ヨーロッパに押し寄せる移民の大波


ブノワ・ブレヴィル(Benoît Bréville)

ジャーナリスト、ル・モンド・ディプロマティーク副編集長


訳:村上好古


 ヨーロッパ大陸への移民の数は、2015年に比べれば大きく減少した。ところが2018年2月、地中海をはさむ彼我の人口動態の差から移民圧力は抑えようがなく、2050年にはヨーロッパの人口の4分の1はアフリカ出身者になるという著作が発表され、改めて議論を呼んでいる。反論も出され、政治問題としての関心を高めている。[日本語版編集部]

(仏語版2018年11月号より)

Marie-Laure Vareilles. – De la série « Tous pareils, tous pas pareils » , 2016
Imprimerie Pellerin, Épinal - © Marie-Laure Vareilles - www.artphotomailo.com


 EUへと向かう移民の流れは、シリア内戦が引き起こした「難民危機」が始まって以来、今や最低の水準になった。ヨーロッパ大陸への不法越境者の数は、Frontex(欧州対外国境管理協力機関[EUの専門機関])によれば、2015年の180万人から2017年は20万4,219人へと、9分の1に縮小した。しかし、移民についての話は止むことがなく、2019年春の欧州議会選挙では主要問題となる可能性すらある。

 いずれにしろ、エマニュエル・マクロン氏もオルバーン・ヴィクトル氏もともにそれを望んでいる。「侵入」を恐れ、ハンガリーの首相はこう主張する。「ヨーロッパには現在2つの陣営が存在する。マクロンは移民を支持する政治勢力の筆頭だ。一方、我々は、不法移民を止めることを望んでいる」。世論調査と最近の選挙での好結果を拠り所に、極右勢力のリーダー達は、自分たちが今やヨーロッパの主流だと考えている。「ポーランドでも、オーストリアでも、ハンガリーでも、我々の意見が政権の意見になっている」と、9月16日に国民連合のマリーヌ・ル・ペン党首は喜びを表した。一方でマクロン氏はこれら「ヘイトスピーチをまくしたてる民族主義者」を、主要な敵対者と呼んだ(8月29日)。

 フランスの大統領をオルバーン氏が言うような「移民賛成派のリーダー」に持ち上げることは、とてもまともとは思えない無定見だ。彼は、新しい移民法[訳注1]により、[国外退去決定者の]拘留期間を従前の45日から90日に引き延ばした。これには子供に帯同する家族を含む。また帯同者のいない未成年者リストのコンピュータファイル化、難民申請の際のテレビ面接の一般化、フランス人の子供の親であるという理由による滞在許可付与の厳格化、マイヨット島での出生地主義の制限など、を行ったのだ。

 こうした騒々しい動きの中で、急進左派は、国境開放を進める一派と、人口移動の「原因解決に迫る」規制の導入派[訳注2]とに分裂している(1)。前者は、そんな規制は及びもつかない目標だ、なぜなら南の国々の発展は、移民者の流れを減じるどころかそれを増長させることになっているからだ、と反駁しているのだ。

 この国境開放派の議論は、今年2月にステファン・スミスが、「若いアフリカ」からヨーロッパに向かう「人の波」、そしてヨーロッパ旧大陸の「アフリカ化」を予言した著作(2)を刊行して以来、支持を広げている。リベラシオン紙、ル・モンド紙、ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)を経た元ジャーナリストによる大量の数字と統計とを使った論証は、否定しようがないように見える。アフリカは、サハラ以南の国々のきわめて高い出生率によって供給される「人口のロードローラー」に支配されているというのだ。国連のある推計によると、その人口は2017年の12億人から2050年には25億人に、さらに2100年には44億人に及ぶという。この間、アフリカ大陸は大きな経済発展を遂げ、住民の収入は増え、「他所に富を探しに行くために必要な手立て」を手にする人が増えるだろう。したがって、アフリカ大陸の[移民に向けた]「総動員」を覚悟しなければならない。そうすると、30年後にヨーロッパの人口の20~25%はアフリカ出身者となる(2015年は1.5~2%)……。

