大会前夜のCGT内部での議論 

“黄色いベスト”時代のCGT


ジャン=ミシェル・デュメ(Jean-Michel Dumay)

ジャーナリスト 

訳:生野雄一


 フランス労働総同盟(CGT)の第52回大会が5月13~17日にディジョンで開催された。“黄色いベスト”運動に社会的抗議の主導権を奪われて動揺し、従業員代表者選挙では勢いを失って、運動の総括および明確な路線や活動方針を打ち出せないでいる。関係者のインタビューを通じてCGTの立ち位置を明らかにする。[日本語版編集部]

(仏語版2019年5月号より)

photo credit: Jeanne Menjoulet, Manif fonction publique 22 mars 2018

 モントルイユにあるフランス労働総同盟(CGT)執行部の執務室の一角に、事務局長のフィリップ・マルチネーズ氏はブーローニュ=ビヤンクールにあるルノーのかつての工場の航空写真を置いている。議論のなかで、中央組合代表だったこの技術者はしばしば誇らし気に彼の「職場(boîte)」について語る。この「冶金工」は、このboîteという言葉に自動車に関連した暗喩を込めていた。CGTの第52回大会(5月13~17日ディジョンで開催)──彼はそこで次期事務局長に立候補する予定だ──を控えて、彼はこう言う。「私が最も気がかりなのは、我々がギヤをセカンドにそしてサードに入れられないのではないかということだ」

 というのも、CGTにとって勢力拡大が急務なのだ。2012年に69万5,000人いた公式の組合員数は、2017年には63万6,000人に減り1990年代初頭の水準に戻ってしまった。一方、従業員代表者選挙での得票数は低下の一途をたどっている。2018年末には、官民両分野合計での首位の座をフランス民主労働組合連盟(CFDT)に明け渡しさえしていた。主たる理由はCGTが民間企業での影響力を失ったからだ(1)

 もっと深刻なことは、どこからともなく沸き起こってきた“黄色いベスト”運動だ。それは、平日の職場ではなく週末にロン・ポワンに集まり、CGTから社会的抗議の主導権を奪っていった。どちらかと言えば急進的でかつ効果的な大衆動員だ。わずか1カ月で政府に100億ユーロを出させたのだ! しかも、労働組合の手を借りずに! もっともCGTも、2016年には労働法改正、2017年にはマクロン・オルドナンスに反対し、2018年にはフランス国鉄(SNCF)に組織を動員したところまではよかったのだが。

 地区連合(UL)または県連合(UD)における「CGT下部」の活動家はそのことを心配していない。彼らは言う。この“黄色いベスト”運動こそ「元気を出させる」もので、それは「好影響を与え」そして「団体行動に自信を取り戻させる」ものだと。ところが、ルーアン、オルレアンまたはトゥルコアンといった現場では2018年11月には早くも「大衆の怒りをファシストに利用されないために」“黄色いベスト”を支援すべきだとすぐにわかったのに、「CGT上層部」の優柔不断さが悶着の種を蒔いてしまう。「誰もこの運動を予想していなかった。そして、この運動の広がりに驚いた」とカルチャー部門CGTの事務局長でCGTの執行委員会(CE)委員であるドニ・グラヴィユ氏は打ち明ける。この運動の最初の要求(燃料税引き上げ反対)ばかりでなくそのメンバー構成に驚き、当惑し、モントルイユのCGT執行部は、2018年10月29日の公式発表では、これを極右が「大衆の怒りを道具にしているもの」とみた。

大きな不均衡に悩む

 ところで、ファビアン・エンゲルマン事件以来──彼は、2011年にCGTを除名され、2014年に国民戦線(FN)所属でアヤンジュ(モーゼル県)の市長に選ばれた──CGTはFN(今は国民連合RNと称している)の思想が自分たちの陣営に浸透してくるのではないかという強迫観念にとらわれている。したがって、先の2月5日に手探りでさまざまな動員をきちんとまとめるまでに2カ月かかった。ロワール県連合の事務局長オレリオ・ラミロが語るには、「あの慎重さには賛成できなかった。“黄色いベスト”には多分ファシストもいただろうが、何よりも怒れる人たちがたくさんいた。労働組合の世界について実際のところ何も知らない人たちに寄り添うことが大事だった」

