書店に溢れる終末論 

この世の終わりは来ない


ジャン=バティスト・マレ(Jean-Baptiste Malet )

ジャーナリスト
『トマト缶の黒い真実』(太田出版、2018年)
(原題L’Empire de l’or rouge. Enquête mondiale sur la tomate d’industrie)の著者。[訳注1

訳:生野雄一


 人類による環境破壊が進み、やがて地球上の生活圏が崩壊するという言説が溢れている。自然対人間という単純な対立関係を立てて人類一般を批判する。しかし、ことはそういう抽象的な善悪論ではなく、自然を費用のかからない資源として利用しつつ際限なく資本を蓄積してきた資本主義の仕組みにこそ問題があるのではないか、と筆者は主張する。[日本語版編集部]

(仏語版2019年8月号より)

photo credit: eddie welker, La Fin Du Monde

 異常気象、飽くなき資源採取、森林伐採、生物多様性の減退、増大する環境破壊など。科学者の資料で日ごとに裏付けられるこれらの事実が積み重なって、じりじりするような心配事が公開討論で浮上している。人間のいくつかの活動のせいで、地球に大変動が差し迫っているかあるいは進行中であり、それが私たちの文明の崩壊を招くというのだ。

 この説を信奉する一部の人々は終末の恐怖を人を行動に駆り立てる引き金と考え、他の人々は政治家の怠慢だと断じて破局の後に思いを馳せる。「崩壊理論の意外な人気」(ル・モンド、2019年2月5日)、「崩壊、終わりの始まり」(リベラシオン、2018年11月8日)、「コラプソロジー:崩壊の予感」(フランスキュルチュール、2019年3月16日)、「イヴ・コシェ:“人類は2050年には消滅しているかも知れない”」(ル・パリジャン、2019年6月7日)、「コラプソロジー:世界の終わりは好機か?」(ジェオ、2018年10月24日)といった具合だ。

 メディアでは終末論の渇望は大変なもので、テレビ局のフランス2は「この世の終わり:もしそうなったら?」(2019年6月20日)というドキュメンタリーで2029年12月の予想映像を放映したほどだ。画面には、飲料水の最後の給水場でフランスの兵士が順番待ちの行列の整理をし、給水網と配電網は全滅し、略奪者が徘徊して人を殺し、環境難民がヨーロッパになだれ込んでくる様子が映っている。

 「そんなに希望を持たないで下さい、危機感を持って下さい、毎日私のように恐怖心を持って下さい。そして、行動を起こして下さい」と、ダボスの2019年世界経済フォーラムで表明するのは、気候変動の危機を訴えて[2018年8月にスウェーデン議会前で]学生のストライキを指揮したスウェーデンのエコロジスト、グレタ・トゥーンベリだ。世界中の経済界の指導者たちに環境問題に対処する根本的な方向転換をさせることができないなかで、気候大変動のテーマは書店に溢れている。2019年の夏、避暑地の海辺で読むべき本を並べた書店の棚からはアルマゲドンの香りがしてくる。『いかにすべてが崩壊するか。現代の人々のために崩壊学簡易マニュアル』(Pablo Servigne et Raphaël Stevens, Seuil, 2015 未邦訳)、『なぜすべてが崩壊するのか』(Julien Wosnitza, Les Liens qui libèrent, 2018 未邦訳)、『崩壊の5段階』(Dmitry Orlov, Retour aux sources, 2016 未邦訳)、『人新世を生き残る。内戦と崩壊を超えて』(Enzo Lesourt, Presses universitaires de France, 2018 未邦訳)、『もうひとつの世界の終わり。崩壊を生きる』(Pablo Servigne, Raphaël Stevens et Gauthier Chapelle, Seuil, 2018 未邦訳)、『人類の危機。皆、考え方を変えよう!』(Fred Vargas, Flammarion, 2019 未邦訳)、『惨めに漂うより優雅に沈もう。崩壊への省察』(Corinne Morel Darleux, Libertalia, 2019 未邦訳)など。[*原題は末尾に記載]

 この打ち寄せる波は首相官邸の住人まで洗うに至る。「この問題は、人々が想像するよりもはるかに私の心をさいなんでいる。(......)しかるべき意思決定をしなければ、社会全体が文字通り崩壊し、消滅してしまう」と、2018年7月に、当時環境連帯移行大臣だったニコラ・ユロ氏との対談で首相のエドゥアール・フィリップ氏は明言した。インターネットで生中継されたこの会談のなかで、フィリップ氏とユロ氏は、アメリカ人ジャレド・ダイアモンドの世界中で人気を呼んだ著作『文明崩壊──滅亡と存続の命運を分けるもの』(楡井浩一訳、草思社、2005年)(1)について大いに好意的に言及した。

