最近のテート・ブリテンでの展覧会から足跡をみる

消え去るものを形に残すホワイトリードの彫刻作品


ジョン・バード(Jon Bird)

アーティスト、作家、キュレーターならびに
ロンドン・ミドルセックス大学名誉教授(美術・美術批評専攻)


訳:茂木愛一郎


 英国の現代彫刻家レイチェル・ホワイトリードをレビューした展覧会が昨年9月から今年1月までロンドンのテート・ブリテンで開催されたが、本論考はそれに因んだ彼女の作品論である。ホワイトリードの手法はキャスティング(鋳造)で、身近で使い慣れたものから始めて、家具や居室さらには家屋までをキャスティングするに至っている。そこでは負の空間、そして不在となっていたものが可視化されるが、そのことは観る者にキャスティングされた原型のことを考えさせずにはおかない。またホワイトリードの作品の背後には強い社会性があることも注目される。[日本語版編集部]

(英語版2017年12月号より)

テート・ブリテンにおけるレイチェル・ホワイトリード展の展示状況
© Rachel Whiteread / Photo: Joe Humphrys・Tate


 もう25年前になるだろうか、レイチェル・ホワイトリード[訳注1]は、私的な経験や記憶、日常的な生活が意味するものを、そして個別の場所やひとのアイデンティティに関わる社会政治的意味合いを表現することができるという今日のパブリックアートがもつ潜在力を決定づける作品を創りだした。『ハウス(House)』と名付けられたエドワード朝時代の小規模なテラスハウス[訳注2]をコンクリートでキャスティング[訳注3]した作品は、1993年10月から1994年1月の間、その家が建っていたロンドンのイーストエンドに立ち現れた。この作品の発表は、彼女が1993年に女性として初めてのターナー賞を受賞した時と時期を同じくし、受賞の大きな理由ともなったものであり、世界のメディアの注目を集めた。この時期は、社会政策としての住宅供給(サッチャー政権が自治体の公営住宅に住む賃借人にその不動産の買取りの権利を付与する決定を行ったことによって問題が激化した)を巡る論争と民間資本が住宅市場に進出してくるという問題が国内メディアを覆い尽くしていた時でもあった。

 ベスナル・グリーンに位置した作品『ハウス』は、ロンドン・ドックランズ[訳注4]再開発地区の端で、キャナリー・ウオーフの巨大開発ビル群の眺望を遮るものなく見わたせるところにあった。ドックランズ再開発は、サッチャー政権が支援した開発公社方式による最も際立った事例であり、テムズ川のリバーサイド地域での投資ポテンシャルを最大限発揮させようとするもので、ドックランズ開発公社の広報の言葉に従えば「21世紀のリバーサイド都市」を創造するものであった。


『ハウス(House)』(1993年)
© Rachel Whiteread / Photo : Edward Woodman · Artangel

 当時の10年間でいえば、ドックランズ開発は欧州最大の建設現場であった(キャナリー・ウオーフのビルは暫くの間、最も高い建物であった)。それに対して、『ハウス』はコミュニティ、地域性や歴史、20世紀を通して存続してきた街路や近隣街区に繰り広げられた日常生活の集合的な記憶を体現するものであった。このような見方は、いまではノスタルジックと見られるだろうが、社会学者アンリ・ルフェーブルが気づかせてくれたように「空間はひとつの歴史を持つ」ものである。この地域は長く抵抗の政治を物語ってきた。それは婦人参政権運動、1920年代の港湾労働者ストライキ、1930年代にはオズワルド・モーズリー[訳注5]が党首として率いるファシストたちへの抗議、そして第二次大戦下ドイツ軍のロンドン空襲時に示された爆撃に屈しない回復力と戦後の労働党による復興の表象でもあった。

