観光資源の保護と活用の両立を目指して

「世界遺産」ラベルの功罪


ジュヌヴィエーヴ・クラストル(Geneviève Clastres)

ジャーナリスト
Dix ans de tourisme durable(原題の意味は「持続可能な観光の10年」)
(Voyageonsautrement.com, Bourg-lès-Valence, 2018.)著者


訳:清田智代


 「世界遺産」は多くの観光客を惹きつけており、観光立国を目指すわが国においても世界遺産の登録に関するニュースは例年注目を集めている。観光資源としての世界遺産は大きな経済効果をもたらす一方、それが引き起こす弊害がにわかに表面化しているという。観光大国の先例から我々が学べることは少なくないだろう。[日本語版編集部]

(仏語版2019年7月号より)

athína, 2006
series Photo Opportunities
© Corinne Vionnet, 2005-today
www.corinnevionnet.com


 「アルビ[フランス南部の都市]は突然、世界地図上に存在感を放つようになりました。2010年7月31日、司教都市アルビはユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産に登録されたのです。その翌朝には、町は大勢の人で賑わっていました。人々はわざわざ町を訪問しに来たのです」。アルビ市の文化・遺産・国際関係事業を統括するマリ=エヴ・コルテス氏は、人口5万2000人のレンガ造りの都市の運命を変えてしまったその日のことをよく覚えている。それ以来、観光客数は倍以上もの増加を遂げており、2011年には年間70万人、2016年には150万人となった。2017年には若干減少したが……。

 世界遺産リストへの登録は、しばしば、かねてから非常に人気のあった場所を「聖地化」するようになる。しかし、真の「ユネスコ効果」なるものが存在する。「世界遺産への登録は、それが自然遺産であれ文化遺産であれ、資産の質を保証します。そしてまだ訪問したことのない人には、訪問すべきかどうかの目安になります」とパリ第一大学(パンテオン・ソルボンヌ)文化・観光・発展のユネスコ・チェア[当大学とユネスコによる連携プログラム]の責任者であるマリア・グラヴァリ=バルバスは明言する。フランスでは毎年1・2件ずつ、そして文化遺産39件、自然遺産4件、複合遺産1件の合計44件が世界遺産リストに登録されている[訳注1]。

 世界遺産登録という栄誉に浴することによる影響を予測するため、アルビは保存管理計画を練り上げなければならなかった。目標とするのは、資産の顕著な普遍的価値[訳注2]の維持を保証することと、この価値を構成する各要素を長期的にまとめていくことだ。これらは町を博物館のようにしないためである。「世界遺産への登録が問題となり得るのは、資産に熱心に手を加えすぎる場合が多いのです。いくつかの町では、『年代至上主義』すなわち『時間原理主義』に沿って資産を修復したことで、結果的に町をある一時代のなかにはめこんでしまいました」とマリア・グラヴァリ=バルバスは説明する。

 アルビの遺産を管理する委員会は、このようなリスクを避けるべく、当初から教育機関、文化・科学分野の関係団体や有資格者、さらに観光業者や住民を組織に組み込んできた。「アルビの司教都市は『遺産』だけを優先したいのではありません」とコルテス氏は断言する。「我々は人や経済、そしてこれらの相互作用についても取り組んでいます。また、私たちは緩衝地帯[訳注3]での活動においても、遺産と同レベルの質と予算をもって管理しています」。毎年アルビ市では市民全体集会が開催され、アルビの住民は市内の駐車や地元のスモールビジネス、ストリートファーニチャー[訳注4]といった多彩なテーマについて検討を行っている。

博物館化の脅威

 アルビ市は2014年に中国の麗江市と姉妹都市協定を結んだ。雲南省にあるこの町は標高2400メートル、チベット地方に通じるかつての隊商の道沿いに位置する。1986年に旧市街・大研鎮が国家歴史文化名城[中国政府による文化遺産保護制度]に認定されると、水路に沿って続く石畳の小道や希少建築物への評判が高まった。度重なる地震(最後に起きたのは1996年2月3日)にもかかわらず無形財産や旧市街の伝統住宅の保護に成功したことを受け、ユネスコは1997年、麗江を世界遺産に認定した。この町はその後数年で、過去に例がないほどの変化を遂げた(1)。観光客数は1992年でせいぜい20万人だったのが1997年に170万人、1999年に260万人、2005年に400万人、そして2008年には530万人などと推移した。

