中国環境保護活動の躍進

環境保護運動を阻む中国の「レッドライン」


ギヨーム・ピトロン(Guillaume Pitron)

ジャーナリスト


訳:生野雄一



 米国がパリ協定を離脱した後、中国が地球温暖化対策の旗手として名乗り出た。地球上で最も汚染されている国の中央政府は、環境保護派の活動を好意的に見てはいるが、飽くまでも政権のありようを問わない限りでのことだ……。[フランス語版編集部]




 中国人の想像力を常に掻き立てる二つの色があるとすれば、それは間違いなく緑と青だ。国中で環境保護を讃える官報が、緑豊かな谷と紺碧の空の間に聳え立つ水晶都市を描いている。習近平国家主席は、「我々の子供たちが快適な環境を享受できるように」、中国で「緑の山々」と「青い空」を毎日見たいものだと語る(1)。だが、ウエイ・ドンイン夫人が中国南東の塢里村(浙江省)で彼女の家の窓の下を流れる銭塘江にカメラを向けると、彼女の眼に入るのは白濁した空の下を流れる黄色い水の反射だけだ。

 彼女の家の食堂のタイル張りの床に散らばっている2003年から撮影してきたおびただしい数の写真のネガが、中国の化学工業グループ瑞彩の染色工場がこの川に大量の染料を流し込む排水管を映し出している。汚染物質と化した銭塘江の水はやがて沿岸住民に深刻な病気をもたらし、村人たちは担当記者さながらに罹患者の人数を数えた。罹患者のうち60数人がすでに肺癌、肝臓癌、胃癌で亡くなっており、「去年はさらに6人増えた」と彼女は説明する。母だけでなく、彼女の話を聞いて頷いていた夫の兄弟(立派な人だったのだが)も亡くなった。

 塢里。2000人が住む迷路のような路地を、私はタクシーの後部座席に身を沈めてその辺をうろついているスパイの目を避けながら縫うように進んでいく。そしてやっとウエイ・ドンイン夫人の住む袋小路に行き着く。そこは、叫び、演説、怒りのうめき声と混じった単調な旋律が聞こえる場所で、この51才の女性は、何年も化学汚染の証拠を集め、カードに書き込み、裁判所に提訴し、当局の不作為を非難してきた。彼女によれば、当局者たちは口を閉ざす見返りに企業経営者たちから札束で膨れた「赤い封筒」を喜んで受け取るのだ。15年間闘ってきたが、「工場は何も変わらず、我々は常に窮地に追い込まれている。私たちの闘いは本当に役に立ったのだろうか」と彼女は嘆く。

 この環境保護派の闘士を見習って、20年このかた、環境保護活動家たちが星雲のごとく出現している。彼らは、30年間の[中国型]資本主義による環境破壊を厳しく批判し、今や、鄧小平以降の中国共産党の正当性の主導原理である経済成長政策が妥当なのか問い直している。

 環境汚染の蔓延に直面して、党は環境NGOに幅広い活動の自由を認めて現実的な対応をしてみせた。だが、彼らの闘争は政権の脅威になるリスクがあるので、常に彼らを取り締まりの対象としてきた。それ以来、環境派の活動家たちは権力からの非難と長期的な環境保護活動の必要性との葛藤に常に苦しみ、不安定な状況に追い込まれていた。

 シェン・チュンイ夫人は数多くの怒れる中国人の一人だ。四川省の陰鬱な首都成都の900万人の住民と同様に、華奢で物憂げなまなざしのこの19才の女子学生は、大気汚染の罠から抜け出せないと感じている。絶え間ない陸上交通と隣の彭州市の石油化学工場のせいだ。「私たちは、秋と冬は空を少しも見ることなく過ごしました。しかも、何日か前やっと陽が差したときには、人々はカメラを手に外に出ました!」と彼女はため息をつく。状況があまりにもひどくなったので、2016年には何百人もの人々がこの巨大都市の中心である天府広場で公害対策用のマスクを被って抗議行動に出た。「デモは追い散らされ、リーダーたちは逮捕され、公営メディアは口を閉ざした」と匿名を条件にある住民が語る。リーダーたちがその後どうなったかはわからない。

中央政府による地方政府の監視

 何カ月か経ち、天府広場にはまだ重苦しい空気が漂い、威厳ある毛沢東の立像がじっと見つめている。暴動対策用の装備を身につけた警察官が広場を勇ましい足取りで巡回している。すこし先には、自動車隊が真っ赤な回転警光灯を灯して、いつでも出動できる態勢だ。突然、2台の自動車が私たちのタクシーをつけてきた。ある公共の場所に来ると、たぶん公安部の人間と思われる男性が私たちを写真に撮った。……成都を立ち去ったほうがいい。

