メキシコという依存経済


ジェイムズ・M・サイファー(James M Cypher)

メキシコのサカテカス自治大学経済学教授。
ラウル・デルガド・ワイズとの共著に
Mexico’s Economic Dilemma: the Developmental Failure of Neoliberalism
(Lanham, Maryland: Rowman & Littlefield, 2010) がある。


訳:大竹秀子


 メキシコがアメリカに対して暴挙をふるい、移民を送り出しつつアメリカの職を奪っている——トランプはそんな態度をとっている。だが、メキシコを貧窮化させてきたのは、アメリカなのだ。その結果、今や製造業賃金は中国を下回っている。[英語版編集部]



 トランプ政権の商務長官ウィルバー・ロスは、3月9日、「米国はここ数十年間、貿易戦争の渦中にある——これが、我が国の貿易赤字の要因だ 」と述べた(1)。(過酷な企業リストラで名高い)この億万長者の銀行家は、自身の指名承認公聴会で、自分にとっての最優先事項は、この状況に終止符を打ち、1992年12月にメキシコとカナダ両国と締結した北米自由貿易協定(NAFTA)を再交渉することだと述べた。トランプ政権は、5000億ドルにのぼった2016年のアメリカの貿易赤字の責任はNAFTAにあるとみているが、対メキシコは赤字総額の12%だ。

 ロスや国家通商会議委員長のピーター・ナヴァロ、通商代表部代表のロバート・ライトハイザーの手に、アメリカの通商政策の180度の転換を委ねることになる承認プロセスが予想外に遅れていることもあり、再交渉の諸条件は、あいまいなままだ。トランプは、「生産立地の移転」(2)の開始——すなわち、工場や設備をアメリカへ回帰させることで米経済の再産業化[製造業再強化]を示したい、と意欲満々で、再交渉プロセスの開始告示は「もうすぐだ」と語っている。

 3月3日、トランプ政権は、ロスを介し、賃金の低迷がメキシコの輸出促進の主要メカニズムとなっていると、はじめて批判した。アメリカ国内では最低賃金の引き上げに常に敵対的だったロスなのだが、メキシコには賃上げを求め、「NAFTAの論理では、メキシコとアメリカとの間で生活水準の差が次第に縮まっていくはずだ。実際には、メキシコ側は、そうなっていない。最低賃金が、ほとんどあがっていない(調査によると、自動車産業では、労働生産性の差異を加味して計算すると、メキシコの賃金はアメリカの賃金の10%とされる)。つまり、雇用者はいまもメキシコで著しく安価な労働力を見つけられるということだ。また、メキシコの労働者には高価なアメリカ製品を買う金が無いということでもある」と語った (3)。 メキシコの労働者の賃金があがれば、アメリカの貿易赤字は縮小する、というわけだ。

 メキシコのオリガルキア[寡頭的経済社会の支配者][訳注1]と政治エリートたちは、自らが国民に強いてきた依存経済のツケがわが身にふりかかるはめになるやも知れぬと気づいて、衝撃を受けた。NAFTA調印と1993年の海外投資法の施行以降、石油を除くほとんどすべての部門は北米からの無条件な投資に向けて開放され、アメリカの多国籍企業があっという間にメキシコを席捲し、政治エリートたちを喜ばせた。メキシコの生産インフラがアメリカのニーズに制覇されるのを目にしながら、エルネスト・セディージョ大統領(1994-2000)は、「グローバル化恐怖症」という新語を作り、自由貿易がメキシコの繁栄を保証し、経済成長を促進するとする考えに疑問を呈する人たちを嘲笑した。同僚や友人の多くと同じくゼディージョもネオシエンティフィスコ(新科学主義派)の一人で、アメリカの大学で経済学の博士号を取得している。

輸出が最優先

 単一の最優先事項である輸出を軸にメキシコ経済の再編をはかった主要人物は、サリナス・デ・ゴルタリ(1988-94)とセディージョの両大統領だ。こうした再編は、かつてポルフィリオ・ディアス大統領政権下(1876-80 および 1884-1911)でも起き、当時は鉱業と農業を輸出の基盤にしていた。が、今回は、メキシコを工業製品輸出国へと転じさせた。世界銀行、国際通貨基金、米州開発銀行、および企業組織とメキシコのオリガルキアの無条件の支援をうけ、サリナス・デ・ゴルタリとその追随者たちはこの国を再設計したのだ。

 マキラドーラ——アメリカとメキシコとの国境近くに設置された、未熟練労働者に特化したほとんどが関税免除の工場――の創設は、1960年代にさかのぼるが、サリナスの大統領就任までは、ごく少数にとどまっていた。1981年から2000年までに、マキラドーラの輸出は年に16% 増加したが、非マキラドーラ工業製品の輸出は年に13% の増加だった。2004年までには、全輸出品の80% は工業製品で、全輸出(石油と観光事業を含む)の90%の相手国は、アメリカだった。

 しかし、こうした統計には裏がある。メキシコの産業に成長はあっても、国をほとんど豊かにしていない。工業製品輸出総額の42%を、メキシコに輸入されたアメリカ産のパーツや部品が占める。アメリカの投資家たちがあふれる中、メキシコは受け身のままだ。すなわち、テクノロジーは未開発で、工場や設備、さらに現地供給業者として価値連鎖に参加できるよう経営幹部の訓練にすすんで投資しようという企業家やオリガルキアはほとんどいない。政治エリートたちは、メキシコの役割とは、低賃金維持、(緩い)環境基準、(免税特権などの)財政支援によるダンピングだと決めつけてきた。

