階級問題から人種差別へ ずらされた闘争の焦点

痛みと犠牲体験を語れるのは誰か?


ウォルター・ベン・マイケルズ(Walter Benn Michaels)

イリノイ大学(シカゴ)教授(文学)。
The Beauty of a Social Problem: Photography, Autonomy, Economy,
University of Chicago, 2015の著書がある。

訳:大竹秀子


 1955年に惨殺された黒人少年エメット・ティルを描いたデイナ・シャッツの美術作品が憤激を巻き起こした。白人アーティストが黒人の痛みをテーマにした作品で利益を得るのは文化の盗用だとする批判だった。だがいま変革に向けた闘いで求められているのは、人種ではなく階級による連帯ではないのか。[日本語版編集部]


photo credit : Alec Perkins
ホイットニー美術館前で、作品展示に抗議する人々


 1955年8月、ミシシッピ州の親戚を訪問中の、シカゴから来た14歳のアフリカ系アメリカ人エメット・ティルが撲殺された。殺害者だった二人の男はすぐさま逮捕され裁判にかけられたが、わずか1時間の審理で陪審は無罪判決をくだした。

 当時、このような殺人事件はまったく珍しくなかった。人種隔離を憲法違反だとする最高裁判決が1954年にくだされたが、それに対して、しばしば暴力を伴った反発が繰り広げられていた。異例だったのは、殺害者が裁判にかけられたことだ。この事件を異例で、なおかつ歴史的にも重要なものにしたのは、ティルの母親マミーが葬儀を棺の蓋を閉ざさない形式[open casketと呼ばれる]と決めたことで生じた全国的な波紋だった。葬儀屋から息子の変わり果てた姿を見たくないのではないかと問われたマミー・ティルは、自分が見たいばかりではなく、あらゆる人に見せたいと答えた。「私の息子が何をされたか、皆に見てもらうのです」。残酷な仕打ちを受けたエメットの崩れた顔は、全米の目に触れることになった。

 2017年3月、ニューヨークの「ホイットニー・バイエニアル」[訳注1]で、アーティスト、デイナ・シャッツの作品Open Casket が展示され、ある批評家から「大きな話題を呼んだ1955年の葬儀の写真をもとに絵画で応えた力作」という評を得た。だが、Open Casket はレイシズムに対して続けられてきた闘いの一環として迎えられるどころか、レイシズムとして糾弾されることとなった。英国のアーティスト、ハナ・ブラックは作品の撤去を求める公開状を投稿したし、展示された作品の前で抗議活動を行う人々も出た。

 同様な抗議活動は、別の展覧会でも起きた。セントルイスで抗議の対象になったのは、1965年にセルマ[訳注2]で黒人の抗議者たちが警察に殴打されている写真を使った作品だった。ミネアポリスでは、1862年に起きたダコタ・インディアン38人の不当な処刑[訳注3]を記念するインスタレーションが問題とされた。ホイットニーで抗議活動を行ったパーカー・ブライトは、今年の2月のパレ・ド・トーキョーでの展覧会でフランス系アルジェリア人アーティスト、ネイル・ベルーファが出展する作品の一部にその時の自分の写真が使われていることを発見するや、自分の画像の回収を求めてパリに飛ぶ資金援助を募るGoFundMeキャンペーンを開始した。ベルーファは作品展示を断念した。

人種的不正義で金儲けをするな

 1955年には、大勢の人たちにエメット・ティルの写真を見せる取り組みがなされたのに対し、いまでは、ティルの絵を誰の目にも触れないようにする活動が行われている。写真と絵画の違いが問題なのではない。抗議活動が問題としているのは、作品内容ではなく、誰が作家かという点だ。「白人のアーティストが、黒人のトラウマ、黒人の死、黒人の痛みから利益を得ている」と、ゼバ・ブレイは批判した(1)。ハナ・ブラックは、マミー・ティルが「黒人たちに息子の顔を見られるようにしたのは、インスピレーションと警告を与えるためだった。黒人以外の人たちは、このことが意味することを真に体感することはなく、理解もできない。その事実を受け入れるべきだ。この主題はシャッツのものではない」(2)と書いた。黒人の痛みは、黒人アーティストのものだというのだ。

