暴動と弾圧が深刻化する英語圏 

揺れるカメルーン


クリスティーヌ・ホルツバウアー(Christine Holzbauer)

ジャーナリスト


訳:大津乃子


 2016年の年末から、カメルーン英語圏の2つの州で、前例のない政治危機が進行している。英語圏の分離独立を訴えるグループが顕在化し、武装勢力と治安部隊の衝突が増加しているのだ。治安の悪化により英語圏の多くの有権者が投票できない状況で、2018年10月、30年以上にわたり同国の権力を握るポール・ビヤ氏が大統領に再選されたが、カメルーンの将来はいまだ不透明だ。[日本語版編集部]

(仏語版2018年12月号より)

©︎Cécile Marin, ル・モンド・ディプロマティーク日本語版

 教師や生徒を誘拐して身代金を要求する独立派と、無分別に抑圧する軍。それらに挟み撃ちにされているカメルーン英語圏の人々は、自分たちが住む地域の地位交渉が始まるのをずっと待っている。彼らの大半は、治安の悪化のために2018年10月7日に実施された大統領選挙の投票に行けなかった。予想されていた通り、1982年から政権の座にあるポール・ビヤ大統領が71%の得票率で再選された。ビヤ氏は8人の競争相手、特に「カメルーン再生のための運動」(MRC)のモーリス・カント氏(得票率14%)、社会民主戦線(SDF)のジョシュア・オシ氏(得票率3%)を大きくリードして当選した。英語圏におけるビヤ氏の歴史的なライバルであるSDFの得票率が低かったのは、英語圏であらゆる形の攻撃や暴力が再燃したためで、同地域での投票率は5%に届かなかった。2016年11月以降、30万人に近い人々が、自宅から避難しなければならなかった。

 ドイツの植民地だったカメルーンは、[第1次世界大戦が終結した]1918年以降、イギリスとフランスに分割された。1961年2月11日に行われた住民投票の結果、英領カメルーンの分割が承認され、南カメルーンの住民は、1960年にフランスから独立した隣接するカメルーン共和国への統合を決めた。一方で、北カメルーンの住民はナイジェリアへの統合を選択した。今日、カメルーンの約500万人の英語話者(カメルーン全体の人口は2,400万人)は、ナイジェリアとの国境沿いの北西州と南西州と呼ばれる2つの州に住んでいる(地図を参照)。「南西州は石油の生産と農工業開発により、間違いなくカメルーンでもっとも重要な地域です」とエコノミストのデュドネ・エソンバ氏は説明する。「実際に、この地域だけで外貨収入の45%を生み出しているのです」。(GDPの12%を占めている)国の石油の大部分が英語圏地域の沖合いで採掘されている。

フランス語圏への憎しみ

 2016年11月以降、これら2つの英語圏の州で、弁護士と教員による暴動に助長された分離派の運動が拡がっている。彼らは、政府による行き過ぎた中央集権的な統制に対して抗議している。憲法は二言語主義と文化的多様性を保証しているが、政府はローマ法から着想を得た規範の使用を強要している。しかしそれらの規範はカメルーンの英語圏で優勢であるイギリスが起源のコモン・ローとは相容れない。英語圏の住民はこれを挑発とみなし、さらにそこに別の挑発が加わる。フランス語圏出身の教師が、英語圏の学校の英語教師に計画的に配置されているのだ! こうした緊迫した雰囲気の中で、国外に住むカメルーン人の一部の支持を得た運動である南カメルーン国民会議(SCNC)は、2017年10月1日に「アンバゾニア」の分離を宣言した。自治主義者たちは彼らの「国」の名前をカメルーン山(標高4,070m、西アフリカの最高峰)の南に位置する湾の名前「アンバス」から命名した。彼らは(青と白の)国旗さえ持っている……。アムネスティ・インターナショナルによれば、「アンバゾニア共和国」の宣言以来、400人以上が命を落としている。30万人の難民の大半を受け入れている隣接地域もまた、人道的な危機に直面している。さらに、2万5,000人が隣国のナイジェリアへの避難を余儀なくされた。

