米国大衆が起こしたポピュリストの反乱

アウトサイダーの年


ジェローム・キャラベル(Jerome Karabel)

カリフォルニア州立大学(バークレー校)社会学教授


訳:茂木愛一郎


 米国民は抜本的な変革を再び求めていた。そんな時、民主党は大統領選勝利に向け、長年政治に携わってきたインサイダーに頼り、固執すらしてしまった。[英語版編集部]



 米国の大統領選は、ドナルド・トランプが僅差でヒラリー・クリントンに勝利したが、英国でのブレグジットの繰り返しのような驚くべき投票結果であった。トランプの勝利は、ひとつには世界的に広がる政治、金融、文化におけるエリート主義への嫌悪が生み出したものであり、もうひとつはグローバル化の過程で生じた経済・社会的混乱に対するポピュリストによる抵抗の表れであった。そのグローバル化のプロセスは、多国籍企業の利害によって左右され、規制緩和、減税、民営化、社会福祉サービスの削減、自由貿易、そして何ら規制されることのない資本移動という新自由主義のイデオロギーが優先されることによって一段と突き進められてきたものであった。

 しかし、クリントンと民主党の敗北は米国に特有の政治的危機の結果でもあった。その根源は、その後長く続く白人層の共和党への支持政党の鞍替えが始まった1964年にまで遡る。その年の大統領選はリベラル派のリンドン・ジョンソンと保守派のバリー・ゴールドウォーターが争ったが、1932年以降米国政治を支配してきたニューディール連合に初めて亀裂が見られ始めたのはこのときだ。原因は公民権運動にあった。運動はディープ・サウス[訳注1]の白人層の間に激しい反発を引き起こし、彼らに長い歴史をもつ民主党への愛着を捨て去らせ、サウスカロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナでゴールドウォーターが主導する共和党を選択させることに繋がった。ゴールドウォーターは、各州には固有の権利があることを根拠に公民権法という連邦法案に反対していた。全国の選挙結果ではジョンソンがゴールドウォーターを地滑り的大勝利で打ち負かしたが、「結束した南部(solid South)」[訳注2]は、民主党にとってもはや頑強な(solid)支持者ではなくなってしまった。

 公民権運動、スチューデントパワー、ベトナム反戦運動など60年代のさまざまな社会運動の高まりへの反対もあって、労働組合、南部諸州、北部黒人層、白人リベラルから構成されていた古きしかし脆弱なニューディール連合は1968年くらいまでに分裂し始めていた。この時、最大の変動が起きたのは北部であった。北部の労働者階級、中でも多数を占める白人労働者層がその時代を特色づけた人種暴動や学生の反乱に動揺し、リチャード・ニクソンを支持して民主党を見限ったのである。その結果、イリノイ、オハイオ、ウィスコンシン、ニュージャージー、インディアナで共和党が勝利をおさめた。いずれも多くの労働者階級を抱える北部の州だ。同時に、南部の民主党離れの動きが一挙に拡大し、南北戦争当時の南部連合11州のうち9州でニクソン(4州)と、自ら人種差別主義者であることを公言するジョージ・ウォーレス(5州)が最多投票数を得た。ウォーレスは、挑戦的な公約のスピーチで述べた「今日も人種差別を!明日も人種差別を!永遠に人種差別を!」という一説で悪名を馳せた人物である。。

 ニクソンの若き側近であったケビン・フィリップスは、1968年の大統領選以前に『多数派となりつつある共和党(The Emerging Republican Majority)』(未邦訳)というタイトルの、将来を予見したみごとな書物の草稿を完成させていた。そのなかでフィリップスは、「1968年はニューディールによる民主党の覇権が終わりを告げ」、「この国でこれから成長する地域」、特に南部や西部のサンベルト[訳注3]および中部アメリカの都市とその郊外で、「新生の共和党連合による支配が始まる年になるだろう」と論じていた。彼はまた、政治的な激変が起きた1960年代とは、その10年間がしばしばそう認識されるような進歩的な左派運動の時代ではなく、「むしろアメリカ大衆によるポピュリスト的反抗、すなわち、エスタブリッシュメントのリベラリズムを体現した者たちの社会的地位、政策、税制に対する反抗の時代であった」と論じた。