 “黄色いベスト”運動がCGTに対して、CGTとは何か、その組織、その路線、行動様式について問いかけていると言うだけではすまない。社会運動が労働組合からこれほどかけ離れたところで展開され、組合に対してこれほどの敵意を示すことはめったにない。2016年にパリのレピュブリック広場では、ニュイ・ドゥブの人たちは支持を表明しに来たCGTの事務局長をもっとはっきりと歓迎した。

 総数5万9,000の組合支部と単位組合、約800の地区連合、96の県連合および約30の産業別組織(同盟あるいは全国組合)を擁するCGTは大きな不均衡に悩まされている。組合員のうち、42%は病院を含む公共部門の出身者だが、同部門はフランスの雇用の20%しか占めていない。そして民間部門では、組合員の圧倒的多数(68%)は従業員500人以上の企業に属し、これらの企業はフランスの雇用のわずか3分の1しか占めず全ての階層において最も高い平均賃金がここに集中している。反対に、従業員50人未満の企業では全雇用の9%しか働いていない。

 CGTは、最も生活が不安定な人たち、“黄色いベスト”の集団を膨らませた人たち、「かつてはCGT傘下にいた賃金1,500ユーロの低賃金労働者たち」から離れていった、と歴史家ステファヌ・シロは語る。CGTは、臨時労働者、組織に属さない労働者、零細企業(TPE)労働者を取り込むのに失敗した。失業者を集める試みもほとんど成功しなかった(かろうじて5,000人を組織した)。結局のところ、「CGTは貧困について考えがおよばず、貧窮を理解しなかった」とかつて忠実な活動家だったクリスチャン・コルージュ氏は補足する。68歳の彼は元板金修理工で、プジョーのソショーの生産ラインで職業生活を全うした人だ。

 CGTを襲った最初の不幸を最もよく語るのは「昔の」活動家だ。「1968年[5月革命]の後、労働界は分裂し、それが賃金生活者、労働条件、組合の代表性にまともに影響した」と語るのは、マルセル・クロックフェール氏65歳で、ダンケルクの製油所で組合の責任者だった人だ。産業の空洞化に伴って、鉱業、製鉄業、冶金業、繊維業の大勢の人たちがCGTから急速にいなくなる(CGTは戦後、400万人の組合員を誇っていた)。「労働者は下請け生活に押しやられていった」と、郵便通信分野労働者連盟(FAPT)のアルザスの地域事務局長のフレデリック・カラス氏は認める。つまり、そこでは労働組合運動は崩壊したのだ。オランジュ[フランスの通信会社]では、組合員の80%は管理職で20%が非管理職であり……「そして株主従業員が80%もいる!」のだ。「資本は変わり、賃金制度も変わるが、しかし、組合の組織は変わらない」と、技術者・幹部職員・技術職員総連合(UGICT-CGT)の事務次長で、CGT執行委員会の最年少委員であるソフィー・ビネ氏は総括する。

 経済社会学研究院(IRES)の研究員ジャン=マリー・ペルノはもっとはっきり言う。「CGTは自らをその官僚主義で縛ってしまった。過去の職業別の大規模な縦割り組織を維持した。たとえば、陸上輸送、鉄道、海運……ところがこの世界は統合したり解体したりして物流という1つの機能に再編成されていった。CGTでは基準が古く、もはや賃金労働者の現実に適合していない」。CFDTでは、随分以前に基準を修正した。地域ネットワークも見直す必要があるだろう。だが、各同盟は自分の好き勝手にして、「ギルド」「派閥」「財閥」のようにしか動かない。それぞれが動員スケジュールを持ち、それぞれが組合間の同盟戦略を持ち、それぞれが意思疎通手段を持っているが、これらがCGTのレベルでは全く共有されていないのは残念だ。

