自然災害を利用したニューオーリンズのショック療法 

都市を滅ぼす方法


オリヴィエ・シラン(Olivier Cyran)

ジャーナリスト
著書 Boulots de merde ! Du cireur au trader. Enquête sur l’utilité et la nuisance
sociales des métiers
, La Découverte Poche, Paris, 2018.(ジュリアン・ブリゴとの共著)

訳:清田智代


 2005年8月に大型ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ南東部を襲った。ルイジアナ州ニューオーリンズ市では防災インフラの不備等により陸地の大半が水没に遭い、2000人以上の死者が出た。市はこれを好機としてカトリーナ到来前から構想していたまちづくりに着手し、現在はすっかり起業家の都市として生まれ変わった。ニューオーリンズ市はどのような手法で「都市の再生」を果たしたのだろうか。[日本語版編集部]

(仏語版2018年12月号より)

photo credit : MadelineFox « Katrina Flag 4 »

 ジェントリフィケーションのターゲットにされた地区において、これまで全く特色のなかった場所が突如として、人々の関心を集める場所、さらには抵抗の拠点とみなされることがある。ニューオーリンズ市のフレレット・ストリートでは、ある小さな理容室がこうした役割を担うことになる。このデニス・バーバー・ショップは1974年、白人訪問者がこの通りに迷い込もうものなら一目散に逃げだしたくなるような時代に開業されたが、現在は「失われたコミュニティーの最後の生き残り」だ。こう語るのは店主のデニス・シガー氏で、彼は高齢にもかかわらず現在も1日15時間働いている。店のすぐ左では、犬専用のトリミング・サロンがエスパニョル犬へのシャンプーを50ドル(44ユーロ)で提供している。理容店の正面のフランスワイン専門バーやエステサロンから数メートルのところには、ヨガ教室が「ストレス軽減」や「精神の安定」を月150ドルで売りに出している。通りの高台方面に向かってジェファーソン・アヴェニューと交差するところには、スターバックス・コーヒーが2017年末に店舗を構えた。「ここに私の居場所はもはやない」とシガー氏はため息をついた。「昔の客のほぼ全員がこの界隈を去っていった。幸いなことに、彼らの多くが今も来店してくれる、時には遠方から。この場所は昔のなじみにとってのたまり場なんだ、常連たちが集う酒場のような。とはいえ、ここで出すのは酒ではないけどな」

 約15年前のフレレット・ストリートとその周辺はほとんど黒人からなる地区だったが、このことはニューオーリンズ市内の大部分に当てはまることだった。ニューオーリンズにおける黒人住民の割合は2005年には67%だったが、2013年には59%まで下がった。そしてこの傾向は加速の一途をたどっている。大部分が貧困状況にあり、時に自らを少々の皮肉を込めて「ネイティブ」と呼ぶこうした人たちは——そして「ネイティブ」と称することは、自分たちの町の魂に刻み込んできた素晴らしい文化のしるしを見せしめるためでもあるのだが——物価の高騰をもたらす若くて裕福な白人の住民が到来したことによって町を追いやられ、郊外もしくはさらに遠方へ立ち去っていく。ベイウォーター、フォーバーグ・マリニー、セブンス・ワードもしくはフレレットといった歴史的に黒人庶民から成り立ってきた地区は、数年のうちに白人富裕層からなる地区に変わってしまった。

 人々は一体どのタイミングで、自分が生きてきた世界がもはや存在しないということに気がつくのだろう。シガー氏の熟達したハサミさばきで短髪になったベルナール・ラロス氏(52歳)にとって、それは2013年だった。彼の大家は、彼が借りている3部屋の賃貸住宅の家賃を何度も引き上げた挙句、4年で600ドルから1100ドルになった。「このとき私の給料は1セントたりとも上がってはいなかった。この界隈はもはや私が住むところではなく、引っ越すときが来たのだと、その瞬間に私は悟った」。この年の一般集会で、100人ほどの新しい住民たちが地方税の引き上げを要求した。夜間警備を行うセキュリティ・スタッフを雇う費用を工面するためだ。この提案は最終的に却下されたが(1)、「これを機にどれだけジェントリフィケーションがこの地区を変えてしまったかを悟った」とラロス氏は強調する。ボリバル通りとワシントン通りの交差点の角にあった、地区の労働者に99セントで朝食を提供してきた、低俗ながら陽気な安食堂は消えてしまった。そこに1杯4ドルのフェアトレード・コーヒーや、1個12ドルの気取った高級ハンバーガーを提供する店が現れた。