ニクソンからレーガンの時代

 1968年の選挙で、リチャード・ニクソンは選挙人301人を確保して、191人に留まったヒューバート・ハンフリーや46人のジョージ・ウォーレスを破った。フィリップスの分析の正しさを証明したかのような選挙結果だった。「ウォーレス支持の有権者も論理的にみてほどなく共和党に合流し、明白な多数派を形成するだろう」、そうなれば「相当数の黒人からの得票は、全米での共和党の勝利には不必要になる」とフィリップスは予測していた(1)ニクソンが再選された1972年の大統領選は、23ポイントの差を付けての歴史的な圧倒的勝利であったが、これにより、共和党が多数派になるというフィリップスの見立ては圧倒的な説得力を得たかのようだった。

 ウォーターゲートのスキャンダルは、共和党が多数派へと向かう潮流を一時的に狂わせることになった。ジミー・カーターという南部の福音主義キリスト教徒の中道政治家が、かつての南部連合諸州を惹きつけて伯仲した1976年の大統領選を辛くも制したのだ。しかし1980年の大統領選において、ロナルド・レーガンが現職のカーターに対し、選挙人の数で489対49という圧倒的な勝利をみせることで、1968年当時すでに見て取れていた政界再編は明確な形で確認されることになった。そして1980年の大統領選は、選挙の勢力分布再編を示唆するにとどまらなかった。この選挙は、政策と政治的言説の両方の限界を根底から変化させる抜本的変革をもたらす大統領の到来を告げたからだ。

 レーガンは、減税、小さな政府、強力な国防という分かりやすい基本原則を示すことで、長い間支配してきたニューディールのイデオロギーに代わり、多大な影響力を持つ別の選択肢を構築した。また、人種問題に関してわかる人にはわかるメッセージをあえて入れ込むことで支持者の心をつかんだ。レーガンは1980年の大統領選遊説の開始を、ミシシッピ州フィラデルフィアを選ぶことまでしたのである。そこは16年前の1964年に3人の公民権運動家が残忍なやり方で殺害された町であった[訳注4]。レーガンの説く新自由主義に基づく経済政策とソ連共産主義との険しい対立の組み合わせは、この上ない人気を得た。1984年の大統領選では、レーガンは選挙人の数で525対13の差を付けてウォルター・モンデールに圧勝した。民主党候補のモンデールは労働組合の味方であり、「大きい政府」の支持者とみなされた。かくして、ニューディール連合の最後の名残が消し去られたのである。

民主党の抱えるジレンマ

 民主党は、それまで5回の大統領選で4回敗北し、しかもそのうち3回は圧倒的な差を付けられてのことであった。民主党は厳しい難題をつきつけられた。共和党の手強い強大な力に直面しながら、どうやってホワイトハウスを取り戻すのかという課題だ。モンデールの敗北を受けて、対策として出てきたのが民主党指導者会議(Democratic Leadership Council、以下DLC)であった。民主党内で産業界の方針と親和的なこのグループは、ロナルド・レーガンの右派の保守主義と、ニューディール・リベラリズムやその後継である「偉大な社会」路線との中間を行く「第三の道」を主張するものであった。1985年に設立されたDLCは、社会問題への対処は市場ベースで行い官僚による対応を否定すること、外交においては強硬路線で臨むことを強調したが、レーガンやサッチャーの新自由主義に代替する提案を行うものではなく、新自由主義の前提を暗に認めるものだった。ニュー・デモクラットと呼ばれるようになった彼らは、ビジネスにおける規制緩和と大規模な政府プロジェクトへの依存縮小を唱え、社会保障給付の縮小、累進課税制の軽減、厳しい量刑による犯罪撲滅といった強硬策を主張した。1988年の大統領選において、テクノクラートタイプの北部リベラルであるマイケル・デュカキスがジョージ・H・W・ブッシュに圧倒的な敗北を喫したことが追い風となって、DLCのソフトな新自由主義は、瞬く間に民主党の主流派のイデオロギーとなった。

