島々の夏は人口過剰、冬は忘れ去られる

クロアチア、大規模観光事業に悲鳴


ジャン=アルノー・デラン&ローラン・ジェスラン
(Jean-Arnault Dérens & Laurent Geslin)

「バルカン通信」のジャーナリスト、共著にLà où se mêlent les eaux.
Des Balkans au Caucase dans l’Europe des confins
(La Découverte, Paris, 2018)


訳:樫山はるか


 クロアチアには7千近くの島があり、そのうち50あまりには住人がいる。 これら“アドリア海の真珠”は、夏は観光客を引き付けてやまない一方、住民はいなくなりつつある。いくつかの大プロジェクトに苛立つ彼らは、国の開発政策である観光の単一産業化に異議を唱え始めた。[日本語版編集部]

(仏語版2018年9月号より)

Bol

  「大規模観光事業から抜け出すことはできるのか?」。 [2018年]6月の終わりのその夜、20人ほどのボルの住民がこの議題を集中討論するために集まった。 艦の舳先のように海に突き出た大きなズラトニ・ラットビーチの住人だ。ブラチ島(ダルマチア南部)にあるこの村はクロアチアで最も人気のある海水浴リゾートの一つで、千人にも満たない人々が通年暮らしているが、7千のベッド数を保有し、6月中旬から9月中旬にかけて数万人の観光客を受け入れている。

 内戦が終わって20年ちょっとが経ち、丘の上には松林や葡萄畑を隅に追いやるように家々がびっしり建ち並んだ。これらの家は部屋やアパルトマンとして貸し出され、ドイツやオランダまたはフランスから大挙してやって来るバカンス客で一杯になる。 「会合に20人が出席するなんて、観光シーズンが始まって皆が働いている時としては成功です」と、「島の運動(Pokret Otoka)」のスポークスマンで会合の主催者マジャ・ユリシッチさんは言う。討論は白熱していく。村の自治体は今、老舗ホテルBorakの拡張に同意しようとしている、このホテルは、出資者のわからない投資ファンドが国から買い取ったものだが、ベッド数を350から900に拡張するというのだ。

「あなたはこの地方を破壊している」

 会合の間中、社会民主党員の村長ティホミル・マリンコヴィッチ氏は激しく非難されている。「あなたは泥棒だ」と、ある老人が怒って言う。「あなたがこの地方を破壊しはじめてから20年になる。このホテルは三食付の宿泊客しか泊めないから、彼らは村で一銭もお金を使わないでしょう。一方彼らはさらに水を使い、さらにゴミを増やして行く!」。ある女性がドアをバタンと閉めると、非難の嵐が始まり、会合は人民法廷の様相を呈した。「民主主義とはこんなものです」と、村長は口を滑らす。「よく見て下さい、この手の会合にやって来るのはいつも同じ、苛立っている人達ってことです」

 2017年の春から、ズラトニ・ラットビーチは村民が彼らの海岸の主導権を取り戻そうとする意思のシンボルとなった、「ボルでは伝統的に、村長が地元の会社にシーズン中に売店を設置する許可を与えています」とユリシッチさんは言う。「でも新しい法案では、この権限を拡大するはずだったので、そうなれば会社がビーチ全体を管理できるようになり、ビーチへの出入口を有料化したり、ビーチをいくつかのホテルの宿泊客専用にして、住民が自分たちの海岸に近づくことができなくなったかもしれないのです」

 クロアチアのSport Bという会社に与えられたこの委託権限の不透明な条件に抗議運動が起こった。 何百人もの村民が象徴的にズラトニ・ラットを占拠し説得力のあるスローガンを掲げた。「私たちの島のビーチを、私たちの孫に残してください」、「島、海、ビーチには、柵も番人もいらない」。このデモンストレーションは、国の野放図な金儲け主義と、天然資源の条件なしの私有化に対する苛立ちを表明し、すぐにクロアチア社会全体に広まった。政府は結局譲歩した。すなわち、さんざん荒れた議会の会期末、2017年7月1日に可決された法案には最も反対の多かった条項は含まれていなかった。「これは勝利の半分に過ぎません。私たちは、特権を手に入れたがっている大手投資家たちよりも小さな地元企業を優先することを明確に謳った法律を望んでいます」とユリシッチさんは言う。この特権に対抗する闘いはいずれにしても、「島の運動」をクロアチア政治の最前線へと推し上げた。

