秩序維持、フランスモデルのまやかし

弾圧激化の歴史:サンキュロットから“黄色いベスト”まで


ヴァンサン・シゼール(Vincent Sizaire)

パリ・ナンテール大学客員准教授。
著書にSortir de l’imposture sécuritaire(La Dispute, Paris, 2016)がある。


訳:生野雄一


 エマニュエル・マクロン大統領は3月に議会で可決された「反破壊分子」法を直ちに憲法院に審査のために付託すると決めた。3月16日のシャンゼリゼでの相次ぐ破壊行為を受けて、マクロン氏は軍隊に秩序維持の一端を担わせることも決めた。政権のこうした弾圧的態度の背景にあるフランス革命以来の刑法をめぐる自由主義と権威主義の確執の歴史を辿る。[日本語版編集部]

(仏語版2019年4月号より)

Portrait d'un sans-culotte


 それは「人権国家」では当たり前のことのはずだろう。しかし、2019年2月末に欧州評議会はフランス政府に対して「機動隊の隊員は、公権力の保持者として特別な責任を担っており」そして「彼らの第一義的な責務は市民と人権を守ることにある」とわざわざ念を押した。同評議会は「(“黄色いベスト”運動の)デモ参加者が被った負傷の多さと深刻さは秩序維持作戦に用いられた手段が人権尊重と相容れるものなのか疑問を抱かせる」と強調した(1)。数カ月来フランスを揺るがしている“黄色い怒り”に対抗して行政当局が展開した弾圧の水準は前例のないものではない。たとえば、約3,000人が逮捕された2005年の暴動[若者たちによるパリ郊外暴動事件。その後フランス全土の都市に拡大]やさらに1968年春の大規模デモ[いわゆる5月革命]に対する政府の対応がある。しかし、今回はいかにも特別に強烈だ。2019年2月12日、エドゥアール・フィリップ首相は国民議会で、この運動が始まって以来有罪判決を受けた人が1,796人と発表したが、このほかさらに判決待ちの人が1,422人いるのだ。

 しかし、この処罰の猛威はほとんど驚くにあたらないし、当局が回復を目指すと主張している「フランス共和国の秩序」はことばの真の意味において神話の部類に属するものだ(2)。このフランスの体制は単純な共和政の法律的伝統の所産ではない。実際のところそれは、すぐれて、19世紀初頭の共和政の伝統およびそれと根本的に敵対する弾圧的権威主義の確執から生まれた混交種なのだ。

 フランス革命のいちばん初めの数年間に、憲法制定議会はアンシャンレジームの制度に対する完全なアンチテーゼとして、そしてそれゆえに、[三部会に寄せられる民衆の]請願陳情書で最も頻繁に告発された諸悪、すなわち刑事裁判の不平等、厳罰化および恣意性に対する対応としての鎮圧モデルを創設する(3)

決して解決されない対立

 新たな政治秩序の主要な要素として1789年に宣言された共和政下の刑罰モデルは、自由を主要原理とする基本命題の具体化を目指す。憲法制定議会は、そのために、「安全」の概念を創出する。それはすなわち、個人の力であれ、あるいは──ここが革命的な点なのだが──為政者の権力に由来するものであれ、あらゆる権力の濫用からいかなる市民も守られるという権利であり、この個人の自由は法律によってのみその行使が制約され得るとし、さらに個人の自由が侵害される場合にはその都度法律によらなければならないというものだ。この思想は1789年8月26日の「人と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)やフランス法制史上初の近代的法典である1791年10月6日の刑法典において宣言されているさまざまな諸原則に展開していく。適法性の原則(人権宣言第8条「何人も犯行に先立って設定され、公布され、かつ適法に適用された法律によらなければ処罰されない」)に、必要性の原則(罪刑均衡の原則を含む)および裁判官管理の原則が加わる。

 啓蒙思想、とりわけイタリアの思想家チェーザレ・ベッカリーア(4)の思想に直接由来する「自由」のモデルは、早くも恐怖政治[1793年~1794年]によってかなり損なわれていたが、ナポレオンの第一帝政[1804年~1814年]になると文字通り反動的に見直された。権威主義的な政権が発足すると弾圧的権力の恣意性と厳罰化の復活が問題となる。たとえば、「犯罪法定の原則(……)に関しては、ナポレオンは明らかにその必要性をほとんど理解していなかった。“裁判官は付託された事案について明確に重罪または軽罪と規定する条項によってしか有罪判決を下し得ないとする窮屈な制度、すなわち法律に規定されていないことは処罰されない!”(5)とする制度に対して、ナポレオンは国務院[フランス最高位の行政裁判所かつ公法に関する政府の諮問機関]に繰り返し抗議をした」

