圧力と自由な表現のはざまで——チュニジアのラッパー


タムール・メッキ(Thameur Mekki)

ジャーナリスト


訳:川端聡子


 2011年1月にチュニジアで起きた民衆革命[ジャスミン革命]はチュニジアの音楽シーンにも劇的な変化をもたらした。ネットの検閲がなくなったおかげで以前はメディアから締め出されていた若いミュージシャンが台頭し、なかでもラッパーたちは現政権に対して批判的な曲をSNSで発信している。だが、警察との衝突が後を絶たたず、憲法が保障する表現の自由とは程遠い。[日本語版編集部]

(仏語版2018年1月号より)

Atef Maatallah, «Znèza», 2012, Diptych, Acrylic and pen on back of canvas, 150×110cm each
Photo : Firas Ben Khelifa - Courtesy of Galerie Elmarsa, Tunis - Dubaï

 2017年夏、ラッパーのKlay BBJことアフメド・ベン・アフメドは2011年1月に起きた革命後のチュニジア政界を(アラブ語で)辛辣に批判したヒット曲「No pasaran」[訳注1]も、その他の体制に批判的な曲も、いっさい歌うことができなかった。19の公演から成る夏のツアーは、その大半がフェスティヴァルへの出演だったが、とりやめとなった。警察官労働組合がKlay BBJの公演の警備を請け負わないよう警察官たちに呼びかける声明を発表し、主催者側はツアーを中止せざるをえない状況に追い込まれたのだ。

 すべての始まりは7月16日の日曜日、Klay BBJがチュニジア中東部のマハディアでステージに立ったときのことだった。「侮辱的」かつ「不道徳」とみなされた歌詞に抗議して警察官たちが野外劇場から引き上げたため、公演が中止されたのだ。「そのうえ警官たちは私とふたりのスタッフを脅しました。そして私たちの車をパンクさせたんです」とコンサート関係者は語る。その後、Klay BBJは国家警備総局の職員組合からの告訴を受け、公務員に対する名誉毀損で訴えられている。地域公安部当局労働組合の書記長であるモハメド・シウード氏は「このラッパー[Klay BBJ]は侮辱的な言葉で警察官を批判し、彼らを深く傷つけた」と発言している(1)

 「火に油を注ぐようなことはできません(2)」。カルタゴ国際フェスティヴァルの広報担当でラジオやテレビの芸能情報も担当するモハメド・ブガレブ氏は、昨年7月27日のKlay BBJのコンサートが開催のわずか10日前になって主催者側の決定により中止されたことについて、そう弁明した。警察はかつての独裁政治にしぶとくしがみつき、現在も権威を振りかざしている。2014年に可決された新憲法の31条には「言論・思想・表現・報道及び出版の自由は保障され」、「これらの自由について、いかなる事前の規制もできない」と定められている。だが、警察の威光は新憲法よりも強いようだ。

警察がコンサートの警備をボイコット

 実際には、独裁政権崩壊後、労働組合法の恩恵を受ける警察機構は職権を濫用し続けている[訳注2]。Klay BBJは次のように語る。「2016年から何十回ものコンサートで同じ曲を演奏してきた。なのに、突然こんな問題にぶち当たったんだ。政治状況が関係していると思うよ……。警察官の労働組合は武装勢力の攻撃鎮圧に関する法案を通したがっているんだ」。人民議会(ARP)では、治安維持関係の職に就く者の命の保護を目的とする法案が議論された。だがその規定のいくつかは曖昧なままで、たとえば警察官を「侮辱」することは禁ずる、といった規定は本来とは違った解釈がされる可能性をはらんでいる。チュニジア人権連盟(LTDH)を含む11の市民団体は、この法案は「革命の成果に対する脅威であり、警察の絶対的な権力を許す根拠となるものだ(3)」との見解を示している。さまざまな音楽スタイルを用いて政府当局に抵抗し、社会通念や風習に立ち向かう多くのチュニジア人アーティストが、この法律に苦しめられる危険性がある。