 1990年にビル・クリントンがDLCの代表の座につき、1992年の大統領選を勝ち抜いたことは、民主党が企業寄り(それは企業依存ということでもある)の存在に変容する分岐点となった。その民主党は2016年にトランプを打ち負かすことができなかった。その間、クリントンは過去24年間のうち20年間ホワイトハウスを支配していた共和党の時代に抗して選挙戦に勝ち、再選されたのはクリントンならではの芸当であった。

 しかし選挙戦でのクリントンの勝利には、代償が伴った。1994年の中間選挙で民主党は何十年にも亘って維持してきた両院での多数党としての地位を失うことになった。そこでクリントンは共和党と議会内の民主党議員との中間点を落としどころとする三角化戦略[訳注5]という妥協策を打ち出したが、そのことが民主党を右寄りに変化させるとともに草の根の活動家を遠ざけることに繋がった。この戦略の一環として、クリントンは犯罪と福祉に関する法案を支持し署名したが、ミシェル・アレグサンダーが記述(2)したようにそれらは多大な悪影響をアメリカの黒人社会に与えることになった。

 ニュー・デモクラットに相応しく、1993年にクリントンは民主党内での猛反対に逆らって北米自由貿易協定(NAFTA)を議会で承認させるために、有権者から得た多大な支持を費やした。また選挙戦で述べていた、人権に関する中国の姿勢次第では同国への最恵国待遇の供与を取り消すとする重要な公約を守らなかった。クリントンは政権第2期には、金融サービス近代化法に署名したが、同法は商業銀行業務と投資銀行業務を分離していたグラス・スティーガル法を無効にし、ウォールストリートの規制緩和を一層進めることになった。この立法が2008年の金融崩壊を起す原因になったと多くの専門家は指摘する。そして2000年には、中国のWTOへの加盟を後押しすることに成功したのを追い風に、連邦議会を説得して同国との通商関係の恒久的正常化を実現した。このことは、米国内で240万人の製造業での雇用喪失に繋がった(3)。クリントン政権は、ロナルド・レーガンが始めた新自由主義の経済政策を否定するどころか、その政策を新しい領域にまで拡張したのである。

オバマの叶えられなかった構想

 ジョージ・W・ブッシュが近代の政治史で最低の部類の支持率で政権を終え、彼のもとでの8年間の共和党支配は終止符を打った。2008年にバラク・オバマが、根本的な「チェンジ」―このことばが何を意味するかは必ずしも明らかではなかったが―を求める人種横断的な連合の支持のもと、ホワイトハウス入りすることになった。オバマは当選前、レノ・ガゼット・ジャーナル[訳注6]のインタビューに答えて、「ロナルド・レーガンはアメリカの進むべき道を変えた。それはニクソンもビル・クリントンもやらなかったことだ」、レーガンは「この国をそれまでとは根本的に異なる進路に乗せた」(4)と語っていた。このメッセージに曖昧さはない。民主党の大統領候補指名での対立候補ヒラリー・クリントンとは異なり、オバマは現状の抜本的な変革を行う大統領となる志を抱いていたのだ。

 8年間が経ってみて、大統領としてオバマが変革も再編も行わなかったことが明らかになっている。大恐慌以来最も厳しい経済危機のさなかに大統領となったために、最初の責務は経済全体の崩壊を避けることであった。それに立ち向かうためにオバマは、新自由主義のドグマから決別して、緊縮政策ではなく8,000億ドルの経済刺激政策を発議した。しかしその他の点ではオバマは、新自由主義のドグマに従い、「ビジネスの景況感」を削ぐような政策を避け、経済危機の発生に本来責任があり多大な影響力を有する金融機関を含めた資本側のニーズに応えた。

 ウォールストリートの要請に応じてオバマは、国民にとって心底不人気な主要金融機関に対して、とりわけ好都合な政策を支持した。すなわち、巨額の税金を投入する金融機関の救済と、ウォールストリートの経営者の誰ひとりをも訴追しないという決定であった。その一方でオバマ政権は、あの経済的崩壊のために住宅や年金を失った何百万人もの国民にほとんど何の支援も行わなかったのである。