 しかし、こうした反動は全面的にも明示的にもなることはない。ナポレオンをして「革命の継承者」──もう1つの神話だ──とする型通りの物語や、とりわけ、リベラルな中産階級が共和政下の法秩序のいくつかの既得権に執着した結果、1810年には新たな刑法典が公布されるに至り、それは1791年に認められた諸々の大原則を明確に再確認するものだった。ただし、この帝政下の大法典には恣意性の要素が、特に刑事訴訟の準備段階において再び持ち込まれる。というのも、「予審プロセスがすっかりアンシャンレジームの蘇りなのだ。つまり、予審はただ一人の裁判官に委ねられ、非公開で書面によるもので、被疑者は弁護人の同席を得ることができない(6) 」からだ。さらに、均衡を欠いた刑罰も再び導入され、特に、首枷、烙印または手首切断といった体罰が復活する。この帝政下の刑法典草案の報告者であるギィ=ジャン=バティスト・タルジェの言によれば、「冷酷、冷淡、狂暴で、道徳心がなく、自らの下劣な欲望にしか従わない人たち」を怖じ気付かせる唯一の方法だとされる(7)

 こうして弾圧的制度が登場し、革命的モデルを永続的かつ首尾一貫して実行しようとすると権威主義的伝統の抵抗にぶつかる。後者は、狡猾で秘密主義で、えてして世にいう良識という表現で登場してくる。権威主義の支持者は、啓蒙思想の刑法草案に正面から反対するよりも、問題を迂回して、特定のタイプの犯罪──今日でいえばテロリズム──のことさらに深刻な事態とか、あるいはこれこれのカテゴリーの非行者──かつては矯正不能者、今日では再犯者──の改めようのない異質性を引き合いに出して個人の権利の保障に違背することを正当化する。そういうわけで、2つの完全に対立する弾圧の論理を共存させているこのいびつな総体は、今日まで共和政の近代的刑法の遺産だと考えられてきた。

 図式的に言えば、我々の弾圧制度の歴史は、リベラルな共和政的伝統と権威主義的伝統の決して和解することのない対立の所産とみることができる。その歴史はもちろん一本調子のものではなく、そして民主主義的な企ての進歩──および失敗──と切り離すことができない。こうして、1832年4月28日の刑法典・刑事訴訟法典改正法が7月王政下[1830年~1848年]で公布され、これにより最終的に体罰は終わりを告げ、情状酌量の制度が創設された。第三共和政(1870年~1940年)が到来し長く続いたことも自由主義刑法の強化を可能にする。確かに、再犯者に適用され植民地への終身追放の道を拓く流刑を制定した1885年5月27日の法律に弾圧的権威主義の痕跡を指摘する人もいる。しかし、全体的には弾圧的権力に枠をはめ、刑罰を軽減する方向に動いていく。こうして、共和政下の法律[出版自由法、結社法]は、1881年と1901年に、表現・集会・結社の自由を保障する。さらに、1885年8月14日の法律では仮釈放を制定し、1891年3月26日の法律は拘禁刑に執行猶予の可能性を導入、1897年12月8日の法律は予審判事の尋問を受ける人に弁護士の同席を可能にする。

 共和政のリベラルな伝統は、ファシスト政府による大量殺人犯罪および特にナチ政権が犯した集団虐殺が再び起こらないように第二次世界大戦直後に生まれた欧州での人道主義の大きな運動のなかでも最重要の位置を占める。1950年11月4日の人権および基本的な自由の保護に関する条約(欧州人権条約)の第5条は、このような蛮行が2度と繰り返されないようにしたいという起草者たちの願いを表明して「自由および安全についての権利」を厳粛に宣言する。1945年2月2日には非行少年に関するオルドナンスが採択され、未成年者の刑事裁判において教育的措置を優先するとされた。

