再びの冷戦 

アルテのロシア攻撃


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク統括編集長


訳:生野雄一


 クリミア併合、ウクライナ内戦への関与、インターネットサイトでのフェイクニュース発信などで、ロシアは西側による絶え間ない非難の的であり、独仏の公共放送アルテも、ロシアメディア顔負けの報道スタイルでロシア非難を展開している。[日本語版編集部]



 ノルウェーの『占領』(Occupied)シリーズ18話が独仏公共テレビ局アルテ[訳注1]で放映された。フィクションなのか将来への警告なのか? ロシアが(EUの支持のもとに)国際社会に天然ガスと石油の供給を確保するためにノルウェーを占領するという話だ[訳注2]。このシリーズでは、EUも割のいい役回りではないが、ロシアはそれこそ、ノルウェーに侵攻し、工作し、脅し、殺戮する、という役割だ。しかし聞くところでは、ロシアを「悪者扱いする」のが目的ではないとのことで、在オスロ・ロシア大使館はこの企画を事前に知らされてもいたらしい。

 ロシアが喜んだかどうかは定かではない[訳注3]。これは不安をかき立てる話であり、ロシア人をナチスになぞらえている(ナチスもノルウェーに侵攻した)ことがはっきりと窺われる。というのも、ロシアに協力するノルウェーの首相がヴィドクン・クヴィスリング[1887-1945 訳注4]やフィリップ・ペタン[1856-1951 訳注5]になぞらえられていたからだ。つい最近放映されたばかりのこの番組の第2部が企画されたときは、ロシアによるクリミア併合が起きたばかりだった。「現実と符合した」とプロデューサーたちは喜ぶ。

 もちろん、アルテは、中国と太平洋のとある島や、米国とキューバ、フランスと中央アフリカ共和国、イスラエルとパレスチナを題材に「現実との符合」を番組として展開することもできたはずだ。しかし、今日、米国とロシアの新たな冷戦の気配が漂うなかで、この種の娯楽としてはロシアが打ってつけの悪者を演じることほど都合の良い話はなかったことを示唆している。

 去る1月16日の夜の番組『テーマ』がこの推量を裏付けている。これはフィクションなどではなくて、現実の生々しい話だ。ドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任して1年後、アルテはいみじくも、フランス語では『米国と敵対するプーチン』(米国では『プーチンの復讐』)と題する米国に関するドキュメンタリーを放映した。ここでは「初めて、バラク・オバマ政権執行部の元メンバーやCIAメンバー」が登場し、アルテの司会者は、こんなにもバランスがとれて徹底した『テーマ』の報道姿勢に感銘して、そのことを誇らしげに語った。

 この夜番組の内容は、ある一つの想念に要約されている。2016年の米国大統領選挙の際に、「プーチンはついに復讐を遂げて、生涯の侮辱を拭い去ることになる」というものだ。「ロシアの指導者と米国民主主義」の「壮絶な戦い」がそうして始まるのだと。世間はいつもはロシアの公共放送RTの善悪二元論と情報操作の傾向を非難しているが、この夜ばかりは、アルテがRTの上を行っていた……。

 「私たちの話は1999年12月31日に始まる」。その日に、ボリス・エリツィンが「KGB将校あがりの、正体のよくわからない首相」プーチン氏に大統領権限を引き継いだのだ。「元スパイ」と「ロシアに民主主義を植え付けようとする進歩主義の政治家」との間で、その後事態はかなり急速に悪化した。すなわち、メディアは統制され、反対派は投獄、西側は敵、となった。「エリツィンは、亡くなる少し前に側近に、プーチンを後継者に選んだのは重大な過ちだったと語った」

 ここで、すこしばかりいくつかの史実の手直しをしておこう。重要なことは、ソ連経済の崩壊はエリツィンの[急激な市場主義経済導入を図った]大統領令によって引き起こされたのであって、ロシア国民が選んだ議員たちが引き起こしたのではないということだ。議員たちがエリツィンの「ショック療法」に反対したとき、エリツィンは議会を攻撃した。そして彼は、(インチキな)国民投票で憲法を改正し、メディアを独占し、選挙結果にいかさまをして、米国から[経済や民営化に関する]顧問を迎えて、大統領再選を果たしたのだ。これらすべての民主主義的な“功績”は米国、ドイツ、フランスでは彼を人気者にしたが、自国ではそれほどでもなかった。

 プーチン氏が存在感を増したのはこのときだ。あのドキュメンタリーは彼の陰影に富んだ人物を描いている。すなわち、「(KGBの)防諜活動の将校というのは、陰謀論にまみれていて、自分の周囲は皆が敵で、排除すべきものと考えている」。ウイリアム・クリントン大統領をモスクワに迎えた2000年6月からすでに、「プーチンは自分がこの部屋を支配する男だということを示さんがために、両脚を広げて肘掛け椅子に深々と身を沈めた」。アーカイブ映像では、プーチン氏は、なるほど両足を広げてはいるがクリントン氏を凌ぐほどではない。だが、[クリントン氏と違って]性衝動エネルギーを上手くコントロールしていて過ちを犯さないという評判だ。