 『ハウス』は、このような歴史を証言するものであり、同時に(ロンドンという)首都の労働者階級の文化の喪失の記録でもあった。ホワイトリードはいろいろな記憶の保存に関わる作品の制作を通じて、そのような経験を呼び覚まし続けている。それらは『無題(101号室)』(ジョージ・オーウェルの『1984年』における拷問部屋のインスピレーション源となったと言われているBBC放送局ビルにあった部屋をキャスティングした作品)、『給水塔(Water Tower) 』(1998年)(ニューヨークのダウンタウンのスカイラインの一部をなす給水塔をレジン[樹脂]キャストした作品)、『ホロコースト記念碑(Holocaust Memorial)』(2000年)(ウィーンにある恒久的なコンクリート製彫刻作品)、『無題 記念碑 (台座)(Untitled Monument)(Plinth)』(2001年)(トラファルガー広場、ナショナルギャラリーの外に置かれた、本体のない記念碑の台座を倒置したレジンキャストの作品)などである。

表現して人目に触れるものと秘められたものとの間を行き交う

 これらは、公共的な空間に置かれた彫刻作品である。人口密度が高く人の流れが激しい都市地区に置かれており、周辺の住民、勤労者、そして旅行者という現代都市にあって中心となって生きる構成員たちの眼を捉えるものである。『給水塔』(1998年)はその中では異色であるが、『小屋(Cabin)』(2016年)(ニューヨーク港ガバナーズアイランドのディスカバリーヒルに設置)、『艇庫(Boathouse)』(2010年)(ノルウェー、ロイケンヴィクの湖畔)、『掘建て小屋I(Shack I)および掘建て小屋II(Shack II)』(2016年)(モハーヴェ砂漠)など、人目に立ちにくい場所に置かれたキャスティングの作品の流れにつらなっている。そこには、ホワイトリードの制作活動の核となるものが示されている。すなわち、彼女は、展示物としての彫刻や記念碑的な作品の制作と、身近にあるものとの親密な関わり合いや家庭での生活に関わることへの探求の間を無理なく行き来をする。このことは、キャスティングで使う材料の違いに反映されている。頑丈で硬いコンクリートや石膏は、空間を置き換えるオブジェを生むが、それに対し彩色された透き通る樹脂の透明さは、光のあたり具合で、オブジェの持つ嵩(かさ)や量を、純粋な発光体のスペクトルに溶解する。


『無題 記念碑(台座)(Untitled Monument (Plinth))』(2001年)
© Rachel Whiteread

 テート・ブリテン[訳注6]で開催中のホワイトリードの回顧展は、すべての時代、すべての材料による作品が網羅されている。すなわち、1980年代後半に彼女としては最初に完成した作品(『クローゼット(Closet)』、『化粧用テーブル(Mantle)』、『浅い呼吸(Shallow Breath)』[訳注7](以上、1988年)から今回の展覧会のために制作した作品(テート・ブリテンの外の芝生の上に置かれた『鶏小屋(Chicken Shed)』)に至るまでの作品である。またこの展覧会に関する2つの方針が一般鑑賞者のこの展覧会の解釈に影響を及ぼしている。1つは、会場としてずっと多くの入場者が訪れるテート・モダンではなくテート・ブリテンを選んだことである。もう1つは、この展覧会の担当学芸員が、すべての作品をまとめて展示できるように、使うギャラリーのすべての隔壁を取り払い1つのオープンな空間を作り出し、テート・ブリテンの中心にあるドゥヴィーン・ホールなどギャラリー空間を開放したことである。


『浅い息(Shallow Breath)』(1988年)
© Rachel Whiteread

 この展覧会の開催が次の論議と同時進行していたことも挙げなければならない。それは住宅政策の問題として、英国の主要政党がマニフェストに掲げ強調していた、低所得層にも入手可能な住宅を継続して建設していかねばならないという緊近の必要性を巡る激烈な議論である。こういった住宅建設の必要性は全国的なものでもあるが、とりわけロンドンでは緊急の課題である。なぜならロンドンは際立った富裕者たちの不動産所有や賃借(共にしばしば[投資目的で]居住しないことが多い)が最も集中しているところであり、同時に貧困が最も深刻でホームレスの数が最大の地域でもあるからである。加えて、ロンドンの大気汚染の問題は日頃から市民の念頭を離れない関心事でもある(ロンドンの大気汚染はWHOのガイドラインを大幅に超えている。)


