米軍によって奪い取られた島

“珊瑚の空母”、チャゴス諸島


アブデルワハブ・ビアド(Abdelwahab Biad)

ルーアン大学助教授(国際関係学・国際法)

エルサ・エディナック(Elsa Edynak)

博士号取得準備者(海洋法)


訳:村松恭平


 インド洋の真ん中に浮かぶチャゴス諸島。南側に位置するディエゴ・ガルシア島には、ここを領有するイギリスとの秘密協定によって租借権を獲得したアメリカの軍事基地が置かれている。辛い境遇に置かれたのはそこから追いやられた土着民たちだ。彼らはこの諸島に対するモーリシャス共和国の主権を認めさせ、帰還権を得るために、国連総会の決議を通じて国際司法裁判所に訴えるに至った。[日本語版編集部]

(仏語版2018年10月号より)

© Morgan Fache - Collectif Item


 インドから南へ1,500キロメートル以上、セーシェル諸島やモーリシャス島からさらに遠く離れた場所にあるチャゴス諸島は、55の小島からなり、インド洋の中央で350キロメートル以上にわたって点在しているそれらの陸地全体の面積はパリの面積よりも小さく(64平方キロメートル)、土着民はもはや一人も住んでいない。だが、彼らの境遇は国連総会を動かした。2017年6月、国連総会はこれらの領土が1965年にモーリシャス共和国から切り離されたことについての法的有効性を判断するために、国際司法裁判所(ICJ)に提訴することを決定した。モーリシャス共和国のアヌルード・ジュグノート元大統領によれば、こうした領土の切り取りは「強制的に」なされた。去る9月3日、これらの領土に対するモーリシャス共和国の主権を認めてもらおうと、彼はICJで証言を行った。

米軍によって奪い取られた島
 ©Cécile Marin, ル・モンド・ディプロマティーク日本語版

 1512年にポルトガル人によって発見され、当時はまだ人が住み着いていなかったチャゴス諸島は、後にオランダ領(1598年〜1710年)となった。フランスの統治下(1715年〜1814年)では、最初のアフリカ人奴隷たちがココヤシ農園に住まわされた。1814年にはイギリスがナポレオンの敗北に乗じて占領し、イギリス領インド洋地域として今もなおこの諸島を支配している。 植民地解放が未完に終わったことから生じた惨劇は3幕構成で展開された —— アメリカとの秘密協定、領土の切り取り、そして住民の追放だ。

 今回の係争の発端を理解するには、インド洋に戦略的な重要性を与えていた冷戦という文脈を再び思い起こさなければならない(1)。“地政学の父”ハルフォード・ジョン・マッキンダーの理論に従って、アメリカ政府は「ハートランド」(当時はソ連を指していた)の大陸勢力を抑えるために、インド洋沿岸部の支配を確保しようと試みる。ベトナム戦争時には、アメリカはディエゴ・ガルシア島(28平方キロメートル)に目をつける。チャゴス諸島の南というその地理的位置によって、地球上の広大な地域への軍事介入および、炭化水素資源と原材料が輸送される主要な海上航路の掌握が可能になるのだった

 イギリスとの「特別な関係」の枠組の中で、秘密交渉の末、1966年には外交文書の交換に至る(2)。それは条約に等しい法的効力を持ってはいたが、イギリス議会の承認は必要としなかった。イギリス政府は50年という租借契約でディエゴ・ガルシア島をアメリカの手にゆだねた。ジミー・カーター米大統領は1979年のソ連軍のアフガン侵攻への対応として、湾岸地域を支配しようとするあらゆる試みをアメリカの死活利益に対する攻撃とみなすと言明した。この「カーター・ドクトリン」によって湾岸地域でのアメリカのプレゼンスが強化されることとなり、1977年以降は[ディエゴ・ガルシア島という]この海空作戦基地に中心的役割が与えられたのだった。

 冷戦終結以降、ディエゴ・ガルシア島は新たな軍事的・戦略的目的によってアメリカの軍事計画の要となり、2016年に行なわれた20年間の租借の自動継続は軍人たちから見れば正当化された。背景にあったのは、1990年〜1991年の湾岸戦争、2001年以降のアフガニスタンのターリバーンに対する軍事作戦、2003年〜2011年のイラクへの侵攻および占領、近年の海賊行為やイスラーム国(IS)との戦いだ。それに、外国からのあらゆる視線から逃れていたディエゴ・ガルシア島は、イギリス政府の同意によって9.11の後には米中央情報局(CIA)の秘密拘置所の受け入れに適した場所だった(3)