 これを、「白人が黒人の苦しみを金儲けの材料にするのは許せない」と要約すれば、激しい怒りのもつ政治経済的局面を説明する一助になる。シャッツに対するレイシズムの告発は、シャッツがティルの殺害を擁護したり弁明しているかどうかを問題にしているのではない(今日ではこの殺人を擁護するものなど皆無なので、Open Casket はそういう意味ではまったく論議の的になりえない)。問題は、彼女がこの作品で直接的ではないにしろ、収益を得ようとしたことだ。シャッツはこの作品は非売品だと発表したが、ホイットニーのようなエリート美術館で黒人作家の作品に使われたかもしれない展示スペースを取り上げたことが問題視された。一方、パーカー・ブライトの怒りは、黒人アーティストである自分が生み出した「美術界における人種的不正義をめぐる会話」というテーマが、パレ・ド・トーキョーの展覧会で黒人ではないアーティストにより無断借用されることに向けられた。ブライトに言わせれば、「エリート主義で、ほとんど白人の施設である美術館」はいまではレイシズムに反対する作品のプロモートに熱心だが、それならば、レイシズムの犠牲者たちの作品を取り上げるべきなのだ。黒人の痛みから利益を得るものがいるとしたら、それは黒人でなければならない」

 文化の盗用に対するこの異議申し立ては、文化資本の所有を問う主張でもある。ある意味で、こうした闘いは[人々の]苦痛までも含めあらゆるものに所有権を主張する私有化が驚くほど進んでいることの表れだということもできる。またこれを、エリート機関への平等なアクセスを求める人種的正義の要求というお馴染みのテーマのバリエーションのひとつとみることもできる。こうした主張は、アメリカの公民権運動においてつねに重要な役割を果たし、想定された範囲内で成果をあげてきた。エリートとは言えないまでも少なくともアッパーミドル・クラスへの黒人の参入はわずかだが増えている。年収が7万5000ドルを超えるアフリカ系アメリカ人の割合は、1970年から倍増し、2014年には21%に達した。年収10万ドル以上の人は4倍近く増え13%にいたった。だが、大半の人々は取り残され、その平均収入は4万3300ドルにとどまっている。1100万人近くは、貧困層だ(3)

 要点は、少数が利益を得ても多数の助けにはならないというわかりきった話ではない。そうではなくて、少数の利益は、多数を傷つける「プロセス」の一部だということなのだ。人種的正義という名のもとに、このプロセスは、少数の黒人がうまくいっていること(ホイットニーへのアクセスを得たり、エリート大学に進学したり、アッパーミドル・クラスに参入する)が黒人全体の勝利とみなされるべきだとする人種連帯の幻想を人々に押し付ける。この考え方を逆転させて白人にあてはめれば、その不条理は明らかだ。「ホイットニー・バイエニアル」に出展できない白人アーティストは、出展するアーティストが自分に代わる代表だと考えるだろうか? 貧しい白人は、富裕な白人が存在することを誇りに思うだろうか? 答えは明らかに、ノーだ。大多数が貧しいのに一部の白人が富裕なのは、問題であり解決ではない。


photo credit : Image Editor
生前のエメット・ティル

貧困が問題だとすれば

 ハナ・ブラックが、白人にはマミー・ティルが払った犠牲を理解することはできない証拠として、「白人至上主義者たちの手で黒人が命を落とし続けており、黒人コミュニティはこうした高価な絵が展示されている美術館からさほど遠くもない場所で絶望的に貧しい暮らしを続けている」と書くとき、この問題が見えなくされる。こういう言い方は、資本主義により金持ちになったすべての人々に、彼らが耳にしたいこと、つまり、貧困は、レイシズムによって生み出された場合にのみ問題なのだと告げる。文化の盗用に関する現在の憤激は、少数の黒人アッパークラス層が[黒人であることで得られる]余得に預かるチャンスを生むが、それにとどまらず、主に白人であるアッパークラス層全員に役立っているのが実情だ。

 エメット・ティルの開かれた棺は、ネオリベラル左派の信義にとって格好のトーテムだ。白人アーティストたちにとっては、自分たちが心から憎む白人至上主義による黒人犠牲者を悼む機会を提供する。黒人アーティストたちにとっては、白人がティルを悼むことはティルを殺した白人至上主義の延長でしかない。いずれにせよ、富裕者と貧困者との間の対立は白人至上主義者に対する闘いの背後に隠され、この殺人事件についてどう感じるかを表現する権利をもつのは誰かという争いに矮小化される。

 開かれた棺の当初のねらいは違っていた。歴史家のティモシー・タイソンは、著書The Blood of Emmett Till (Simon and Schuster, 2017) の中で、「公民権運動への傾倒を強めていた」全米精肉労働組合(UPWA)はミシシッピでの裁判を傍聴させるため、白人と黒人混成の代表団を派遣したと記述している。だが、タイソンの記述に脱けているのは、この組合がもっとも左寄りの労組のひとつで、人種差別法に反対すると同時に大手精肉業者が課す苛酷な労働条件に対しても戦闘的な闘いを行っていたことだ。