 フランスおよび欧州では、20世紀後半は共和政モデルの実践が際立って加速した時期で、弁護権および刑罰緩和が、1975年に行われた拘禁刑の代替刑の容認および中絶合法化の広範な運動と同時に進展する。こうした展開は自由主義刑法の勝利を信じさせるものだった。ところがそれは、権威主義的伝統が我々の法秩序に影響を及ぼすことを決してやめていないことを忘れたものだった。それは、とりわけ、「破壊分子」と闘う意思を明らかにした法律を早くも1970年6月8日に布告したことに表れている。この法律は、不法または禁じられたデモに際して行われた暴力や破壊に関して、デモの主催者のみならず参加者にも刑事上および民事上の責任を問うものだ。この罪の廃止をめざす議員提出法案の上院での報告者が書いているように、1970年6月8日のこの法律は「完全に平和的なデモ、それどころか平和主義者のデモの主催者を処罰することを可能にし」とりわけ労働組合の責任者をさっさと有罪にするに至った(8)。同様に、権威主義的伝統は1981年2月2日に可決されたいわゆる「安全と自由」法にもみられる。同法は、司法警察の権限拡大、現行犯の裁判手続の一般化──簡易出頭制の先駆け──や他人を害するいくつかの犯罪に対する刑罰の増加を意図するものだ。

露骨になった権威主義

 この法律は当時特に非難を集め、左翼が政権に就いたあと直ちに廃止された(1983年6月10日の法律)ものの、その規定は今日では驚くほど……ありふれたものだ。戦後の経済・社会民主化という広範なネオリベラリズム運動に対する疑問の高まりを背景として、公の場の議論で治安重視の言説が喧しく頭が痛くなるほど急浮上するに及んで、1990年代の中頃から権威主義的伝統が第二の隆盛期を迎えた(9)。そもそもあり得ない「治安の権利」という旗印のもと、そして被害者のためという誤った考え方を名目にして (10)、その後は堂々と大手を振って前代未聞の激しさで治安重視の論理が展開され、空前の立法の不安定化をもたらした。

 一方では、当局の行為に枠をはめる「制約」を取り払うべきだという要請がある──この「制約」は刑事上の罪を問われている人にとってはその身を守る保障である。20年近くこのかた、警察および検事の特権ばかりでなく行政機関の弾圧的権力、そしてなかんずく知事や市町村長の権限は強化され続けている。他方で、この治安重視の論理は、憲法上あるいは欧州にとって重要な意味を持つ自由主義刑法の諸原則が拠って立つ高度な法的保護と不可避的にぶつかり合う。こうして、2008年および2009年に欧州人権裁判所が──ついに──勾留中のいかなる人も尋問の際には弁護士の同席を得られることを義務付ける複数の判決を出したのを受けて、2010年6月30日の憲法院の決定によって、被疑者勾留の対象範囲を何らの保障もなく広げようとする立法者の傾向にストップがかかった(11)

 現下の弾圧の動きはまさにこの特別な文脈において位置づけられ分析されるべきだ。“黄色いベスト”運動に蔓延する暴力行為に対処しようとする行政当局のやり方は権威主義的伝統の名残をとどめている。まずそれは、いうまでもなく、「予防措置」と称する大規模な不審尋問や簡易出頭の過度の発動にみられる明らかな厳罰化の傾向だ(12)。個人の自由を奪うこれらの手段は、共和政の観点からすれば例外的なものでなければならず、捜査または裁判所への出頭を確保する目的でしか正当化されないものだ。しかし、このようなやり方は今後も盛行するように思われる。政府は、「デモにおける社会秩序維持を強化・確保するための」議員提出法案(2019年2月5日の国民議会による修正版)の第4条が謳うように「社会秩序を乱すまたは乱すおそれのある公道でのデモに参加しまたはデモの周辺で」覆面をしているだけで罪に問うことを企図している。この罪は、その曖昧さのゆえに、刑法の適法性と必要性の原則を尊重しないだろうし、もしこれが違憲審査を通れば、やがて、警察にもっと手広く不審尋問を行う口実を与えることになる。

 刑罰の厳罰化は警察力濫用の増加にも表れている。政府はしばらくの間否定していたが、警察による暴力行使が増えると、内務大臣は警察監査官室[IGPN。警察行為の監査を行う機関で、警察の警察と呼ばれる]によって開始された監査手続の件数について公式に発表せざるを得なくなる。その数は、クリストフ・カスタネ―ル氏[内務大臣、2018年10月16日~]によれば、寄せられた苦情が133件という(2019年2月10日、フランス国営ラジオ放送)。秩序維持に関してフランスに特異性があるとすれば、それは、──たとえば、ドイツのネオナチやイギリスのサッカー場内外での暴徒を連想させるような──格別に好戦的な性格をフランスのデモ参加者が持つからでは決してなく、秩序維持の方法論だ。事態を鎮静化しようとするどころか、是が非でもデモを公の場から追い払おうとして事態がエスカレートし、警察官・デモ参加者の全員に被害を与えることになる(13)