 ここではディープ・サウス[メキシコ湾北部の複数の州でアメリカ合衆国南部の文化的・地理的区分の一つ]の歴史に深く根付く人種別支配のシステムと軌を一にしていることだが、中・上流階層による都市部のレコンキスタ[土地の再征服]現象はニューヨークからベルリン、デトロイト、パリ、リスボンそしてバルセロナを含む欧米における主要都市の大部分に影響している。だがニューオーリンズこそその典型例だろう。他の都市においてこのプロセスは段階的もしくは不規則に、あるいは長期的に展開していくが、この町では稲妻のような速さと他に例をみない規模、粗暴さをもって起こった。気象災害、つまり13年前に町を崩壊し、死者2000人近くを出したハリケーン・カトリーナがこのプロセスの触媒の役割を果たした(2)

「世紀の大嵐が世紀のチャンスを生み出した」

 2005年8月29日のハリケーンに続いて起こった洪水は住民に生涯のトラウマを残した。このことはそれ以来記録される自殺率が証明している(カトリーナ以前は10万に9人、カトリーナ以降は10万人に26人の割合)(3)。政策当局者や経済界のエリートにとって洪水災害は救いの神となった。ルイジアナ州が誇る最大都市には数カ月もの間、住民が不在となった。ニューオーリンズの大部分は堤防の決壊——予算上の理由で維持できなかったことが原因だ——で生じた洪水により浸水した。指導者たちからすれば、ハリケーンで始まった町の破壊を完遂させるチャンスだった。濡れた遺体が乾くやいなや、ウィリアム・P・クイグリー弁護士の言うところによる「ステロイド剤で強化されたリベラリズム」の体制が敷かれた。貧困者との全面戦争の要素が集約されたような体制だ。教員は解雇され、学校は民営化され、公立病院は閉鎖され、セキュリティーカメラは補強され、住宅市場は規制緩和され、公営住宅は取り壊されてディベロッパーによって開発された邸宅がとって代わった。観光業がもてはやされて新しい空港や無数の高級ホテルの建設の計画が行われる一方で、市は財政優遇措置を講じて企業家を手厚くもてなした。「世紀のチャンスを創り出すためには、世紀の大嵐が必要だったのです。この機を逸するわけにはいきません」とルイジアナのキャスリーン・ブランコ州知事(民主党)[任期:2004年1月から2008年1月]はカトリーナ発生から2週間経たないうちに説き勧めた。この言葉は歓迎された。ニューオーリンズの「復興」はメディアからしばしば「サクセス・ストーリーのモデル(4)」として称賛されており、きたるべき自然災害による悲劇から最大限の利益を得ることに腐心する世界中の為政者に取扱説明書として参照されるほどだ。

 カトリーナから学ぶべき第一の教訓は、自然がもたらす大厄災は財を持たぬ者、もしくはほとんど持たぬ者に好んで襲いかかるということだ。このことは当時繰り返し放送された映像が証明している。この映像では車を所有していないために自力で町から非難できなかった何千人もの生存者が、スーパードームやコンベンションセンター[いずれもニューオーリンズ市にある大規模収容施設]の劣悪な状況の中ですし詰めになっていた。「戒厳令が発令され全ての交差点には警官や軍人がおり、私たちに銃を向けていたが手を差し伸べてくれる者は誰一人いなかった。これは私が生涯忘れないだろうひどい出来事だ」と黒人組合活動家で非正規労働者の保護団体 Stand With Dignity(5)のメンバー、アルフレッド・マーシャル氏(60歳)は述べる。「近所の若造の一人が[浸水を免れた]乾いた衣料を求めて廃墟と化した店に入り込んだら、まるで犬のように打ちのめされた。治安部隊がどれほどの犠牲者を生み出してきたかを誰も知るまい。治安部隊の第一の気がかりといえば、彼らが言うところの略奪から財を守ることで、洪水に溺れる者を救出することでも生存者を救うことでもなかったんだ」