『鶏小屋(Chicken Shed)』(2017年)
© Rachel Whiteread / Photo : Tate

 こうした首都(ロンドン)で暮らし働くという現実があることで、ホワイトリードの彫刻作品やドローイングには心に響くものがある。それは、彼女が作品をどこで制作し展示するのかについて社会的な情況や場の選択を慎重に配慮しているからでもある。公共の場にアート作品を置くことがもつ複雑さや二律背反に関するこうした認識は、ウィーンでのナチスによる迫害の犠牲者への追悼プロジェクトが彼女に委嘱されたことで、公的に認知されることとなった。『ハウス』のときと同様に、『ホロコースト記念碑』は初めから議論を巻き起こし、当初1996年に完成予定であったが、4年遅れの完成であった。

 「カウンター・モニュメント」、すなわち、いわゆる記念碑的なものへの対抗を意図したこのコンクリートと鋼鉄で造られた建造物は、外面が図書館の書架を裏側からみた様子をキャスティングしたもので構成され(図書の背側は、コンクリートの中に埋め込まれている)、ウィーンの中世にはユダヤ教会が立地されていたユーデンプラッツ(Judenplatz)の中心を占めている。作品のもつモダニズムのなかでもブルータリズム[訳注8]風の様式は、ウィーンのバロック的アートや建築と対照をなしている。ホロコーストからの生存者でナチ追跡者のシモン・ヴィーゼンタールは、「このアート作品が美しくないことが重要だ。この作品は、我々の心を突き刺す」と論評した。『ハウス』の場合と違い、『ホロコースト記念碑』は既存の構造物をそのまま写し取ったものではなく、部分ごとに造った構成要素を組み合わせて「書物の民」であるユダヤ人を記憶するものとして相応しい、図書館のイメージを新たに構築したものである。

そこにあるという感覚

 ホワイトリードのキャスティング作品のすべてに言えることは、対象にしているものがそっくりそのままそこにあると感じさせることだ。すなわち、我々が誰でもする共通のこと、入浴、椅子にすわる、就寝、読書、どこかに入る、階段を上ること(…)そして死に行くこと(初期の作品には『死体仮置台(Slab)(栓、Plug)』(1994年)という死体安置場の仮置台をキャスティングしたものがある)などが伝える「そこにある」という感覚である。しかし、どの題材の場合にも、「行ったこと」がある「やったこと」があるといった近親感を抱かせると同時に、この見知ったものは、親しみを取り外され、虚構の視点をとって異物と化すものでもある。鑑賞者である我々は、ネガのものはポジにと解釈しなければならない(引っ込んだものは突起に、ドアノブや窓枠は窪みになる)。キャスティングは部屋、階段、そして『ハウス』の全体を記憶していく過程であり、キャスティングされた物の表面には、秘められたもの記憶されるべきもの外面が表れ、それらは目印となって刻みこまれる。ホワイトリードが作品の原型として何を選択するかは、つねに原型がもつ寿命によって決定づけられている。そこには、使いこまれた歴史があり、日常を通じた摩耗やいたみの跡が残されている必要がある。

 抽象と具象の間を行き来しながら、ホワイトリードは、通常、彫刻家にとって重大なスケール(縮尺)――作品の大きさ(サイズ)と混同してはいけない――に関する決断を回避する。1960年代のミニマルアートの作品(1)訳注9]との関係でいえば、ホワイトリードの作品の原点は、つねに身体である。我々がそれぞれのキャスティングのスケールに親近感を覚えるのはこのためだ――作品のディメンションは、身体の動きによって決められる。すなわち、その種のベッドなら横たわったことがある、そんなテーブルの前にすわったことがある、そのような階段を上ったことがある、というようなことだ。そこには、それぞれのオブジェに記された身体の言語があり、日々の暮らしの決まりきった出来事の物語が捉えられ、示されている。繰り返しになるが、時間の流れのなかで瞬間を捉える写真という方法との連関がここにはある。