 これが2015年の春にヒラリー・クリントンが大統領候補となることを公表したときの政治状況であった。そのとき危険の兆候は出ていたといってよい。民主党は直近2回の中間選挙において敗北していた。景気の回復はなお歩みが遅かった。そして苛立った民衆の不満を示唆するかのようにティー・パーティーやオキュパイ・ウォールストリートなど現状に反旗を翻す活動が起きていた。これらのことが挙げられる。前国務長官、ニューヨーク選出の上院議員、そしてファースト・レディであったクリントンは、変化が求められている現状の維持を体現する人物であった。彼女は、国の進路に対するこうした不満の広がりのなかに歩を進めたのである。

 だが、民主党への資金提供者、実務を担う幹部、「特別代議員」[訳注7]の構成員である州知事、連邦上下両院議員など公選経験のある党員、といった党のエリートたちは、次はクリントンの番だと相当以前から決めていた。オバマもそうだった。可能性のあったジョー・バイデン副大統領に立候補を思いとどまらせ、バーニー・サンダースによる驚くほど強力な左派の反抗を鎮めるべく、さりげなくクリントンを後押しした(5)。ポピュリズムの怒りの年に党本部がクリントン支持に固執したという決定を抜きに、11月8日の投票日に起きた出来事を理解することはできない。

ヒラリーにどんなコア・メッセージがあるのか、それが伝わってくるか?

 クリントンの選挙陣営は、最後に残った障害がドナルド・トランプだと知って歓喜に沸いた。何故ならトランプは予備選のあいだ中、極端に人種差別的、排外的、女性蔑視の言動に満ちていたからである。そして彼の気まぐれな行動から、大統領には「気質的にふさわしくない」と国民は確信したと思ったのである。事実クリントン陣営が調査対象にした集団からはそれを裏付ける反応が出ていた。一方クリントンの選挙陣営は、トランプやサンダースと違って、伝えるべきメッセ―ジを探し出すのに苦慮していた。85本のスローガンを試した末、結局「結束してさらに強く(Stronger Together)」というぱっとしない表現で終わった。クリントンの世論調査の責任者であるジョエル・ベネンソンが、ジョン・ポデスタ選対委員長に、「ヒラリーがいったい何を信じているのか、投票者に向けてどんなメッセージを送りたいのか、我々スタッフに感じとれるかい」というEメールを送るほど嘆かわしい状態になっていた。

 2012年の大統領選でオバマは、ミット・ロムニーのことを富豪の政治家であり、アメリカの労働者の仕事を奪いアウトソーシングをしてなんとも思っていないと評した。その主張が助けとなって、オバマはペンシルベニア、ウィスコンシン、オハイオ、ミシガンで勝利につながる支持を、白人労働者階級から得ることができた。トランプは億万長者で長年にわたり、労働許可をもたない非正規移民を使って搾取し、小規模建設業者を泣かせてきた記録をもつ億万長者であるため、同じような攻撃の絶好の的になりえた。だがクリントンも、アメリカ財界から講演料などで巨額な報酬を受け取っていたり、選挙費用がウォールストリートから調達されていたこともあり、そのような反撃をトランプに加えるのに適格な候補者ではなかった(6)

 おそらく、クリントンでは、グローバリゼーションや脱工業化のもとで置き去りにされた階層からポピュリズムによる人気を得るのは難しいと判断したからだろう。クリントン陣営は「アイデンティティ」[訳注8]を活用した戦略を採り、オバマが選挙時に築いた支持連合の再編に着手した。主要なターゲットとなったグループは、アフリカ系、中南米系、アジア系、ミレニアル世代[訳注9]、そして白人女性であった。しかしこれでは「明解なメッセージ」を発信することの代替とはならなかった。さらにクリントンは選挙民から不信を買っており、個人としての好感度の低さ(トランプほどではないにしても)にも見舞われることになった。その結果、カリスマ性に欠けるクリントンが、オバマの連合を完全に再編することは不可能だった。目標にした選挙民属性の区分でみると、勿論過半数を大きく上回る多数票を得たものの、2012年のオバマ対ロムニーの選挙と比較すると得票差は縮まっていた。アフリカ系で88対8(2012年では93対6)、中南米系で65対29(同、71対27)、アジア系で65対29(同、71対27)、ミレニアル世代では55対37(同、60対37)であった。