 ひとたび避難の順番が回ってきて国内のいたる所に離散すると[訳注1]、生存者たちの多くは悲痛な選択に直面するのだった。コラムニストのデイヴィッド・ブルックスは、このことについてニューヨークタイムズで警告していた。「たとえ貧困者がかつての住まいに戻れるとしても、ニューオーリンズは以前と同じぐらい荒廃し、機能不全に陥った町となるだろう(6)」。彼らに立ちはだかる障害は山積みになった。それらのうちで最も劣悪なのがロード・ホーム(「帰り道」)と呼ばれる国のプログラムで、避難者の自宅再建を援助するという名目のものだ。ジョージ・W・ブッシュ政権は、受給者への補償総額を不動産市場における想定上の価値に応じて算定した。つまりガーデン・ディストリクトの豪奢な邸宅所有者はたっぷりと補償を受けた一方で、貧困地区の住宅所有者は雀の涙ほどの額しか受け取れなかったことに等しい。約10万人の最貧困層の市民(ハリケーン前の人口は約45万人)は、13年経った現在にいたるまで自宅に戻ることはなかったとされる。「当局は最貧困層の者が地元に戻ることを歓迎されていないことを知らしめたのだ」と13年間怒りを抱きつづけるマーシャル氏は言い放った。「市は彼らにとって望ましからぬ者を排除するために、カトリーナをスーパーシェリフ[訳注2]のように利用した。それはあまりに黒人ばかりで教養のない者ばかりがいるこの町に対する仕返しのようなものだ。ジェントリフィケーションという言葉は、私には “排除” と聞こえる」

 カトリーナから数週間続いた大混乱で、ニューオーリンズ市長(民主党)のレイ・ナギン氏――現在は汚職の廉で服役中だ――とブランコ州知事は、公立学校の解体と教員の解雇という共同戦線を張った。2005年9月下旬、教育委員会はニューヨークからやってきた「コストキラー」の異名を持つ元陸軍大佐で企業向けコンサルティング会社 Alvarez & Marsalのウィリアム・ロベルティを教育長に指名した。またこの会社は、教育委員会が学校教育システムを再編成することを援助するために、ただちに1680万ドルで契約を勝ちとった。コンサルタントの一団がダークグレーのアタッシェケースを抱えてヴュー・カレ地区にやってきた。この地区はニューオーリンズの観光中心地であり、奇跡的に浸水を免れた。「渇いた地区」にある複数のバーは備え付けの発電機を稼働させることができたので、周辺の店が全て閉じている中で唯一営業を続けた。「バーへやってくる客は、街灯の下に捨てられた蝋人形のように全身コールタールに覆われ、垢にまみれていた」と作家のジェームズ・リー・バークは語る(7)

 したがって、ニューオーリンズの子どもたちの運命は「リスクマネジメント」のエキスパートの手中にあるというわけだ。教育委員会はコンサルタントの助言に従って、市内に住民がいなくなったことを利用して7500人もの教員全体ににべもない解雇を告げたのだ。「その知らせが地元のメディアで放送された時、教員の大部分はまだ避難で遠く離れたところにいた。彼らの多くは最悪の事態の中、不意にその知らせを知ったのだ。カトリーナのトラウマと、克服しがたい物質的な困難と戦っていた、そんな時にだ」とウィリー・ザンダース弁護士は強調する。彼はこの「7500人」を弁護してきた。長きにわたる裁判で当初は勝訴したものの、2014年、最終的にルイジアナ高等裁判所で敗訴した。

教員と労働組合を排除する

 どうして教員なのだろうか? ザンダース弁護士は肩をすくめる。「彼らは被害状態や執行可能な予算の不足を言い訳にした。ところが一斉解雇の公表の10日後、ルイジアナ州の教育相は連邦政府から教員の復帰支援として1億ドルを受け取った。皮肉なことに、この金は最終的に教員を追い出した側への報酬として使われた」。ザンダース弁護士からみれば、これは厄介な存在になりそうな社会勢力を弱めることでもあるのだ。市と州は、大部分が黒人で地元の紛争にしばしば関与してきた教員たちを追い出すと同時に、彼らの労働組合であるニューオーリンズ教員組合(United Teachers of New Orleans)をも弱体化しようとした。この組合は、組合の文化が不在のルイジアナに根づいた珍しい組織の一つだ」