 彼女のごく初期の作品『クローゼット(Closet)』(1988年)は、古い衣装箪笥の内部空間をキャスティングし、黒いフエルトで覆ったものである。(彼女は子供時代にそのような空間に閉じ込められた記憶を語っており、黒いフエルトは閉所での恐怖を伝えるものだと言う(2))。ホワイトリードは、その後まもなく別の素材を加えることをやめたが、多くの彼女の作品には、ある種メランコリックな要素がある。メランコリアに関しては、古典の時代から、ロマン派、プルースト、ワルター・ベンヤミンを経て、W.G.ゼーバルト[訳注10]、スーザン・ソンタグ、シルヴィア・プラス[訳注11]やジュリア・クリステヴァに至るまで、美学の伝統がある。ホワイトリードをこうしたナラティブ[メランコリアを共有してもそれぞれに違う作家が繰り広げる表現]の中に位置づけるとすれば、彼女のオブジェは、「葬られた空間」であると解釈することになる。目には見えるが、実際にそこに居住することはできないのである。


『無題(100の空間)(Untitled (One Hundred Spaces))』(1995年)
© Rachel Whiteread / Photo : Joe Humphrys · Tate



 メランコリアとは、ある喪失を受け入れるために必要とされる喪失に纏わる過程を完結させることができないことを意味している。ホワイトリードの彫刻は、知られたる空間をもはや侵入を許さない塊に変換するものである。フロイトの使うheimlich(慣れ親しんだもの、近代ドイツ語では隠されていること)であれば、unheimlich(不気味な、他に説明できない)ものに変容するように。『幽霊(Ghost)』(1990年)(部屋全体[ロンドンの北にあった家の客間]をキャスティングした最初の作品)、『ハウス』や『無題(101号室)』、そして『無題(階段、Stairs)』(2001年)や『無題(家屋内、Domestic)』(2002年)[訳注12]といった階段や床を石膏や樹脂、アルミニウムを充填してキャスティングした作品は、時代の大きな変化や再開発によって建設が中断された都市の環境を記録している。キャスティングの表面に見られる痕跡は、人間の活動の細やかな感触をその状況を跡付けるように記す記録であり、家の中での出来事をめぐる考古学なのである。

 ホワイトリードは、空白を実体のあるものに変え、どこにでもある物や建物が織りなす構造に囲まれた空間をキャスティングすることで、モダニズムの建築がもっている流動的で束縛がなく透明な空間という概念にも関与することになった。それは、戦後の政治・経済論議、すなわち開かれた市場と選択の自由を謳う新自由主義的な「民主制」に浸透していった言説であった。彼女のキャスティング作品は、テーブル、椅子やベッドの下に積もる埃、浴槽や洗面台に集まる身体の老廃物、街路から居宅の床に持ち込まれる塵など、衛生状態がいまほどよくなかった時代を思い出させる。こういった固形物が、近代的な暮らしが主張するユートピアのイメージのいくばくかを否定してはいても、透明で彩色された樹脂を使うことによって、ホワイトリードは、自然光であれ人工光であれ、光のレベルに完全に反応するオブジェを制作してきた。

夜の到来とともに消えていくこと

 『給水塔』や『記念碑』(トラファルガー・スクエアでのキャスティング作品)という2つの大規模な屋外作品もこの種の作品のわかりやすい例証だ。SoHo(ニューヨーク、マンハッタン)にある7階建の建物の屋上に置かれた『給水塔』は、ニューヨークのスカイラインの上方を見上げるよう指示されない限り、この都市の住人の目に止まらなかった。1万5000個ある(この都市の)給水塔は、建物のどの階でも飲料水が得られるよう供給することを建物所有者に義務づけた19世紀の都市規制の名残である。ホワイトリードの塔は、杉板で造られた元々の貯水槽にポリウレタン樹脂を使ってキャスティングした重量4.5トンの作品で、あまりにも見慣れていると共に風変わりで、夜の到来とともにすっかり姿が見えなくなった。