 マリンコヴィッチ氏の政党は2017年6月1日からの議会をボイコットしていた。しかし、このボルの村長は、観光客の永続的増加ということ以外の開発計画は念頭に無いようだ。よって彼は、住民が1万4千人しかいないブラチ島の飛行場拡張計画を歓迎している。「滑走路の採算をとるには、我々は4千か5千のベッドを増設しなければなりません」と彼は言う。これらの設備で、ヨーロッパの大都市から飛んでくる格安旅客機を受け入れることが可能になるというのだ。これでは村長が掲げているプロモーション「質の高いツーリズム」が期待するものからはほど遠い観光客到来が予想させられる。「ブラチ島はクロアチアで3番目に大きな島で、かつ人口はわずかです。我々には利用可能な土地がたくさんあるのです」と彼は請合う。

 ブラチ島と大陸を結ぶフェリーの主要港であるスペタル港町の村長イヴァナ・マルコヴィッチさんは同じ社会民主党員だが、もっと闘争的だ。彼女はウォーターマン・スフペトルフズ・リゾートを相手に、現在ほぼリゾートに取り囲まれてしまっている共同墓地への小道を通す権利を獲得するために闘っている。「地方自治体は都市計画に関して十分な能力があります。しかし、沿岸地域や海洋資産のこととなると、すべては本土次第、そこでは巨大旅行業界団体が絶大な影響力を持っているのです」と彼女は説明する。

 北西に200km先にあるザダル郡のシルバ島では沿岸地域の大規模開発に対する抗議運動が起こった。島は車両乗り入れ禁止で、せいぜい15km四方に、18世紀、ヴェネツィア共和国のもっとも名高い船乗りや船長を輩出していた頃は1700の住居があったが、今は100ほどしかない。一方夏の数カ月間その人口は5千人近くに達する。「私たちの所ではゴミ収集人は1人しかいません、住宅地の近くに2カ所のゴミ捨て場が設けられましたが、1つは、ユーゴスラビアの分裂後クロアチアとセルビア間で紛争の的になっている土地にあります。冬の間は機能していたものがハイシーズンには惨憺たる様相を呈します、その時期、島は人口過剰で、暑さで悪臭が立ち昇ります」と嘆くのはポーラ・ボルファンさん、24歳、「島の運動」の地元活動家だ。「この問題を解決するために村の外側、北部沿岸に1つゴミ捨て場を建設しなければならないでしょう。でも、それには収集船が横付けできるように桟橋の建設も必要になるでしょう。この計画には数十万ユーロかかりますが、ザダル郡の自治体も、本土も、国も私たちの請願に答えてはくれません」

 2年前にボルファンさんが委員に選出された自治体「地域の委員会」はシルバ島を代表する唯一の機関で、行政上はザダル郡の自治体に帰属している。「私たちのことが全国紙の1面を飾ったのです」と彼女は回想する。「私たちは委員会の5つのポストのうち4つを獲得しました。『島の運動』を標榜している若い女性4人で、どこの政党にも所属していません。彼女たちがクロアチア民主同盟(1)の老練な大物たちを蹴散らしてくれます! 」。しかしながら、この当選者たちはすぐに現実の壁にぶつかった。「地域の委員会」には、予算も活動の手段もまったくないのだ。ボルファンさんは再立候補を考えていない。「シルバ島のように孤立した住民の声をザダルの行政に聞き入れてもらうのは不可能なのです」

 一年中、とりわけ冬の間、この島々の住民は自分たちが隔絶されていることに苦労している。50km南東に位置するザダルに辿り着くのにフェリーで4時間、最も速いが車は運べないカタマラン船で1時間15分かかるのだ。ここは、国土の連続性が保たれており、大陸にいる人々と同様の公共サービスが保証されているはず、というのは幻想で、島には、確かに小学校はあるが学業を続けるためには海を渡らなければならないし、小さな診療所はあるが応急措置を受けられるのみだ。

 ミオドラグ・ニンコヴィッチ氏はシルバ島の最後の羊飼いだ。このかつての海軍無線技術将校は、20年前、彼の母親の故郷であるこの島に住もうと決めた。村を取り囲むように生い茂る森でヤギや羊に牧草を食べさせているが、作ったチーズをザダルやザグレブの市場で売るために彼自身がフェリーで運ばなければならない。「うまくいっていますよ、食通のお客さんがいますから」と彼は言う。しかし島での農業に対する支援は何もない。「私たちにこの隔絶を埋め合わせる公的支援はまったくありません、ガソリンや水の料金に多少の値引きがあるだけです」。同じようなことがシルバ島最後の漁師3人にもいえる。