 Klay BBJは、チュニスの旧市街メディナにあるバブ・ジェディドの貧困地域に生まれ育った。彼はいま、2013年に耐え忍んだのと同じ状況に再び陥っている。この年の8月、Klay BBJはハマメット国際フェスティヴァルのステージ上で警官に襲いかかられ、拘束され手錠をかけられた。そして、公序良俗を乱し、警察官の名誉と職務の正当性を傷つけたとして検察庁に訴追されたのだ。第一審裁判で4カ月の禁固刑を言い渡されたが、貧困地区から進歩的階層の人権活動家まで幅広い人々が立ちあがったことで、控訴審で無罪放免となった。コンサート主催者から2年以上もの間相手にもされなかったが、2016年にやっとステージに復帰し、20回ほどのコンサートを開催した。

 Klay BBJのようなケースは珍しくない。2013年の夏のあいだを通じて、警察官の労働組合はラップ・コンサートのボイコットを呼びかけた。それは、ウェルド・エル15こと本名アラァ・エディン・ヤコゥビが同年6月に禁固刑の有罪判決を受けたことをきっかけにラッパーのあいだに連帯感が高まりだしたことへの報復だった。最終的にはウェルド・エル15は執行猶予6カ月に減刑された(4)。そもそもこの事件は「boulicia Kleb(警察官は犬)」と題された彼の曲のビデオ・クリップが政治面における国民的論争を巻き起こしたことに端を発する。というのも、当時イスラーム政党のアンナハダ率いる連立政権に反対する多くの人々がラッパーたちに味方したからだ(5)。そのとき、きわどい言葉や辛辣な警察批判のラップが何十曲とSNSで広まった。何人かのアーティストたちにとって、こうしたことがマリファナの所持と使用の無罰化を訴える契機となった。チュニジアのラッパーたちが好んで取り上げるこのテーマは、マリファナについて警察と司法の執拗な攻撃にさらされている一部の若者たちの気持ちに呼応したものだった(6)。ヤコゥビ事件が引き起こした論争によって、ベンディール・マンのようなシャンソニエ[風刺歌手]のコンサートすら警察官は妨害した。彼らはベンディール・マンをラッパーとみなしている。

 大胆不適なフロウ[ラップにおける歌い回し、言葉の乗せ方のこと]で警察官の職権乱用を告発し、政治家を非難し、社会的不公平を批判するKlay BBJの歌詞は、チュニジアのラップにカウンター・カルチャーとしての地位を与えた。彼は最前列に立って警察を批判することを選んだが、新たな音楽シーンのアーティストたちは、もうひとつの挑戦に応じなくてはならなかった。それは、さまざまなスタイルや美意識を取り入れるというチャレンジであり、さまざまなジャンルの融合と言葉の選択におけるある種の革新だ。

 2011年の民衆蜂起以前は、独裁主義的で専制的なベン・アリ体制によって彼らはメディアへの出演を閉ざされていた。いくつかのインターネット・サイトは検閲を受けて削除され、政権にとって耳障りな声は押さえ込まれていたのだ。若いアーティストたちが演奏を披露できる機会はほとんどなかった。アラブ・ポップスとチュニジアの伝統歌謡という、まったく政治色のないふたつのジャンルがテレビやラジオ、官製イベントを独占していた。だが、独裁政権崩壊とともに彼ら若手アーティストたちがこのふたつのジャンルにとって替わった。社会は変化を求め、もっと枠にはまらないスタイルを望んでいた。ITブームと、民放のテレビ局やラジオ局のあいだに働く競争原理から、当然そうしたものを受け入れざるをえなかったのだ。音楽は、政権のメディア禁止令を打ち破ることができた。

