自由を求めた二人のフランス人女性の闘い

女性が「老いる」ということ


ジュリエット・レンヌ(Juliette Rennes)

社会学者


訳:村松恭平、 加藤 梓


 2016年4月、スイスで80歳の女性が自殺幇助を求めた――そして、その権利を得た。医者によると、「とても魅力的」だった彼女は老いることに耐えられなかったという。「老い」は女性にとって、ことに加齢と結び付いた「負の印」となっている。フランスでは、フェミニストたちが長年気に留めなかったこの問題に二人の人物が取り組んでいた。その二人とは、ブノワット・グルーとテレーズ・クレールのことだ。彼女たちは2016年にこの世を去った。[フランス語版編集部]



 年齢に関して、なぜ女性たちは男性よりも頻繁にうそをつくのだろうか。一見ありふれたこの質問から出発したスーザン・ソンタグは、1972年に彼女が呼ぶところの「加齢に対する不公平な見方(1)」について探求した。魅力という観点で、男性には「若い男性」と「成熟した男性」という二つのモデルが共存するのに対し、女性側には「若い女性」しか存在しないと彼女は指摘する。特に中・上流階級の女性たちの間では、その若い外見を保つためにますます多くのエネルギーが費やされている(そして、彼女たちは可能な範囲でお金も使う)。

 しかし、年老いた女性の「価値の減少」は、「若さに価値を置く美の基準」から遠ざかることだけがその原因ではない。それは単なる「加齢」のプロセスにも由来している。女性たちは、将来のパートナーよりも年下でいることがだんだんと難しくなる。男性たちはこうした「年齢差の規準」のおかげで、晩年に子供を持つことができたり、年を取った後も、より元気なパートナーに世話をしてもらうことが保証される。ソンタグは女性たちに訴えかけて、「真実を明かす」こと、すなわち、「素顔に刻まれた人生をありのまま見せる」ことで彼女たちは得をするだろうと指摘した。それは「若さに価値を置く美の基準」から解放されることを意味した。

 このソンタグの書籍が出版された時、北アメリカと西ヨーロッパにおけるフェミニスト運動は熱狂の真っ只中にあった。しかし、年齢と老化に関するフェミニストによる取り組みは1970年代にはまだ重視されていなかった。その主張は女性たちの出産能力の制限、仕事、社会運動の自由、あるいは性生活の自由に集中していた。フランスでは、2000年代になってようやく女性差別主義[セクシズム]と年齢差別を関係付けるさまざまな分析が行われた。ブノワット・グルーは96歳、テレーズ・クレールは88歳で2016年に亡くなったが、彼女たちはフェミニストの観点から自分自身の老化を政治化しようと努めた思想家兼活動家だった。

 グルーは裕福でリベラルな企業家の娘で、パリのスタイリスト界やファッション界とつながりがあった。一方、クレールは、カトリックで伝統主義的な下層中産階級の小売商の出であった。文学の学士号を持ったグルーはまず教師になり、その後、ジャーナリストになった。その一方、クレールは婦人帽子専門店での研修期間を終えた後、専業主婦になった。しかし、彼女たちは後になってから、自分たちの人生の「第一期」を家事と母親としての役割の重荷(グルーには3人、クレールには4人の子がいた)や日常生活の中のある種の孤独、不意に訪れる新たな妊娠の心配が際立った期間として描いている。グルーにとっては、度重なる違法な中絶経験もその「第一期」に加えられた。「再生」として定義された彼女たちの「第二期」は、その大部分がフェミニズムの発見と結びついていた。

「カンヌ(杖の)フェスティバル」

 夫と別れたクレールは、41歳の時、生活費を得ようとデパートの店員になった。女性解放運動が広まる中、彼女は男女の夫婦の形から外れた愛と性に喜びを見出し、宗教から遠ざかった(2)。子供たちと暮らしていた[パリ東郊外]モントルイユで、彼女は地元のフェミニズム運動の「顔」となった。1997年に彼女はフェミニストたちの交流と、暴行の被害にあった女性たちを迎え入れるための場所を設立した。2016年にその場所は「テレーズ・クレール女性の家」と改称された。

 グルーは1950年代に彼女の3番目の、そして最後の配偶者となった作家のポール・ギマールと出会った。彼女に本を書くよう勧めたのは彼である。その後、彼女は女性運動に関連したさまざまな刊行物を読むことによって、過去の自身の生活を統べていたいくつもの規凖の正体を暴こうと思い立った。1975年に出版された『最後の植民地』(原題:Ainsi soit-elle, Grasset、有吉佐和子訳で1979年に邦訳が出版されている)というエッセイは、彼女自身が経験したブルジョア階級の女性教育に対する批判と世界における男女不平等についての研究成果をまとめたものだ。100万部以上売れたそのエッセイは、女性解放運動世代の若い活動家たちと、その大部分がこうした運動とは関わりのなかった50代の女性たちを読者の対象としていた(3)。グルーは55歳の時、彼女自身の表現によると「奉仕するフェミニスト」“féministe de service”としての役割を担い、女性の権利の制度的地位を向上させようと努めた。1984年から1986年まで、彼女は「職業、階級、職務名称の女性化促進委員会」の議長を務めた。そして、1990年代と2000年代には政治における男女平等を要求する闘いを支援した。

