動物、植物そして人間に与える夜間照明の光害 

星を! 夜空を取り戻す運動の意味するもの


ラズミク・クシェイアン(Razmig Keucheyan)

社会学者
著作にLes besoins artificiels. Comment sortir du consumérisme,
La Découverte, Paris, le 19 septembre 2019(予定)。
当記事は、その序文に手を加えたもの。

訳:村上好古


 人工光が都市を中心に地球全体に広がり、動植物世界全体、そして人間生活に及ぼす害が問題にされるようになっている。星空を取り戻すための運動や、人工照明を制限する動きもみられるが、光によって受ける恩恵と、その制限とをどう調和させるのか。環境に優しい社会への移行問題全般に共通する本質的な課題への取組みが問われる。[日本語版編集部]

(仏語版2019年8月号より)

衛星画像より(1994-1995)

 それはフランス革命の人権宣言(1789)にも、世界人権宣言(1948)にも書かれていない。しかしながら、「闇への権利」はひとつの新たな人権になり得るのかもしれない。闇が、権利? 光の公害(光害)は現代が抱える災害のひとつに数えられている。それは人工の光が私たちの生活のますますいたるところに入り込む一方、この光のせいで夜と闇が消えることを意味する。超微小粒子、毒性廃棄物、内分泌かく乱化学物質などと同様に、光は、一定限度を超えると公害になる。先進国における照明の強さはこの半世紀で10倍になっているのだ(1)

 かつて進歩であった公共の場や屋内での照明は、有害なものに変わった。光害は環境に、動物と植物の世界に被害をもたらす。都市を包む光の環は、渡り鳥にたとえば針路を誤らせ、夏を越す場所に早過ぎる時期に飛来させ、あるいはその周りを力尽きるまで飛行させ死に至らしめることもある。一部の昆虫についても同じだ。自然の中の光は種の行動を規定する誘引と反発の仕組みの基になっている。植物にとって光の強さと日照時間は季節を表す。昼間を人工的に長くする過度に強い光は、冬に備えて行われる生化学反応の進行を遅らせる(2)

シンガポールの白夜

 しかし、光の公害はなんといっても人間にとって害になる。光は、「眠りのホルモン」と呼ばれるメラトニンの生成を遅らせ、睡眠に入るのを妨げる。人間の体はいくつもの体内時計の集まりでできているが、それぞれのサイクルは昼と夜との入れ替わりに応じ、またその入れ替わりは基本的に月ごと季節ごとの別のサイクルに従っている。これらをひとまとめにして「概日リズム」、つまり「概ね一日単位のリズム」と呼ぶが、そのリズムが狂うと、私たちの新陳代謝に様々な面で変調が現れ、血圧、ストレス、疲労感、食欲、イライラ、注意力などに影響する。テレビ、コンピュータ、携帯電話など特に最近の技術を使った画面から出される光スペクトルの中の青色は、とりわけ有害であることが明らかになっている。

 医学の研究では一致して、光害が癌、特に乳癌と関係があるとされる(3)。私たちの思考や気分も、人工照明の光の強さによって変化する。人間の精神が文字どおり「汚される」のだ(4)。こうした肉体的、精神的な面での影響に文化的な面が加わる。星空を観察することは、人類が始まって以来、人間存在に関わる普遍的な体験であり、個々人は、社会的な階級、性別、民族・文化的な出身に関係なく、そのことを体感できる。若い世代の人たちで、さて、天の川の美しさに感嘆することのできた人がまだいるのだろうか。野外で完全な夜を体験したことのある人がいるのだろうか。

 2001年、光害の認識に関する歴史の中で画期的なものとなる研究が、ある天文学誌に掲載された(5)。それには「夜の人工光に関する初の世界地図」という題がつけられており、悲劇的な美しさを持った一連の地図が並べられている。世界中、またいくつもの大陸に、人工光が過剰なまでに煌々と夜に輝いており、その輝きの強さは、各地域の人口、あるいは経済発展の程度に応じて異なっている。一人当たりのGDPが大きいほど、輝きは強さを増し(6)、たとえばヨーロッパの地図が余すところなく夜の人工光で埋められている一方、アフリカにはそうした様子がそれほどうかがわれず、その中央部には巨大な暗い地域が広がっている。