 こうした予想をする一方で、スミスは「興奮と論争をかき立てる」ようになることを危惧していた。ところが彼の著作はすぐに英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語に翻訳され、おまけに「両世界評論(Revue des deux mondes)」賞[訳注3]、フランス学士院の褒章[訳注4]、さらに外務省から地政学の書籍に与えられるブリエンヌ賞(le prix Brienne)[訳注5]を受けた。以来、その著作は書店店頭で、外務省の証印の入った赤帯付きで並べられることになった。哲学者マルセル・ゴシェはこれを読むことを「全ての責任ある政治家にとって必須」(ロブス誌、6月27日号)と評価し、かたやマクロン氏の見方は、スミスは「アフリカの人口問題を(……)完璧に著述した。それは本物の爆弾なのだ」というものだった(4月15日)。6カ月にわたり、人類学者ミシェル・アジエールが雑誌の対談(3)で批判したのを除き、スミスの意見に反対する見方はなかった。

 最初の本格的な反論は9月になってようやく現れた。フランソワ・エランの手になるものだ。コレージュ・ド・フランスの「移民と社会」という講座の教授で、まず国立人口統計学研究所(INED)の記事、次いで一般向けの論文(4)において、アフリカ人出国移民者の70%は彼らの大陸にとどまっており[訳注6]、その割合は1990年代以降安定している、と主張した。そして彼は、スミスによって用いられた手法とデータに特に異を唱え、世界銀行とIMF、OECDによって作られた移民の出入国両側からのデータに基づき、アフリカ出身者とその子孫は2050年ごろにヨーロッパの人口の3~4%を占めるだろう、「25%からはほど遠い」と計算した。

 エランはアフリカ「総動員」の考えについて議論していない。2050年より前にそのような大規模な人口移動は起こらないだろうとだけ見ている。アフリカ人移民の将来における規模を測るのに、スミスは過去の人口移動、なかんずく大西洋を横断した大規模移民――19世紀、5,000万人のヨーロッパ人がアメリカへ渡った――と、1970年~2015年のメキシコ人のアメリカへの移民の大きさを基準とした。エランはこの方法が厳密さを欠くと指摘し、「人類の発展の段階を10段階に分けるとすると、サハラ以南の大部分の国は1、一方メキシコは6、フランスは9でアメリカは10ということになる。レベル6からレベル10への移民が大量である一方(2,500万人の出国者)、レベル1からレベル9ないし10への移民は限られている(230万人より少ない)。サハラ以南のアフリカが、2050年までの間に一足飛びに、現在メキシコがいる発展レベルに加わると一体誰が信じるだろう」と反論する。つまり、今後30年間では、アフリカはなお貧しすぎて、[移民の]旅の荷造りをするようにはならないだろうということだ。

「売れ残り」の若者

 スミスとエランはしたがって、その相違を超えて同じ診断をしていることになる。すなわち、非常に貧しい国の人々はあまり移動しない、そして経済発展は、出国移民を止めるどころかそれを促進する。「あなたは、我々が最も当たり前のように思っていた基礎認識のひとつを粉々に砕いてくれた」とスミスにインタヴューしたアラン・フィンケルクロートは驚いた(5)。この哲学者はこの時、ある現象が1971年以来しっかりと定着したことを発見したように見える。それ以前は、「新古典派」と呼ばれる理論が支配的だった。つまり、出入国両国の経済レベルが近づくと、機械的に移民の流れが減退すると考えられていた。しかしやがて、この考えは地理学者ウィルバー・ゼリンスキーによって見直された。彼は、後に「移民過程変遷」と呼ばれる「人口移動転換」仮説[訳注7]を初めて提案し、その変遷過程をいくつかの段階に区分した(6)。非常に貧しい国が発展するに従い、その国の死亡率、特に幼児死亡率は低下する。つまり国が若返り、出国移民の割合が増加する。一旦、豊かさのレベルが上がると、状況を一変させる特殊な環境(戦争、経済の崩壊、政治危機など)にあるときは別にして、住民の出国は減り、外国からの移入が増加する。