 トラファルガー・スクエアは1835年にパブリックスペースとして開かれ、9年後にはネルソン提督の彫像を頂く169フィートの円柱が加えられた。広場の4隅に台座があるが、そのうち3カ所にはジョージ4世、ネイピア将軍、そしてヘンリー・ハヴロック卿(インドにおける帝国統治維持の命を受けた陸軍司令官を歴任)の彫像が置かれている。4番目の台座にはウイリアム4世の騎馬像が載せられる予定となっていたが、1999年まで設置されることはなく、その年から、1年間は継続して設置することのできる委嘱アート作品の台座として使われるようになった。トラファルガー・スクエアは、常に政治行動が行われてきた場所である。19世紀のチャーティスト運動、戦後では平和デモ、アパルトヘイト反対集会、1990年の人頭税に纏わる暴動(サッチャー政権での最も不人気な政策に抗して)、そして2000年代ではイラク戦争反対のデモがここで行われた。


テート・ブリテンにおける展示状況
© Rachel Whiteread / Photo : Joe Humphrys · Tate

 2001年レイチェル・ホワイトリードは、石の台座を逆さまにした透明な樹脂キャスティングの作品でこの委嘱を勝ち取った。『給水塔』と同じように、『記念碑』も1日のなかで、そして季節のなかで変わりゆく光の変化に反応し、それは、不透明な白色から媒材が空の輝きを映し出すまでに変化する。この作品は、実在であると共に不在であり、個人であると共にコミュニティのメンバーでもあることを反映する黙想のスペースを提供するというパブリックアートがもつべきユートピア的理想を思い起させるものでもあった。そして、ホワイトリードは、[今ある]台座の上に花崗岩でできた台座をキャスティングしたものを置くことによって、この広場が争いの場ともなるパブリックスペースであること、そして台座を付けて置かれるものから支えなしで自由に佇立するものへと変化してきた彫像の歴史がこの広場に示されることで、そういった歴史のナラティブの存在に言及したのである。

 テート・ブリテンにおいては、スケール、使用素材、色彩に関してホワイトリードが行ってきた実験が、すべての領域に亘って展示されている。館内の隔壁を取り除くという決断によって、鑑賞者は複数の視点を体験することが出来、これによりキャスティング作品同士の間に複雑な関係や結びつきが創りだされる。彼女の制作が建築のように構造的であるとともに室内での手仕事のようでもあることが分かる。それらを一体化するのはキャスティングのプロセスと身体である。『無題(階段)』においては階段、『無題(101号室)』においては部屋、『無題(床、Floor)』においては床が、家というものの記録であり、日常生活の諸相の地図なのである。椅子、テーブルやベッドの下側のキャスティングは、ひとの一生を通じて繰り返しなされる共有された経験を記録している。作品の表面は、外部と内部を隔絶する皮膚と読むこともできる。液体状の物質をフォルムの中に沈下させ固形化させ封じ込めることで外観が作り出され、人間の活動の残留物が表面に刻まれている。こうした擬人化は、湯たんぽをキャスティングしたトルソのシリーズにおいて明確なものとなる。ホワイトリードの手にかかると、家庭に常備され、まだセントラルヒーティングが装備されない時代の建物にあっては特に有用であったこの用具が、相互に対立する二様の感情を引き起こすものとなる。それは暖かさや安らぎと同時に、身体の部位や医療用の補助具であることの連想から厄介事を思い起させるのである。


『無題(透明なトルソ)(Untitled (Clear Torso))』(1993年)
© Rachel Whiteread

 これはホワイトリードにあって彼女らしさのでたスタイルである。我々は否応なく[死という]ひとつの方向に向かって進む身体に閉じ込められていることを思い起しながらも、経験や歴史の記憶を物質の世界に吹き込むという彼女のもつ才能をそこにみる。霊安室の死体仮置台からキャスティングした彼女の初期の作品を再現した作品―—『無題(白色の死体仮置台、White Slab)』(1994年/2017年)――では、白いゴムでできた仮置台が壁に向かって控えめに傾けられ、不安を募らせるメメント・モリ(死への警告)となっている。



  • (1) アメリカの彫刻家トニー・スミスは、6フィートの鋼鉄製の立方体『死すこと(Die)』(1968年)に関して、「自分はオブジェや記念碑を作ろうとしたものではない」と主張した。
  • (2) 哲学者のガストン・バシュラールは、これに関し著書『空間の詩学(The Poetics of Spaces)』において、「古い衣装箪笥の内側空間は奥深い」と記述している。