 世界で最も明るい場所であるシンガポールでは、あまりにも夜が明るいので、眼が夜暗いところでものを見る「暗順応」をしない。そこでは、人工光の下で、夏のスカンディナヴィアのように白夜が続く。サウジアラビアと韓国では、G20諸国の中で最も高い割合の人が「極端に明るい」と言われる夜空の下に暮らしている。年代ごとに連続して並べられたアメリカの地図は、1950年、1970年、1990年、2020年と続く間に、光の環が拡大してゆく様子を印象的に描き出す。この調子が続くと、2020年代以降は夜の闇がアメリカの国土からほとんど消えてしまう。これと反対に、チャド、中央アフリカ共和国、マダガスカルは、こうした現象から最も縁遠い国に数えられる。

 海洋もまた同じ被害を受けている。現代のイカ漁は、水面におびき寄せる強力なランプを使って行われる。漁船の船団はしばしば宇宙からも目撃され、その放つ光は、漁船団がその沖合を航行している都市の光を凌ぐ強さがある(7)

 「世界の人口の約83%、アメリカとヨーロッパでは99%以上の人々が光で汚染された空の下で暮らしている」と2016年版の「夜の人工光の世界地図」は教えている。「光害のため、天の川は人類の3分の1にしか眺められない。ヨーロッパでは60%、アメリカでは80%近くの人がその観察ができない」(8)。環境の危機は抽象的な「環境」だけではなく、その進行度合いと強弱に違いを伴うものの、人々の現実の経験を危険にさらしているのだ。

 1941年、アイザック・アシモフは彼の名声を高めた数ある小説のひとつ『夜来たる』(原題Nightfall、美濃透訳、早川書房、1986年11月)を発表した。複数の太陽に取り巻かれ、したがって絶えず光が降り注ぐ惑星ラガッシュについての話である。そこの住人は夜も、星も、したがって宇宙に取り囲まれていることも知らない。ありそうもないことだがある時太陽の配列の関係から[訳注1]、ラガッシュにまもなく半日ほどの闇が訪れることになった。この予測は(私たちにはあり得ないことだが)住民を恐怖に陥れた。彼らは夜になると生きていられないと信じ込んでいたのだ。闇に耐えられず、また突然、宇宙の広大さと星々を目にし、住人たちは何が何でも光を手に入れようと、街々に火を放つ。

 アシモフがこの小説で暗示しているのは、個人でも集団のレベルでも、夜が引き起こす不安を克服することを学びながら夜との関係の中で人間性が形成されるということだ。しかしそのためには、夜と昼とが規則的に入れ替わることが必要だ。もし闇が何の前触れもなく突然やってくるものだとしたら、私たちは不安でたまらなくなる。夜を消し去ろう、すなわち昼だけの世界に暮らしたいという欲望は、成年に達するのを拒否することを表徴している。より正確には、ものごとの有限性を受け入れることの拒否を示しているのだ。

安全の保証? 

 なぜそういうことになるのか理解するには、SFの世界を離れて現実の世界に立ち戻らなければならない。つまり、現代社会の歴史の中で、「夜の危機」への進行を促しているメカニズムを突き止めることだ。照明は決して単に技術の世界の問題ではない。政治的な選択なのだ。

 初めて街灯が設置されたのは16世紀中ごろにさかのぼる。19世紀前半以降は、ヨーロッパの大都市にガス灯が設置された。ロンドンではこの世紀の初め、パリでは1840年代のことだ。ガス灯が石油ランプの街灯に取って代わったのだ。公共の場の照明が強さを増していることにはふたつの大きな要因があった。まず、バスや路面電車など都市交通量が増加したこと。夜間走るには、道が見えなければいけない。同時に、商業用の照明が増加したこと。大都市の大通りに大型店舗が建ち、正面や広告をイルミネーションで飾り、人目を引いた。

 19世紀が残すところ3分の1になるまで、ロンドンとパリは互いに遠くからいわば匂いを「嗅いで」いたのであり、お互いに光を「眺め合って」いたわけではなかった。電気の灯りは、トマス・エジソンが1878年に白熱球を発明したことで19世紀の最後の20年になってようやく広まったが、この技術は、ガスに比べて格段に明るいという特性を持っていた。それにあわせ、夜は後退した。1900年前後のベル・エポックには都市区域が広がり、それとともに人工光の帝国の版図も広がった。電気照明の革命は公共空間の性格を一変させ、社交の形を改めた。「電気は全く新しいものだった。祝祭の概念と結びつき、夜、遊興、宴といった誘惑的な生活の再来と並行して広まった」と都市工学者のソフィー・モッサーは書いている。「光を使った広告はフランスでは1900年ごろ始まり、両大戦間に飛躍的に発達することになる。建物、店舗とそのショーウインドー、カフェ、劇場などがイルミネーションで飾られた。1920年のパリは電化された光の街であり、それを誇っていた」(9)

