スラム街・大学・NBAの光景から

バスケットボールが映し出すアメリカン・ドリーム


ジュリアン・ブリゴ(Julien Brygo)

ジャーナリスト


訳:村松恭平



 スポーツ選手の輝かしい姿に憧れ、将来の夢とする子供たちは世界中に数多く存在する。成功すれば名声と同時に、裕福な生活も手に入るだろう。だが、現実はあらゆる面で易しくはない。米国で非常に人気が高いバスケットボールが、そうした夢と現実の乖離を映し出す。シカゴ・ブルズのバスケットコート、黒人街の路上、あるいはインディアナ州の大学といった現場から、このスポーツと社会の関係性が浮かび上がる。[日本語版編集部]

Julien Brygo(2017年3月に筆者撮影)
http://www.julienbrygo.com/american-hoops#3, Twitter:@julienbrygo


 綺麗に整頓された部屋の中で、ベッドの上に座っている黒人の少年が、大ファンのチームであるニューヨーク・ニックスの旗をじっと見つめている。2015年に年俸650万ドルで獲得されたラトビア人選手クリスタプス・ポルジンギスのユニホームを彼は着ている。この全米バスケットボール協会(NBA)のCMの中で、ポルジンギス選手が次のように語っている。「子供の頃からずっと夢だったんだ。ボールを手に取ると、僕は一度も後ろを振り返らなかったよ。結局のところ、一生懸命練習すれば何事でも成し遂げられる。ラトビアの小さな村からやって来た僕のような選手でもね」

 米国は社会的成功の模範となるストーリーが大好きだ。バスケットボールはそうした話題を数多く提供し、この国を喜ばせている。ナイジェリア人[の両親を持つ]ヤニス・アデトクンポは露天商としてギリシャで不法滞在をしていたが、2007年にプレーの方法を学び、その10年後にはNBAの最優秀選手の一人に選ばれた。このリーグで最も背の低いアイザイア・トーマス(175cm)は、2017年に「年間最優秀プレーヤー」のタイトル候補者となった。ティーンエージャーの母親の子供に生まれ、幼少期に里親に迎え入れられたレブロン・ジェームズは、生まれ故郷のオハイオ州に戻り、過去50年間あらゆるスポーツを通して一つも獲得できていなかったタイトルをクリーブランドに贈った。

 30チームの市場価値の合計(363億ユーロ)が今日ではマリ・セネガル・ブルキナファソのGDPの合計を越える米国プロバスケットリーグにようこそ。1984年から2014年までこのリーグのコミッショナーを務めたデヴィッド・スターン氏は、選手の「スター化」と幼少期からの歩みの公開という手段に訴え、成功した。スターン氏が打ち立てたこうした戦略によって、莫大なお金が流れるようになった。NBAに所属するチームの年間収入は1980年代初めには1億5,000万ユーロだったが、2016年には55億ユーロまで急増したのだ。このような大量のドル紙幣を生む主な収入源であるテレビ放送の新たな契約は、9シーズンで240億ドルという途方もない金額に達した。


Julien Brygo 2017

 世界中から注目を浴び、プロリーグを普及させたNBAは、メリトクラシー[個人の実力主義]という米国人の夢をかき立てている。「“名もない場所”からどうぞ来てください」、「あなたはここでは行動によって判断され、信仰や外見は関係ありません」、「ボールは誰が扱おうとバウンドするでしょう」とスポーツ用品メーカーのナイキのスポット広告が訴える。1,100億ドルにも及ぶナイキの時価総額はこのオレンジ色のボールに負うところが大きい。そもそも、貧しい地区で生まれた子供がNBA選手になることは今でも可能なのだろうか?

 2017年3月のその日、シカゴ・ブルズのトレーニングルームの磨りガラスの向こう側ではジミー・バトラー、ドウェイン・ウェイド、ボビー・ポーティスがバーベルを上げていた。ラッパーのティー・グリズリーの激しい音楽の歌詞が体育館中に鳴り響いていた。新人のキャメロン・ペインがスリーポイントシュート(ゴールから7m以上)の練習をしている間、私たちはブルズのスター選手であるウェイドと話したいと願い出た。シカゴ南部の貧民街で生まれた彼は、英雄となって帰郷した選手だ。「それはできません」とプレス担当のクリステン・ディール氏が私たちに答えた。そこで、彼と同じように恵まれない環境で育ったバトラーへのインタビューを次に願い出た。「彼は12月に海外レポーターたちの質問にすでに答えました。ワードファイルを送りますから!」と彼女は言った。フランス人選手のジョフレイ・ロヴェルニュとの面会ももう叶わないだろう。