 2018年3月に大統領に忠実な2人の英語圏出身の大臣が任命されたことは、この地域における不満を募らせただけだった。ポリーヌ・ナロヴァ・リヨンガ・エグベ氏は、出身大学であるブエア大学の学長だったが、ひどい評判にもかかわらず、中等教育大臣に突然抜擢された。2016年の抗議運動の時、彼女はストライキを行っている学生を制圧するために、警察と憲兵を呼んだという過去がある。ポール・アタンガ・ンジ氏を領土管理閣外大臣に任命したことは、カント氏[大統領選でビヤ氏に敗れた候補]の選挙運動の責任者であるポール・エリック・キンゲ氏によれば「花瓶の水を溢れさせる最後の一滴」だった。対話を再開するために急遽、地元のバメンダの町に送られた彼の傲慢さは際立っていた。首都のヤウンデに5年前から住んでいる英語話者で博士課程の学生のニング・ロジェ・ムビビ氏は、彼が「英語圏エリートたちの裏切り(1)」と呼んでいる事象をとりわけ心配しているようだ。それは首相のフィレモン・ヤングの裏切りから始まっている。彼は自分の出身コミュニティで中傷されていたので、投票のために自分の村に帰ろうともしなかった。ビヤ氏の他の英語圏の仲間たちは皆、アマドゥ・アヒジョのカメルーン国民連合(UNC)に替えて1985年にバメンダで結成された、大統領の政党であるカメルーン人民民主連合(RDPC)の有力な党員だ。ムビビ氏によれば、彼らは緊迫した状況を静めるのに失敗しただけでなく、「火に油を注ぎさえした」

 フランス語圏の住民に対する恨みは、今日では[英語圏住民の間に]定着したようだ。「戦っている若者の多くは麻薬をやっています。彼らはフランス語圏住民への憎しみだけに駆り立てられているのです」とンドング・クリストファー・ンヴェ氏は我々に断言する。彼は、ビアフラ戦争(2)以来ビヤ氏の変わらぬ同盟国であり続けているナイジェリアで、2018年1月に逮捕された分離派の責任者たちの弁護を担当する3人の弁護士のうちの1人である。「私がモーリス・カント氏の選挙運動に参加したのは、ただ祖国への愛のためで、カメルーンが内側から崩壊するのを避けるためです」。犯人として引き渡された後、反乱者たちは「ヤウンデのどこか」に監禁されて、軍事裁判で裁かれるのを待っている。

 カメルーンの経済は、長引くこの紛争から打撃を受けている。危機に陥っている地方からの産品(カカオやゴムなどの生産物)の輸送が中断していて、経済の中心地であるドゥアラ港の経済活動が鈍っているのだ。また、およそ100km離れているクリビ港でも経済活動が10%落ち込んでいる。2017年1月から5月にかけて、政府は英語圏でのインターネットへのアクセスを遮断して抗議運動を封じ込めようとしたが、政府が方針を変えるまで経済活動は麻痺した。

 ビヤ氏のかつての大臣で、石油を産出するバカシ半島が2008年にカメルーンに帰属した際に(3)重要な役割を果たした弁護士のカント氏は、現在、その地位を手放そうとしない大統領の1番の政敵だと考えられている。同氏は英語圏で軍が犯した暴力の証人だった。「治安部隊は英語圏において、平和的なデモの最中に、過度に武力を行使して重大な人権侵害を犯したのです」と、自身の選挙基盤であるバフーサムでの会議の後、彼は非難した。「彼らはまた掃討作戦を行い、その時に恣意的な逮捕をしたり、殺人や数十の村に火をつけるという犯罪を犯したのです」。ムビビ氏の方は、投票の数日前の9月23日に、首都のヤウンデにある2つの地区で展開された威嚇作戦を告発する。そこでは、50人程度の英語圏の人々が逮捕されたという。不当に尋問された人たちは、アムネスティ・インターナショナルの発表によれば「治安部隊にお金を払った後、9月24日に釈放された」(4)。「英語圏の人々は公的な書類を受け取るためにヤウンデまで行かせられることや、フランス語圏の公務員の横柄な態度に我慢していますが、そうした嫌がらせにもかかわらず、共に暮らしていきたいというカメルーン人たちの意志はまったく変わらないのです」とムビビ氏は強調する。