 はっきりと異なる、二つのつながりのない経済が出現した。安価な輸出品を主導とするダイナミックな経済と国内市場を目当てとする不効率な経済という二つである。NAFTAの許容のもと、アメリカ政府の大幅な政府補助金の入ったアグリビジネスのコングロマリットが供給する豆、米、トウモロコシ、その他の主食類が、メキシコ市場に氾濫した。そして、1930年代の工業化政策の下で成長した中小企業は、融資へのアクセスを失い、メキシコが1986年に関税及び貿易に関する一般協定(GATT)、次いでNAFTA、そしてついには1995年にGATTの後を継いで成立した世界貿易機関(WTO)に加盟すると、外国との競争に耐えきれなかった。国内産業は崩壊したのである。

 予測されたことだが、この結果、メキシコの農村の貧困者たちは移住を余儀なくされた。2000年から2005年の間に、年間40万人以上がアメリカに移住し、2009年までには、その数は1200万人を超えた。工業製品輸出で増加した雇用は、工業、農業および量販小売における減少で相殺された。ほんの2~3年のうちに、アメリカのスーパーマーケット・チェーンのウォルマートが、メキシコの民間企業で最大の雇用主になった。こうした二重経済を背景に、1988年から2005年まで、平均賃金は1981年レベルの60~70% にとどまった。

「メキシコの時」

 2001年に中国がWTO加盟を発表しアメリカの消費市場への自由なアクセスを得ると、メキシコの輸出主導モデルはゆらぎ始めた。製品・サービスの輸出は、2000年から2016年には年平均わずか4.1%の増加にとどまり、GDPの伸びは平均2.0%へと鈍化した。平均年間人口成長は、1.4%だった。こうした条件下では、たとえ、追加された富が平等に配分されたとしても、生活水準の改善には限りがあっただろう。だが、富は平等に配分されなかったのだ。

 2012年に制度的革命党(PRI)が12年ぶりに与党に返り咲いた。メディアは、これを大いに称賛し、オリガルキアは「メキシコの時」が到来したと浮かれ騒いだ。だが、PRIがもたらした主要な変化は、労働市場の規制緩和とメキシコ石油公社(ペメックス)の民営化だった。当初は、少々、成長が活発化したものの、まもなく汚職と不手際な政策決定が経済を逼塞させた。石油備蓄売却の試みは世界的な生産過剰により足下をすくわれた。民衆にとって事態が悪化するとオリガルキアは口を閉ざした。だが、2016年までにはそんな彼らももはやエンリケ・ペーニャ・ニエト政権の失政を見逃すわけにはいかなくなり、政権支持率は記録されている限り、最低と化した。

 メキシコのエリートたちは知的対応が取れない状態に陥っており、ほんの些細な政治的さざ波にも脆弱だ。ドナルド・トランプの米大統領当選が引き起こしたのは、津波だった。彼らに快適な暮らしを保証していたNAFTAを、トランプは「(米国)史上最悪の通商交渉」と呼んでいた。恐怖にとらわれたメキシコ政府はダンピング政策の強化を試みた。中心人物のひとりだった有力なルイス・ビデガライ通商相は、サリナス・デ・ゴルタリ政権の財務相ペドロ・アスペの友人であり、現政権へのサリナス・デ・ゴルタリの影響力の証となった。

 すでに不況の気配が立ち現れていることもあり、NAFTA再交渉はメキシコ経済をさらに弱体化させるだろう。トランプ政権は、自動車部門の対アメリカ輸出に35%の関税を課す可能性をくりかえしほのめかしてきたし、全輸入品に20%の関税を課すという論議も出ている。これは、アメリカへの輸出がGDPの28%を占めるメキシコにとって、壊滅的な打撃を意味する。

 メキシコの製造業者たちが、いかにしてこうした措置に対抗しうるコスト削減を実現できるのかは、予測困難だ。スペイン語日刊紙エル・パイス(El País)の報道は、メキシコ北部で支払われている賃金はすでに「中国より5から7%低い」という知られざる事実を明るみに出した(4)。メキシコはこの状況を有利に使って依存経済を脱することもできるだろう。だが、ペーニャ・ニエト大統領が「メイド・イン・メキシコ」ブランドの開発を公約したとはいえ、一筋縄ではいかないだろう。貧困の蔓延、大規模な非公式経済、低賃金、そして需要の刺激を阻む狭小な国内信用システムは、やる気のある政治家にとってさえ、複雑でやっかいな任務だ。しかも、やる気のある政治家など、ほとんどいない。アメリカ国家機構内の体制批判派がトランプに自らの通商政策案の見直しを強いることがない限り、メキシコのエリートたちはまたしても依存の罠にはまるだろう。




[訳註1] メキシコでのオリガルキアの典型的事例として、カルロス・スリムがあげられる。スリムは政治的コネと賄賂を利用して独占的な利益を生むビジネス・チャンスを手中に入れ、メディア、エネルギー、運輸、製造、不動産、エンタテイメント、ハイテク、教育、ヘルスケア、小売りなど多岐にわたるコングロマリットを展開。ビル・ゲイツと一、二を競う世界有数の大富豪に上り詰めた。


(ル・モンド・ディプロマティーク2017年4月号)