 「10年かけて3大会で組織再構築を議論したのに、何も実現していない!」と全国ジャーナリスト労働組合(SNJ-CGT)事務局長のエマニュエル・ヴィ―ル氏は苦々しく吐き捨てる。金属労働者同盟を率いてきたマルチネーズ氏は何かできるのだろうか? 「できることなど何もない!」とCGTのナンバーワンであるマルチネーズ氏は答える。「というのも、CGTではそれぞれが独立している。それが同盟制の基本原則なのだ。だから、私は“親分”と呼ばれるのを好まない! 親分とは、何人かみればわかるが(彼はにやりとする)、自分のやりたいようにやる人のことだ! 私はCGTをまとめているだけだ」。このような言い方は法的な厳格さなのか、巧みな思慮分別か? 2013年に当時事務局長職を降りたベルナール・チボー氏の後継問題の失敗のあと、CGTは安定する必要があった。この年、意外にもティエリー・ラパオ氏が事務局長に選出されたが、内部抗争および彼の事務所と舎宅の工事の途方もない出費(内部監査によると同氏による権限外の経費支出)を背景に、2年経たないうちに選出のときと同じようにいきなり職を追われた。

 内情を知らないメディアがいつも報道するような素朴過ぎる見方とは違って、CGTは一枚岩ではなく、多元的な万華鏡のような組織だ。CFDTに比べるとはるかに中央集権的ではない。ならばCGTについて話をした方がよさそうだ(2)。だがところで、CGTというラベルのもとに何が共有されているのか? 「社会正義、反人種差別、国際的連帯、フェミニズムといった強力で本質的な価値観だ」と即座にマルチネーズ氏は私たちに答える。なるほど、だがしかし、誰でも賛成するようなこんなスローガンを認めない組合があるだろうか?

社会対話の罠

 2月に、無作為に選んだある地区連合を訪れる。それはヴィルフランシュ=シュール=ソーヌ(ローヌ県)の地区連合で、有名なガーニュパン通りの旧労働取引所のなかに追いやられていた。1,200人の組合員が所属している。ここでは、定期的に職業安定所の前でビラ配りをしている。たとえば郵便局の前で、仕事を探している失業者のために求人案内所が開かれる。CGTとどんな関係? テーブルの周りの人々はにやりと笑う。そして、当然だというように、「階級闘争だ!」と政治的立場の異なる何人かの活動家が一斉に答える。そこには、フランス共産党(PCF)、不服従のフランス、ヨーロッパ・エコロジー=緑の党の人々がいた。「雇用者と労働者の利害対立の意識だ」と地区連合事務局長のクリスチャン・リトン氏ははっきり述べる。2キロメートル先のバイエルの労働者たちも今や口にしている階級闘争だ。彼らは2カ月前からリマの工場の前に昼も夜も陣取っている。彼らの組合代表は経営陣を「しつこく攻撃した」として解雇されそうだ。2年足らずのうちに、彼の指揮のもとでこのCGT支部は組合員が35人から110人に増えた……。

 「個人主義と利己主義」が支配的な「思想闘争」において階級意識は影が薄くなった、と地区連合の活動家たちは悔やむ。階級意識は教育程度が高いほど強くなる(3)。社会的に一番弱い立場にある最も学歴が低い人たちの階級意識が最も弱い。でも、“黄色いベスト”の行動は勇気づけてくれた。絆が生まれ、幻想は消え去り、一人ひとりが自分の立場を理解してきた。集会を通して大衆教育が始まった。

 価値観の組合か闘争する組合か? 寛容の20年間、ルイ・ヴィアネの下(1992~1999年)そしてチボー氏の下(1999~2013年)で考え方は一変した(4)。フランス共産党の支配の後にはサンディカリズムが標榜され、CGTのトップはそれが「信頼され効果をもつ」ことを望んだ(5)。その痕跡が残っている。反資本主義精神の核心部分は1990年代に定款から削除され、資本主義の行き過ぎに対する批判だけが残された。今回のディジョンでの大会の方針を示す文書は階級「闘争」には触れず、階級「対立」について語る(6)