 麗江の住民、とりわけチベット・ビルマ語派に属するナシ族が主として住んでいた旧市街の住民にとっては、世界遺産の登録による影響は破壊的なものであった。たぐいまれな建築遺産を擁するこの町の中心部は、2000年代初頭から観光地化し、ホテルやレストラン、バーや商店などが乱立した。地元の人々は自分の住まいを近隣の地方からやってくる商人たちに率先して貸し出し、そして新市街へと移り住むほうを選んだ。麗江は数年で、その一部が観光という舞台のための舞台装飾のようになった。今もなお物売りや端役の仕事をしにやってくるナシ族の女性たちを見かけることはあるものの、町を闊歩しているのは観光客たちだ。2008年、ユネスコはついに麗江市当局に警告を発し、危機遺産リストへの登録をほのめかしつつ、資産管理に改めて責任をもって取り組むように言い渡した。

 我々はここに観光の両義性を見出すことができる。観光は外貨や経済成長、希望をもたらすものとして利用され、奨励される一方で、ひとたびバランスが崩れてしまうと恐るべきことになる。訪問客は彼らが愛でる景勝地を破壊し――カルナック列石[フランス北西部ブルターニュ地域圏にある巨石遺構で1996年9月に世界遺産暫定リストに登録]の岩盤の露出やピュイ・ドゥ・ドーム[フランス中部オーヴェルニュ地域圏にある火山でシェヌ・デ・ピュイ火山群の最高峰。2018年に世界遺産登録]の細溝形成、ラスコー洞窟[フランス西南部ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の旧石器時代の遺跡で1979年に世界遺産登録]の壁画劣化、マチュピチュ[ペルー南部にある15世紀のインカ帝国の遺跡で1983年に世界遺産登録]の踏み荒らしなど――そして彼らに期待を抱く現地の住民たちをいらだたせるのだ。

 麗江では時間をかけていくつもの対策が実施されてきたが、住民を町に呼び戻すことはできなかった。この点については、ユネスコはお手上げだった。ナシ族の集落の中心は居場所をなくし、旧市街から出て行った。というのも、この地区は過去1年で4600万人もの訪問客を受け入れるようになったのだ!「私はあの日のことを覚えています。旧市街にはあまりに多くの観光客がおり、地元の住民はSNSをとおしてこの地区を避けるよう予め注意されていたほどでした」とフランス国立東洋言語文化学院(Inalco)で中国世界の人類学の博士課程に在籍中のエマニュエル・ローランは証言する(2)

 しかしながら、総括すると評価に値する側面もある(3)。麗江は数多くの修復の恩恵にあずかることもできたのだ。有形遺産以上に特筆すべきは、観光がナシ族とトンパ文化に与えた影響であり、トンパ文化を構成するいくつかの要素は2006年から2014年の間に無形文化遺産に登録された。象形文字を使用することで有名なトンパと呼ばれるナシ族のシャーマンは、訪問者を強く惹きつける。中国政府がこの民族を迫害したときにはこのような恩恵を想定していなかったであろうが、現在起こっている変化は、良くも悪くも予期せぬ効果があるかもしれない。「トンパとしての活動だけで生計を立てるのは困難です」とエマニュエル・ローランは説明する。「一部の人々、大部分は若い世代ですが、小遣い稼ぎに自らの知識を生かし、観光分野で仕事を見つけています。他の人々は、それは『本物のトンパ』ではないとして彼らを非難します。しかし多くの人は、彼らの知識の継承において保守的とはいえない態度を甘受しています」。本質から逸れたまがい物や、ときに嘲笑を誘いかねない伝承もあるが、観光は文化センターや研究所を増設し、いくつかの儀式を復活させ、本来の仕事を取り戻させるなど、トンパ文化の再興をもたらした。政府はナシ族に彼らの言語の復活を奨励すらしている。