 数年前にInternational Review for the Sociology of Sportに掲載された研究では、黒人選手の66%、白人選手の93%が恵まれた環境で育ったという結論が出された(1)。2013年に別の研究がこの結論をさらに裏付けた。統計学者のセス・スティーブン=ダヴィドヴィッツがこう指摘する。「プロ選手がかつて育った社会経済的状況のほうが、社会を見返してやろうというハングリー精神よりも将来の結果をずっと左右する(......)。シングルマザーやティーンエージャーの母親から生まれた黒人NBA選手の人数は、他の黒人たちと比べて30%も少ない(2)

 この研究者は非認知能力[学力・IQテストでは測れない能力]を列挙している。たとえば、忍耐力、自己抑制、自信といったものだ。選手たちが育った社会経済的な背景次第で、その能力の発展の仕方は異なる。彼はまた身長や器用さ、体力、あるいは反射神経も挙げている。「現代の米国の貧しい子供たちは必要な栄養摂取量の最低ラインを大きく下回っており、このことが必然的に彼らの成長に悪影響を及ぼしています。幼児死亡率が高く、生まれた時の平均体重も減少しています」とこの統計学者は続ける。「現代の米国においては、貧困が人々の身長に影響を与えていることも、昨今の様々な研究によって示されています」

 2016年にオンライン科学雑誌eLifeに掲載されたある研究により、米国人の肥満の増加が身長の伸びよりも顕著だったということが実証された。かつて米国人の平均身長は国別の身長ランキングで世界第3位だったが、過去100年間で第37位にまで転落した(1914年には170cm、2016年には176cm)。この研究によれば、不平等の拡大と栄養不良が原因で、米国人の身長の伸びは100年来、他国と比べて最も小さいという(3)。だが、昨今の試合ではスリーポイントシュートの重要性が特に高まっており、それゆえ「小さな」選手がコート上で輝きを増しているにしても、バスケットボールでは身長が最も重要な評価基準であることに変わりない。「1インチ[2.54cm]ずつ身長が増すごとに、NBA選手になれる可能性は2倍高まる」

 インディアナポリスでは、NBAのチームであるインディアナ・ペイサーズの選手たちが、この州の住民たちと同じように「フージャーズ」(Hoosiers)(4)と呼ばれている。デヴィッド・アンスポーが制作した同じタイトルの非常に有名な映画(仏語のタイトルは“Le Grand Défi”、1986年[邦訳では『勝利への旅立ち』])が、インディアナ州の選手権大会で勝利を目指す、ある高校チームの歴史的快挙を描いていた。その映画の中では背の小さな白人のダヴィッドが、背の大きな黒人のゴリアスに立ち向かう。ペイサーズの練習場でポール・ジョージにインタヴューを試みるには、人混みをかき分けて進まなければならない。彼はこのチームで最も高く評価されている選手で、輝きを放つウイングだ。「郵便番号? それが何? バスケットをプレーするのに住んでいる場所なんて関係ないさ」。彼は引きつったように笑い、年金基金の教職員信用組合(Teachers Credit Union)のロゴが見えるよう、宣伝ポスターで覆われた壁の前で立ち位置を替えた。そのロゴは、「時間厳守、忠誠、信頼、尊敬、協力」というペイサーズのチームの標語の近くに貼られている。「障害になるものだって? 俺にとってそんなものはないね」。そのグループから少し離れた場所にいたフランス人のケビン・セラフィンはこのチームのポストプレーヤーであるが、身長が208cmあるにもかかわらずこの質問を見下したりはしなかった。「僕の父親はフォークリフトの運転手、母親は店長だった。“極貧”というほど貧しくはまったくなかったけれど、裕福でもなかったよ。社会的出自はここでは関係ないね。一生懸命プレーして、トレーニング中にチームメイトを打ち負かせば十分だよ。必要なのはそれだけだね」