 「CGTにはいつも戦闘派と改革派がいた」と、マルクス主義歴史学者のアニー・ラクロア=リは分析する。「統一派」と「総同盟派」がいた。「しかし、ベルリンの壁崩壊後は、当時でも200年は続くと思われた資本主義と折り合っていく必要があった。これまでと違うサンディカリズム、これまでと違うCGTが求められた。それは改革派陣営の大いなる躍進に繋がった」と彼女はみる。政治学者ソフィー・ベルーと言語学者ジョゼット・ルフェーブルは論調が変わっていったと言う。「それ以降は、“社会の調整役”として、団体交渉の場に常に居場所を確保しようとしてCGTは自らを“市民”と称することを躊躇しない(……)。CGTの論調は客観的にみてCFDTのそれに近づいてきた(7)

 「社会対話」[政府、使用者、労働者の代表による交渉、協議、情報交換]への参加──マクロン改革はこれに関心を示さなかった──および特にオルー法(1982年)に基づく数多くの労使協議の場への参加はCGTにとって必然的なものだったのだろうか? ロン・ポワンで“黄色いベスト”の人たちと交流していたCGT組合員たちは、CGTを襲ったこの2つ目の過ちをしっかり覚えている。それは、体制に組み込まれることだ。クロックフェール氏がしぶしぶ認めて言うには、「黄色いベストの人たちにしてみれば、われわれは彼らを裏切ったのだ。何年か前にすでに、“調整”に関してこの問題を経験している」。シロが考えるには「社会の将来像を少しずつ私たちの頭の中に植え込んでいた」PCFと袂を分かった後で、CGTはイデオロギー仕立てのあの対話のやり方に呑み込まれてしまっていたようだ。あの対話の「宥和的な目的は、階級闘争のサンディカリズムを解体し破壊することでもあったのだ(8)」。彼が言うには「政治に関与する組合は必ずや政党を介してそれを行うものだと信じ込ませるのに成功したのも、体制の力でした……」

 “黄色いベスト”運動の初期に起きた出来事がCGTの麻痺状態を示していると思われる。2018年12月6日、CGTも参加した(但し、連帯Solidairesは不参加)大規模な組合連合集会が、政府に「対話」を呼びかけ「要求の表明においてあらゆる形の暴力」を非難する声明を発表した(9)。これを読んで驚愕し、または何のことだか理解ができずに息を呑んだCGT組合員は1人や2人ではなかった。最も戦闘的な組合組織の1つであるフランス化学工業連合(FNIC、会員2万3,000人)はこの声明を「CGTにあるまじきこと」と判断した。「CGTの役割は労働者の側に立つことであり、戦う以外に選択肢のない人たちに平静を呼びかける経営者および政府権力の手助けをすることではない」と。2時間後、CGTは軌道修正し、もののみごとに一転して、今度は暴力の原因を指摘した。すなわち、「政府はいたずらに社会の怒りの炎に油を注いでいる。無責任だ!」。そして、CGTは首相官邸からの呼びかけを拒絶した。それ以降は、大統領が呼びかける「国民的大議論」に「ノン」と言い独自の意見聴取を組織した。

 CGTは結局、下部組織から遊離し、官僚化し、専従職員は徐々に現場から疎遠になってプロ化していったものと思われる。そして、25年間、体制のあり方を疑問視することなく、体制に組み込まれていったのだろう。「体制を解体するということは、彼らのあらゆる既得権益を失うリスクがあった」と、パリ北駅の鉄道員組合界の大物で、かつてCGT組合員で2007年に追放され、現在は連帯統一民主労組(SUD)の大立物であるモニク・ダバ氏は言い放つ。

 というのも、CGTは「社会対話」によって財政的に得るところが大きい。CGTの財源はパンク状態で不透明であり、公的助成金および労働者の経営参加または企業内組合の権利に関する合意から来る資金に比べると、組合員が拠出する組合費の比重が小さいことはほとんど覆うべくもない。2017年には、CGTの予算において、組合員費は収入の29%で「助成金および寄付金」は62%であり、このことは、「国の制度や経営者に対する(……)我々の組織の独立性の問題を明らかに投げかけている」と財務報告書は語る(10)