 平和的か暴力的かを問わず、当局の調べでは2013年に環境保護を求める抗議行動は地方で712件起きている(2)。しかし、その数は3万件とも5万件ともいわれている。環境保護のこの新たな意識の芽生えは環境保護組織が生まれ育つ豊かな土壌を培った。その最初の組織である「自然の友」は1993年に北京で誕生した。イーチュン・ウー氏が何十人かのボランティアとともにそこで活動を始めたのは31才のときだった。「当時は誰も環境のことを心配していなかった。私たちの活動は、植樹と鳥類の種類調査だけだった」と彼は回想する。米国の環境保護団体に触発された環境保護派の先駆者たちが結集してNGOを結成するまでは、当局にとってさしさわりのない活動にすぎなかった。このNGOという略号は体制の持つ権力的性質と相矛盾している。青年連盟、専門家協会、組合といった認可支援組織は常に体制の権威に依存しているからだ。

 とはいえ、中国の経済開発が進むに従い環境NGOに対して海外から大量の援助が入ってきた。1998年に多くの死者を出した河川氾濫のように、いつくかの惨事は森林伐採や揚子江の土壌侵食によって一層深刻化したが、沿岸住民に救いの手を差しのべる新たな社会的担い手の出現をもたらした。2004年に中国南部雲南省の怒江ダム建設を阻止した象徴的な出来事はその例だ。阻止していなければ、ユネスコに登録された自然遺産が埋没してしまっていただろう。全てが「上から」指令が下される体制にあって、環境NGOはこれとは逆に「下から」さらには「海外から」姿を現した。中国のフランス大使館によれば、環境NGOは1994年には9つだったが、今や、公表された50万のうち公式なものだけでも8000近くを数えるという(3)。2008年から2013年にかけてその数は倍増し、「全ての結社活動のうち、近年では環境関係の組織が最も伸びている」とイーチュン・ウー氏が述べるほどである。彼自身、2012年にNGO「永遠の緑」を設立した。

 中国政府は、これらの組織に独特の活動の自由を与えた。「NGOは、地方ではいくらでも活動し政府を批判してもよい。この点、当局の寛容さは驚くほどだ」とウォール・ストリート・ジャーナル北京特派員の李肇華は語る。個人資金の10万元(1万3000ユーロ)で「永遠の緑」を立ち上げたイーチュン・ウー氏はこれに同意する。かつては疑い深かった北京当局も、今や清掃キャンペーンを推進するのにNGOの協力を求め、資金提供することすら躊躇しない。NGOは高速道路や工場建設計画の環境への影響を評価するよう国から依頼を受けさえする。確かに、有名な活動家の馬軍氏率いる「公衆環境研究センター(IPE)」は、強力な国有企業も例外とせず環境保護規制を遵守していない企業のブラックリストを作成している。

 2015年からは、環境NGOだけが環境悪化に対して法廷で損賠賠償を要求することができるようになった。「ますます厳しくなる環境保護規制」に背中を押されているからだと環境問題専門弁護士の王燦發が嬉しげに語る。2015年には、「自然の友」による米国石油企業コノコフィリップスに対する提訴を受理するとの裁判所判断が出た。北京東部の渤海湾で2011年に起きた海洋汚染はコノコに責任があるという訴えだ。王燦發は、彼が設立したNGO「公害被害者法律援助センター (CLAPV)」のために1998年以来いくつかの訴訟を起こしているが、この新しい法的枠組みによってそれらが再開されることを期待している。中国流の裁判上のかけ引きで二進も三進もいかなくなっているのだ。そのなかの一つに、中国北部の黒竜江省の村である楡樹屯の住民が国有企業の斉化集団に対して損害賠償を求めている事件がある。アルカリ金属や塩酸の残留物を化学工場の周りに廃棄したというのが訴えの理由だ(4)

 地方分権の傾向が強まっている中国はある問題で悪戦苦闘している。環境保護の喫緊性のコンセンサスは中央政府では支配的だが、地方政府ではほとんど共有されていないのだ。腐敗も手伝って、地方の共産党執行部の利害がしばしば企業経営者の利害と絡んでいる。北京当局の指令が地方政府で死文化しているとすると、どうやって環境保護政策が可能なのだろうか。だが、地方政府執行部の活動を監視することで環境NGOが中央政府の決定が実行されるよう保証する役割を果たしている。「環境保護組織と中央政府の間には地方政府を挟み撃ちにするための暗黙の協力関係がある」と北京の精華大学の中仏センター部長のクロエ・フルワサールは分析する。「こうして、NGOは社会構造のなかで[地方政府に対する]対抗勢力として機能している」