 アルビ市と麗江市の代表団は、経験を共有するために定期的に相互訪問を行っている。資産の管理方法は2国間でかなり異なる。フランスでは、住民を交えた協議と住民の満足度が優先されるが、中国において住民はまだほとんど発言権がない。中国人はフランスの成功例からヒントを得ようと努めている。「麗江から代表団を受け入れるたびに、彼らは我々の遺産管理方法や修復に用いる資材や色の選び方、代々受け継いできた伝統を継承するという真正性の概念[訳注5]に大きな興味を抱いていました」とコルテス氏は話す。「中国で重視されているのはむしろ使用価値なのです。我々の規制もまた彼らを感心させます。フランスは遺産だけでなく、環境に対する最善の保護対策を擁しています。たとえば、遺産はタルヌ川沿いにあるのですが、この川の土手の生物多様性の保護にとても気を遣っています。このことは彼らを驚かせました」

fujisan, 2007
series Photo Opportunities
© Corinne Vionnet, 2005-today
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 他にもユネスコに認定された多くの景勝地がオーバーツーリズム(観光公害)に苦労している。クロアチアのドブロヴニクでは、町に面する山々でのゴルフ場付きの不動産開発計画がダマルチア海岸の一部の自然を破壊しようとしている。城塞が危機遺産に登録されるおそれを受け(4)、ドブロヴニクは1日当たりの訪問者数を8000人に、次いで4000人に限定するにいたった。町はとりわけ、クルーズライン国際協会(CLIA)と大型客船の最適な入港分配を交渉し、クルーズ旅客数を制限した。同様に、ヴェネツィアは2018年からヴェネツィア・カーニヴァルのオープニング・セレモニーでのサン・マルコ広場への入場を2万人に制限している。さらに2019年9月から、全ての観光客に3~10ユーロの訪問税が課されることになる。しかしながら、この量的制限は理想的な解決方法ではないとマリア・グラヴァリ=バルバスは指摘する。「割り当て政策には問題があります。というのは入場が規制され、管理され、さらには有料化されることで、町が美術館や都市型公園と化してしまう傾向があるからです」

 バルセロナやサン・セバスチャン、アムステルダムといったヨーロッパのいくつかの町では、路上にあふれ、騒音をまき散らし、町のジェントリフィケーションを加速させる観光客の一群に反対するデモが行われた。ユネスコ世界遺産への登録は、それが推進力となり、資産の効果的な保護戦略を練るきっかけとなる場合には、オーバーツーリズムに解決策をも示すだろう。「遺産管理が義務化されたとき、アルビは第一線を歩みました。そしてその後、我々は手本となっています」とコルテス氏は証言する。「我々はノール=パ・デュ・カレ地方の炭田地帯[フランス北部オー=ド=フランス地域圏にある炭鉱産業遺構で2012年に世界遺産に登録]やショーヴェ洞窟[フランス南部オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏にある洞窟壁画で2014年に世界遺産に登録]、ピュイ山脈といった他の資産にヒントを与えていることに誇りを持っています」

景勝地管理のための手段

 フランスの偉大な景勝地(GSF)ネットワーク[訳注6]は、1980年代から景勝地への訪問客受入れ能力の適正化に尽力している。「我々は、観光客の訪問頻度と環境保護を両面から考慮し、地元住民が疎外感を感じることのないよう、そして観光がその土地唯一の経済活動となることのないよう配慮しながら、それぞれの景勝地における受入れ能力を明らかにするための調査を行っています」と会長のソリーヌ・アルシャンボ氏は説明する。入場管理や周辺地域の拡大は、観光客の飽和状態を緩和する。そのような打開策と解決策は数多く整備され、それぞれの状況に応じて適用される。客入り状況を観測する施設の設置や駐車場の遠隔化、シャトル便、電動自転車、地元特産品のブランド化を目的とした商売人の動員等がその例だ。最近世界遺産リストに登録されたフランスの景勝地・ピュイ山脈とリマーニュ断層の地殻変動地域(2018年7月2日登録)もまた、風景に溶け込んだ駐車場やラック式鉄道、地元の協議を踏まえて作られた案内標識や警戒標識を設置した。