至福千年説の約束 

 環境保護運動の活動家で地理学者のダイアモンドは、いくつもの古代文明は自然環境が破壊されることによって滅んだと思われると主張する。彼は、現代の経済界のエリートたちに環境保護と人口抑制という「理性的な」選択を求めた。彼の主張の正当性が問われたとき、すなわち2009年に彼が自著で言及した社会の専門的研究者たちが「崩壊」のテーマを論難した(2)ときでも、彼の影響力は高まった。彼を批判する人たちは、ダイアモンドは不当にも現代の資本主義社会よりも昔の社会を非難している、と指摘する。

 人気著作家のあれこれの推測を超えて、「コラプソロジー(崩壊学)」の影響力がもたらす重要な問いは、次のように要約できるかもしれない。つまり、崩壊の恐怖を掻き立てることは、人々や指導者が環境に対する被害と闘うよう仕向ける上手いやり方なのだろうか? それとも、政治が至福千年説の神秘主義に一歩譲っている現代の生産様式に飽き飽きしていることへの表われなのだろうか? はたまた、汚染され、監視され、法外な値段の都市を捨てて、都会からの移住者社会の中で野菜栽培をし、他の人々や自然と真の関係を結ぼうとするインテリの言い訳の表現なのか? 天変地異説の潮流の広がりを鑑みると、「崩壊論」の主張は、これら全てから少しずつ影響を受けている。

 彼らがいうには、終末の先には行動を促すものがある。問題はどういった行動をとるのかということだ。「もし、人類が現在の人口と工業生産の成長率を次の世紀まで続けると、我々の文明は全崩壊する」とすでに1974年に『環境保護か死か、どちらを選ぶのか』(À vous de choisir. L’écologie ou la mort, Pauvert 未邦訳)においてルネ・デュモンは書いていた。1970年代のフランスでは、環境保護派の科学者たちは、保守的な田園生活賛美者であり伝統的なカトリック思想の擁護者である人々から自然というテーマを取り上げて、社会問題と環境問題を結びつけて左翼の政治的環境保護運動を生み出した。資本主義社会の技術進歩の利用の仕方に対してだけでなく数多くの社会主義諸国にも批判的だったデュモンは、第三世界のために闘い、政治の近代化の旗印を高く掲げてきた。この農業技師が天変地異説の領域に助けを求めようとしたとき、彼は地球上の生物圏と生活環境のどちらもが壊されていく論拠を、思想論争に持ち込もうとしたのだった。デュモンははっきりと、「豊かな国々の豊かな人たち」を標的にし、資本主義を真正面から批判することに専心した。こうして彼は、『ユートピアか死か』(L’Utopie ou la mort, Seuil, 1973 未邦訳)においてこう結論付けた。「思想の世界は1789年のフランス革命を準備した。似たような任務が我々を待っている」

 科学的調査に基づくこの政治的環境保護主義は、近代化によって果たされなかった約束や、科学至上主義およびリベラルな理想に対する一歩も譲らぬ批判の武器となったが、だからといって、反近代化、非合理主義そして似非科学に陥ることはなかった。

 しかし彼の後継者たちは、ここから一線を越えてしまった。「コラプソロジーで最も重要なのは、しっかりした知識に裏打ちされた直観だ」とセルヴィーニュとスティーブンスは『いかにすべてが崩壊するのか』(Comment tout peut s’effondrer 未邦訳)(7万部を販売)で書いている。彼らにとって重要なことは、物質面でも精神面でも崩壊に備えて、農村の質素な、「ショックに強い小規模の共同体」や「持続可能社会への移行運動(transitionneurs)」の共同体[訳注2]で観想生活に入ることだ。そこではすでに、たとえば、パーマカルチャー[訳注3]を実践している。サバイバリズム[訳注4]は、冷戦中に米国で生まれた個人主義的で妄想症的な運動で、個々人が核の脅威で眠られぬ夜は核シェルターで身を守るよう呼びかけているが、徐々に富裕層の間に広がりをみせている(3)