 しかしこの活動の究極目的——ザンダース弁護士は、これはカトリーナ発生前から既に用意されていた手法で、当局は実施の好機を窺っていたのではないかと勘ぐっている——は、この非常に独特な経験を先導すること、すなわち一大都市内のほぼ全ての学校を一斉に「チャータースクール」に変えることだ。「チャーター式の学校」、すなわち契約に基づく学校運営のことだが、この呼び方は最近考案された体制を指し、民営(各学校は企業経営者が主体となって運営される)であると同時に公営(入学は無料であり、運営者が利益を追求することは想定されていない)でもある。当初ビル&メリンダ・ゲイツ財団の援助のもとにニューヨークで導入されたこのチャーターシステムは、困難を抱えた地区での学校運営の失敗への特効薬という評判が先行し、瞬く間にアメリカの大都市に広まった(8)。[ニューオーリンズのように]大都市全域という規模でこの制度が広まったことはまだ一度もなかった。

 チャータースクールの概念をつかむべく、ニューオーリンズ近郊にあるアルジアーズの小学校、ポール・ハーバン・チャータースクールの扉を開けてみよう。受付の壁には赤文字で大きくこの学校の標語「忍耐、優秀、勇気、共有」が掲げられている。廊下にはパネルが「私たちは自身の改善のためにいつも最善を尽くします」と宣言している。その先には「私たちは、私たち自身よりもさらに大きなものに属しています」とある。私たちの足音が大聖堂にいるような静けさの中で鳴り響いた。

 この学校の責任者は我々との面会に応じてくれた。白人で若く、にこやかな表情のケイト・メホック氏は、ポール・ハーバン・チャータースクールを含む3つの学校を運営するクレセント・シティ・スクールグループの最高経営責任者だ。彼女もまたニューヨークからやってきた。「それぞれの学校は子ども一人につき年間8500ドルを州と市から受け取っています」と彼女は説明する。「私たちはすべての子どもたちを無差別に受け入れており、学校運営の結果を報告しています。しかし我々がどんなプログラムに従うべきか、またどのように行動するべきか指導にくる者はいません。目的に合致している以上は、私たちはやりたいことを行っています」

 辞めさせられた教員の穴を埋めるため、ヘッドハンターは第一にティーチ・フォー・アメリカにアプローチした。この人道団体は、大学を卒業したばかりの初心者を教師が不足している地域――外国であることが多い――へ派遣している。派遣される側にとっては、はじめの一歩を踏み出し、のちに教員免許を取得するための機会である。しかしニューオーリンズでは、彼らの多くは長続きしなかった。メホック氏は「どんな企業にもみられるようなターンオーバー[人員の入れ替わり]」があることを認めるものの、「教員の型にまだはまっていない、若い教員を獲得する機会でもあるのです」と強調する。雇用側のチャンスといえば、彼らが雇う者にはわずかな給料しか支払わないものの、彼ら自身はたっぷりと報酬を得ることができることだ。その額は年間12万ドル(メホック氏の場合)から、彼女の同僚のいく人かにいたっては20万ドル以上にのぼる。メホック氏はどのように教員を募っているのだろうか? 「オーソドックスな方法によります。私たちがインターネットに求人広告を出し、候補者が応募します。書類審査をし、場合によっては面接します。もちろん、彼らが良い業績を収めなければ、私たちは彼らを遠慮なく解雇します。そして同様に、彼らも満足しなければ自由に辞職できます」

 生徒たちにとっては、この責任者が言及する「機会」とやらはさほど明瞭ではない。アシャーナ・ビガード氏は子どもの通学先と対立している親に法的支援を行う社会活動家だが、“チャーター”モデルの政治的な成功は、まさしくチャータースクールの規律面での特徴と関係があると考える。「チャータースクールはこれを“言いわけが通用しない”決まりごとと呼んでいます」と彼女は言う。「子どもたちは整列して歩かなければなりません。生徒のほとんど全員が黒人からなるいくつかの学校では、レクリエーションを廃止さえしました。子供たちが壁にもたれかかったり、頭を机の上に突伏せたり、規則に反する色のブラウスを着用したら罰せられます」。しかし最悪なことは、彼女が言うには、食堂や昼休み中に沈黙を課すという決まりである。「4歳から8歳の子どもたちにとって、このような禁止は社会で生きるために必要な感情の発達を阻害しかねません」