地方経済のための闘い

 ニンコヴィッチ氏は、1990年代の内戦で闘いセルビア独立派によって数カ月間留置された。だが頑なな民族主義を表明している彼もユーゴスラビアだった頃への郷愁を隠さない。シルバ島 には農業協同組合、漁業協同組合、小さな缶詰工場や映画館まであった。「私たちはザグレブやミュンヘンの手頃な別荘地になることを余儀なくされました」と彼はため息をつく。「島の住民のほぼ全員が年寄りです。だから次から次に亡くなっていきます」

 このような運命に抗うために「島の運動」は設立された。その若い女性ユリシッチさんは語る。「私は長年スプリトの不動産業で働き、次いでザグレブの行政組織で働いていました。それから数年前、私の家族のルーツであるショルタ島に住むことに決めたのです」。2015年、彼女は、島の住民がヨーロッパの資金を受け入れられるよう援助するための協会を設立した。クロアチアの20ほどの島々の代表者が集まるプラットフォームが誕生し、それが「島の運動」の前身になった。「私たちの目的は、大規模観光事業や、水や交通機関の不足といった同じような問題に直面している住民のネットワークを創ることです。若者を引き留め、行政に私たちの要求を聞き入れさせることができるように地方経済の発展に貢献したいのです」

 ブラチ島が余儀なくされたようにみえる大規模観光事業と、シルバ島の不可避的な人口減少の間で、ショルタ島は中間的な道を代表できるかもしれない。スプリトの沖合い15kmに位置しブラチ島とはご近所だ。島の住民は700人だが夏には5千人を受け入れる。大部分は同じペンションやアパルトマンの常連客だ。ここ数年、いくらかの農業活動はかなり発展した――養蜂家1人と食用オリーブオイルと精油の生産者数人がいる――、しかし、ここでも人々は島に漁業協同組合や小さな工場があった頃に郷愁をいだきながら暮らしている。

 精力的な観光促進スローガン「地中海のもう一つの姿」と謳って、クロアチアは再び流行の旅行先となる。観光客数は2000年代の終わりに内戦前と同じレベルにまで回復した(内戦前の1985年は1010万人、内戦後の2005年は1000万人弱、そして2010年は1060万人) 。その後大きく伸びて2017年には1740万人(その内訳はクロアチア人180万人、外国人1560万人)となった。宿泊数は、1985年は6700万だったが、内戦中の1995年は1280万まで落ち込み、ここ数年は2015年は7160万、2017年は8620万と記録を更新している(2) )。つまり、ヨーロッパで「観光の激しさ」(3) がマルタやアイスランドの次になったのだ! ドイツ人旅行者は彼らだけで宿泊数の4分の1を占め、次いでスロベニア人、オーストリア人、ポーランド人、チェコ人、イタリア人が多い。

 この地方は地中海沿岸の他の旅行先、トルコ、エジプト、チュニジアといった国々への客離れの恩恵にあずかっている。この恩恵は、クロアチア国立銀行の推計によると、2017年は95億ユーロの収入でGDPの19.6 % (ちなみにフランスはGDPの1.7 %(4) )にあたり、国の財政破綻を覆い隠している。というのも失業率が2013年のEU加盟以来改善してるとはいえ、ユーロ圏で失業率がもっとも高い国の1つであり、ギリシャ、スペイン、イタリアの次に留まっているからだ。そして、観光事業が生む雇用の大半は季節労働者であり、低賃金で、しばしば申告されないこともある。人材が流出したこの国は、大規模観光事業を拡大し続けるために、ますます外国人労働者を頼みとするようになっている。ボスニア人やセルビア人が島のホテルで働いているが、もはやそれでも足りず、いくつかの大手観光事業グループは、今やエジプト人やフィリピン人の手を借りることを検討している。島々は、夏には制御不能となった観光業に押しつぶされそうになり、残りの季節はすっかり寂れるという二重の責苦にあっているというのに。



    (1) クロアチア民主同盟は、この自治体においても国においても保守系与党である。
  • (2) « Turizam u brojkama 2017 », ministère du tourisme de la République de Croatie, Zagreb, 2018, www.min.hr
  • (3) この指標は、住民一人あたりの観光客宿泊数を表している。(ユーロスタット2016年度)
  • (4) 2016年の国際収支における旅行に関連した収入(ユーロスタットより)。

*本記事中の以下の記述について修正いたしました。(2019年8月11日)
  • 「中間的な声を」→「中間的な道を」
  • 「ブラチ島に宣告されたようにみえる大規模観光事業」→「ブラチ島が余儀なくされたようにみえる大規模観光事業」
  • 「大規模観光事業を拡大し続けるために、国はその活力を失い、ますます外国人労働者を」→「人材が流出したこの国は、大規模観光事業を拡大し続けるために、ますます外国人労働者を」

  • (ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年9月号より)