“やむなく”起業家をめざす郊外の若者たち


アセーヌ・ベルムス(Hacène Belmessous)

研究者、ジャーナリスト


訳:川端聡子


 多くの低所得者が暮らすフランスのバンリュー(郊外)では、希望が幻滅へと転じている。警察との関係は険悪で、教育の不平等が根強く残ったままで失業率は過去最高となっている。労働市場から締め出された移民出身の若者たちの多くは「自分の会社を作りたい」と願っている。「差別」が彼らを起業志向へと向かわせている。筆者がリヨン東部の典型的な郊外都市で、地元の高校生や若い“起業家”たちに話を聞いた。[日本語版編集部]



 「平等なんて言葉は聞き飽きた。作り話さ!」リヨン郊外の町、ヴォー=アン=ヴランの若き起業家、ソフィアン(1)は吐き捨てるように言う。「自分の文化やルーツをきれいさっぱり消し去ることなんてできない。たとえ私がフランス社会に溶け込んだつもりでも、“お前はよそ者だ”という他人の視線を感じるんだ」と毒づく。30歳のソフィアンは市場コンサルタント会社を経営しているが、日々不平等を体験している。ローヌ川と環状道路、高速道路に囲まれたヴォー=アン=ヴランは交通の便が悪い。そして、脱工業化の大きな打撃を受けたこの町はリヨン都市圏のなかでもっとも貧しく、問題が山積している。失業率は22パーセントに迫り、マ・デュ・トローなどいくつかの地区では若者の失業率が40パーセントに達する。この町ではほとんど(世帯の60パーセント)が公営集合住宅で、住民はとても若く(人口約4万4000人の46パーセントが30歳以下)、外国人の割合は全国平均の3倍に上る。

 ヴォー=アン=ヴランとこの町の集合団地の評判は悪い。1990年10月、バイクの若者がパトカーに道を遮られ命を落としたことから[バンリューで]初めての大規模な社会暴動が起きたのも、1995年に起きたテロ事件の首謀者の一人、ハレド・ケルカルが育ったのもこの町である。メディアはケルカルがこの町の出身であることや、「シテ(団地)の若者」のお決まりの人生に焦点を当て続けた。暴動が繰り返されるなか、1970年代後半以降、ヴォー=アン=ヴランでは「住居と社会生活」プログラム(HVS)、地域社会発展協定(DSQ)、都市計画を実現するための「都市協定(le contrat de ville)」、治安重点市街区域(ZUS)、都市免税区域(ZFU)などのあらゆる都市政策が試みられてきた(2)。この町は「郊外危機」の縮図なのだ。

 特に黒人やアラブ系の若者は「よからぬ住所」と絶えず結びつけられる。そうした先入観がもととなり、彼らは労働市場から排除され、住宅を取得できない。

 こうした環境からどうすれば抜け出せるのか。自分に向けられた理不尽な偏見と縁を切りたいと望む彼らは、「社会的不平等を乗り越える」プロセスをどのように思い描いているのだろうか。

 地元の高校生や若い起業家たちに話を聞くと、名門校で学ぶ、政治に参加する、会社を興す、国外へ出るなど、さまざまな戦略を挙げてくれた。

 730名の生徒が学ぶロベール・ドアノー高等学校では、パリ政治学院への進学のチャンスが優秀な生徒の心を惹きつけている。あの名門校[パリ政治学院]が、超難関である入試免除での入学を許可する協定を通して、恵まれない地区の高校生に特別入学措置を提案しているのだ。「パリ政治学院は一つのチャンスだと思う。僕には扉が開かれている。パリ政治学院は僕の人生の未来を開く扉なんだ」。社会経済科最終学年のモハメドはこう心中を語る。団地育ちのモハメドは、パリ政治学院には「エリートの定義を変える」方法があると考えている。「将来、僕が起業家か社長になれない理由があるかい?」とモハメドが問いかける。すると、[そんなことはない、と]クラスメイトのラシッドが同意する。彼もまた「たくさんの可能性の扉が開けるパリ政治学院への進学に挑戦し、国際的な仕事のキャリアを積む」ことを望んでいるのだ。

出自と住所が就職の壁に

 地域指定の「差別是正優遇措置」の原則のもと2001年に作られた優先教育協定は、裕福な家庭の生徒たちが多く通うパリ政治学院において「社会的多様性」や「多様性を通した優秀な人材の育成」を促進すると期待された。