  • 訳注1]レイチェル・ホワイトリード(Rachel Whiteread)は、1963年ロンドン東部のイルフォードの生まれ。少女時代にロンドン北東部マズウェルヒルに移る。父親は地理学者で労働党員、母親はアーティスト。ブライトン・ポリテクニック卒業後、ロンドン大スレイド美術学校で修業。いわゆるYBAs(Young British Artists)のグループに連なっている。

  • 訳注2]テラスハウス(terraced house)は、境界壁を共有し、それぞれが同型の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅をいう。

  • 訳注3]キャスティング(casting)とは、彫刻、工芸において、液状にした素材(金属、ガラス、石膏、樹脂など)を型に流し込んで成形する技法。型どりともいう。金属の場合には鋳金、鋳造と訳す。ホワイトリードの場合、小さなもののみならず家具、部屋から構築物や家屋までをも実行可能なプランを作って行ってきたことに独自性がある。

  • 訳注4]ロンドン・ドックランズ(London Docklands)は、ロンドン東部テムズ川沿にあるウォーターフロント再開発地域の名称。ドックと呼ぶのは、ロンドン港の港湾荷役用施設であったことによる。第二次世界大戦後、船舶の大型化・コンテナ化など物流革命に伴い衰退していたが、1980年代サッチャー政権下で開発公社方式によって再開発され、キャナリー・ウオーフの超高層業務地区やジェントリフィケーションされた住宅・商業地区が整備され、地域は変貌を遂げたことでも知られている。

  • 訳注5]オズワルド・モーズリー(Oswald E. Mosley, 1896-1980)は準男爵家に生まれ、英国下院議員(当初保守党、後に労働党)を経て、ファシズムに傾倒(ヒトラーとも知遇)、英国ファシスト同盟の党首となる。第2次世界大戦中は対敵の目的から一時収監された。カズオ・イシグロの『日の名残り』に登場するダーリントン卿は、モーズリーをモデルにしているとみることもできる。

  • 訳注6]テート・ブリテンは、ロンドンのミルバンク地区にある国立美術館。以前はテート・ギャラリーと呼ばれターナーなどの歴史的英国美術を収蔵するとともに、現代美術の展示も行っている。ただ、旧火力発電所跡地を再開発したテート・モダンが現代美術に特化しているのと対照される。なお、テートの名はギャラリーの創立者・寄贈者の砂糖王Henry Tateに因んでいる。

  • 訳注7]ホワイトリードの父親Thomasは1988年死の床にあったが、浅くなっていく父親の息の音の思い出とともに、人の一生と深い関係のあるベッドを使ったこの作品の名前としたもの。

  • 訳注8]ブルータリズムは、モダニズム建築の機能主義の原点への回帰を目指したところがあるが、その表現形式が打ち放しコンクリート等を用いた荒々しく、生な(フランス語のbrut)感覚があることから、この名前が付けられた。

  • 訳注9]ミニマルアートあるいはミニマリズムは、造形の材料と手段を最小限に切りつめた抽象芸術の活動で、1960年代のアメリカに登場したことに始まったもの。極めて限定された色彩による直線的な絵画や金属・プラスチックの無機質で単純な形態で構成された立体などの制作が多い。(岩波西洋美術用語辞典を参照)

  • 訳注10]W.G.ゼーバルト(1944-2001)はドイツ出身の作家。英国とドイツを往復。ホロコースや戦後ドイツの置かれた状況をテーマにしたものが多い。

  • 訳注11]シルヴィア・プラス(1932-63)はアメリカ出身の詩人、小説家。後年英国に渡る。代表作は詩集『コロッサス』、『エリアル』など。精神科の治療を受けたことがあり、死因は自殺であった。

  • 訳注12]ホワイトリードは、室内の設えや家屋の構造への関心が強いが、この作品は階下から階上に延びた階段を立体的に示したものである。

(ル・モンド・ディプロマティーク 英語版2017年12月号より)