 この暴力の連鎖にショックを受けて、野党の全候補者が政府に対して英語圏の住民との政治的な対話を行うように要求した。まず最初に、国家の形を議論することが重要だった。というのも、1972年に当初の連邦制はアヒジョ大統領によって廃止されていたからだ。アヒジョ氏はビヤ氏の指導者で、連邦制では国の運営に費用がかかりすぎると考えていた。国民投票で信任された中央集権化は、ゆっくりと独裁体制へ脱線していく糸口になった。フランス政府が後ろ盾についている現在の大統領は、政治的そして社会的な抗議をますます暴力的に抑圧している。

 現在の体制が国中に多大な犠牲を強いているとしても、英語圏の住民は自分たちがもっとも苦しめられていると考えている。カント氏や彼の若いライバルであるカブラル・リビイ氏のように、「地方分権化」を推し進めることでよしとするだろう人たちもいる。その最初のステップは20年前から死文化している地方分権化に関する法律をしっかりと適用することだろう。連邦制の復活を言及する人々もいる。いずれにせよ、国家の一体性に固執する政権に対して、英語圏にさらなる自治を認めることが必要だという強い要求がこの大統領選挙で見られた。たとえ野党がこの基本認識に基づいて、政権を獲得するために団結できなかったとしてもである。ビヤ氏のカメルーン人民民主連合(RDPC)は野党を、地域の分断を煽り立てることで選挙運動を「民族の問題」にしようとしていると非難し、大統領を国家の融合を保証できる唯一の存在だと主張する。

失業率に関する論争

 ビヤ候補はといえば、選挙活動で極北州だけを訪れるという選択をした。190万人の有権者に支えられているこの州は、ボコ・ハラムによる数多くの攻撃の現場となっていた。カメルーンとナイジェリアがそれぞれの隣国の領土内での捜査を許可する協定を調印して以降、この一帯への[ボコ・ハラムの]侵入は減少した。しかし、現地の人権保護団体によれば、暴行や略奪は続いている。大統領は、この細長い、ナイジェリアとチャドに挟まれた州の州都であるマルアにやって来て、平和や道路の建設、観光の推進について、絶望している若者たちに語った。

 カメルーンでは、失業率が論議を呼んでいる。全国雇用基金は4%と見積もり、状況がもっとも悪いヤウンデで14%、ドゥアラで12%としている。労働組合によれば、全国平均は13%、ヤウンデでは30%、ドゥアラでは22%だ。英語圏では40%近くに急上昇しているという。「ビヤの下で」生まれて育った多くの人々は、[選挙人名簿へ]登録して選挙人カードをもらっても無益だとこれまでは判断した。「2019年に実施される国会議員選挙と市会議員選挙ではそうはならないでしょう」と政治学専攻のある学生は予想する。英語圏で学業を修めたフランス語話者であるエドゥガール・クアート氏にとって、大統領がマルアの演説で「自称解放者」を公然と非難してわざわざ英語圏の危機に言及したことは、彼が人民の声に耳を傾けるというのではなく、国際社会、特にIMFの圧力を恐れていることを表している。カメルーンの負債比率は高く、上昇し続けているからだ。

 2018年6月、アムネスティ・インターナショナルの報告を受けて(5)、イギリスとドイツの議会が「軍と治安部隊による暴力行為」を非難した。それよりも前に、駐カメルーン米国大使のピーター・ヘンリー・バーラリン氏が、英語圏の分離独立派との戦いを目的としたカメルーン軍の「暗殺作戦」を非難していた。大使はビヤ大統領に「自分の将来を考えるように」とも忠告していた。カメルーン英語圏の混乱は、危険な地政学的影響を与えるかもしれない。カメルーンとナイジェリアの国境の両側でボコ・ハラムがテロを起こしていることに加え、ナイジェリアには分離独立派のグループがいて、中央アフリカ共和国からは外国人傭兵が侵入しているからだ。10月7日の大統領選挙で明らかになった不正を公然と非難した米国は、この状況を心配している。フランスはといえば、パリで11月11日に開催された平和フォーラムにビヤ氏を招待した(結局、彼は参加しなかった)。ビヤ氏が大統領に再選される前にもかかわらずである。




(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年12月号より)