 こうした動きを1970年代の田舎暮らし運動と比べるのは正しくないだろう。この動きは、20世紀後半の反体制運動というより19世紀のレオン・トルストイの弟子たちによるキリスト教アナキズムに属する。セルヴィーニュはこう書いている。「精神性は宗教より根本的で普遍的な現実だ。それは、宗教の出現を決定付けた最も重要な現象であり、さらには、宗教という制度がない社会においても必須のものだった」。彼はこうも付け加える。「非宗教的で、世俗的で、さらには無神論的な精神性というものがある」。このコラプソロジーの恰好の定義は、長年の伝統であるユートピア的コミュナリズムの復活を目指し、その伝統を宗教から切り離すために、社会は天変地異によって生まれ変わるという至福千年説の約束を定義し直したものだ。地震が起こり、太陽が陰り、山が動き、海が沸くと告げるノアの大洪水からエジプトの災いまで、新約聖書のヨハネの黙示録からコーランのスーラ[コーランの章のこと]において、これらの一神教がこの2000年間、世界の復活、あるいは善と悪の最終対決の望みを抱いて大災害を待ちわびる「待望する」諸々の共同社会を生んだ(4)

 「世俗的なやり方で世界の終末に臨むことが本当にできるだろうか? 私たちはそうは思わない」と、セルヴィーニュ、スティーブンス、シャペルは書いている。これらのコラプソロジー信奉者にとっては、「神話は事実より強い」。「瞑想家と活動家の折り合いをつける」必要があり、そして「人々を戦争のときのように動員し」なければならない(セルヴィーニュおよびスティーブンス)。セルヴィーニュが世界の終末をテーマにした専門季刊誌を創刊したのはそうした意味合いからだ。ユグドラシル(Yggdrasil)というこの雑誌は、キオスクで販売されていてオーストリア産の再生紙に5万1000部が印刷されている。「ユグドラシルとは、北欧神話に登場する架空の宇宙樹のことだ」とピエール・ラビに近しい雑誌カイゼン(Kaizen)の創始者でこの専門誌の発行者であるイヴァン・サン=ジュールは説明する(5)。「それは、天と地、死者と生者を結ぶ世界樹だ」とセルヴィーニュは付言する。

 世俗の至福千年主義者やコラプソロジー信奉者は、結局は、幸福な終末を約束する。「私たちは苦痛と喜びを経験するだろう。前者は、生者、私たちの生活の場、私たちの未来、私たちの愛するものが崩壊するのを目の当たりにする苦痛だ。後者は、石化燃料依存産業の世界やその他多くの有害物が(ついに!)崩壊するのを眼にし、新たな世界を創造し、シンプルな生活に戻り、(記憶喪失から)記憶を、(無感動から)感動を取り戻し、自治と権限を回復し、美と真実性を培い、世間から距離をおいた人と再会して本物の絆を結ぶ喜びだ。終末と幸福な崩壊を同時に生きることを阻むものは何もない(6)

 セルヴィーニュとスティーブンスの本のあとがきを書いた人で、環境保護活動家のイヴ・コシェによる崩壊の定義をみても、終末ほどあてにならないものはない。「崩壊は止めようもなく、その後は、法律で規定されたサービスではもはや大多数の人々に必需品(水、食糧、住まい、衣服、エネルギー等)は行き渡らないだろう」という。それはまさしく、すでに何億人もの人々が経験していることではないか。8億2100万人が栄養失調で、10億人がスラム街に暮らし、21億人が飲料水の戸別水道サービスがなく、ほとんど同数の人々が日々汚染された給水場を利用し、9億人にはトイレがない。

人新世か資本新世か? 

 終末論には専門誌があり、異常気象には予言者がいる。次世代のメシアである若きトゥーンベリは、彼女の前で失言するのを恐れる一部の政治家から敬遠されている。「私は単なる使者でしかない」(『力を合わせよう』Rejouinez-nous, Kero, 2019)とこのスウェーデン人高校生は断言する。長い豊かな髪、真っ白なチュニック、首には“peace and love”のロケットペンダント。フランスでは、天体物理学者のオレリアン・バローが『人類史上最も偉大な挑戦』(Le Plus Grand Défi de l’histoire de l’humanité, Michel Lafon, 2019 未邦訳)という自著を宣伝している。ベストセラーとなったこの本のタイトルは、映画関係者や歌手、演出家、俳優らを集めたある呼びかけから取られたもので、2018年9月3日のル・モンド紙の一面で「地球を救う200人のアピール」というサブタイトルと共にこのタイトルが使われていた。この学者が警告するには、「私たちは地球の大異変のただ中にいる」。したがって、「戦略的に考えて、この問題を政治から切り離さなければいけない。気候問題を左翼のヴィジョンに結びつけると何もできないだろう。というのも、[社会主義革命達成の日である]偉大なる夕べを何世紀も待ち続けてきたが、まだ実現していないのだから!」(ル・ポワン、2019年6月13日)