 ひとつの例外は女性票であった。トランプの性差別的な発言や喧伝された性暴力疑惑は一斉の攻撃対象であったにもかかわらず、54対42(2012年では55対44)と得票の増加は僅か1ポイントにとどまった。女性は選挙民の52%を占めたが、クリントン陣営が予想したような投票行動を取らなかった。男女格差の問題は確かに存在するものの、女性の投票は、性別より人種と階級に基づいていた。白人女性は53対43でトランプに投票したが、大卒でない場合には67対28とその差が広がっていた。クリントン陣営が最も重要な票田と考えていた大卒の白人女性の場合でも、トランプの敗北は45対51というわずかな差でしかなかった。

 ウィキリークスが流したクリントン陣営内の副大統領候補の選択に関するメモによれば、社会階級よりも多様性に重きが置かれていたことが分かる。ジョン・ポデスタ選対委員長は「候補者名を『食品群』[訳注10]風におおまかなグループに分けて整理してみた」と書いている。それらはまず中南米系に始まり、次に女性(すべて白人)、次いでアフリカ系(すべて男性)であった。リストには白人男性というグループもはいっていたが、軍やビジネス界のリーダーなどお飾り的な人選だった。しかし、グループ分けに基づいて動員を掛けた場合、グループ内から動員への激しい反発を招くことがある。トーマス・エドソールは、「人口統計データを使ったグループ分けに従って訴えるというクリントンの戦略は報復的な反発を招いた[訳注11]。僅かずつであってもそれらが積み重なって相手側の決定的な得票に繋がる場合があり、トランプ陣営はそれに付け込んだところがあった」(7)と分析している。

 全米レベルでは、多様性に基づいて連合を組むというクリントン陣営の戦略は効果があった。何故なら総得票数では2百万票を超えてトランプ票を上回ったからである。しかしアメリカの大統領選は選挙人団によって決定される。勝利するためには、各州に割り当てられた選挙人のうち270人を獲得すべく州を制する必要がある。今回、クリントン陣営の戦略では北部ラストベルト[訳注12]諸州で勝てなかったことが、勝敗を決した。

 トランプがなぜオハイオ、ウィスコンシン、ペンシルベニア、そしてミシガンで勝ったのかを理解するには、まず何よりも彼が明解なメッセージを発信していたことを挙げなれなければならない。トランプは正統派の共和党から離れて、NAFTAやTPPといった自由貿易に基づく協定を攻撃した。さらに国境警備の失敗を突き、アメリカにおける何百万もの非正規移民(トランプに従えば「不法」移民)を問題にし、イラク、リビアなどでの不要な戦争への介入を非難した。トランプの「アメリカを再び偉大に」や「アメリカを第一に」(歴史的には不幸な連想を誘うが[訳注13]それに構うことなく)と言ったスローガン、そして見棄てられてきたアメリカ人に言及したことは、どれもが北部中西部の白人の労働者階級へのアピールをあてこんだものであった。それらの州で64人の選挙人を得られるかどうかにかかっており、それを確保することでトランプは勝利を手にしたのである。

白人労働者階級の投票とは

 多くのアナリストが、クリントンが白人労働者階級にみられる人種差別や外国人憎悪に対抗できなかったことを非難してきた。トランプの支持者たちが他に比べて人種差別的で外国人嫌悪の行動をとることが多いということを示す証拠に事欠かないことも事実である(8)。しかし次の事実も忘れてはならない。すなわち、バラク・フセイン・オバマというアフリカ系アメリカ人が、2008年と2012年に、ペンシルベニア、オハイオ、ウィスコンシン、そしてミシガンにおいて勝利し、しかも多くの場合、余裕をもった票差を付けてであった。トランプの勝利にとって決定的であった多くの白人労働者階級が占める州郡部で、2度までもオバマに大量の票が投じられたのである(9)。それらの州では、アフリカ系アメリカ人であっても、2016年にはトランプに支持の集まる傾向から無縁ではなかった。それぞれの選挙区で黒人層における民主党と共和党との票差は僅かながら減少を示した。