 ビガード氏にとってチャータースクールは痛恨の極みだ。彼女は生まれ故郷のニューオーリンズを去ろうと考えている。「息子には学校で音楽を学んでほしいのですが、ここではもはや不可能です。それが可能だったのはカトリーナ以前のことです。当時、どの学校でも音楽の授業がありました。多くの音楽家たちがそこで授業を行っていたのです。今やそんな時代は終わりました。大おじはバーニー・ビガードという偉大なジャズクラリネット奏者で、デューク・エリントンやルイ・アームストロングと演奏しましたが、私自身の息子は楽器に触れることさえできないのです」

ウーバーの運転手になった音楽家たち

 アメリカの黒人音楽発祥の地であるニューオーリンズでは、街を歩けば絶えず音に酔いしれ胸がしめつけられるものだが、音楽家への評価がこの町で現在起こっている激変を如実に物語っている。「音楽家の評価はいつだって厳しかったが、ますます悪いものになっている」とザ・ホット・8・ブラス・バンドの創設メンバーで、耳をつんざくようなコンサートから出てきたベニー・ピートはため息をつく。このバンドはニューオーリンズで最も有名なバンドの一つで、世界中でツアーを行っている。しかしバンドのメンバーは音楽だけでは食べていけない。「多くの人が大金を抱えてニューオーリンズに移住している。彼らは家や地区を丸ごと購入しては、古い住人に立ち退きを強いる。だから音楽家たちにとっても状況は厳しくなっているんだ」と彼は打ち明ける。「かつて音楽家たちは頻繁にフレンチメン・ストリート[ニューオーリンズの繁華街にある通りの名称]の観光客向けのバーで演奏を行ったものだ。しかし今となってはバーではチップしか払わないが、私たちはそれを受け取らない。これほどまでに音楽で食べていくのが難しかったことはない。生きていくために、私たちは皆副業をする。倉庫労働者やウーバーの運転手など」。この地域特有の逸話をもう一つ紹介しよう。観光客の数は年々伸びている(2017年は800万人で最高記録)ものの音楽家はあまりに貧しくなり、バーで観光客から拍手を浴びた後、その客をエアービーアンドビー(Airbnb)の宿泊先にウーバーで送らなければならないほどだ。

 ニューオーリンズでは他の町と同様、手ごろな価格の住宅不足がジェントリフィケーションを促進する主要因とみなされる。しかしこの街の住宅不足は、単に市場のなすがままに任せた結果ではない。これは容赦ない破壊作業の賜物である。2006年から2014年の間には、低所得者向け住宅地区を構成していた4つの主要な労働者用住宅団地で総計4500戸が壊された。このアイディアもやはりカトリーナの到来前から存在していたものだった。ウィリアム・クリントン大統領下で採択された連邦プログラムにより、1990年代以降低所得者向け住宅の取り壊しと「中所得者」向け住居への転換に補助金が交付された。ニューオーリンズ市役所はこの[連邦プログラムという]不動産ディベロッパーへの贈り物ともいえる制度を利用して、2000年代に入るや低所得者向け住宅一帯を取り壊す計画を立てはじめていた。しかしこの試みは激しい抵抗に遭ってきた。カトリーナが引き起こしたショック状態とエリートを増やしたゴールドラッシュのような空気が市の行動を後押しした。

 かつてアップタウン地区[ニューオーリンズ市内の地区の名称で住宅地と商業地が混在]にあった赤レンガの住宅団地カリオペに長らく住んでいるマーシャル氏は、そこに残存するものを見せてくれた。プレハブ造りで素早く組み立てられたような小さな家々が壁を接して立ち並び、ミズーリ州にあるゴールドマン・サックス投資銀行系列のディベロッパーに管理されている。彼の住まいは公的扶助受給者用の住居の一部に割り当てられており、薄紫の玄関が特徴的である。「近所の住民の玄関は黄色です。なぜならその人はもっと高い家賃を支払っているからです。玄関の色を塗り替えることは禁止されています。さらにここでは何もかもが禁止されています。バーベキューをすることも、友人同士で屋外で飲食することも、音楽を演奏することもできません。何世代にもわたってこの街でしてきたことですが、玄関ポーチに座り込むことさえ規則で禁じられています。私たちを自宅に閉じ込めることが狙いなのです。植え込みといえば……」。彼は私たちに家の前にある育ちの悪くくすんだ何かを指で触らせた。プラスチック製である。「このおぞましいものを引き抜いて本物の植物を植え込む権利もありません」。同じようなルールは富裕層向け高級住宅にも存在するが、ここでのような懲罰的な性質は持ち合わせていない。