恣意性の傾向

 これに比べると目立たないが劣らず重要なのは、警察当局が裁判官、特に刑事裁判官による管理を最小限にとどめようとする傾向にも権威主義的伝統の形跡がみられることだ。裁判官の関与は、弾圧的な当局の行為を抑制あるいは無力化しようとさえする性質があるとみられているからだ。社会規範が許すぎりぎりの線を狙うこうした意思は、他にもさまざまな言われ方をしているが、司法当局のいかなる管理からも外れ、それどころか警察当局の古典的な職権を越えて犯罪の予防さらには処罰を当局自体が決定し実施することを企図する強制的な措置、すなわち「準刑法的」とでも呼び得る弾圧の強化において表れている。刑事訴訟とそれによる被疑者の保障を迂回する都合の良い手段として、この弾圧の形式がここ10数年の間に著しい発展をみた。

 この弾圧の措置は、最初は「スポーツ行事に際して(……)集団行動が社会秩序を乱すおそれがある」としてサポーターに特定の施設への入場を禁止する目的で適用された(14)が、2015年11月の非常事態宣言の後は、テロリスト組織と間接的に関係があると疑われた人たちにも適用された。2017年10月30日の法律以降は、テロの扇動を疑われる人物・グループまたは単なる「主張」に近しいという理由でその人の行動が「治安および社会秩序の維持にとって特段の深刻な脅威となる」(国内安全法典 L.第228-1条およびL.第229-1条)と内務大臣が判断しただけでその人物について住居指定や昼夜を問わぬ家宅捜索を命ずることができる。

 政府によって取り込まれ、ほとんどのメディアから「反破壊分子」法と誤った説明がなされた「デモにおける社会秩序維持を強化・確保するための」議員提出法案は、前述の論理と軌を一にする。当初上院の多数派の支持を得たこの法案により、「人身の安全の深刻な侵害また財産に対する重大な損害をもたらすおそれのある公道でのデモにおける不正行為、またはこれらのデモにおける暴力行為が社会秩序の維持にとって特段の深刻な脅威となる場合には(15)」知事はその人物に対してデモ参加を禁ずることが可能となる。最初この法律は暴力行為を含むデモに参加したというだけの理由で拘禁刑に処することができる1970年の法律より強制力が弱いようにみえた。しかし、この法律は権威主義的伝統の特徴である恣意性の傾向をちゃんと表している。「今や、暴力的なデモに参加することは最悪事の共謀者だと言わざるを得ない」と去る2月26日にエマニュエル・マクロン氏は宣言した。

 こうして、刑法の枠組みにおいて個人の自由を制限する措置を実施する場合には犯罪の証拠提示が前提であるのに対して、デモ参加者については、自身が暴力や破壊行為を行っていなくても暴力や破壊行為の「おそれがある」デモに参加しただけで脅威となる「不正行為」を犯したとしてデモ参加の禁止命令が出され得る。定義がこの上ないほど曖昧なこの措置は「破壊分子」を超えて拡大適用することを可能にする。しかも、このデモ参加禁止を守らない人は6カ月の禁錮刑に処せられる。つまり、デモに参加したというだけで投獄される可能性が出て来る。ところで、この措置の濫用のリスクはもはや現実になっている。2015年11月から2017年10月までの間に、テロ対策として宣言された非常事態を理由に行われた行政命令による家宅捜索と住居指定は、「急進的抵抗勢力」に属するとしてエコロジスト活動家に対して直ちに適用された(16)

 そのうえ、この種の行政命令の行政裁判所による管理は司法裁判の枠組みよりもはるかに緩いと思われる。刑事裁判官はこれらの権限の強制的手段に対して論理的で先験的な管理を行うのに対して、行政裁判官はある行政措置に対する不服申立てがなされてはじめてその適法性を評価するもので、しかも実際にはその行政命令が下されてから何カ月もあとになる。もちろん、不服申立人はいつでも自分の申立が「仮処分」という手続によって緊急に取り扱われるよう求めることはできる。しかし、それに必要な費用および法律知識に加えて、法律では、必要な場合には「デモの最中にも」デモ参加禁止を命ずることができると明確に定めているので仮処分の請求は役に立たないおそれが大いにある。そのうえ国務院は、ついに、このスト参加禁止措置は“notes blanches”すなわち情報機関が作成する書類だけを根拠とすることができ、情報機関はその主張を証拠立てる必要はないと認めた(2015年12月11日の決定)。