 国の体制に組み込まれることによって、CGTは活力を失っていったと思われる。全国レベルではCGTは約30%の労使合意しか調印していないが、企業においては80%の合意に調印しているとの指摘がある。「しかし、労使合意は必ずしも妥協を意味しない!」と、最近失業保険について経営者との交渉(失敗したが)を主導したグラヴイユ氏は明確に言う。というのは「CGTでは対話するのではなく、交渉するのだ」と、他の何人かがグラヴイユ氏の話に割って入る。「経営者組織と組合組織は利害が異なる。それは対立であり、時には妥協もある。そこに力関係が働くのは当然のことだ」

 また、“黄色いベスト”の危機以来、マルチネーズ氏はCGTの組合員に「考え方を変える(11)」よう求めている。たとえば、かつての事務局長(1982~1992年)のアンリ・クラスキ氏の座右の銘を引き合いに出す。クラスキ氏は「給与明細書と割れた窓ガラスで」サンディカリズムを維持することを求めた。マルチネーズ氏はこれを言い換えて「人々の近くにいて、役に立ち、有能であれ」と説明する。「なぜなら、割れた窓ガラスを修理できないなら、もっと公正な社会を目指すというような大きなテーマに関して信頼できる仕事もできないのではないか」。マルチネーズ氏はしたがって、CGTが「よりイデオロギー性を抑えて」、あるいはたとえば、「イデオロギーと日常の運営にもう少しバランスをとる」よう推奨する。そして、「手作りの」行動の仕方、言い換えれば、「十把一絡げのスローガンによってではなく」各人が自分の主張に基づいて立ち上がり「同時にともに行動する」ような行動の仕方を提案する。つまり、ゼネストを想定して呼びかけるというより「あちらこちらにストを拡げる」という考え方だ。こうして、フランスのサンディカリズムの創設文書であるアミアン憲章(1906年)に謳われた「2つの使命」が現代性を持つことになるのだという。すなわち2つの使命とは、目前の日々の要求の防衛と将来に向けた社会の変革だ。

 このメッセージが、CGT内部ですんなりと広がるかはおぼつかない。歴史家のシロいわく、「分析が足りない。この25年間の総括がなされておらず、したがって、明確な路線が存在しない。この間CGTは、力関係に基づいたやり方に回帰し、社会対話の枠組のなかで深く体制に組み込まれたまま、体制への異議申し立ては過度に形式的なものになっている」。効果のないデモ開催の繰り返しが、その証拠だ。

 そこで、「イデオロギーを刷新しなければいけない」と、たとえばフロラン・コスト氏は考える。彼は、トゥールーズの航空機備品メーカー、ラテコエール社のCGT代表に選ばれた人で、政党にはほとんど関心がないが、この40歳代の研究室エンジニアは他の多くの人たちと同様に、CGTは「もう1つの世界を提案すること」ができなければいけないと考える。「われわれはもはや誰にも夢をみさせていない。閉め切った部屋のにおいがする。イデオロギー面で路頭に迷っている」

 活動家たちは偉大な思想が雲散霧消していくのを残念に思いながらみていた。「企業の所有権はもはやだれも問題にしない」と、1990年代にCGTで失業委員会を創設したシャルル・オアロ氏は指摘する。まったく同じように、賃金生活者と経営者という対立関係も終わりだ。「健康問題では、戦後、自由診療を終わらせることがCGTの昔からの主張だった」とカラス氏は回想する。「アンブロワーズ・クロワザ(CGT組合員で社会保険制度の創設者の1人)は墓の中で安眠出来ないに違いない!」「流れ作業は廃止されるべきだった!」と、かつてソショーの板金修理工だったコルージュ氏はつけ加える。「我々はもっと政治色の強い世代だった。ある勢力を代表していた。社会を変革するために存在していた」。「新しい賃金労働規約」にしっかり結びついた「職業別社会保険」プロジェクトがあって、CGTは大会の度にこれを打ち出していた。「ただし、これを説明できる人は誰もいなかった」とコスト氏は残念がる。実際のところ、これはメディアには響かなかった。メディアは、CGTを無視しているわけではなかったが、もっとわかりやすいスローガン、たとえば、週労32時間制度への移行とか税引前1,800ユーロの最低賃金制を重視するのを好んだ。