 金ぴかの宮殿に住む権力者に嘆願書を届けようが、あるいは精神主義の共同体に閉じ籠ろうが、「崩壊論者たち」は世界について1つのヴィジョンを共有している。それは「自然」と「人類」という2つの存在を固定観念的に対立させて、そこから、人類は人新世──人間の行為が生態系に好ましからざる変容をもたらしたとする地球の歴史区分──に生きているのだという結論を導く。「私は、この人新世の概念が、資本主義から由来している諸問題の責任を人類全体の責任に帰しかねない、かつてのあのブルジョワ茶番劇を勢いづかせるのではないかととても心配している」と述べるのは、ビンガムトン大学(ニューヨーク州)教授で、世界生態学研究ネットワーク(World-Ecology Research Network)のコーディネーターのジェイソン・W・ムーアだ(7)。彼は、人新世の概念に代えて、資本新世の概念を提案する。つまり、異常気象は資源の採取とエネルギーの無料取得という長年当たり前だとされてきた略奪に依存する経済体制に由来している。資本の際限ない蓄積を支えてきた再生不可能資源を廉価に利用するこの戦略が終わりを迎えつつあるのであって、人類の終わりではない。彼によると「私たちは資本主義の崩壊にさしかかろうとしている。これは考え得る最も楽観的な立場だ。資本主義の崩壊を恐れることはない。それを受入れるのだ。それは人や建物の崩壊ではなく、人間と、資本主義にただで利用されてきた自然に変容をもたらした力関係の崩壊なのだ」

 もう1つの崩壊があるかもしれない。


  • (1) Jared Diamond, Effondrement. Comment les sociétés décident de leur disparition ou de leur survie, Gallimard, coll. « Folio essais », Paris, 2006. Lire Daniel Tanuro, « L’inquiétante pensée du mentor écologiste de M. Sarkozy », Le Monde diplomatique, décembre 2007.

  • (2) Patricia A. McAnany et Norman Yoffee, Questioning Collapse : Human Resilience, Ecological Vulnerability, and the Aftermath of Empire, Cambridge University Press, 2009.

  • (3) Pierre Charbonnier, « Splendeurs et misères de la collapsologie. Les impensés du survivalisme de gauche », Revue du crieur, n° 13, Paris, juin 2019. 

  • (4) Cf. Henri Desroche, Dieux d’hommes. Dictionnaire des messianismes et des millénarismes du Ier siècle à nos jours, Berg International, Paris, 2010.

  • (5) ピエール・ラビのシステム』(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 2018年10月号参照)

  • (6) Pablo Servigne, Raphaël Stevens et Gauthier Chapelle, Une autre fin du monde est possible. Vivre l’effondrement (et pas seulement y survivre), Seuil, Paris, 2018.

  • (7) Kamil Ahsan, « La nature du capital : un entretien avec Jason W. Moore », Période, 30 novembre 2015 ; cf. aussi Joseph Confavreux et Jade Lindgaard, « Jason W. Moore : “Nous vivons l’effondrement du capitalisme” », Mediapart, 13 octobre 2015. 


  • [訳注1]トマトケチャップが語る資本主義』(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 2017年6月号参照)

  • [訳注2] トランジション・タウン運動のこと。持続不可能な社会から持続可能な社会へ移行するために、市民が地域で自給自足し、環境負荷の少ない暮らし方に変えていこうとする運動。

  • [訳注3] 持続可能な農業をもとに人と自然がともに豊かになるような関係を築くことをめざす環境デザイン手法。

  • [訳注4] 生存主義。核戦争や地震にも生き残れるように、核シェルターを作り食糧を備蓄しておくこと。

    [*これらの著書の原題は以下の通り] Comment tout peut s’effondrer. Petit manuel de collapsologie à l’usage des générations présentes (Pablo Servigne et Raphaël Stevens, Seuil, 2015) ; Pourquoi tout va s’effondrer (Julien Wosnitza, Les Liens qui libèrent, 2018) ; Les Cinq Stades de l’effondrement (Dmitry Orlov, Le Retour aux sources, 2016) ; Survivre à l’anthropocène. Par-delà guerre civile et effondrement (Enzo Lesourt, Presses universitaires de France, 2018) ; Une autre fin du monde est possible. Vivre l’effondrement (et pas seulement y survivre)(Pablo Servigne, Raphaël Stevens et Gauthier Chapelle, Seuil, 2018) ; L’Humanité en péril. Virons de bord, toute ! (Fred Vargas, Flammarion, 2019) ; Plutôt couler en beauté que flotter sans grâce. Réflexions sur l’effondrement (Corinne Morel Darleux, Libertalia, 2019)

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年8月号より)