 40年にわたり、多くの事例研究がこの発展モデルを確認してきた。かつて出国移民の国だったイタリア、スペイン、ギリシア、アイルランド、韓国、マレーシア、さらに台湾はこの発展過程を遂げ、移民受入れ国になった。このほかに、トルコ、インド、中国、それにモロッコなどでは、来るべき数十年のうちにこの転換が起こるかもしれない。経済学者のミケル・クレメンスとアンナ・ポステルは、より一般的に、1960年と2010年の間に低所得国から中所得国へと発展した71の国のうち67の国で、出国移民の割合が高まっていると指摘した(7)。この現象は、場所や時にかかわりなく幾度も見られるので、ごく普通のことのように思われている。アフリカがこの法則の例外でなければ、これらの国、特にサハラ以南の国では、経済成長が出国移民の際立った増加をもたらすことになり得よう。「開発援助は、まさにアフリカ人を彼らの居場所に固定する手段であると考えられ、またしばしば彼らから懇請されるものである。しかし、富裕国は、援助することで弾丸を自分の足に撃ち込んでいる」とフィンケルクロートは慄(おのの)いたのだ。

 この現象を説明するため、研究者たちは多くの理由を持ち出した。この中でただひとつスミスが取り上げ、引き合いに出されることも多いのは、資金的な制約の弱まりに関するものである。出国移民には費用が掛かる。ヴィザ、移動、定住化するための費用などを払わなければならない。最も貧しいレベルの人たちにとっての障害だ。所得の増加は自動的に、移民という冒険に身を投じるのに必要な資金を手にする人の数を増加させる。出発を目指す人たちを産み出す土壌は、若者の割合が高まっているだけに一層重要なポイントなのだ。

 しかし、資金不足が確かに移民決行への妨げになり得るとしても、なぜ多くの人が成長途上の国をやはり離れようとするのか。研究者の答えは簡単だ。最貧国では、経済発展が国民全員の繁栄ということを意味しない。農業の生産性向上が農村を変え、余剰労働力を路上に溢れさせる。これらは往々にして若者であり、その教育程度はますます高まっている。新興の都市・工業経済がまだ、特に技能職の雇用機会を十分に供給できず、吸収できないのだ。農村や都市の周辺部に押し込められたこうした「売れ残り組」は、うまくやっている人や消費の恩恵に浴することのできる人に格差をつけられているのだ。情報へのアクセスが容易になっているという事情もあり、こうした格差は、自分のチャンスを他所で試したいという欲望を高め、所得の向上はこれを満たすことを可能にする。

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 今や多くの場合、経済発展は自由貿易の導入とも結びついており、その人口移動への影響は広く観察されている。メキシコは、この点でいい例になる。1992年に調印された北米自由貿易協定(NAFTA)は、移民の流れを減らす方策として国民に提示されていた。「メキシコ人はもう職を探しに北に移民する必要はなくなるだろう。ここ国内でそれを見つけられるからだ」と、当時カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ大統領は約束した(8)。その一方で経済学者フィリップ・L・マーティンは逆の影響を予見しており(9)、その後の展開は彼が正しかったことを示した。アメリカは関税障壁から解放され、補助金が付き集約農業で生産されたアメリカ産トウモロコシがメキシコに溢れかえった。価格の低下は農村経済を不安定化させ、農場にも国境地帯にできた新しい工場にも職を見出せない何百万人もの農民campesinosが路上に放り出された。10年足らずの間に、アメリカに不法入国したメキシコ人の数は144%増加し、1993年の480万人から2002年に1,170万人になった。EUも2014年に約30のアフリカ諸国と自由貿易協定に調印したが、移民を抑制するつもりがそれを促進している可能性もある。

 スミスは、成長が持つ不平等性や市場経済の論理的帰結、資本の蓄積過程、また農民経済を破壊しそこに賃金制を持ち込む大地主による土地占有過程には一切言及していない(10)。移民過程変遷に関する研究がすべて同じ結論に至るとすれば、それはおそらく、観察している発展形態が同じ類型のものだからだ。すなわち、完全雇用や格差縮小の追求ではなく、自由貿易、民営化、労働市場の柔軟性、外国からの直接投資を促進する「比較優位」の最大化にその視点を置いている。