 光が地上で勢力を広げる一方、夜は19世紀を通じ芸術、特に音楽と文学の分野で中心的なテーマとなった。夜想曲(ノクターン)を考え出したのはフレデリック・ショパンでなく、ジョン・フィールド(1782年-1837年)がその父と言われる。しかしショパンが1827年から1847年の間に作曲した「夜想曲」シリーズは、ロバート・シューマン、フランツ・リスト、ガブリエル・フォーレそれにクロード・ドビュッシーといった作曲家たちが特にその名を刻み込むことになるひとつの音楽形式を発展させた。「抑えきれず荒れ狂うその曲想は、伝統的な枠組みを突き破った。怒り、恐怖、希望、自尊心、不安、これらが夜想曲の中には無秩序にひしめき合っている」とウラジミール・ジャンケレヴィッチは書いている(10)

 両大戦間には、公共の場における照明の歴史の中で、自動車の発展が重要な転機を画した。道路の灯りだ。それまで基本的に都市のものであった公共用の照明が、街の外に広がって行った。より正確に言えば、都市とその外が光でつながれたのだ。運転することと歩くこととは違う。スピードを出して走行するには高度の注意が必要であり、したがってより強い照明が求められる。戦後の「栄光の30年」において、計画経済に取組んだ国家は、しばしば職場から遠く離れた場所に大規模公営住宅を建設した。住宅と職場を往復するには、道路網を利用することが前提であり、日が暮れると照明が必要になる。公共用の照明は国内全土で同質化された。そして今、EUは加盟国に数々の規準を課している(11)

 現代において照明は、祝祭や夜の生活などに結びつくだけでなく、安全とも関っている。そしてこの関係については今日、犯罪学者の間で多くの議論が戦わされている。そこでの最も一般的な意見は、照明は犯罪を減らすというものであり、光の量が多ければそれだけ安全度が高まると言う。そのため、夜間照明の拡大が地方選挙の時のお定まりの公約となる。しかし、この説を裏付ける研究はない(12)。一日の時間帯ごとに、発生する犯罪の種類は異なっており、家屋やアパートの泥棒は、居住者が働きに出ている昼間に発生することが多く、商店や工場では夜間のことが多い(13)。暴力を伴う強盗は、昼間、交通機関の中で発生することが多いが、夜であれば駐車場で起こる。光は、人々の安全の感覚にとってはおそらく意味を持つものであろうが、安全そのこと自体は様々な要因に左右される。

 そうは言っても安全な都市づくりは、光の管制を通じて行われる。内務省は2008年以降、各地域の明るさの程度に関する各市長への勧告集で、そのように規定している。「見えることが、防犯の中心になっています」と、地方公共団体を対象とした安全管理の専門企業であるイカド=シュルティス(Icade-Suretis)社役員のエリク・シャルモー氏は明言する。「視認されることと、遠くまで見通せることが安心にとって重要な要素なのです」(14)。では、星空が見えることは?

 新たな公害には大抵、これに対応する新たな社会運動が伴い、その闘いは、新たな権利、あるいは新たな欲求を満たすことへの要求というかたちをとる。闇に対する権利についても、このとおりのことが起こった。1988年に、空の暗さを求める「ダークスカイ運動」の尖兵として国際ダークスカイ協会(IDA)が設立された(15)が、その始まりは1970年代初頭のアメリカにさかのぼる。発起人は当初、天文学者や鳥類学者をはじめ夜間の観察に関係する分野の科学者から集められたが、光害についての認識が広まるにつれ、賛同者が増加した。

 IDAは星の公園や星空の保存地域(それぞれ「ダークスカイ・パーク」、「ダークスカイ・リザーブ」と呼ばれる)の設営に取組んでいる。これらはたいてい大自然の中に設けられるが、時には都市の中のこともあり、その中では一定の時間以降、人工光が制限され、さらには完全に禁止される。関係者の任意に基づいて手に入れられたこの夜の一定時間のことを「ダークタイム」と言う。西洋では普通、黒はネガティブな意味を持っているが、そこでは全く逆だ。人間の活動を最小化することで動物、植物界全体の夜の生態を守り、同時に、訪れる人たちには「完全な夜」を体験してもらう。そして究極的には、ある活動家が言うように「夜の声が聞き取れるくらいの静けさ」(16)を聞いてもらうのだ。