 戦闘的態度の弱さ、さらにいえば諦めも非難される。しかし、どうしてそれに憤慨することができようか? 「最も若い人たちは挫折しか知らないのだ!」とクロックフェール氏は強調する。そして、最も古参の人たちは、ニコラ・サルコジ氏のような支配者側からの敵対的な攻撃を経験している。サルコジ氏は、2007年にストライキの効果を減殺するために、ストライキの際の陸上公共輸送のミニマムサービス制度をすばやく導入した人だ。また、経営戦略によって労働者集団を潰した経営者もいれば(12)、あるいはフランス国鉄(SNCF)におけるように、スト参加者の賃金保留の分割実施を許容していた暗黙のルールを、紛争の果てに検討し直すことにした経営者もいた。「支配的だったのは、恐怖だ。上長に対する恐怖、職を失う恐怖、将来に関する恐怖だ」とコスト氏は指摘する。活動家が、昨日は進歩の観念で溢れていたとしても、「今日は壁が立ちはだかっている。経済的にも環境面からも明日は今日よりひどいという思いがある」と、かつてのCGTの責任者だったマリーズ・デュマは総括する。プジョー(PSA)では、企業中央組合代表者(かつ「労働者の闘争」Lutte ouvrièreのリーダー)であるジャン=ピエール・メルシエ氏が言いなおす。「それは諦めではない。若者たちはとりわけ自分たちを、自分たちの集団的な力を信用していない。“黄色いベスト”はマクロン手当を獲得した。つまり、闘争は大掛かりで、決然としていて、目的意識がしっかりしていれば勝つのだ!」

 だから、他の人たちは自問する。「諦めというのはむしろ、組織のトップに闘争心が欠如している結果ではないのか?」と、リール大学病院(CHU)の医師・技術者・幹部職員・技術職員総連合の事務局長であるイザベル・ボスマン氏は問う。彼女の組合は、CGTからの助けなしに、労働法の規定に異を唱えて(いくつかの点では勝訴しながら)法廷闘争を続けている組合の1つだ。異議申し立てを行っている約20の他の組合──そこには、急進的な手法がCGT内の全員からの支持を得ていないグッドイヤーやインフォコムの組合も含まれる──とともに、ボスマン氏の組合は反資本主義のなかにCGTをもう一度定着させることを目指す、より攻撃的な代替法案を議会の審議に載せようと推進している(13)。「CGT内部でイデオロギーをめぐる対立がある。これを明確にする必要がある」と彼らに共鳴するフィオドール・リーロフ弁護士は言う。彼は、とりわけ裁判に関する側面でさらなる論争を薦めている。

 「共産党の崩壊とともに、CGTメンバーの思考力が弱まった」と同党の長年の活動家であるコルージュ氏は嘆く。衰退していくなかで、コミュニストの世界でもさまざまな論調が衰微していった。市町村や団体の基盤やかつては闘争の耐久力を支えた活動家の相互扶助が衰えていくのを目のあたりにしていた(14)。「CGTはもう何も考えていない。というかむしろ、より公正な社会の実現のために一種の寄せ集めを念頭においている」と、もう一人のCGT組合員も意見をともにする。彼は登録メンバーではない(CGTによれば、今や、政党に属するメンバーは10%もいないらしい)。ここでは、組合教育の場での分析が貧弱だと非難されている。CGT内ではニュースピークが支配する。「持続性のある人間開発」とか「人間の顔をした資本主義」あるいは「労働の質」(もはや、労働の苦痛度ではない)。同組合員はこう続ける。「ところで、不平等と闘うこと、それは政治的な構想と結びついていなければ何の役にも立たない」