 ときには、党の上級幹部からNGOに対して疑惑のあるプロジェクトを頓挫させるために情報が流されてくることもある。例えば、モウ・グゥアンファン氏がやったことはその例だ。2003年の怒江ダム建設プロジェクトの評価を巡って不透明な点があるという通報を受けて、国家環境保護総局(SEPA)のこの副局長は、環境NGO「緑の地球のボランティア」の創設者である汪永晨女史に再調査を求めた。これを知った反対勢力は、当時の温家宝首相を動かして翌年ダム建設中止命令を出させた(5)

善意に満ちた音楽と挨拶

 政府は中流階級が国の近代化を望んでいることを知っている。彼らの公害への反感、腐敗への反感、食品偽装さらには貧富の格差に対する反感は、今や経済成長の欲求に加えてさらなる社会正義への熱望が高まっていることを示している。これに一党独裁国家がどこまで応えることができるのかが、国民の支持と政権内部の権力抗争を左右し、来る10月の中国共産党第19回党大会での習金平氏のまず間違いのない国家主席続投を左右する。公民権がない代わりとして、人民との新たな了解事項は環境NGOの活動を通じて決められている。環境保護の手助けをする役割を引き受けながら、NGOは逆に党の機能改善にも関わっている。が、中国政府は[山火事を弱める]向かい火の役割を果たしているNGOとの良好な関係を確立しながらも、その勢いが強くならないようにしている。海沿いの浙江省の杭州市でこれがはっきりした。反りあがって先端がとがった屋根の寺や古めかしい六和塔がある「東洋のベニス」は悠々と西湖の土手道の傍に佇んでいる。何鏈[距離の単位、約200m]か先にある集会に恰好な劇場、シュエジュン小学校のホールには制服姿の何百人かの生徒たち、メロドラマの音楽と善意に満ちた挨拶。この土曜日、環境NGO「緑の浙江省」が午前中の授業を共催して、寛容、自己超越、隣人愛などの重要性を教えている。一つ一つの教えは虹色の「夢」に対応しており、そのなかに「緑豊かな山々と青い河」に恵まれた中国という「緑の夢」がある。

 36才のハオ・シン氏は彼が2000年に設立した「緑の浙江省」の副理事長だ。彼の自慢は、17人のフルタイム職員と学生たちから募集した300人のボランティア、エココミュニティーのプロジェクトと「近年実施した何百もの活動」だ。陽気なこの男は言う。「最初は当局の支持を得るのに苦労した、私たちのNGOを正式に認可してもらうまでに13年かかった」と。1999年に共産党員になったハオ・シン氏がこのNGOに党の細胞組織を設けた2012年から物事はうんとスムースになった。「党は、新しく組織ができると党の細胞を作るよう奨励している。私たちのNGOは浙江省で最初に自前の細胞を立ち上げた」と彼は断言する。見返りに、党の地方組織は「緑の浙江省」の職員用にアパートを二つ無料で提供してくれた。こうした現物支給に加えて、オンライン通販サイト・アリババの財団のような中国民間機関や当局及び個人の献金から均等に資金提供があった。そして、党は最も熱心なメンバーの栄誉を讃える。「私たちの組織は活動の褒賞として何回も受賞した」とハオ・シン氏は胸を張った。

 国の事業を使って利益誘導政策を展開しつつ、党はハオ・シン氏の手足を縛った。彼が超えてはいけない一線はどこなのか? この問いに、彼は表情を引きつらせ、口ごもりながら、こうかわした。「それを言い表すのはとても難しい。その質問に答え得る立場にありません」。実際には、ハオ・シン氏の組織はポリエステルの製造原料となる炭化水素の有害物質パラキシレンの生産工場建設に反対するデモには加わらなかった。これらの工場はこの地方でこの数年間、爆発事故を起こしている。さらに彼は、杭州市の近郊にあるにもかかわらず、銭塘江の汚染と闘っている塢里村の住民を擁護しなかった。彼は、政府への忠誠義務を厳格に守った。政府は彼に政府の正当性を疑うなと命じているのだ。

 中国政府はさらに自前の政府寄りの組織を立ち上げた。こうして、中国環境投資連盟 (ACEF) は、河川の生物多様性の危機リストを公表し(6)、北京在住者に電力消費削減を促すキャンペーンを実施し(7)、裁判所への提訴も行う。しかし、この組織の政府との近さは自己検閲に繋がる。国有企業は非難されないし「癌の罹患率が全国平均をかなり上回る何百もの“癌の村”に踏み込むことはしない」と匿名希望のACEFの職員は嘆く。彼によると、この組織は四川省の什邡市で働くことはできない。そこは、2012年に、四川宏達集団の冶金工場の建設に反対する大がかりなデモが何度も行われたところだ。「私たちが近寄ることができない隔離ゾーンの一つだ」とその職員は付け加えた。

