ち主が申請した1,500件近くは却下されている。EUは彼らを特権保有者(確かに彼らは何年にも渡って巨額の利益を得ていた)か、さらに悪く、犯罪組織とみなす。EUCAP Sahel Niger の担当者の立場としては、移民ビジネスは「何よりもまず人身売買」であり、そこから利益を得る者たちは「同胞の涙で潤っている」。しかし、たとえかつての手配業者の中に犯罪者がいたとしても、住民が経験した現実は大きく違う。前述の匿名研究者は、手配業者たちがたくさんの金を得ていたのは確かだが、それはサヘル地域の政治経済状況が悪化した結果集まった富であり、移民を恥知らずに搾取したものではない、と明言する。「価格は法律ができる前は正当なものでした。巨額を稼いでいたとすれば、それはこの移民現象の規模のせいであり、客の数が多かったということです」

 かつて手配業者だったバシール・アンマ氏は、資金援助者、当局、移民ビジネスの元事業主の間を取り持つ協会を2016年に立ち上げ、その代表を務めている。 アンマ氏は自らが率いるサッカーチームが毎日トレーニングするアガデス・サッカースタジアム内に事務所を構えている。書類審査の際には権力の乱用があった、と彼は気づいている。「申請者の中にはかつて事業主ですらなかった人がいました。彼らはコネがあり、恵まれた家庭の出身者たちでした。それで甘い汁を吸うことができたのです」。EUは地元経済を混乱に陥れ、人々の不満を掻き立てた。「彼らは我々を欺いたのです」とアンマ氏は嘆く。「彼らは我々にすぐに金を出すと約束した。3年たって資金提供を受けられたのはたった371のプロジェクトです⋯⋯。我々に提供されたのは転職先ではなく、単なる緊急援助でした。一週間に500万CFAフラン稼いでいた人に150万CFAフランを提示しただけです! 呆れた話ですよ。どうやって納得しろというのですか?」

国連キャンプの開設

 仕事のない人々、特に若者はどうなるのか? すでに破壊行為は増加している。道を塞いで通る移民から金品を奪う者がいる。かつての手配業者たちは実入りのいい麻薬の密輸人に転身している。ニジェール、チャド、リビアの「3カ国国境地帯」を徘徊する複数の武装グループに協力して収入を得る者もいる。2016年、アガデス東部のカワールとマンガ地域で立ち上がったトゥブ族の反乱グループは、2015-36法で差し押さえられた車両の返還を求めていた。

 しかし「砂漠の入り口」アガデスと移民との縁は切れたわけではない。かつて南から北への流れの中心だったこの町は、興味深い振り子の原理により、今は反対方向への移動の主要な通過点になりつつある。2016年、国際移住機関(IOM)はアガデス北郊にアルジェリアとリビアから逃れてきた移民の収容センターを開設した。2017年には国連難民高等弁務官事務所(HCR)がリビアでの迫害から逃れてきたスーダン難民2,000人を受け入れるため、アガデスの南方12キロの地点にキャンプを開設した。彼らの突然の到着で緊張が高まった。「この移民たちのためには国連は色々助けの手を差し伸べている。でも仕事を失った我々には何もしてくれない。どこに正義があるんですか?」と元案内業者のモハメッド・エル=ハディ氏は嘆く。

 かつてもろ手を広げて歓迎されていた移民たちが、今は欲望と不安を煽っている。悪循環だ。リビアに行くのをあきらめさせるための法律が、彼らをアガデス地方に定住するのも妨げる。地元の人々は密輸に関わっていると咎められたくないのだ。当時の手配業者たちは、今度はEUに代わって不法移民を追い回している。リビアではヨーロッパが国境警備を地元民兵に下請けに出している(8) 。それと同様にニジェールでは、非合法になった移民を追い回すことが、かつては彼らを助けていた人々にとって潜在的な収入源になっている。



  • (1) « Managing migration in all its aspects : Progress under the European Agenda on migration » (PDF), communication de la Commission européenne, Bruxelles, 4 décembre 2018.
  • (2) Jérôme Tubiana et Claudio Gramizzi, « Lost in trans-nation. Tubu and other armed groups and smugglers along Libya’s Southern border » (PDF), Small Arms Survey, Genève, décembre 2018.
  • (3) « Déclaration de fin de mission du rapporteur spécial des Nations unies sur les droits de l’homme des migrants, Felipe González Morales, lors de sa visite au Niger(1er-8 octobre 2018) », Haut-Commissariat des Nations unies aux droits de l’homme, Genève, 8 octobre 2018.
  • (4) Fransje Molenaar, Jérôme Tubiana et Clotilde Warin, « Caught in the middle. A human rights and peace-building approach to migration governance in the Sahel », Institut Clingendael, La Haye, décembre 2018.
  • (5) Lire Philippe Baqué, « Des Touaregs doublement dépossédés », Le Monde diplomatique, février 1993.
  • (6) Cf. Julien Brachet, « Migrants, transporteurs et agents de l’État : rencontre sur l’axe Agadez-Sebha », Autrepart, n° 36, Marseille, avril 2005.
  • (7) ジュアン・ブランコ「アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件」ル・モンド・ディプロマティーク日本語版(2016年11月号)参照
  • (8) Cf. Fransje Molenaar et Nancy Ezzedinne, « Southbound mixed movement to Niger. An analysis of changing dynamics and policy responses » (PDF), Institut Clingendael, décembre 2018.

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年6月号より)