最も有力な組織とみられているCGT

 こうして、疑問が噴き出す。CGTの構想とは何か? まず何よりも、CGTは今でも労働運動なのか? 「ウーバー型の」自営業者はそこで自らの地位を確保できるのか? 会社幹部(CGTは彼らの組合加入を後押ししたがっている)の位置づけは? 初めて事務局長ポストに労働者ではない人が就いたことに誰もが気付いていた。そのうえさらに腹立たしいことが起きている。すなわち、時としてあまりにも組織だっていると考えられていたCFDTとの統一行動の模索や、ある人たちにとっては欧州連合への従属の象徴である、極めて体制に組み込まれた欧州労働組合連合(CES)への吟味不十分なままの加盟だ。2005年に欧州憲法条約の賛否を問う国民投票に「ノン」を表明すると決めた組合下部組織が、中立性を説いた上層部に屈辱を与えたのを思い出す。

 執行委員会でビネ氏は認める。「政治的気風が弱くなって、今日ではCGTの組織間で共通点を見つけるのがはるかに難しくなっている」。CGTの役割が問われている。「調整役に甘んじて諸々の闘争の総和でしかないのであれば、一体何のために同盟しているのか?」とFNIC(フランス化学工業連合)は問い、上層部に対して「要求の牽引力」になり「職業間の政治的展望を示せ」と強く求めた(15)……。CGTの返事を待つことなく、FNICは8つの県連合と商業・サービス同盟とともに、4月27日にパリで国民的デモを行うべく指揮を採った……。しかし、批判するものはまた批判される。「職場で難渋しているというよりCGTがばかだ!という方が時には容易なことがある」とクロックフェール氏は指摘する。彼は、マルチネーズ事務局長を「人の話に耳を傾け、現実的な」人だとみている。

 これこそがマルチネーズ氏の良さだと容易に人が認めるものだ。いい意味では彼の「リアリズム」だと賞賛し、悪い意味では「行き当たりばったり」だと烙印を押す。実利主義者であるマルチネーズ氏は自分が「いつも、ある人に対しては“強硬”で、他のある人に対しては“柔軟だ”」……と認識している。彼はCGTのイメージも彼に対する期待も知らないわけではなかった。CGTがさまざまな困難を抱えているとしても、強みもまだ残している。2018年には、アンケート回答者は、雇用・年金の防衛、購買力増強、男女平等など、彼らが直面する課題の全体に関してCGTが最も有力な組織だと極めて明確に考えていた。およそ4人のうち3人がCGTを「戦闘的」で「存在感がある」とみていた(それに、73%が去る3月19日の「労働者の力」FOおよび連帯Solidairesとの2度目の統一ストライキの呼びかけを支持していた)(16)

 選択式アンケートの回答者の見方では、CGTが影響力を強めるためには、何よりもまず「交渉においてもっと現実的」であること(つまり、マルチネーズ氏が推奨するように、イデオロギー性を抑えること)、「もっと労働者に耳を傾ける」こと(つまり、割れた窓ガラスに意を用いること)、そして、「あらゆる政治勢力から独立」していること、というものだった。この点に関してマルチネーズ事務局長はこう再び断言する。「アミアン憲章なのだ。つまり、かつてないほど(彼はこのことばを3度繰り返す)CGTは政党と距離を置くべだということだ」。だから、“不服従のフランス”の創設者ジャン=リュック・メランション氏による「独立社会運動の教義(17)」と袂を分かてという呼びかけなどどうでもいいのだ。マルチネーズ氏に彼自身がCGTをどうみているか尋ねた。改革主義か、革命か? マルチネーズ氏は叫ぶ。「我々はもともと改革主義なのだ! 社会を変えようとすること、それは改革しようとすることだ! 我々は権力を取るのが目的ではないのだから、社会の変化を促すには社会改革を通じて行うことだ!」。こうして、この冶金工の道具箱(boîte)のなかにはまだ立派な説得手段がしまい込まれていると思わせる。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年5月号より)