 独立系のNGOの立場がいかに微妙かということだ。1996年に人気活動家の廖曉義女史が立ち上げた「北京の世界村」がその好例だ。彼女は、海岸に面した山東省の曲阜市の周辺地域で活発に活動していた。その組織の職員はそこに有機廃棄物のリサイクルとインゲン豆の有機栽培の計画を持ち込んだ。さて、私たちがそこを訪れようとしたタイミングが曲阜に党の有力幹部が公式訪問するのと重なりそうだった。海外の報道機関と一緒のところを見られるなんてとんでもない。第19回党大会が近付いており政府は締め付け強化の時期に入り、廖曉義女史のように政府から好意的にみられている人物を含めて環境保護活動家にとってはひどく不安定な時期なのだ。「誰も皆極端に慎重になっています。でも、私たちがこうして出会って知り合いになったのはとてもいいことです。また、来年来て下さい!」と彼女は詫びた。

反公害企業サイバーキャンペーン

 NGOが政府に従属する構造が強まっている。当局の認可を得るためにはNGOは何らかの公的機関の後ろ盾が必要だ。そして「毎年の行政検査のときに資金調達手段について監査を受けます」とイーチュン・ウー氏は語る。官僚組織とは常にコンタクトを保っておかねばならず、ときには、(前任者らが実証しているように)「お茶への誘い」に応じなければならない。政府も同様に海外からの資金調達にタガをはめようとする。2017年1月から、7000の非中国系NGOは公安部の認可を得なければならなくなった。こうした役所仕事の面倒に加えて、チベットや新疆ウイグル自治区といった問題を抱えた地域は常に避けなければいけない。とりわけ、地方当局だけに的をしぼり中央政府にタッチしてはいけない。だが、研究者で論説記者のウー・チアンは中国政府はこの目的を達成していないとみている。「市民社会は、現にインターネットを使った新手法を編み出しているように、常に新しい方法を考えだすだろう」と彼は予測する。実際、ソーシャルネットワークは 中国の7億3100万人のインターネット利用者にとってより率直な表現の場になっている(8)。「中国では、70~80億の微博(Weibo)のアカウントがある。当局がこの全てを管理できると思いますか?」と鄧飛は問う。この39才の環境派サイバーアクティビストは2011年から、中国最大のSNSである微博と微信(WeChat)を通じて汚染企業の経営者たちに対する反対キャンペーンを行っている。彼は、600万人のフォロワーたちに環境被害の映像を公開することで政府に圧力をかけるよう指示した。「微博は、若い人たちに呼びかけ行動を起こさせるには最適の手段だ」と彼はいう。そこでは、公営メディアでは検閲を受けてしまっている、最近の地方でのデモに関する情報を得ることができるし、クラウドファンディングの仕組みを利用して渡り鳥保護やゴビ砂漠での再植林のために寄付をすることもできるし、ユーモアと嘲笑を交えて当局を批判することもできる……。 そんな風に、ソーシャルネットワークはたえず移動する検閲の境界線と闘う恰好の場となり、「超えてはいけないレッドラインはしばしば漠としているので試してみることが大事。表現の自由を刺激することがまさに新しいメディアの関心事なのです」とグリーンピースの リン・リー夫人は分析する。

難しい立場の弁護士たち

 だが、あらゆる表現の自由の進歩が不安定ななかで、しばしば重い制裁が待ち受けている。2007年に、活動家の呉立紅は浙江省の太湖の汚染をあまりに激しく告発したとして4年の禁固刑を科された。 2016年には、環境保護活動家の劉姝が南部湖南省で国家機密とされる環境関係データを漏えいしたとして逮捕された(9)。「過去20年間に投獄された環境保護活動家を挙げれば長いリストになる」とウー・チアンは嘆く。

 同様に、柴静女史との再会もかなわない。彼女は、大気汚染を扱う『ドームの下で』というドキュメンタリーの監督で2015年にネットにアップされたその日一日で1億5500万のアクセスがあり、当局に監視され、面会を一切断った。弁護士にとって、状況はなおさら複雑だ。「国家権力転覆」の罪に問われて、 2015年以来、何百人もの弁護士たちが抑圧的な政策の的にされてきた。訴訟関係者にとって国との係争に関与することは、国に敵対しなくても軽業師にも似た困難な所作だ……。「私たちが目指すのは、問題の解決であり、公害の被害者たちを国益に逆らうようそそのかすことではない」とワン・カンファ夫人の発言は用心深い。

 活動家の大多数は、抑圧の緩和と強化の狭間に揺られて、毎日を不安のうちに過ごしている。「ある闘争が環境問題を目的にし、個々の活動であるならば問題はないが、 組織された政治行動となると危険だ」と北京大学の社会学教授のチャン・ヤンロンは分析する。活動家は、緑と青の夢を見続けることはできる。だが、中国が赤(共産党政権)であり続けることが条件なのだ。


(ル・モンド・ディプロマティーク2017年7月号)