軍事的には成功、地政学的には頭痛の種

ロシアが近東で求めるもの


ニコライ・コザノフ(Nikolaï Kožhanov)

サンクトペテルブルク・ヨーロッパ大学中東政治経済学准教授、
王立国際問題研究所チャタム・ハウス(ロンドン)ロシア・ユーラシアプログラム研究員


訳:生野雄一


 ロシアは、2015年のシリアへの軍事介入以来、アサド政権を支援し、反体制派からの失地回復も実現している。イラン、トルコ、サウジアラビア等これまで交渉の場に呼ばれていなかった関係諸国との調整も行うなどして地域での影響力を強めているが、米国との直接対決は避けつつ、西側諸国との関係にも配慮している。[日本語版編集部]

Tammam Azzam. – De la série « The Place » (Le Lieu), 2017
Ayyam Gallery, Beyrouth, Dubaï

 ロシアがシリアに軍事介入したのは自明のことではなかった。シリア騒乱の最初の年(2011-2012)には、ロシアはバッシャール・アル=アサド氏の政権は国外からの干渉さえ防げれば難局を乗り切れるだろうとみていた。反体制派との対立が激化するにつれて、この幻想は潰えた。そこでロシアは、シリアと「国際社会」の妥協を後押ししようとした。そして、ロシア指導部はアサド氏と国としてのシリアを区別することから始めた。2011年にカダフィ政権が崩壊した後にリビアが分裂したのをみて、ロシア指導部はシリアの体制を守ることを優先した。しかし、同時に彼らは、シリアという国の崩壊を防げるのはアサド氏だけだと確信していた。だからといって、この人物を国の長として永遠に支援するという意味ではなかったが。

 ロシア当局がアサド氏を完全に信頼したことは一度もなかった。彼らは、2000年にアサド氏が政権に就くやヨーロッパ、とりわけフランスに接近しようとしたことを忘れてはいなかった。シリアがロシアに向き始めたのは、シリア軍のレバノン駐留のせいでヨーロッパ接近の試みが失敗してからだった。また、1990年代と2000年代に、ロシアの軍人や市民を襲撃してシリアに逃げ込んだチェチェンの反逆者たちを引き渡すようロシアが求めたときも、シリアは一顧だにしなかったことも忘れてはいない。したがって、ロシアはシリアと手を結ぶことには慎重だ。2016年7月の演説でウラジミール・プーチン氏は、すぐに盟邦を変えるような政権を信用して、旧ソ連がエジプトで犯したような過ちを繰り返すつもりはないと明言した。その過ちとは、1972年7月にサダト[1970-81大統領]が、ソ連との決別を示すために何千人ものソ連の顧問を追放したことを指す。

 2015年9月には、シリアの反体制派が過激化し国内での勢力を拡大するにしたがって、シリア政権の存続に関するロシアの懸念が深刻なものとなった。当時ロシアは、すぐにもシリアの政権が崩壊することを怖れていた。

 プーチン氏は、シリア政権に対する軍事・技術・経済援助は同政権の最期を長引かせるだけで助けにはならないとみていた。したがって、プーチン氏にとって、一時的で費用が高くつく軍事行動でアサド氏を支えるとか、あるいは同政権が倒れるのに任せるというシナリオよりも、直接的で持続的な軍事介入の方が好ましい選択肢だった。またもや、ロシア指導部は、リビアとイラクの前例に照らしてこの軍事介入の選択肢を正当化した。ロシアの見方では、リビアとイラクの既存政権の崩壊は何ら良い結果をもたらさなかった。ロシア指導部にとっては、シリアをこの地域におけるイスラム過激派の新たな温床にしてはならなかった。

 2015年9月よりだいぶ前に、ロシアは「国際社会」に対してこうしたリスクについて警告していた。最初は、西側が近東の混乱を煽っているという情宣活動においてこうした警告を発していたが、2015年にこの脅威が現実のものとなった。つまり、ヨーロッパ、ロシア、コーカサス、中央アジアからますます多くの外国人戦闘員がやってきて、シリアやイラクのイスラム国(IS)やその他のイスラム主義集団の陣営が膨らんでいったのだ。ロシア連邦保安庁や独立系のアナリストによれば、2015年には、コーカサス北部、その他のロシア地域、在外チェチェンコミュニティー出身の約1万2000人のロシア語圏戦闘員が、アル=ヌスラ戦線[イスラム系の反アサド政権武装組織]やアハラール・アル・シャーム・イスラム運動[スンニ派の反政府武装組織]のようなさまざまなイスラム主義集団の側に立ってシリアで戦っていた。そのうえこれらの武装集団には、アゼルバイジャン、そしてタジキスタンやウズベキスタンといった中央アジアの旧ソ連の国々からきた何百人もの人たちがいた。すべての人がイスラム国やアル=ヌスラ戦線の主義主張に賛同しているわけではなかった。一部の人たちにとっては、シリアでの戦争は、なによりも自国での来るべき戦闘への準備という側面も持っていた。