 ジョージアやウクライナの「色の革命」[訳注6]やアラブ諸国の反乱をみて、「プーチンは、いつかは自分の番だと思っている。自分も将来は倒される。こういった不安が彼の政治の原動力になっている」。それに、このロシア大統領は彼の「盟友」だったムアンマル・カッザーフィー[1942-2011]のリンチ[訳注7]の光景を絶えず思い出すのだろう。あの光景は、当時米国務長官だったヒラリー・クリントン氏をして、今や有名な「来た、見た、彼は死んだ」という台詞とともに高笑いさせたものだ。プーチン氏は、──彼のさまざまな想念はアルテにとっては何ら不可解なものではない──, それ以降、絶えずこう自問しているという。「自分もああいう目に遭うことになるのだろうか? 大切にしている地位を失うだけでなく、私の自由、私の命まで失うのだろうか?」

 彼の復讐心はここから生まれる…… 2016年の米国大統領選挙のときに突然その機会がやってくる。このとき、「プーチンのロシアは米国の民主主義の心臓部を襲う」。当時ロシアの相手になったのは、悲しいかな、オバマのようにロシアを恐れてウクライナに武器を渡さなかった腰抜けの男どもだけだった。この話から我々が教訓を得るには、結局、元CIA長官のジョン・ブレナン氏に登場してもらうしかない。彼はこう言う。「私は、若いときのニュージャージーの学校の校庭での出来事を思い出す。いつのときも、我々を脅かしたがる悪ガキがいたものだ。奴らはこちらが鼻面を打ちのめすまではいたずらを止めようとはしなかったものだ。プーチン氏も鼻柱に軽く血でも流させればいいかもしれないと思ったよ。そうすれば、彼もたじろいだだろう。というのも、ほとんどの悪ガキのように、これ以上反抗的な態度はとらない方がいいとわかっただろうからね」

 1985年4月18日、ミハイル・ゴルバチョフ氏が政権に就いて5週間後に、フランスの公共テレビ局FR3が『目の前の戦争』と題する政治フィクションを放映した。それは、ソ連の赤軍による西ヨーロッパ侵略を告げるものだった(1)。その当時は、侵攻するのはノルウェーだけでは足りなかったとみえる。その後33年が過ぎた。かつてのワルシャワ条約機構[訳注8]加盟国のほとんどは米国陣営に鞍替えし、ソ連は崩壊、ロシアの軍事予算は米国の10分の1だ。だが、アルテが我々に教えるところでは、敵に狙いを付けたら、それはずっと続くのだ。


  • (1) Cf. Lire Paul-Marie de La Gorce, « “La guerre en face” : fantasmes et manipulations », Le Monde diplomatique, mai 1985.


  • [訳注1] Arte(Association Relative à la Télévision Européenne)は、フランス語とドイツ語で放送される、独仏共同出資の公共テレビ局(1992年開局)
  • [訳注2] 2015年9月1日付のWedge Infinity『メディアから読むロシア』はこの話を「……ロシアはそれ自身の思惑のみでこの占領を行う訳ではなく、石油採掘利権の維持を目論む国際社会の暗黙の支持を受けてこの奇妙な占領を遂行する……」として紹介している。
  • [訳注3] 前記の2015年9月1日付Wedge Infinity『メディアから読むロシア』では、ロシア放送局『ロシア・トゥデイ』の報道として、次のように伝えている。「在オスロ・ロシア大使館の広報担当者は『ロシアが侵略者として描かれることは遺憾だ』と述べ、第二次世界大戦戦勝70周年の節目に残念なことだとしている。同人はまた、『このドラマのシナリオはノルウェーの視聴者にありもしない東方からの脅威を感じさせようとするものだ』とも付け加えた」。
  • [訳注4] 第二次世界大戦中にナチスのノルウェー占領に協力して、傀儡政権の指導者になり、戦後処刑された。
  • [訳注5] ドイツ軍の占領下において、ナチスドイツに宥和的なフランスのヴィシー政権 (1940-1944)で政府主席兼首相に就任した。
  • [訳注6] 2000年頃から中東欧、中央アジアの旧共産圏諸国で起こった一連のアメリカ主導の政権交代の総称。
  • [訳注7] カダフィ大佐として知られるリビアの元最高指導者の死因には諸説があるが、反カダフィ勢力の兵士による銃殺説を指す。
  • [訳注8] 1955年に結成された、当時のソ連を中心とした東欧社会主義圏の軍事同盟。


(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年3月号より)