「夜をむしばむ癌」 

 今やこの種の公園が世界中に40ほどある[訳注2]。フランスでは、オート=ピレネー県にあるピク・デュ・ミディ(le pic du Midi)が2013年にIDAによって星空の保存地域として認定された。ヨーロッパで最も大きな星の公園はイギリスにある。このような認証を与えられると、当然ながら訪問者が増えることになるし、もとのままの状態に回復した自然を商業化することにもなるが、本質的な問題ではない。こうした場所があることが、何よりも闇が希少なものであり、汚染されていない食物や空気と同じように貴重なものであることを教えてくれる。人々は、その手段さえあれば、それを求めてはるばるやって来る価値があると思っているのだ。

 夜を守るということはフランスでは新たな主張だ。夜の環境保全に関する憲章は1993年に公表されたまま署名待ちになっているが、天文愛好家によって起草されたもので、ジャック=イヴ・クストー、アルベール・ジャカールそれにユベール・レーヴといった著名な科学者の支持を得ている。この原文は、「夜空を守るための国民協会」(Association nationale pour la protection du ciel nocturne)の創設(1999年)へとつながり、同協会はIDAに参加した(17)。また2007年には、3,000の環境保護団体を束ねる「フランス自然環境連合」(France nature Environnement FNE)にも加入した。

 これらの組織は、「夜の人工光の世界地図」に着想を得て、地域ごとの光害地図の普及に力を入れている。また、政治と科学とのつなぎ役にもなっている。ヴェクサン地方[パリの北西に位置する地域]に本拠を置く天文愛好家のグループでこの種の文書をいくつも作成しているアヴェックス(Avex)の趣意書には、次のように明言されている。「光害は夜の癌であり、人類の将来の癌である。アヴェックスは、世に知られず過小評価されているこの災いについて、経済的、環境保護的、科学論的な認識を高めるために闘う」(18) 

 夜の喪失と闘う運動は[この問題に関する]法的な前進の源となった。2011年にスイスの連邦裁判所(司法に関する最高権威)は、近隣問題に関してある訴えを受けた。アールガウ州の住民が、自分たちの居住地区内のある家の正面の夜間照明が時間をわきまえない不適切なものだ、と不満を持ち訴え出たのだ。裁判所は2013年12月に決定を下したが、安全上の必要性が認められない「飾りの」夜間照明は、公的なものであれ私的なものであれ、22時以降は消灯しなければならないと宣告した。それが引き起こす光害を理由としたものだった(19)。この高等機関が同意した唯一の例外はクリスマスの時期の夜間照明であり、午前1時まで延長が許された。判決理由の部分で連邦裁判所は、「この措置による所有権の制限は軽微であり、申請者の他の基本的な権利についても同様である」と、明言している。夜を守るための団体の圧力の中で行われたこの連邦裁判所の決定は、個人の所有権と照明する権利との間に切れ目を入れた。人工照明は潜在的に他人に害を及ぼすものであるから、ある物件を単に所有しているというだけでは、それを照明するための十分な根拠にはもうならないのだ。

 別のある判決の中でもこの連邦裁判所は、「夕暮れ時のピラトゥス山の頂の色の様々な変化」は保護されなければならないと明言している。ルツェルンの街からさほど遠くないところに位置するスイスのこの山は、1997年以来、観光目的でその一部を夜間照明することが許されていた。またIDAのスイス支部が指摘するように、アルプスの山の頂を照明することが増加傾向にあることはその何年か前から認められることだった(20)。山頂の業者が次々にレジャー客にナイトスキーを誘いかけていたのだ。連邦裁判所は「色の様々な変化」の保護を理由に人工照明を制限することで、ピラトゥス山の夕景が保護すべき自然遺産であることを明らかにした。

 こうした空の「自然遺産化」の動きは国際機関にも及んでいる。国連は目下、星空を人類の共通遺産にすることの妥当性について議論している。ラ・ラグーナ宣言(la déclaration de La Laguna、1994年)は、1997年にユネスコで採用された「将来の世代に対する現世代の責任についての宣言」(la Déclaration sur les responsabilités des générations présentes envers les générations futures)の予備段階のものであるが、そこではすでに「きれいな空への権利」をその責任のひとつとして求めている(21)