Tammam Azzam. – De la série « The Place » (Le Lieu), 2017
Ayyam Gallery, Beyrouth, Dubaï

 ロシアがシリアに介入した主な目的のひとつは、アサド政権の軍事的・政治的機能を立て直すことだった。したがって、ロシアによる空爆は、シリアにとって重大な脅威となるあらゆるグループを直ちに標的にした。それらには、過激派イスラム主義者ではないものや西側から「テロリスト」とはみなされていないものも含まれていた。しかしロシアは、そのことを決して認めず、今日でも、イスラム国を含む「テロリスト」だけを攻撃したと主張している。

 ロシアの空爆は、直ちにふたつの目的を達した。ひとつは、アサド政権が長期的に続く可能性を高めたことだ。もうひとつは、西側の軍隊が飛行禁止空域を設けることができないようにし、シリア政府軍に対して西側が直接介入することが極めて難しくなったことだ。同時に、米国を含む他の諸国と情報交換し軍事的な働きかけの協調を試みることで、ロシアはイスラム国に対する幅広い連携という構想を推進し続けた。しかもこれは、アサド政権を関与させることにもなり、アサド氏の国際社会からの孤立に終止符を打つことになる。ラタキア市南東のフメイミム空軍基地から空軍を展開しながら、ロシアはまた、シリアに関するいかなる決定もロシアの意見を無視しては行い得ないことを示すことで、外交的な立場を強めていった。

 こうしてロシアは、アサド政権をとりあえず救済するという以上にはるかに野心的な目的を追求していった。もちろん、ロシアはまずはアサド政権と反体制派(過激派イスラム主義者と外国人戦闘員グループは除いて)との間での国内対話をアレンジしてこの戦争に終止符を打つのだと言い張っていた。だが同時に、ロシア独自の条件付きでこの和解プロセスを進めようとしていた。それは、2015年9月の国連総会でプーチン氏が語ったようなシリア領土の一体性堅持とイスラム国に対抗する諸国間連携の形成を含むものだった。ロシアはまた、シリアの国家体制の堅持を求め、政権の交代は既存の憲法が定める仕組みの枠内でしか認めなかった。2016年にプーチン氏は、現政権と「健全な」反対勢力との間で一種の権力分割を見込んだ和平プロセスを尚も主張していた。もはや、アサド氏の排除を国内対話開始の前提条件とすることはできなくなっていた。

 2016年12月に[政府軍と反体制派が争っていたシリア最大の都市]アレッポが政府軍の手に落ちたことで、ロシアは、シリアとこの地域の情勢推移を方向付けることができるという確信を得た。ドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利して米国の政治風景が変わってもなお、この確信は変わることがなかった。2017年には、ロシアは主な目的のひとつを達成したと考えた。それは、アサド政権を救済し、同政権が国土の一定領域を取り戻すことだ。だがしかし、これで決着がついたわけではなかった。依然として不確かさが残る政治交渉の終わりまで、ロシアは軍隊を引き揚げることができなかった。

得な役回りのロシア

 こうした見通しのなかで、(当初の会談が開催されたカザフスタンの首都の名前をとって)アスタナと命名された新たな交渉の場を設ける構想が進められた。そこでは、シリアの現政権と反対勢力が、国連がジュネーブで設定した交渉プロセスを経ずに、停戦を議論することが可能となった。イランとトルコ──これまでの交渉には参加していなかったこの地域の大国──との直接対話の設定は、この紛争の外交的解決の構想を前進させた。

 2017年末にイスラム国の主要な防塞が陥落すると、ロシアは戦略を変えた。12月には、プーチン氏は新たにロシア軍の一部撤退を命じさえした。だが、ロシアは現実をしっかりみている。イスラム国は崩壊したとはいえ完全には壊滅していないし、シリアの内戦は終わったわけではなく、アサド氏の政権を維持するには軍事的支援を続ける必要がある、ということを理解していた。こうした状況下、紛争の現在の局面では現地に多くの兵を置く必要がないだけに、ロシアはシリアに軍事的なプレゼンスを維持しようとしている。一部の部隊がロシアに帰ったのは、シリアの実情に合わせて軍事プレゼンスを調整するための部隊の入れ替えなのだ。さらにいえば、軍の撤退を先行して発表したことで、ロシア軍は必要ならいつでも部隊を増派できることを示すことになった。

 撤兵の発表は軍事的というより政治的な意味があった。2018年3月に大統領選挙を控えて、プーチン氏は国際舞台での何らかの成功を誇示したかった。ウクライナの現状に鑑みて、西側諸国がロシアに対する経済制裁を延長し強化するなかで、近東は、ロシアが外交政策の成果を誇れる世界で数少ない地域のひとつだった。米国のレックス・ティラーソン国務長官がシリア北東部での米国のプレゼンスを永続的に維持しようとしていただけに、ロシアはシリアでのロシア軍の存在は一時的なものだと絶えず主張することで、得な役回りを演じていた。