 仏領ギアナで生まれたセラフィンは、NBAの外国人選手のうちカナダ人に次いで2番目に多いフランス人選手の一人だ(2016年には450人の選手のうち113人が外国人で、最高記録を更新した)。トニー・パーカーやニコラス・バトゥム、ルディ・ゴベールをフランス人は思い浮かべるが、10人のフランス人選手の多くがトップレベルのアスリートの子供である。2016年には、両親のどちらかがプロのアスリートだったNBA選手の数が、2人に1人にのぼった(アメリカンフットボールの場合は5人に1人もいない)(5)。こうした重要なデータを見れば、30年前からフランスで米国バスケットボールのテレビ解説を行っているジョージ・エディの言う「重大な遺伝の宝くじ」について理解することができよう。

 米国の多くの若者たちはバスケットボールを通じて社会的成功を夢見ているが、運動競技のエリート階層出身ではない彼らにとって「懸命に練習する」だけでは不十分だ。シカゴのスラム街を訪れれば、北米に広がるアメリカン・ドリームへの熱気とその虚構をこの目で確かめることができる。

 アマチュアのチーム「スターズ」の体育館に行くためには、83番通りを2つに分ける金属製の橋の下を通らなければならない。「誰一人としてこの高架橋の下を通ろうとは思いません」とテレンス・フード氏が語る。「これはライバル同士の2つのテリトリーを分ける境界線です」。彼はアマチュア運動競技連盟(AAU)主催のサマーリーグに参加するチームの創設者で、コーチでもある。このリーグは様々なスポーツ用品メーカーによって運営され、米国で最も能力の秀でた青少年たちが対決する。その多くがまだ高校生だ。彼は私たちを迎え、アヴァロン公園の入り口付近にある、地面に亀裂が入ったバスケットコートを残念がりながら案内した。「犯罪へ向かうような若者たちの集まりを阻止するためにバスケットリングは外されました。ですから、ここの少年たちはプレーする場所がどこにもないのです」。2016年、ロサンゼルスとニューヨークで起こった殺人事件の合計数が600件だったのに対し、シカゴでは762件で犯罪件数の記録を更新した。こうした背景の下、スポーツに向き合うことは多くの若者にとって辛い現実から逃れるための手段となっている。


Julien Brygo 2017

 小さな眼鏡をかけ、細いラインのあご髭を伸ばし、ゆったりとしたトレーニングウェアを着たフード氏 —— 皆が彼のことを「コーチT」と呼ぶ —— は「ギャングの暴力とその他の悪影響から少年たちを守る」ことを目的として人生をバスケットボールに捧げた。この夏、スターズはナイキが企画した200回のキャンプのうちの何回かに参加するつもりだ。彼らはアディダスやアンダーアーマーのキャンプに赴き、プロ選手のスポンサーにもなっている様々なブランドが企画するトーナメント試合にも参加している。このコーチが選手たちに言う。「私は君たちをサマーキャンプに連れていこうと思う。なぜなら、スカウト[大学のリクルーター]が君たちを見ることができるのはそこだからだ。ナイキとアディダスはトーナメントを開始し、いくつかのリーグを作っている......。君たちは無料のシューズやTシャツ、ソックス、上下のウェアが欲しいだろ? カッコいいけれど、それらを欲しがっているのは君たちだけじゃないんだ!」。シカゴ・スターズの選手たちは上手くプレーするだけでなく、節約もしなければならない。というのも、旅費とは別にキャンプへの参加も有料だからだ。さらに、チーム登録だけで700ドルも費用がかかる。これは多くの家庭にとって大きな出費だ。フード氏はそうした理由から募金運動を企画し、地区を戸別訪問した。

 プロのスポーツ選手の生活条件を満たすには、十分な資産を持って生まれなければならないのだろうか? 「こう言うのは辛いですが、そうだと思います」と「コーチT」が答える。「社会的出自によってすべてが決まります。とにかく、貧しい地区出身の優秀なプレーヤーのほとんどは成功のためのメンタリティーを備えてはいません。スラム街では、暮らしていくためにはエゴイストになり、目先のことを第一に考えなければなりません。ですが、NBAで生き延びるには長期的な視点をもって物事を計画する必要があります。彼らはこうしたメンタリティーを持っていないのです」。フード氏にとって最も重要な目標は、選手たちがスカウトから注目され、大学の奨学金が提示されることだ。そのためには、選手たちはコート上で抜きん出たプレーを披露する必要があり、闘志溢れる姿も見せなければならない。そして...... 在学中ずっと良い成績も得ていなければならない(6)。「私の時代と比べて、変わったのはその点です。今ではバスケットと学校成績の両方が優れていなければなりません。もし良い成績を取らなければ、奨学金を手にする道が閉ざされるかもしれません。実際、私の息子がそうでした」

