「宗教戦争」とフランスメディア


セルジュ・アリミ(Serge Halimi)

ル・モンド・ディプロマティーク統括編集長


訳:村松恭平





 フランスはこのしばらくの間、メディアと政界に広がる狂気を経験した。この国においては、同様の狂乱状態がまた生じる要素がすべてそろっている —— 風刺新聞[シャーリー・エブド]によってかき立てられた、度を越した言説の数々。熟考する前に人々が反応し、炎上を起こすには打ってつけのツイッター。それが燃え広がるための申し分ない燃料となる、宗教に関連した様々なテーマ。信用が失墜した一人の政治家のデマゴギー —— さらにその政治家とは元首相[マニュエル・ヴァルス]なのだが —— 彼は「森が焼ければ」自分の復活に有利になると期待している。おまけに、一つの決まり事が今や確かなものとして存在している。それは、フランス共和国では、あらゆるテーマが遅かれ早かれムスリムの問題へと帰着するということだ。たとえそのテーマがセクシャル・ハラスメントで、その犠牲者がアメリカ人女性であったとしてもである。

 こうした大きな錯乱は今日に始まったものではない。ベルリンの壁が崩壊する1カ月前の1989年10月4日には「クレイユのスカーフ事件」[訳注1]が起こり、イスラームは何度も蒸し返される社会対立のテーマとして定着していた。この類の論争はひっきりなしに続き、視聴率に飢えていた民放テレビ局の増加によって増幅され、当時アメリカとサウジアラビアから強力に支援されていた保守イスラーム政治の世界的拡大 —— これは事実である —— に結局は結び付けられた。[メディアの加熱ぶりはすさまじく]西欧メディアとそこに登場する知識人たちは、アフガニスタンでのソ連人との戦い(1979〜1989年)の間中ずっと、ジハードを歓迎したほどだ。そして彼らは宗教上の理由による女性たちの疎外について、魅惑的な異国特有の文化のように取り上げた(1)

 エドウィ・プレネルとリス[訳注2]—— ともに多くのテーマについて同じ立場を取る編集長であり、たとえば現在のフランス大統領[エマニュエル・マクロン]の選出にどちらも寄与した —— の間のいさかいはこの文脈全体を見えなくし、この問題の本質について何の解明もしていない。プレネルは(不当に)自分を風刺した絵にあまりに気を悪くしたため、それを「イスラーム教徒に対する戦争」だと結論づけ、自身の苦難をナチスに追い詰められた有名なレジスタンス運動家たちの経験になぞらえた。リスはプレネルのその自己中心的な衝動性をうまく利用しながら、彼が「殺人を呼びかけ」、それは「明日にも我々[シャーリー・エブド紙]を殺すであろう一味を今から無罪放免にするものだ」として糾弾した(2)。この行き過ぎた発言は、2年前に目の前で多くの仲間が殺されたジャーナリストの言葉としては許されようが、—— プレネルの「イスラーム教徒に対する戦争」という表現は、明らかにメタファーだった —— こうした悲劇的な事件を自分自身では経験していない主要論説記者の多くもこのリスの発言をただちに弁護し、繰り返し口にした。あまつさえ、このメディアパルト編集長[プレネル]に対する非難をこめて、フィガロ紙のインタビューに次のように応じた反人種差別主義協会の会長さえいた —— 「セーヌ=サン=ドニ県の公立学校にユダヤ人の子供がいなくなれば、それは“イスラーム左翼急進主義”[訳注3]の影響だ(3)

 フランスでは、「宗教戦争」は必ずしもメタファーであり続けているわけではない。すでに大きく信用を失ったメディアは、次なる「宗教戦争」を企てるほかにすることはないのだろうか?





(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年12月号より)