 こうした新たな力関係のなかで、インターネットの検閲廃止は決定的な役割を演じた。新たに台頭したアーティストたちは、もはや無視できない存在となった。彼らの曲は、たいてい超低予算で作られたビデオ・クリップによってプロモートされるが、これらのビデオはそれぞれのアーティストと映像制作者たちのある種の連帯により撮影が成り立っている。彼らの大部分が恵まれない地区や中流階級の出身だ。これらのビデオ・クリップは何十万回、いや何百万回とユーチューブで視聴されている。ラップはもっとも人の目に届きやすいジャンルだ。つまり、彼らの制作手段は誰もがアクセスしやすいものであることはよく知られている。作曲ソフトの海賊版が簡単に無料ダウンロードできるし、店で買っても1ユーロほどだ。たとえばロック、レゲエやジャズといったジャンルとは違い、録音に必要なのはマイク1本で、ミキシング作業はこうしたジャンルの音楽よりもずっと簡単だ。アーティストにとって、こうした制作手段へのアクセスのよさは、自由な歌詞を綴ること、そして[音楽における]美的感覚の選択肢を広げることを可能にした。曲を広めるのにユーチューブはもってこいだ。ネットにアップしたビデオはスポンサーのついたさまざまな広告によって、おもにフェイスブックなどのSNSに流れていくからだ。

 こうしたネット上での[プロモーション・ビデオの]視聴は、ネット・アクセスの目覚ましい増大によって促進された。チュニジアのネット加入者数は民衆蜂起以降増大し、2011年の85万人から、2015年には倍の170万人となった(7)。これはチュニジアの人口の約6分の1にあたる。言い方を変えれば、新鋭アーティストのファンは選挙の際の重要な支持者予備軍でもあり、間違いなく政治指導者の関心を惹いたのである。2014年の大統領選挙キャンペーン中、ベジ・カイド・セブシ候補(当選)は、ハムザァウィ・メド・アミンとカフォンのデュオによる、ダブステップ(2000年代にロンドンで起こったエレクトロ・ミュージックの1ジャンル)の影響を受けたラップのヒット曲、「Houmami」を利用した。ちょうど同じ頃、ライバル候補だったモンセフ・マルズーキ大統領(当時)は、若者をターゲットにした集会でエル・ジェネラルの応援を受けていた。ラッパーのエル・ジェネラルは革命のヒーローとして語られることも多く、2011年にタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれた人物だ。左派の候補者であるハンマ・ハマァミ氏は、ベンディール・マンと反体制派歌手のバディア・ブーフリズィの応援を得た。もうひとりの大統領候補者だった実業家で保守派のスリム・リアヒは、歌手のカフォンに呼びかけ、選挙運動の一環としてコンサートを開こうとしたが、カフォンは彼をはっきりとは支持しなかった。

 音楽を政治の道具にしようとする考えを、テレビやラジオなどが率先して番組作りに反映するのはよくあることだ。公営、民営を問わずメジャーなメディアの意思決定者というのは、たいてい新しい音楽についての知識がない。さまざまなスタイルをもち、さまざまなジャンルのある「アンダーグラウンド・ミュージック」を十把一絡げにする。ゴールデンタイムに放送される番組や、恒例の大型番組に常連で出演するゲストも、すべて同じなのだ。ラップと他の音楽が混同されるのは日常茶飯事だ。カフォンはコンピューターでレゲエのリズムをサンプリングして曲を作っているが、しょっちゅう「ラッパー」と紹介される。概して、少しでも既成秩序に異議を唱える言葉を含んでいれば[ラップという]レッテルを貼られるには充分なのだ……。

動機は物欲

 とはいえ、すべてのアーティストが体制に異議を唱えているわけではない。一部の従順なアーティストは西洋の商業シーンで確実に成功している手法をコピーするだけで、社会通念と常識に従っている。たいていの場合、彼らの動機は物欲だ。カフォンの例がそれを示している。彼は政治集会に出席したことを批判され、「誰が払ってくれるかはどうでもいい。自分の作品をいいものにするためには金が必要なんだ(8)」と答えた。さらには、2011年以降相次ぐ社会的抗議運動を経営者と政府当局が潰そうとしている状況にあって、何度もストライキを繰り返しているとして教職員組合についても批判し、「今や家族のような聴衆がいるのだから、下品な言葉(9)」を歌詞から削ることに合意したのだった。メディアとフェスティヴァル、商業上の利害と警察当局によるプレッシャーは、新しい音楽シーンのなかで優遇されるジャンルの出現を促したのである。