 グルーはジャーナリストでありエッセイスト、また、ベストセラー小説家でもあった。社会党を支持し、活発で、季節ごとにパリのアパルトマンか、ブルターニュもしくはプロヴァンス地方にある別荘で過ごしていた。2000年代のグルーは確かにクレールと同じ社会階層には属していなかった。クレールはモントルイユの小さなアパルトマンで質素に暮らし、無政府主義と自主管理といった考えを主張していた。しかしながら、女性の利益を目指した社会参加を経験し、彼女たち二人はこうした見方を通して、自分たちの加齢について疑問を持つようになった。

 1986年から「尊厳死の権利のための団体」で社会運動に加わったグルーは、安楽死のための闘いと、自分の身体を自由に使えるようにするためのフェミニズムの闘争を結び付けた。彼女はある方法――老いと未亡人の暮らしに直面した彼女が、快楽と日々の生活の関係性を再び構築し、それを保ち続けるための方法――を分析しながら、自身の経験から一つの倫理を作り出した。彼女は世界の社会政治的な変化へのやむことのない好奇心、日々の性的感覚の喜びの探求、そして、肉体的努力の本能的欲求に言及した。その肉体的努力を彼女は何度も組み直し、年々変化する身体に適応させなければならなかった。また、彼女は田舎や海辺の景色を見つめる楽しみにも言及した(4)

 しかしこうした健康な女性が、日々の活動と生きる場所の選択について最後まで自分の意志を伝えられたとしても、いつの日か普段のいくつかの動作ができなくなる時がくるだろう。そうなった時、私たちは老いをどう捉えるのだろうか? その肉体に衰弱と変調のサインが増えた時、自分の身体を自由に使うという考えに立ったフェミニズムには、何ができるのか。クレールは60歳を過ぎても仕事をしながら孫たちの面倒を見ていたが、5年間、重い病気を患った自分の母親の世話もしなければならなかった。この種の苦難は誰にとっても珍しいことではなく、とりわけ女性たちが直面する。子供や孫、そして親の世話を同時に担わなければならないのだ。今度は自分が子供たちにとっての重荷になりたくはないという想いが動機となり、クレールは1990年代の終わりに「ババヤガの家」(la Maison des Babayagas)を考案した。会員の相互扶助と連帯を土台にしたこの自主管理による老人ホームの計画は、クレールと同じ世代の女性たちのために考案された。特にその対象は、長い間専業主婦あるいはパートタイムの労働者だった、わずかな年金しか受け取れない女性たちだった。2012年に設立したババヤガの家は、クレールの理想にすべての面で合致してはいなかった。新しい部屋の割振りは[自主管理の構想から離れた]公的な貸主の手にその決定権が移り、住民たち自身では決めることができなかった。しかし、それでもババヤガの家はさまざまな社会活動が催される場所となった。特に、老化に関わる闘争と知識を広く提供する市民大学の「ユニサヴィ」(Unisavie)[訳註1]を迎え入れた。自主管理や社会的経済、連帯経済、フェミニズム、移民たちの高齢化、あるいはまた高齢者たちの性生活をテーマとした討論がそこで行われた。

 2005年に放送されたドキュメンタリーの中で、グルーは加齢に関するある日常の経験について語っていた。彼女が年をとったと感じたのは、第一に、他人の視線を通してであった。彼女は自分では「いつもと変わらない」と感じ、さらにいくつかの点では、以前よりもエネルギッシュであるとすら感じていた。だが彼女は、自分に対する他人の態度が変化し、無関心や同情、時には少し透けて見える軽蔑が次第に増していくことに気が付いた。グルーは彼らの言葉と振舞いを通じて、社会生活における日常交流の中に彼女の居場所はまったくないと感じていた。また、暗黙の年齢制限がそうした日常を支配しているとも意識していた。彼女を取り巻いていた文学界やショービジネス界、政界では、彼女と同じ年代の多くの男性がずっと年下の女性とカップルになっており、彼女は自分の老いた外見を「汚点の印」のごとく感じ始めていた。同い年のグルーの夫は、その時まだこうした経験をせずに済んでいた。年齢を規準としたこのルールに対して無力だと感じた彼女は、シワを取る美容整形を自身に施した。「私は、フェミニストがなぜ医療の進歩を享受する権利を持たないのか理解できません(……)美への関心それ自体は反フェミニスト的ではありません」と彼女は正当化していた(5)。クレールはグルーとは異なる社会の中で年を重ねたためか、彼女は高齢になってシワが増えたとしても、男性や女性の心を十分に捉えることができたようだ。彼女はきっと、周囲からもっと素敵だと思われるような顔でいたいというグルーの願望を尊重したであろう。だが、すべての女性がメスを入れることによって肌を美しくする金銭的余裕はない、とも付け加えただろう。