 かの有名な1992年の「ドリームチーム」(7)のメンバーだったアーヴィン・“マジック”・ジョンソンも書いているように、「NBA選手になれるチャンスはごくわずかしかない(8)」。2016年には、約50万人の高校の男子選手の中で約0.01%しかこの名高いリーグに手が届かなかった。「コーチT」はこうしたオレンジ色のボールの幸福な大富豪たちと定期的に交流している。彼の大事な選手たちを参加させているキャンプのおかげだ。「彼ら全員がスラム街出身ではないにしても、何人かはやはりそうです。もっとも、ジャバリ・パーカーやアントワン・ウォーカーのような選手はもうここには戻って来ません。ここに来ると本当に危険なのです。皆、彼らのお金を羨んでいます。彼らもこの地区のために何もしていないことを分かっています(9)」。「コーチT」の考えはこうだ。「NBA選手はまるでマリオネットのようです。彼らが公演に出るとすぐ、その背後でNBA関係者がいつもこう言います。“オーケー、あれとかあのシューズを履いてね”、と。選手はシュートを2、3本、子供たちと一緒に打つよう要求されます。キャンプは選手の名前を掲げているのに、彼らは公演の最後にようやく登場してカッコよくポーズを決めるだけです。彼らはブランドやビジネスを代表しているのです。誰も騙されませんよ」

 1946年にNBAが創られた頃には、黒人選手はプレーすることが禁止されていた。2017年においては黒人選手がNBA選手の74%を占めている。「この世界は2つに分断されています。大学のバスケットは「白人」のバスケットとみなされ、NBAは黒人のものとされます。白人によって考案されたこのスポーツは、一世紀のうちに少数のアフリカ系米国人にとって非常に重要な文化的シンボルとなりました」とフランス人の研究者で« Am I black enough for you ? »(La Sorbonne, 2015)という題の論文を執筆したヤン・デカンが要約する。「逆説的に、このバスケットボールという分野を奪取したことによって、黒人コミュニティーはメディアの言説によって押し付けられた社会的イメージの中に閉じ込められてしまいました。すなわち、“ギャング・ラッパー・バスケットボール選手”です」

 インディアナ州では、先駆者たちのバスケットボールの精神 —— 白人、キリスト教、農村[のスポーツ] —— が息づいている。このスポーツの原型は、マサチューセッツ州スプリングフィールド大学の体育教師によって1891年にキリスト教青年会(YMCA)で考え出された。「ジェームス・ネイスミスはフットボールと野球のシーズンの間、つまり厳しい冬の時期に生徒たちが取り組める運動を探していました。バスケットボールは当初、305cmの高さに吊るされた桃のかごにボールを投げ入れる室内スポーツでした。YMCAの宣教師たちは米国北東部を起点に、このスポーツを世界全体に広めました」。バスケットボールは2013年において4億5,000万人以上の選手登録証保持者を数え、サッカーに次いで2番目に竸技人口の多い集団スポーツとなっている。

 3万人が住む街、マリオン。約100の教会、ひと気のない中心街、10カ所弱のショッピングセンター、そしてゼネラルモーターズの工場がある。電柱やガソリンスタンドの壁、街角、住宅の裏庭など、あちこちにバスケットゴールが設置されている。2つの有名なチームがこの街で成長してきた。高校生チームのジャイアンツは112年前から競技に参加しており(インディアナ州で8度優勝した)、大学生チームのワイルドキャッツは2013年以降、全国大会で2度栄冠に輝いた。8,000席を備えたジャイアンツのスタジアムは米国で最大規模だ。「あそこのゼネラルモーターズの工場にはバスケットボールクラブがあります」と、46年間スポーツジャーナリストとして現地の試合のコメンテーターを務めたジム・ブランナーが言う。