 それに加え、文化省は何ものにもとらわれない自主的な行動をとろうとするアーティストたちを疎外し、文化セクターを支配し続けている。さらには失脚したベン・アリ大統領の側近だった現文化大臣、モハメド・ジヌラビディン氏がハマメット国際フェスティヴァルの予算を65パーセント削減したばかりだ。同フェスティヴァルは、前回、前々回の開催に際し、新しい音楽シーンを牽引するミュージシャンたちの価値を知らしめたイベントだった。

 ほかの若いアーティストたちは、たいてい不安定な生活を余儀なくされている。CDの売上収入もなく(チュニジアではCDの合法的な市場はないに等しく、音楽ダウンロードのサイトの運営会社もない)、著作権システムが行き渡っていないことを考えれば、彼らの生活費の主たる収入源はイベントなどでの演奏活動のみだ。なかでもラッパーたちにとって、ユーチューブから発生する収入は(もっとも多いときでも)年間1000ユーロにも満たない。チュニジアでは、ネットの動画に課金して得られる金額は、西洋諸国やアジア諸国のアーティストたちが生み出すそれに比べればほんのわずかでしかない。先鋭的なアーティストたちは作曲まで手がけることもあるはずだが、それでもこの程度なのだ。2016年、Klay BBJは「アンダーグラウンド・シーン」への復帰に先んじ、「商業的に受けるタイトル」の作品としてお祭りムードの「ghodwa khir(明日はもっと素敵なはず )」を発表した。その1年後の夏に起きた警察官の労働組合とのトラブルで散々な目に遭った彼は、「Fawdha(カオス、アナーキーの意味)」で次のように歌っている。「必死で働き家族を養うため[自分の曲から]下品な言葉を減らした。彼らはオレが自分の信条を売り飛ばし、金に目が眩んだと思い込んだ」

 こうして、政治情勢の激変によってチュニジアの一部の若いアーティストはあっという間にアンダーグラウンドからメジャー・シーンへと移行した。確かに、7年前に独裁政権が崩壊し、より多様な価値観が認められるような空気を求める声が上がった。だが、昨今チュニジアの音楽シーンを覆う圧力によって、創造性と社会的異議申立てといった[ラップ、あるいはその他の音楽本来の]問題の核心は、目立ち、社会の伝統や慣習に従い、欧米の流行を模倣せよという要請にとって代わられようとしている。


  • (1) Huffington Post Tunisie, 20 juillet 2017.
  • (2) Mosaïque FM, 19 juillet 2017.
  • (3) Communiqué du 14 juillet 2017, cité par le Syndicat national des journalistes tunisiens (en arabe).
  • (4) 2017年5月、サン・マロの軽罪裁判所は、フランスに滞在中だったラッパーのウェルド・エル15に、ドメスティック・ヴァイオレンス、殺人の脅迫、麻薬使用と警察官に対する侮辱で実刑判決をくだした。
  • (5) Lire Serge Halimi, « Islamistes au pied du mur », Le Monde diplomatique, mars 2013.
  • (6) Cf. « Cannabis : nous, jeunes Tunisiens, victimes de la “loi 52” », Jeune Afrique, 3 février 2017.
  • (7) Institut national de la statistique (Tunisie).
  • (8) Mosaïque FM, 20 février 2016.
  • (9) Mosaïque FM, 7 novembre 2015.

  • [訳注1]「No pasarán!」(奴らを通すな!)は、スペイン内戦(1936~1939)時、フランコ総帥率いる反乱軍と戦ったスペイン共産党のドローレス・イルバリが演説で語った言葉。ファシストに対抗する立場を示すスローガンとなっている。
  • [訳注2] 2011年のジャスミン革命直後、民衆放棄の熱さめやらぬなかで警察官が自分たちの権利を要求し、チュニジアで初めて警察の労働組合(SNFSI)が作られた。その後、SFDGUI、SNFDGUIなど複数の組合が作られている。2016年にも賃上げ要求の大規模なデモを行ったり、ベジ・カイド・セブシ大統領に代表者が会見するなど、その影響力は大きい。nawaat, 2016年2月28日参照。

(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年1月号より)