 確かに、この15年間で1600名を超える生徒がこの措置の恩恵を受けたが、常に期待に応える成果を出せたわけではない。2016年にこの措置によりパリ政治学院への入学を許されたのは163名だが、そのうち40パーセントの両親は(2001年は20パーセント、2010年は36パーセント)、特権的な職業カテゴリーに属している(3)。ロベール・ドアノー高校の生徒たちにとってパリ政治学院への進学は、やはり大きな憧れなのだ。ラシッドは語る。「僕の両親はほとんどフランス語が話せません。僕は中学校から学校に通い、なんとか一人で勉強しました。すべて独学で、インターネットで回答を調べたり他校の学生に尋ねることもあった。だから誇らしいんです。僕がパリ政治学院に合格したら家族みんながどんなに喜ぶかわかりますか?」

 学校が社会に出るための手助けになるとは感じられずに学校を放棄する生徒もいる。そうした「中退者」たちとは反対に、「良い生徒」たちは学校が平等なチャンスを与えてくれると信じている。だが、そのチャンスを掴むことができるのはもっとも優秀な生徒だけだ。彼らいわく、必死に勉強し、どんな犠牲も厭わぬ気概さえあれば、不公平をただし差別を乗り越えることができる。ビジネス界で流行の言説、「個人のやる気」論(「やればできる」「努力さえ惜しまなければ誰にもチャンスはある」)が彼らにも大きな影響を与えているのだ。したがって、彼らがパリ政治学院を「文化資本」の獲得のため、あるいは高級官僚になるための手段ではなく、ビジネス界でのキャリアの踏み台としてとらえているのは驚くことではない。モハンドは言う。「経済・経営学の修士号を取るつもりです。以前からビジネス界に興味がありましたから」。彼の夢は「貿易に関わる仕事で国際的に働く」ことだ。ラシッドは、読み書きができなかったため、小学校の初級クラスを留年したと話してくれた。彼はここまでくるのに「猛勉強」したと強調し、将来コンサルタント事務所で働く自分の姿を思い浮かべる。サイードは、金融取引業の仕事を夢見ている。モハメドは「繊維会社を立ち上げる」計画だ。

 「自分の会社を作る」、独立事業者になる、あるいは起業する。ヴォー=アン=ヴランの若者がよく口にする希望だ。それが理想の仕事だからではない。他に選択肢がないのだ。肌の色や住む地域が大きな障害となり、会社面接に合格できないことを彼ら自身がよくわかっている。今では不動産業を営むファリードは、「企業内の多様性」という言葉をもはや信じない。「バカロレアを取得した後、BTS(上級技術者免状)を取ろうとしたけれど、研修の受け入れ企業が見つかりませんでした。私がヴォー=アン=ヴランに住んでいて移民の出だからです。数年間、営業マンをしましたが、とてもおかしなことに、そこで別なかたちの差別を発見したんです。売り上げによる差別です。それは私にとって好都合でした。給料の一部は自分の売上金の歩合制です。資本主義に正義の面があると知りました。説明するのは難しいけれど、少なくともどこの出身かで決めつけられることはありません」というのがファリードの見解だ。

ベドウィン族出身の移民が億万長者に

 ヴォー=アン=ヴランの住民ではないが、キャリア・アップを考えて[職場として]この町を選んだミルーも似たような経験を味わっている。「ポー[フランス南西部の町]からリヨンに出て来るときにAPEC(4)で能力評価を受け、仕事の仲介を申し込みました。フランチャイズ1店舗と世界展開をしているホテル・グループの3施設のマネージメントの経験があることを伝えました。つまり、私には運営についての知識があったということです。なのに私だけが、履歴書を送ったすべての会社から何の返答も得られませんでした。多種多様な経歴をもつ20人ほどの[仕事を求めていた]グループのなかでアラブ風の響きをもつ名前は私だけでした」。就職活動の際に受けるこうした差別がたびたび雇用の道を閉ざしてしまうことを背景に、あたかも「起業家精神」が[差別を受ける]社会階層から抜け出す手段であり、救済の道であるかのように見られている。それは、不平等主義ではあっても、政府が奨励する偽善的な「雇用機会均等性」などよりは公平なのだ。

 とはいえ、資金もコネもなしに会社を興すのはそう容易ではない。そして多くの者は「ウーバー社のために働く自営業者」の立場に満足せざるをえない。運転手付き配車サービス(VTC)を提供する米国企業ウーバー社は、低所得層や移民の暮らす地区で着実に利益を上げている。2015年1月から2016年3月に設立された「タクシー・VTC」部門の会社は、その22.5パーセントがセーヌ=サン=ドニ県で開業されている。そして同県で設立された会社の8社に1社は、最低賃金をどうにか上回る程度の報酬しかない同部門の業種なのだ(5)。エマニュエル・マクロン次期大統領候補は、自身が思い描く一つのモデルについて以下のようにインタヴューで語っている。「ウーバー社のパリ地域圏での例を見てみましょう。繰り返し排外主義の犠牲になっている人々が自営業を選択しています。今日の若者にとって雇用主を見つけるよりも顧客を見つけるほうが簡単だからです。彼らは思い切って事業を始め、[以前より]もっと働いています。必ずしも報酬が増えるとは限りませんが、経済活動ができて経済的な見通しも立ったのです」(2016年1月1日付ル・モンド紙)。