 ティルの死の第一報が報じられると、UPWA と共産党のメンバー2人が組合に金を出させてティル一家のために食料品を購入し、その後、故郷のシカゴまで遺体がもち帰られた時にはマミー・ティルに付き添った。組合員のアーリーン・ブリガムは、「遺骸をいれた袋が開かれた時」のことをこう回顧している。「誰もがショックを受け、言うべきことばもありませんでした。各紙の記者もいましたが、口々に『撮影はひかえる』と言いました。ガス・サベージが部屋の外にいました。私はガスに写真を撮るよう、言いました。彼はその写真を当時『アメリカン・ニグロ』と呼ばれていたマイナー誌に載せました。あの写真は、はじめはそんな風にして世に出ました。その後、誰もが掲載を始めたのです」

 ブリガムのような人々が求めたのは、組合員への賃上げにとどまらなかった。資本主義との闘いを求め、資本主義との闘いとレイシズムとの闘いは抜き差しならずつながっていることを理解していた。UPWAをテーマとしたロジャー・ホロウィッツの著書のタイトルはNegro and White, Unite and Fight (University of Illinois Press, 1997(『黒人と白人:団結と闘争』)だ。 だが、冷戦時の赤狩りで急進的な人たちは組合から追い出され、彼らがそのために闘っていた共産主義は、ほとんど目に見えない存在になった。「ほとんど」と書いたのは、唯一の例外が2016年の米大統領予備選で起きたからだ。バーニー・サンダースがシカゴでの学生時代にUPWAのオルグだったことから、ニューヨーク・ポスト紙の記事は彼を「ガリガリの共産主義者」として攻撃した。右派からこうした攻撃を受ける一方で、サンダースは左派からは経済だけをとりあげ、人種の不正義は問題にしないと告発された。

 こうした攻撃は、いくばくかの真実を浮き彫りにする。それは、社会的闘争の焦点として、全労働者の労働の盗用[搾取]が人種の文化の盗用によって、いったいどこまで置き換えられてしまったのかという問題である。右派にとっての真実は、サンダースがアメリカの政治において、共産主義者ではないとしても社会主義者に最も近い人物だった。左派にとっての真実は、反レイシズムが反資本主義に完璧に取って代わったということであり、そのため労働者階級全体を上昇させたいというサンダースの望みは黒人への無関心と解釈され、リベラルはサンダース反対に利用した。白人か黒人かを問わず、エメット・ティルの絵を描くのも、そうした絵を撤去させようとするのも、こうしたリベラルたちであり、彼らがやっているのは、階級闘争の政治を階級連帯を求める政治へと変容させる作業の完遂に他ならない。


  • (1) Zeba Blay, ‘When white people profit off of black pain’, huffingtonpost, 22 March 2017
  • (2) “The Painting Must Go”: Hannah Black pens open letter to the Whitney about controver-sial Biennial work’, Art News, New York, 21 March 2017.
  • (3) The New York Times, 1 February 2016, and Pew Research Center, Washington DC, 22 June

  • [訳注1]アメリカの近代・現代美術を専門とするホイットニー美術館が、1932年以来行なっている展覧会。アメリカ国籍をもったアーティストのみに参加権があり、隔年で開催される。若手で知名度があまりないアーティストを意欲的に取り上げ、現代美術のトレンド・セッターとして世界的に注目を集める一方、物議を生むことも少なくない。
  • [訳注2] 1965年3月7日、差別と脅迫により黒人の有権者登録が妨害されていた南部アラバマ州セルマで公民権運動デモのさなかに両親を守ろうとした黒人青年が警官隊に射殺されたことに抗議し、セルマから州都モンゴメリーまでの行進が企画されていたが、無抵抗のデモ隊は待ち構えていた州兵や郡保安官たちの手で警棒や催涙ガス、鞭などによる攻撃を受け、出発早々、追い散らされた。「血の日曜日事件」として知られる。
  • [訳注3] 1862年、南北戦争のさなか、飢餓状態となった少数民族ダコタ・スー族が暴動を起こした。一方的な裁判で、38名のダコタ族に絞首刑の判決が下り一斉処刑され、ダコタ族はミネソタ州から追放された。

(ル・モンド・ディプロマティーク 英語版2018年5月号より)