非常に都合のよい海洋保護区

 ディエゴ・ガルシア島の委譲は、新しく誕生したモーリシャス国との協定によって「安定が確保される」必要があった。1965年9月、モーリシャスの代表者たち —— その中には初代首相で労働党員だったシウサガル・ラングーラムもいた —— はランカスターハウスで結ばれた約束に従って、財政的補償、漁業権、諸島の海洋資源開発および、島に設置される防衛設備が必要でなくなった際にはこの領土が返還されるという約束と引き換えに、チャゴス諸島を手放すことを余儀なくされた。


© Morgan Fache - Collectif Item


 モーリシャス共和国は、本島、ロドリゲス島、カルガドス・カラホス諸島、アガレガ諸島などからなる領土とともに1968年3月12日に独立を達成したが、チャゴス諸島はそこに含まれず、法的地位は複雑なものとなった —— イギリスの主権下に置かれたまま、海の権利はモーリシャスに、陸に対する権利はアメリカに与えられたのだ。1980年以降、モーリシャス共和国は植民地支配から引き継がれた国境の不可侵性原則の見地に立ち、ランカスターハウスの協定が違法だとは言わないにしても、不平等だとみなして異議を申し立てた。インド洋を「平和地帯」にするという目的によって、アフリカ連合および非同盟運動 —— とりわけインドとスリランカ —— からこの国は支持された。そして暗にその目的の対象となっていたのは、ディエゴ・ガルシア島にある基地だった。

 フランス、アフリカ、インド、マダガスカルからの2世紀にわたる移住の後、チャゴス諸島の約2,000人の住民は特異な集団を形成していた。彼らはディエゴ・ガルシア島、サロモン島、ペロスバンホス島といった3つの島で暮らしていた。しかし、イギリスとの交渉において、アメリカ当局は「(土着民抜きの)独占的支配(4)」を要求したとされる。フランス語をベースとした混成語を話し、「島民」(îlois)と呼ばれた人々は、この諸島から徐々に追い出されていった。彼らを立ち退かせるにはどんな手段でも許されたようだ —— 旅行からの帰還禁止、食料や薬の調達制限、毒物や毒ガスによるすべての飼い犬の虐殺など(5)。1973年には最後の土着民たちが貨物船に乗せられ、セーシェル諸島やモーリシャス島へと力ずくで追いやられた。受入地では“のけ者”であり続けた強制移住者にとって、“lamizer”(苦痛)と“sagren”(悲しみ)の時代がその時に始まったのだ。

 1990年代からは、こうした強制移送の合法性に異議を唱え、帰還権を獲得するための長い闘いが始まった。チャゴス諸島難民グループ(GRC)でまとまった元住民たちは、イギリスとアメリカの裁判所に提訴するためのあらゆる方法を模索した。イギリス政府は「王国」に対する訴訟すべてを撤回することと引き換えに、金銭的補償とイギリス市民権を彼らに提示し、そのうち1,000人がこの国に身を落ち着けることとなった。しかし、チャゴシアンたちはこの補償を受け入れたことで、将来において訴訟を起こした際に勝利するチャンスを危うくしてしまった。ここ最近、2012年に欧州人権裁判所、2016年6月に連合王国最高裁判所に彼らが訴えを起こしたものの、棄却されたことが、そのことを分かりやすく示している。彼らの土地に軍事基地を建設するという決定に異議を唱えるため、アメリカの裁判所(コロンビア地方裁判所、そして控訴により最高裁判所)に提訴された訴訟もまた棄却された。権力分立により、裁判所が判断できない統治行為であるというのがその理由だった。

 イギリスのアラン・ダンカン欧州・米国担当大臣はチャゴシアンたちの強制移送を「過ち」と呼んだが、2016年11月16日に彼が公式に表明したこの遅すぎる後悔は、彼らをまったく静めなかった。チャゴシアンたちは今、チャゴス諸島に対するモーリシャス共和国の主権が認められることを願っている。チャゴス諸島の問題は西サハラと同じく、未完の脱植民地化プロセスと、法律・外交の観点から主張する旧植民地大国との領土係争から生じた論争となっている。