 この法案は3月12日に上院で可決された。これ以降は、基本的な人権と自由の尊重を監視する任にある機関、とりわけ憲法院がこの法律を認めるかどうかが問題となる。フランス共和国大統領は(異例のことだが)3月13日に憲法院と欧州人権裁判所にこの法律の審査を付託すると決めた。ところで、もともとから、これらの監視機関は行政当局の弾圧的論理に対して同時に相反する態度を抱いている。これら機関は立法者が常に弾圧の適用範囲を広げようとする傾向に対して欠くことのできない歯止めの役割を担い、彼らがこの新法の最も懸念される部分を禁止または少なくとも効果を弱めることが期待されている。しかし同時に、これらの最高機関は、この弾圧的論理はリベラルな伝統とは相反し、2つの相容れない刑法哲学には対立構造があるということを理解せず、この論理を支持することに一役買っている。これら機関は、人権の保護と弾圧の「必要性」なるものの間に夢のような「均衡点」を探しているのだ(17)。逆説的だが、20年来の為政者による不断の弾圧的な権限拡張を制約して個人の保障を守ろうとしつつ、それらの権限をその基本的なところで法的に認めることに繋がるのだ(18)

 より大きくいえば、政権側のこの積極的政策を差止めることは、権威主義的伝統の教義への執着どころか、第一共和政の自由主義刑法にそっくり回帰することを意味する。昔から、犯罪社会学者の教えるところでは、弾圧システムの暴力が社会的運動の暴力を抑えられるわけではないし、前者が後者を助長するわけでもない。1789年の企てに回帰することは、経済・社会およびそれと同様に民生・政治に関してもあの民主主義的な進歩を辿ることを意味する。つまり、それはいささか、今日ロン・ポワンを占拠している黄色いベストを着たサンキュロットが私たちに発信しているメッセージの一つである。



  • (1) « Mémorandum sur le maintien de l’ordre et la liberté de réunion dans le contexte du mouvement des “gilets jaunes” en France » (PDF), commissaire aux droits de l’homme du Conseil de l’Europe, Strasbourg, 26 février 2019.
  • (2) Cf. Roland Barthes, Mythologies, Seuil, Paris, 1957.
  • (3) Pierre Lascoumes, Pierrette Poncela et Pierre Lenoël, Au nom de l’ordre. Une histoire politique du code pénal, Hachette, Paris, 1989.
  • (4) Cesare Beccaria, Des délits et des peines, Flammarion, coll. « GF », Paris, 2006 (1re éd. : 1764).
  • (5) Jean-Marie Carbasse, Histoire du droit pénal et de la justice criminelle, Presses universitaires de France, coll. « Droit fondamental », Paris, 2000.
  • (6) Ibid.
  • (7) Guy-Jean-Baptiste Target, Exposé des motifs du code pénal, Paris, 1810.
  • (8) Charles de Cuttoli, rapport n° 112 (1981-1982) fait au nom de la commission des lois, Sénat, Paris, 10 décembre 1981.
  • (9) Cf. Laurent Bonelli, La France a peur. Une histoire sociale de l’« insécurité », La Découverte, Paris, 2008 ; et Loïc Wacquant, Les Prisons de la misère, Raisons d’agir, Paris, 2015.
  • (10) Denis Salas, La Volonté de punir. Essai sur le populisme pénal, Fayard, Paris, 2005.
  • (11) Réforme qui sera instituée par la loi du 14 avril 2011.
  • (12) Lire Raphaël Kempf, « Des violences policières aux violences judiciaires », Le Monde diplomatique, février 2019.
  • (13) Olivier Fillieule et Fabien Jobard, « Un splendide isolement. Les politiques françaises du maintien de l’ordre », La Vie des idées, 24 mai 2016.
  • (14) Article L. 332-16 du code du sport.
  • (15) Article 2 de la proposition de loi n° 286 telle que modifiée par l’Assemblée nationale, Paris, 5 février 2019.
  • (16) Stéphanie Hennette Vauchez, Maria Kalogirou, Nicolas Klausser, Cédric Roulhac, Serge Slama et Vincent Souty, « L’état d’urgence au prisme du contentieux : analyse transversale du corpus », dans Stéphanie Hennette Vauchez (sous la dir. de), Ce qui reste(ra) toujours de l’urgence, Institut universitaire Varenne, coll. « Colloques et essais », Paris, 2018.
  • (17) Cf. « Une question d’équilibre ? À propos de la décision du Conseil constitutionnel n° 2017-695 QPC du 29 mars 2018 », La Revue des droits de l’homme, 23 mai 2018.
  • (18) Lire Anne-Cécile Robert, « Vous avez dit “sages” ? », Le Monde diplomatique, avril 2013.

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2019年4月号より)