 ババヤガの家では、「美」は個々人が人目につかないところで運用する技術ではなくなり、人々が集まって意見交換を行うテーマとなった。クレールは老いた肉体を見せるアート作品に関心を持ち、老いを描いた優れた映画を上演する「カンヌ(杖の)フェスティバル」を企画した。彼女は以前、何人もの「ババヤガ」たちと共に、挑戦的な姿勢で『老いた肌』をテーマとしたダンスの振り付けにも関わっていた。そこでは、高齢者の日常に定着した身体のさまざまな動きがダンスとして創作された(6)。彼女は「加齢のサイン」を隠すことだけが目的ではない、老いた女性の身体を美しく見せることができる洋服や香水、宝石とはどのようなものかと深く考えていた。2015年10月、彼女はモントルイユのウジェニー・コットン高等学校の装飾美術科の生徒たちと、ババヤガたちをモデルとしたファッションショーを共同で企画した。生徒たちはパリのサンティエ界隈の卸売商によって廃棄されたネクタイの生地の裁ち屑から、きらびやかでゆったりとし、鮮やかな色のドレスを製作し、クレールを含む80歳以上の女性たちがそれらを着用した。彼女たちは茶目っ気と自己嘲弄の雰囲気を織り交ぜながら列になって進み、ファッションモデルのような「高慢」なウォーキングスタイルを真似てみた。そうしたモデル歩きをするには歳をとり過ぎていた彼女たちを見て、あらゆる世代の観客たちが魅了され、あるいは困惑したりした。観客たちのこうした視線の中、彼女たちはこのイベントを利用することによって[その世界を支配する]さまざまな「規準」を揶揄した。

 老いを隠さず(依然として)欲望を持った女性は、昔から男性よりも人の気分を害し易く、さらにひんしゅくを買っていた。こうした不安について、多くの人が集まってそれを問い直すためには、表に出ないよう命じられていた「欲望をあからさまにする女性たち(7)」を、その独房から出さなければならない。社会運動の扇動者だったクレールは、老いの苦痛について話す際にはあらゆる遠回しな表現を拒み、高齢者たちの性生活について明白に言及し、社会を変えたいというエネルギーを持っていた。彼女は「年齢による秩序」に異議を唱える役割をみずから引き受けていたのだ。若い女性や男性たちに対し、彼女は「老い」というこの来たるべき不可解な段階に対する好奇心あるいは欲望を、彼らの不安の中でかき立てることに成功した。

 クレールにとって、老化とは衰える体を否定することでも、最後の瞬間が近づいていると感じる不安のことでもまったくなかった。しかし、グルーが作家として彼女の経験を可能な限り厳密に書き表し、それに文学的な形式を与えようとしていたのに対し、クレールの自身の老化との関係は第一に政治的なものであった。彼女は[年老いたという自分自身の]「価値を失った身分」の中に、いくつかの社会的規準——それらは、人々を「年齢の圧力」の中により直接的に縛っている——に問いを投げかけるための有利な立場を感じ取っていた。彼女はいくつかの具体的な出来事を通して、年齢差別を生み出す社会の構造に立ち向かったり、そこに現れる二項対立——活発と不活発、実行力と脆さ、自立と依存——を問い直そうとした。彼女は「老化」を、そうした闘いを行うために適した時期と見なしていた。

 このような試みを広めること自体、多くの困難に満ちた道のりである。しかし一部の人々に対し、社会の(再)生産に貢献する「年頃は過ぎた」という考えや、そしておそらくは、その社会に異議を唱える[年齢でもなくなった]といった考えを容認させる状況が作られている今こそ、「そのチケットがもはや有効ではなくなった(8)」人々を快く迎えるための社会的批判空間を、世界の端々で発展させることがもっと必要なのだ。




  • (1) Susan Sontag, « The double standard of aging », The Saturday Review, New York, 23 septembre 1972.
  • (2) Cf. notamment Danielle Michel-Chich, Thérèse Clerc, Antigone aux cheveux blancs, Éditions des femmes, Paris, 2007.
  • (3) Benoîte Groult, Mon évasion, Grasset, Paris, 2008, et Une femme parmi les siennes, commentaire de Josyane Savigneau, Textuel, Paris, 2010.
  • (4) Cf. Catel, Ainsi soit Benoîte Groult, roman graphique, Grasset, 2013, et Benoîte Groult, La Touche Étoile, Grasset & Fasquelle, 2006.
  • (5) « Vieillir ou le désir de voir demain », dans Une chambre à elle. Benoîte Groult ou comment la liberté vint aux femmes, documentaire d’Anne Lenfant (2005).
  • (6) Frédéric Morestin et Pascal Dreyer, « “Vieilles peaux” : exploration en terre utopique », Gérontologie et société, no 140, Paris, 2012.
  • (7) Rose-Marie Lagrave, « L’impensé de la vieillesse : la sexualité », Genre, sexualité & société, no 6, Paris, automne 2011.
  • (8) Romain Gary, Au-delà de cette limite, votre ticket n’est plus valable, Gallimard, Paris, 1975.

[訳注1] 「高齢者のための知識の大学」“UNIversité du SAvoir des VIEux”の略号


(ル・モンド・ディプロマティーク2016年12月号)