 GSFネットワークはまたユネスコの後援で、フランス語による世界中の景勝地管理者のための養成を行っている。これによって、35カ国以上の人々が、景勝地の総合管理や住民への喚起についての経験を共有することができる。これこそが養成プログラムの核心だ。明らかに、たとえば城塞、城壁、堡塁で囲まれたような一部の景勝地は、他の景勝地よりも保護が難しい。「観光で生計を立てる人々は、ときに行政に放任政策を求めて積極的に動きます。観光のダンピングをすることさえあります」とマリア・グラヴァリ=バルバスは主張する。しかしユネスコ世界遺産に登録されれば、危機遺産リストへの登録や世界遺産リストからの抹消のおそれを盾に、市当局は地域に圧力をかけることができる。たとえば、リバプール[訳注7]は、資産の顕著な普遍的価値を脅かす不動産計画が主たる理由で危機遺産に登録された。ウィーン[訳注8]におけるインター・コンチネンタルホテルの高層ビル建設計画は、リバプールと同じ運命をウィーンに与えた。というのはその建設はベルナルド・ベッロットの名画[1758-1761]に代表されるウィーンの風景をはなはだしく変えてしまったからだ。

 バルセロナはローコストの大衆観光政策を選んだばかりに、今や自らの成功の犠牲になっている。中国は、観光客誘致を自らの権威と飽くことのないイノベーションを誇示するのに絶好なショーケースとして利用している。フランスは確かに自らの遺産を活用することに成功したものの、1995年以降観光に特化した省庁はもはや存在せず[訳注9]、経済的側面がかつてないほど重要になっている。このような狭い視野は、経済とエコロジーそして人間のあいだに、調和のとれた持続可能なバランスの維持に尽力する人々の仕事をさらに難しいものにするだろう。



  • (1) « Tourisme et identité en Chine du Sud. Le cas des Naxi de Lijiang », dans Jean-Marie Furt et Franck Michel (sous la dir. de), Tourismes et identités, L’Harmattan, coll. « Tourismes & sociétés », Paris, 2006.
  • (2) Cf. Emmanuelle Laurent, « Autour de la préservation de la culture des Naxi de Lijiang », 10 novembre 2015.
  • (3) Cf. Heather Peters, « Dancing in the market : Reconfiguring commerce and heritage in Lijiang », dans Tami Blumenfield et Helaine Silverman (sous la dir. de), Cultural Heritage Politics in China, Springer, New York, 2013.
  • (4) « Report on the Unesco-Icomos reactive monitoring mission to old city of Dubrovnik, Croatia », Unesco - Conseil international des monuments et des sites, novembre 2015.

  • 訳注1]この記事が公開されたのは2019年7月だが、2019年7月に開催された世界遺産委員会において新たに海外領土の南方・南極地域の一部が新たに「フランス領南方地域の陸と海」として世界自然遺産に登録された。よって2019年8月現在フランスの世界遺産は全45件、自然遺産は5件となる。
  • 訳注2]ユネスコの世界遺産委員会が世界遺産リストに資産を登録する際の基準。世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約の履行のために定められた「世界遺産条約履行のための作業指針(以下、「作業指針」)」で「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的な意義及び、または、自然的な価値を意味する」と定義されている。
  • 訳注3]資産を保護するため、各国政府は世界遺産委員会に資産を推薦する際、原則として資産の周辺に緩衝地帯を設けることが作業指針に定められている。
  • 訳注4]道路や広場等の公共空間に設置される設備で、街灯やベンチなどを指す。
  • 訳注5]世界遺産のうち特に文化遺産に求められる概念で、資産が本来有する独自性や伝統を継承していること。かつてはその資産が本物で後世に手が施されていないことが重視されていた。しかし日本や中国の木造建築のように定期的なメンテナンスを要する資産の登録が増えたことに伴い、この真正性の概念が保証されれば修復や再建も可能となった。
  • 訳注6]フランス協会法(1901年7月1日法)によって設立されたフランス政府公認の非営利組織。
  • 訳注7]イギリス・イングランド北西部リバプールの中心市街が2004年に世界遺産に登録されたが、2012年に危機遺産に登録された。
  • 訳注8]オーストリアの首都ウィーンの旧市街が2001年に世界遺産に登録されたが、2017年に危機遺産に登録された。
  • 訳注9]フランスの観光行政は2019年8月現在、運輸・設備・観光・海洋省下に置かれた観光担当省(省のトップは閣外相)が管轄している。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年7月号より)