 今やロシア外交部は、まずはイラン、トルコ、サウジアラビアのようなシリア国内に直接的な影響力のある諸国の外交部と交渉する。2017年10月にサウジアラビアのサルマン国王がモスクワを訪問した際、ロシアはサウジアラビアに対して、ジュネーブ交渉ではアサド氏に敵対する勢力として反対派を結集したグループを作ることを薦めた。これと並行して、ロシアはイランとトルコと協議を重ね、アフリーン[シリア北西部のアレッポ県内の都市。クルド人反政府勢力が支配]やイドリブ[シリア北西部イドリブ県の県都。反体制派が支配]のことや将来のデスカレーション・ゾーン[段階的緊張緩和地域]について話し合う。ロシアはまた、ロシアの連携相手国に対するコミットメントに疑念を抱くこれら両国を安心させようとする。2017年11月14日に、ロシア外相のセルゲイ・ラブロフ氏がイラン軍のシリア侵入の正当性を認めることで、ロシアにとってイランはイスラエルと同様に重要だというシグナルをイランに送った。

 トルコが2018年1月の初めにアフリーン地域でシリアのクルド軍に対して行った軍事行動を、ロシアは公式の場では非難したが、実際にはトルコとの秘密合意に基づいて、トルコ空軍に空域を開放し攻撃を許した。シリア政権がイドリブ区域とダマスカス郊外にある反体制派の最後の拠点ゴータ地区に軍隊を侵攻させてもトルコは異議を唱えないという条件のもとで、トルコがアフリーン地域で自由に活動できるとしたようだ。この軍事行動の成功はまた、米国、そしてフランスのようなクルド・アラブ連合部隊を支援している北大西洋条約機構(NATO)の他の加盟国からトルコをさらに少しばかり引き離すという利点もあった。

傭兵による攻撃

 2018年4月の米英仏によるシリア軍事施設に対する爆撃にもかかわらず、ロシアは、EUも米国も決定的な役割は果たさないとみている。ロシア軍部は米英仏がシリア問題に直接かかわろうという真剣な意思表明はしていないと判断している。2017年11月のベトナムでのプーチン氏とトランプ氏の会談では、ロシアは望んでいた通りのことを米国から得た。それは、米国がアサド氏をシリアの正当な大統領と認めると確認したこと、米国はシリアの領土の一体性の原則と交戦相手とのデスカレーションの原則を尊重すること、そして、米国はジュネーブ交渉を引き続き支持するということだ。これと引き換えに、プーチン氏は、この地域でのテロリズムとの闘いを最優先するという米国大統領の意向に沿うこととした。共同声明では、ロシアは米国の助力を得て完全に勝利するまでイスラム国と闘う意思を確認した。結局、ロシアは、米国がシリアの国内政治に今以上に関与しようとするときまでは、シリアの将来についてベトナムで話し合った以上のことを話すつもりはない。

 今日に至るまで、ロシアと米国はシリアでの直接対決は用心深く避けている。だが、その路線を維持することは難しくなってきている。2018年2月には、ロシアの傭兵がシリア軍と組んで、ユーフラテス川沿いのデリゾール市の近くにあるコノコが開発しクルド軍が管理している油田を奪おうとした。ロシアは、このような軍事行動を認めたことはないとして、これはシリア政府と実業家エフゲニー・プリゴジンと関連のあるロシア企業ユーロ・ポリスの仕業だろうという。ロシアメディアが公表した情報によると、この軍事契約会社はシリアと契約して、傭兵が現地の油田を「解放」する代わりに、シリアの石油部門との契約でユーロ・ポリスがこの油田から採掘される原油の4分の1を得ることにしたというものだ。

 だが、ロシアは、来るべき攻撃を知らないわけではなかった。フメイミム基地に展開しているロシア空軍は、クルドや米国の戦闘員から油田近くに民兵、傭兵、シリア軍が集合しているとの情報を得ていた。にもかかわらず、ロシアがそうした軍事行動を阻止しようとしなかったのには、少なくとも3つの理由があった。米国がシリアでどう反応するかをみたかったこと、クルドの軍事力を試したかったこと、そして最後に、もし上手くいけば油田を取り戻すことだ。そしてその恵みはシリア政権を強化するに違いなかった。

 米国空軍はクルドを支援するこの攻撃を終え、何十人かのロシア兵が米国の空爆で亡くなった。

 成功裏に終わった米国のこの反撃は、トランプ政権はバラク・オバマ氏の政権とは違って米国の利益を擁護するつもりだということをロシアに示すためだとみられていた。そもそも、2018年2月以来、ロシアがシリアにS-300ミサイルを引き渡すと脅しはしたが、米国を挑発するようなことを一切避けていたのは偶然ではない。その点では、シリアが「一線」を越えて化学兵器を使ったと思われることに対する回答としてこの4月に行われた米英仏の空爆は、シリアの現地情勢の展開を決めるのはロシアだけではないことを思い出させる狙いもあった。



(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年5月号より)