 フランスでは、グルネル法Ⅰ、Ⅱが光害についての概念を総合しているが、FNEは交渉に臨むときは決まってこの基準を持ち出してきた。「人々、動物、植生、生態系に危険や大きな障害を与え、エネルギーを浪費し、空の観測をさまたげる人工光は、予防、禁止、制限の対象となる」[訳注3]と、2009年8月に公布されたグルネル法Ⅰ第41条は規定している。

 光害に関する最初のデクレ(行政命令)は2011年7月の官報に掲載された。2012年1月の別のデクレでは、「社会生活の時間」との調和を図り、午前1時から6時まで看板、広告の消灯が命じられた。ただし80万人以上の住民がいる都市(パリ、リヨン、マルセイユ、ボルドー、リール、ニース、トゥールーズ)は対象外とされ、これらの都市については、適用する規制の内容が各市長に任されている。環境省が2012年に行った見積もりでは、節約されるエネルギーは看板用で800ギガワット時、広告用で200ギガワット時の規模に達し、「37万世帯以上が年間に消費する電力量(暖房、給湯用を除く)に相当する」(22)とされた。全国の地方公共団体が使った電力のおよそ50%は屋外の照明用であり、市町村(コミューン)ではこれがその電気料金の40%近くを占めていた(23)

 何と妙なことか。最近まで、闇は当たり前のものだった。これを擁護する社会運動を起こすなどという考えは、過去の世代には非常識と思われただろう。「光の帝国による植民地化」とともに、当然だったことが取り戻すべきものになった。闇は政治の題材に取り上げられるようになり、国家の行動あるいはその不作為、また経済的、技術的な事情、様々な立場や利害が互いにぶつかりあう争いに、その存在が左右されている。

否定の難しい進歩 

 ジャック・ランシエールがLa Nuit des prolétaires[原題の意味は「プロレタリアートの夜」]で指摘しているように、夜は1830年代に生まれたばかりの労働運動にとって政治的な重要事だった(24)。それは、労働者が使用者に強いられる劣悪な日々の生活リズム を逃れ、ついには「考える存在」になるときに当たっていた。夜は単に体力回復のための睡眠の時間であることをやめ、人間解放の場になったのだ。ランシエールが描く労働者は、彼らが受ける搾取のせいで日中やることのできない様々な活動を、夜行った。考えたり、制作したり、組織活動を行うことだった。夜の喪失に抵抗する今の運動が望んでいるものは、逆に全く別の意味で、夜が特定の活動、あるいは何もしないでいることのできる一定の時間帯であり続けることだ。

 公共用のものであろうと屋内のものであろうと、人工照明はひとつの進歩である。夜の生活は現代の私たちの生活の一部になっている。レストランで友人同士で食事する、街をひとりで、あるいは恋人として散歩する、などこうした行動は人工光なしでは考えられない。照明が害に変わっても、だからといってそれがもたらす効用がなくなってしまう訳ではない。闇に対する権利を主張する活動家も、いくらかの[すべての人工的なものを否定する]生き残り主義者(サバイバリスト)を除けば、人工光を禁止したり旧式照明の時代に戻ることを主張しているのではない。可能な場所ではそれを減らす、ということを要求しているのだ。

 彼らの要求は根本的な、まさに今の時代の疑問を引き起す。私たちには「本当のところ」何が必要なのか? 人工照明には正当な必要性があるのか? それは、環境と健康──肉体的にも精神的にも──にとって、容認できる必要物と言えるのか? おそらく人工光は、食べることや寒さから身を守るといったことと同じレベルでどうしても必要というものではない。何千年もの間、私たちの祖先は街灯のない生活をしてきた。しかしそうは言っても、決定的に必要なものではないとしても、私たちの生活や、それを諦めることなど考えられない各種の活動の様式が、相当程度人工光に依存している。

 したがってこれは、人工照明に正当な必要性があることと、これが闘争の対象となる公害でもあることとを同時に認めることであり、人工照明の正当性と光害とを分かつ基準を定めることが必要になる。この問題は人工光だけに関する問題ではない。始まろうとしている環境に優しい社会への移行では、資源の流出とエネルギー消費を減らすため、生産と消費の間で厳しい選択があることが想定されている。しかし一体どんな基準でこの選択の決定を下すのか? 環境問題が重みを増す将来の民主主義の中で満たされるべき正当な欲求と、それを諦めなければならない利己的で容認することのできない欲求を、どう区別したらよいのだろうか?