 「ジャイアンツのスタジアムでは、超大富豪の企業トップが時給10ドルの労働者の隣に座っている光景が見られます。社会階級間のあらゆる障壁をバスケットボールは打ち破るのです。私の言いたいことが分かりますか?」。ラジオ放送局の駐車場に置かれた彼の黄緑色のフォード・マスタングには、「米国をもう一度偉大な国に」« Make America Great Again »という言葉で彼の政治色が示されている。ブランナーはトランプ大統領に反対する大多数のNBA選手と態度を異にしている。「フージャーズ」[インディアナ・ペイサーズ]の元コーチで、この共和党候補者の集会に参加していたロバート・ナイト氏と同様、ブランナーはトランプ氏を鼻高々に支持している。トランプ氏はこの地で集会を多く開催し、工業を基盤とするインディアナ州に打撃を与える工場移転を非難することで、人々の心を捉えるために労を惜しまなかった。彼はまた、州知事のマイク・ペンスを副大統領のポストに任命した。「NBAでは選手は民主党支持、指導者やオーナーは共和党支持といった傾向があります。年齢と関係した現象です。若ければ若いほど保守的な傾向が弱まるのは私には当然に思えます」とブランナーが分析する。「ここでは雇用が失われました。1990年代初めにはマリオン高校はインディアナ州で5番目に大きい学校でしたが、今日、生徒数では90番目まで落ちました。3,000人から1,000人以下に減ってしまったのです」

 マリオンでは、インディアナ州ウェズリアン大学(IWU)に所属するワイルドキャッツ —— ブランナーが毎試合解説を行っている —— が、いくつもの点でプロチームのミニチュア版のように見える。このチームは気前の良いスポンサーから資金を獲得し、その中には証券仲介会社チャールズ・シュワブの経営者で億万長者のウォルター・ベッティンガー氏もいるのだ。コート上では裕福な家庭出身の少年、中流階層家庭の息子、工場労働者や牧師、医者の息子が私の目に入った。全員が白人だ。だが、ベンチの両側には二人の黒人選手もいた。一人はスーダン人で、NBAがアフリカに進出するために当てにしている国の一つだ。もう一人はナイジェリア人だった。勝利のための「錬金術」を生み出すため、IWUのコーチたちはオフシーズンごとに新戦力を求めてインディアナ州のリーグを駆け巡る。「私たちはプロチームほど極端に細かい調査はしていません。彼らは選手の真の気質を捉えようと、以前付き合っていた彼女にまで会いに行きます」と副コーチのジェフ・クラークが面白がる。「私たちにとってのバスケットボールは、“私は3番目”のセオリーを子供たちに教えるための手段です。神が1番目、チームが2番目、そして選手は3番目というわけです。私たちは彼らにこう言います。“もし1番になりたければ、まずは3番目でいる手段を見つけなさい”。コート上で自分を優先してプレーする5人の少年たちがいるとすれば、それは他人のためにプレーする5人の少年たちとはまったく異なります」

 インディアナ州の小さな街レンセリアで、私たちはクラーク氏の新戦力獲得ミッションを目の当たりにした。125年の歴史を持つサン=ジョゼフ大学の財政破綻が発表されたばかりの時だった。寄付者たちは多くの借金を抱えてしまったため、これ以上は投資できないと大学に知らせた。2017年2月24日、大学チームのプーマの最終試合がこうした中で行われた。サン=ジョゼフ大学が破綻した後はこのチームは存続することができないだろう。クラーク氏はこのチームで最も背の高い中心選手に目をつけた。「彼の名前はニックで、身長は201cmあります。私たちは背の大きな選手が必要なのです。そうした選手を見つけるのはだんだんと難しくなっています。このチームがなくなると知り、彼がどんな思いでプレーするか、そしてとりわけ、コートの内外で彼がどのように振る舞うかに私は興味があるのです」

 その夜、サン=ジョゼフ大学の女子と男子のチームはどちらも最終試合に勝利し、涙で目が赤くなった青年たちは「forever#PumasForLife」と書かれたマグネットを持ち帰った。数十年間ずっと同じ席に座っていた古くからのファンたちは最後にそこから一斉に立ち上がった。そしてクラーク氏は、背番号42のニックに対して「これからも頑張ってね」と言葉をかけた。「彼は試合中、ひたむきにプレーしていました。ですが、そんな感じではない選手たちに囲まれています。彼が我々のチームの選手たちとどんな風にプレーするか、考えてしまいますね」。もう一つの事実がクラーク氏を悲しませた。「彼は身長が201cmあると言っていましたが、横に立ってみるとそれほど大きくは見えませんでした。きっと身長を偽っていたのでしょう。バスケットボールでは、3、4cmの違いがすべてを変えるのです!」





(ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2017年6月号より)