 マーシャル氏は彼の地区が被ったことに対してひどく悔しがっている。カリオペには約1500世帯が暮らしていたが、今や60世帯ほどしか残っていない。「当時、地区の住民全員が知り合いでした。共有の庭があり、人々は果物を育てたものです。何かが壊れたら皆が集まってそれを修理できるということを、私はここで知りました。今や近所の人のことを知りません。向こうの正面には公園があり、人々が音楽を演奏しにやってきました。今では柵に囲まれた私有地です。そこに行くにはスポーツクラブの会員にならなければなりません。あちらにはバーやクリーニング店、商店があり、どこも黒人の仲間が営んでいました。今では安普請の小さな家しか残っていませんが」

 社会活動の「発起人」として、マーシャル氏はジェントリフィケーションが抱えるもう一つの現実に直面している。つまりこの10年で、とりわけ別荘地の投機市場の規制緩和とAirbnbへの住居賃貸の急激な増加の影響で家賃が地域の差はあれ50%から100%急上昇したが、ニューオーリンズの黒人の大部分が受け取る最低賃金は上がっていないことだ。最低賃金は依然として時給7.25ドルで、国が認める最低水準だ。何万人もの労働者は、特に建設部門や観光部門で得られるこの施しほどの金で生き残るために何とかやりくりしなければならない。多くの人々は朝の4時か5時に起きて仕事場に向かう。そして60ドルからバス代を差し引いたものをポケットに収めて帰宅する。「どんな生活を送っているかって? 想像してみてくれ、一週間が終わるとき、君はどんな状態だ? 私たちはカトリーナで溺れたが、結局、今だって溺れているんだ」

 マーシャル氏とStand With Dignityの同僚は最低賃金を15ドルに引き上げるべく集会に参加しているが、これはルイジアナ州では困難な闘いだ。2018年の3月、ルイジアナ州の上院は最低賃金の法定下限を7.25ドルから8ドルとする法案――何度目かの提出となる――を否決した。市としては雇用者側を優遇したいのだ。雇用者を引き寄せるための財政優遇措置は年々かなり膨れ上がり、税収の当初総額の80%を占めている。ボビー・ジンダル州知事(共和党)[任期:2008年1月から2016年1月]は、2016年に州知事を離職する際にこう白状した。「本当のところ、私たちが創り上げたのは企業のための福祉制度です」

 それゆえ、雇用者は屈託なくやりたいことができる。ジョン・アトキンソン氏は「革新的な企業」に特化した投資ファンドの共同設立者だ。この夏から、彼はアイデア・ビレッジのかじ取りをしている。これは現代美術センターの最上階に事務所を構え“先端技術”事業の起業家を集めてセンスと資金の仲介をする。彼はリサイクルカップでコーヒーを楽しむあごひげの若者で賑わっている、極めてスタートアップらしい雰囲気のオープン・スペースの中で我々を応対した。今や年収30万ドルのアトキンソン氏は、2007年に学業のためカリフォルニアからやってきたとき、ニューオーリンズが「機会を生み出すカオスの時期」の真最中にあると考えた。その意味について解釈を求めたところ、彼は頭の中で確立されているビジョンを我々に打ち明けた。「カトリーナは住民ひとりひとりを起業家にしました。生きるための必要性が全ての人の創造性を生んだのです。これが我々のDNAに企業精神を刻み込んだのです」

 「もしあなたがこの町を滅ぼすことができるなら、あなたはどんな町をも滅ぼすことができるだろう」とニューオーリンズのある住民が2006年に言った(9)。その12年後、カナル・ストリート[ニューオーリンズの主要な通りの一つ]のふもとでは、マサチューセッツのディベロッパーがワールド・トレード・センター[商業施設の名称]を大規模な5つ星ホテルに改造しようとしている。市は4億6500万ドルの工事の融資にたっぷり貢献した。そこではジェントリフィケーションではじかれた人々が目に見えない形で辛い仕事に従事する。ディベロッパーのホームページにはこう説明されている。ビルの最上階とその下階に入る予定の、全景を見渡せるレストランが提供するのは「音楽、食、伝統といったルイジアナのアフロ・アメリカ文化の称揚」だ。




(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年12月号より)