 この論争を司直の手に委ねた最初の機会は、2010年、イギリスがチャゴス諸島の周囲に海洋保護区を設けると協議のないまま決定した後に現れる。イギリス政府は海洋環境の保護に配慮して、この諸島の生物資源と鉱物資源開発すべての禁止を正当化した。しかし、ウィキリークスによって暴かれた、ロンドンのアメリカ大使館から発せられた外交電報に鑑みれば(6)、この決定は環境的配慮によってなされたものではほとんどなかったようだ。その文書は、チャゴス諸島全体が海洋保護区となった場合、かつての住民たちがこの島への帰還申請を継続するのは困難どころか不可能だろうという外務・英連邦省(FCO)のトップが発した主張を引き合いに出している。もう一人の責任者は逆に、そうした地位をチャゴス諸島が得たとしても、軍事作戦にはいかなる制約も課されないだろうとアメリカに断言している……。

 その決定は実際には、チャゴシアンたちから漁業という唯一の生計手段を奪うことによって、帰還計画すべてを危うくすることが狙いだった。当然モーリシャス共和国は、このイギリスの計画は自分たちの資源開発権を否定するものであると考え、海洋保護区の設置に関して国際海洋法裁判所に提訴した。2015年3月18日の仲裁判決は、イギリスがランカスターハウスでモーリシャスと交わした約束を破ったとの結論を下し、海洋保護区の設置を無効とした。しかし、裁判所は当該3カ国間の関係における非対称性を認めはしたものの、基本的な点では主権の問題に触れることも、モーリシャス共和国に“沿岸国”の地位を認めることもしなかった(7)

国連における「南」の国々からの支持

 行き詰まりの状況に直面したモーリシャスは、この問題を国際化することに決めた。国連総会は1965年からすでにチャゴス諸島の切り離しを非難し、「モーリシャス島の領土を分割し、その領土的一体性を侵害するいかなる措置も」取らないようイギリス政府に要求していた。2017年6月、国連総会は賛成94票、反対15票、棄権65票で国際司法裁判所に勧告的意見を求めることを決めた(8) ——「恐ろしい前例」になるだろうとイギリスの代表者は言った。「モーリシャスが1968年に独立を勝ち取った時に、その脱植民地化プロセスが合法的に首尾よく進んだかどうか」裁判所は判断しなければならないし、チャゴス諸島をイギリスの管理下に置き続けることによる国際法上の影響、「なかでも、モーリシャスが国民のための帰還計画を実施できないことについて」明らかにしなければならない、と。この投票を分析すると、「南」の主要国(南アフリカ、アルジェリア、サウジアラビア、アルゼンチン、ブラジル、キューバ、エジプト、インド、マレーシア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、ベトナム)から大きな支持を得ていることが分かる。アメリカとイギリスの同盟国(アフガニスタン、オーストラリア、イラク、イスラエル、日本、韓国、そしてフランス —— この国もまたマヨット島をコモロ諸島から「切り離した」)による国連総会決議への反対表明は予想されていた。ロシアと中国による棄権は、領土係争を解決するために国際司法に訴えることに両国が慎重な姿勢をとっていることから説明できる。クリミア半島や南シナ海の島々について、両国は痛手を被りうるからだ。

 地政学的および経済的な影響を考慮すれば、チャゴス諸島の問題はイギリス・モーリシャスという2国間の枠組みを越えており、その解決は保証されていない。イギリス政府とアメリカ政府は、ディエゴ・ガルシア島のおかげで地球の安全が保たれ、とりわけ紅海と湾岸地域へのアクセスを阻害しうる「混合的な脅威」(テロリズム、海賊行為、国境を越えた犯罪)と戦うことができると考えている。したがってこの問題には、人権と民族の権利よりも、軍事的および財政的利益を主張しようとする大国の意思が現れているように見える。

 


  • (1) Lire Jean-Louis Peninou, « Un redéploiement stratégique dans la Corne de l’Afrique », Le Monde diplomatique, décembre 2001.
  • (2) « Exchange of notes concerning the availability for defence purposes of the British Indian Ocean territory », Londres, 30 décembre 1966.
  • (3) Ian Cobain et Richard Norton-Taylor, « Claims of secret CIA jail for terror suspects on British island to be investigated », The Guardian, Londres, 19 octobre 2007.
  • (4) David Vine, « The truth about Diego Garcia », Le Monde diplomatique, édition anglaise, Londres, 15 juin 2015.
  • (5) David Vine, Island of Shame : The Secret History of the US Military Base on Diego Garcia, Princeton University Press, 2009.
  • (6) « Cable No 001156 from US Embassy, London to US State Department », 15 mai 2009.
  • (7) Cf. « L’arbitrage relatif à l’aire marine protégée des Chagos (Maurice c. Royaume-Uni) du 18 mars 2015 : une décision prudente pour un litige complexe », Revue québécoise de droit international, no 29.1, Montréal, 2016.
  • (8) Résolution 71/292 du 22 juin 2017.

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年10月号より)