 実際のところ、移民を促すのは発展ではなく、雇用の需給のアンバランス、特に若者に対するものだ。「どのデータを見ても、出身国の労働市場の需給がひっ迫していると出国意欲は抑制される(11)」と、経済学者のロベール・ルカスは強調する。一方クレメンスとポステルによれば、「明らかに若者の雇用率と出国移民の間には負の相関がある。若者の雇用率が90%を超える国における出国移民の割合は、若者の70%しか職を持たない国の場合の半分だ(12)」。ハイン・デ・ハアス教授は、相関があるということと因果関係があるということの違いを混同しないように促しながら、大きな出国移民の流れが人口動態から機械的に導き出されるものではない、とやはり強調する。「人口が増加すると人々が移民するというものではない。人口の増加が、緩慢な経済成長と高い失業率を伴ったときに初めて移民の流れが起きるのだ。(……)高い人口増加と高い経済成長が相伴うときは、湾岸の石油産出国のほとんどがそうであるように、出国移民はあまり見られない」(13)

庶民階級の分断

 将来展望のなさ、戦争、気候変動等に追い立てられ、数千万人のアフリカ人が出国の道を選ぶだろうという考えは、ヨーロッパ旧大陸の中で広く共有されている。アイデンティティの危機の仕掛け人たちは、それをとらえ、さらなる制限を求めている。たとえば、「ヨーロッパがアフリカになるといういわれはない」とフィンケルクロートは弁ずる。他の者は一方、諦めのよい運命論者的な言質をはじめとして、移動の自由と国境の開放を要求する。「移民の流れを阻止、いわんやそれを断つことができるだろうと考えるのは馬鹿げている。(……)自発的にであろうと仕方なくということであろうと、今後数十年は移民の動きは広がるだろう。それは我々の海岸に達し、我々の国は今日同様、その移住者を受け入れるだろう。戦争、あるいは気候変動災害に追い立てられた難民の数はもっと増えるだろう」。これは、Politis誌、Regards誌とMediapart(メディアパルト)[訳注8]が打ち出した「移民受け入れ宣言」の説明に見られる一例である。

 まだ探求されていない別の道があるかもしれない。とても困難なことかもしれないが、出国を考える人々が、自分たちの社会をそこにとどまりたいと思えるようになるよう、現在支配的な経済モデルにまず再検討を加えるのだ。南の国々に危機と貧困とに苛まれる運命を最初から仮定することは、ある種の悲観主義を表明していることになるのではないか。

 受入国に見られる怒りの感情は、前もって予想されていたことではない。こうした感情は、緊縮財政の一般化、社会保護[訳注9]の不安定化、公共サービスの低下、そして援助、社会住宅、あるいは託児所に子供を預けるに当たって、貧しい者とさらに貧しい者、公共部門と民間、現役世代と年金生活者、最低賃金労働者と失業者を競争状態に置く、という政治的な選択から生まれたのだ。こうした中にあって、移民の到来は、乏しくなっていた資源に対するさらなる圧迫のように受け止められ、極右勢力に庶民階層を分断する戦略を許した。「私は、フランス人が有利になる選択をする。我々の国民的連帯は、彼らにこそさし向けられなければならない。何千人もの移民を無定見かつ無責任に受け入れ、路上にホームレスとして放っておくという考えには、私は慄いてしまう」と、マリーヌ・ル・ペン氏は叫ぶ(14)。そうするとまた、もうひとつの手があり得る。それは、実現不可能であると知りながらいくつもの宣言に署名して国境の開放を要求するということではなく、真に事態を変化させることのできる力を政権に就かせるべく、忍耐強い政治活動に努めるということだ。



  • (1) Lire «Embarras de la gauche sur l’immigration», Le Monde diplomatique, avril 2017.

  • (2) Stephen Smith, La Ruée vers l’Europe. La jeune Afrique en route pour le Vieux Continent, Grasset, Paris, 2018.
    特に明示しない限り、引用はこの著作からのものである。

  • (3) « La jeunesse africaine est-elle un danger pour l’Europe ? », L’Obs, Paris, 18 février 2018.

  • (4) François Héran, « L’Europe et le spectre des migrations subsahariennes », Population et Sociétés, n° 558, Paris, septembre 2018 ; « Comment se fabrique un oracle », La vie des idées, 18 septembre 2018.