  • (1) Robert Dick, Guidelines for Outdoor Lighting in Dark-Sky Preserves, Royal Astronomical Society of Canada, Toronto, 2013.

  • (2) Travis Longcore et Catherine Rich, « Ecological light pollution », Frontiers in Ecology and the Environment, vol. 2, n° 4, Washington, DC, mai 2004.

  • (3) Samuel Challéat, « La pollution lumineuse : passer de la définition d’un problème à sa prise en compte technique », dans Jean-Michel Deleuil (sous la dir. de), Éclairer la ville autrement. Innovations et expérimentations en éclairage public, Presses polytechniques et universitaires romandes, Lausanne, 2009. 

  • (4) Cf. Barbara Demeneix, Le Cerveau endommagé. Comment la pollution altère notre intelligence et notre santé mentale, Odile Jacob, Paris, 2016.

  • (5) Cf. Samuel Challéat et Dany Lapostolle, « (Ré)concilier éclairage urbain et environnement nocturne : les enjeux d’une controverse sociotechnique », Nature Sciences Sociétés, vol. 22, n° 4, Les Ulis, 2014.

  • (6) Terrel Gallaway, Reed N. Olsen et David M. Mitchell, « The economics of global light pollution », Ecological Economics, vol. 69, n° 3, New York, janvier 2010.

  • (7) Verlyn Klinkenborg, « Our vanishing night », National Geographic, vol. 214, no 5, Washington, DC, novembre 2008. 

  • (8) Fabio Falchi et al., « The new world atlas of artificial night sky brightness », Science Advances, vol. 2, n° 6, Washington, DC, juin 2016. 

  • (9) Sophie Mosser, « Éclairage urbain : enjeux et instruments d’action », thèse de doctorat, université Paris-VIII, 2003. 

  • (10) Vladimir Jankélévitch, « Chopin et la nuit », Le Nocturne. Fauré. Chopin et la nuit. Satie et le matin, Albin Michel, Paris, 1957. 

  • (11) Cf. « Les normes européennes de l’éclairage », Lux. La revue de l’éclairage, n° 228, Paris, mai-juin 2004. 

  • (12) Robert Dick, Guidelines for Outdoor Lighting in Dark-Sky Preserves, op. cit. 

  • (13) Sophie Mosser, « Éclairage et sécurité en ville : l’état des savoirs », Déviance et société, vol. 31, n° 1, Chêne-Bourg, 2007. 

  • (14) Luc Bronner, « Violences urbaines : la police s’empare de la rénovation des quartiers », Le Monde, 26 janvier 2008. 

  • (15) www.darksky.org 

  • (16) Marc Lettau, « Face à la pollution lumineuse en Suisse, les adeptes de l’obscurité réagissent », Revue suisse, Berne, octobre 2016. 

  • (17) www.anpcen.fr  

  • (18) www.avex-asso.org, 

  • (19) Arrêt 1C_250/2013 du 12 décembre 2013. 

  • (20) « Inquiétante augmentation de la lumière dans les Alpes », Dark-Sky Switzerland, communiqué de presse, 6 avril 2013. 

  • (21) Cf. Cipriano Marín et Francisco Sánchez, « Les réserves de ciel étoilé et le patrimoine mondial : valeur scientifique, culturelle et écologique », Patrimoine mondial, n° 54, Paris, 2009. 

  • (22) « Nuisances lumineuses », ministère de l’écologie, Paris, 15 février 2012. 

  • (23) « Éclairer juste », Agence de l’environnement et de la maîtrise de l’énergie (Ademe), Association française de l’éclairage (AFE) et Syndicat de l’éclairage, novembre 2010 (PDF). 

  • (24) Jacques Rancière, La Nuit des prolétaires. Archives du rêve ouvrier, Fayard, Paris, 2012. 


  • [訳注1] アシモフの原作では、ラガッシュには太陽が6つあり、そのうち5つが地平に沈み1つだけ空に輝いているときに日食が起こるという設定になっている。

  • [訳注2] 最近のデータ(2019年9月4日現在)ではダークスカイ・パーク76カ所、ダークスカイ・リザーブ13カ所となっている。日本では、西表石垣国立公園がダークスカイ・パークに認定されている(2018年3月)。

  • [訳注3] NPO法人日仏景観会議訳。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年8月号より)