 この15年来、ヴォー=アン=ヴランの町議会(長く共産党主導だったが、2014年に社会党員にとって代わられた)は「進取の気風が開花する町」としてアピールしようとしている。2500の地元企業を誇る町行政は、中流世帯の誘致に興味を示している。“本当の中心街”――旧市街はそうではなかった――の整備と、町の南部にある繊維工場跡地に大型商業施設「カレ・ド・シルク」(シルク・スクエア)を整備するための大規模な工事に着手した。さらには町域の3分の1を都市免税区域(ZFU)に指定した。ZFU区域では、企業は社会保障分担金を免除される代わりに一定の割合で地元民を雇用する。市議たちは、この新しい大型商業施設とZFUにより、ヴォー=アン=ヴランが将来ダイナミックで近代的な町となるに違いないと胸を張る。そこではあらゆる社会的階層の人々が出会い、交流する。だが、それは理想化されたイメージにすぎない。なぜなら、同じ町の中にあっても低所得者の居住区とビジネス区には接点がないからだ。そのうえ、カレ・ド・シルクの広報キャンペーンでは、この施設の所在地がヴォー=アン=ヴランであることは顧客にはっきり伝えられていない……。

 低所得層の地区で開業した若いクリエイターや起業家たちの努力に報いようと2002年に考え出された「シテの才能」コンクールという国の政策プログラムがあるが、政府は有名人となった移民や「困難な状況を切り抜けたシテの若者」をこうした政策プログラムを通して評価した。メディアもそうした人物を盛んに取り上げた。たとえば2015年3月、モヒド・アルトラッド氏の経歴にすっかり入れ込んだ『キャピタル』誌は、「億万長者になったベドウィンの息子」、「働き者で意志が強い」と建設業の世界的トップ企業であるアルトラッド・グループの創始者でリーダーの同氏を褒めそやした。同誌は、「会社社長になった元ピザ配達員」エリティエ・ルワワ・ンジンガ氏の経歴も賞賛する。さらには、モンフェルメイユ出身で、アルカテル=ルーセント社の副社長を経てアステリア社の役員となったアブドゥルクリム・ベナマール氏についてもだ。ベナマール氏は、自身が「差別の対象になったことは一度としてない」し、常に「[20点中]平均19点」だった、と主張する。

 ヴォー=アン=ヴランで出会った若者たちは、こうしたガス抜き的な話に対し露ほども共感しない。いくら彼らが将来を切り開こうとしても常に出自に妨げられる。彼らはアングロ・サクソンの国か湾岸諸国へ移住するか、少なくとも「国際的に働く」ことを検討している。そこでは差別がより少ないからだ。外国企業向けのコンサルタント業を営むビラルは、「国際的に働く」ことで[自身が]救われたと語る。「オープン・マインドなムードが行き渡っているよ。そこは本当の人種のるつぼだ。カフェでアジア人とお茶を飲んだり、マダガスカル人と会議したり、アメリカ人と電話で協議したり……。アングロ・サクソン人は出自を尋ねたりしない。でもフランスではまず最初に聞かれる」。とはいえ、こうしたアングロ・サクソンの国々の仕事環境に対する夢ははなはだしく美化されている。一部の業種では確かに多文化天国のように思われているが、マグレブ系移民の統合は米国やイギリス、そしてカナダでも、そう簡単なことではない。それでもやはりヴォー=アン=ヴランの若者は「フランス・モデル」と[出自や住所による]レッテル貼りに対し、延々と続く苦しみを訴えている。その結果、彼らは起業家精神や能力主義に強く賛同せざるを得ないのだ。




  • (1) このインタヴューは匿名を条件に、都市社会開発のための人材交流センター(リヨン)の研究活動の枠組みで行われた。これをもとにレポート« Résilience sociale et affirmation de soi à Vaulx-en-Velin. De l’impasse sociale à une trajectoire ascendante », 2016.が発表された。
  • (2) フランスの都市政策は1970年代末に始まり、80年代に制度化された。地域指定の差別是正優遇措置を原則とし、問題が山積となっている地域へのよりいっそうの財政支援を目的としている。
  • (3) Philippe Douroux et Maryam El Hamouchi, « Sciences Po : une diversité trop homogène », Libération, Paris, 2017年1月23日。
  • (4) APECは管理職の職業紹介所。
  • (5) Jean-Laurent Cassely, « Comment la banlieue parisienne s’est ubérisée », Slate.fr, (2016年5月13日)で引用されている商事裁判所の統計によった。


(ル・モンド・ディプロマティーク2017年3月号)