  • (5) « Migrations : faut-il avoir peur de l’Afrique ? », « Répliques », France Culture, 17 mars 2018.
  • (6) Wilbur Zelinsky, « The hypothesis of the mobility transition », Geographical Review, vol. 61, n° 2, New York, avril 1971.

  • (7) Michael A. Clemens et Hannah M. Postel, « Can development assistance deter emigration ? », Center for Global Development, Washington, DC, février 2018.

  • (8) Carlos Salinas de Gortari, discours au Massachusetts Institute of Technology (MIT), Cambridge, 28 mai 1993.

  • (9) Philip L. Martin, « Trade and migration : the case of Nafta », Asian Pacific Migration Journal, vol. 2, n° 3, Thousand Oaks (Californie), septembre 1993.

  • (10) Douglas S. Massey, « Economic development and international migration in comparative perspective », Population and Development Review, vol. 14, no 3, New York, septembre 1988.

  • (11) Robert E. B. Lucas, International Migration and Economic Development : Lessons from Low-Income Countries, Edward Elgar Publishing, Northampton, 2005.

  • (12) Michael A. Clemens et Hannah M. Postel, « Can development assistance deter emigration ? », op. cit.

  • (13) Hein de Haas, « Migration transitions : A theoretical and empirical inquiry into the developmental drivers of internation migration », International Migration Institute, université d’Oxford, janvier 2010.

  • (14) RTL, 16 janvier 2017.


  • [訳注1] 正式の法律名は、la loi pour une immigration maîtrisée, un droit d’asile effectif et une intégration réussie。

  • [訳注2] 原注1で引用された同じ著者の2017年大統領選挙に関する論説の中で、左派のメランション候補が、「移民の原因と戦う」と宣言し、移民を規制する立場をとったことが示されている。もっとも具体的には、気候変動によるあるいは経済的難民に「人道的ヴィザ(visas humanitaires)」を発給することが提案されているにとどまり、その詳細、さらにその他の具体的な方策の内容はあいまいなままであると、評されている。

  • [訳注3] 「両世界評論」は1829年に創刊された月刊誌。この賞は2008年に創設され、フランス語で書かれたエッセーで、議論の対象として適切なテーマを扱い、文学的にもすぐれた作品に与えられるとされている。

  • [訳注4] フランス学士院のアカデミー賞(Prix de l’Académie)のこと。1970年創設。「特に重要な作品、あるいは作品群に与えられる」とされている。フランス学士院には基金(fondation)ごとに多くの賞が設営されており、そのうちのひとつ。1911年創設の文学賞(Grand Prix de Littérature)とは別のもの。

  • [訳注5] 2013年創設。国防省後援。地政学、外交、国家戦略分野の一般向け作品に対して与えられる。Hôtel de Brienne(パリ第7区所在)にはかつて国防省の本部があり、現在はその公館として使われている。

  • [訳注6] エランの原著で正確には、「サハラ以南」の国々とされ、サハラ以南の国々からの出国移民者(2,930万人)の70%はサハラ以南の他の国々にとどまっている、とされていれる。ちなみに、北アフリカ(エジプト、リビア、マグレブ3国)からの出国移民者(930万人)の同じ割合(北アフリカ残留者の割合)は、1%と示されている。
    なお、外国への移民を意味するémigration、あるいはémigrerの訳語として、以降「出国移民」という表記を適宜用いている。ただし、その趣旨が明らかな場合などは、単に「移民」と表記した。

  • [訳注7] 原語では、the hypothesis of the mobility transition。その内容は本文のこの後に記述されているが、人口学で使われるこの訳語表現は、人口移動の態様が、段階的に転換点を迎えるという意味かと見られる。なお、直前に言及されている「移民過程変遷」の原語はthe migration transition。

  • [訳注8] Politisは1988年創刊の週刊誌、Regardsは1932年創刊の季刊誌。インターネット版は月刊。Mediapartは2008年創刊のネット新聞。

  • [訳注9] protection sociale。日本の社会保障にほぼ相当し、失業保険、公的扶助制度などが含まれないsécurité sociale (一般に「社会保障」と訳されることが多い)よりも広い概念として用いられる用語。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年11月号より)