 しかし何と言っても、こういった州でトランプ勝利に繋がった主力は白人労働者階級の投票行動であった。大学卒でない男性は圧倒的にトランプに投票した。ペンシルベニアで71対26、オハイオで70対26、ウィスコンシンで69対26、ミシガンで68対24であった。大卒ではない白人女性の場合もトランプに投票したひとは多い。ペンシルベニアで58対38、オハイオで55対41、ウィスコンシンで56対40、ミシガンで57対38であった。これはまぎれもない労働者階級の反抗であった。

 クリントンはラストベルトの人々に直接語りかける努力をほとんど払わなかった。ウィスコンシンには一度も行っていない。一方アリゾナには中南米系の人々から支持を得ようと遊説に行ったが、伝統的に共和党支持の州を民主党に向かわせることはできず、なんとも不毛な旅となった。労働者階級の暮らし向きは悪化を辿っていた。1975年から2014年の間に、大卒でない白人男性労働者の所得中央値の低下は20%(インフレ率による調整後)を上回るものであった。2007年から2014年まででみるとそれは14%の低下となる(10)

トランプ支持者を軽視し、本質を見逃していたこと

 民主党が抱える白人労働者階級の扱いをめぐる問題は、彼らの経済的利益を守る政策を実行に移せなかったことにとどまらなかった。実はそこに影響力の大きい文化的次元の問題があり、そのことはクリントンが資金調達の集会で語ったコメントで裏付けられていると言ってよい。クリントン曰く、「トランプの支持者の半分は嘆かわしい人たちという部類に入るのではないかしら。いい、彼らは人種差別、性差別、同性愛への差別はするは、外国人嫌いでイスラム教徒嫌い、ともかく何もかも嫌いなひとたちなのよ」(11)。これらのコメントに対し会場に集まった富裕な人々から笑い声が聞こえたというが、トランプの支持者にとってみれば、「民主党の連中は我々を侮辱している」という思いを深めることになった。

 2016年に起きた大統領選をめぐる大混乱の末、共和党は大統領のみならず議会下院、上院で主導権を握り、(間もなく)最高裁判所も掌握することになるだろう。50の州知事のうち31の知事、35の州上院、32の州議会を共和党が握っている。2008年のオバマの勝利以降、民主党は議会下院で64議席、上院で11議席を失った。

 しかしアメリカの政治トレンドは急速に変化し逆戻りすることがある。1964年、ジョンソンがゴールドウォーターに勝利したが、1968年にはニクソンの勝利が後を追い、マクガバンに勝利したニクソン陣営も1976年にはカーターに勝利されてしまう。民主党は敗北のショックがなお生々しいだろうが、進歩派が力をもつかもしれないという兆候もみられる。民主党全国委員会の委員長をめぐる戦いにあって、現在、先頭を走っているのはムスリムのアフリカ系アメリカ人で下院の進歩的議員連盟で共同議長を務めるミネソタ州選出のキース・エリソンである。そしてエリザベス・ウォーレンとバーニー・サンダースが民主党の有力者になっていくことはもはや明白といってよい。

 2016年はポピュリストによる反抗の年であった。ジョン・ジュディスは著書『ポピュリズムの爆発(The Populist Explosion)』(未邦訳)のなかで、ポピュリズムの運動は、主要な政党が軽視、無視してきたが実は重大な問題が起こっていることを知らせる早期警報システムと理解すべきだと注意を喚起している(12)。左派と右派ではポピュリズムに根本的な違いがある。左派のポピュリズムでは「エリートやエスタブリッシュメントに対立する人々」を擁護する。一方、右派のポピュリズムも擁護するのは「エリートに対立する人々」ではあるが、同時にこの「対立する人々」は、「移民、イスラム主義者、アフリカ系アメリカ人の過激派といった第三のグループをエリートたちは甘やかしているといって非難する」人たちなのである。トランプの右派ポピュリズムは、最初共和党の予備選挙に勝ち、そして大統領選に勝利するまでになった。しかし多くの欧州の国々と違って、この国にはバーニー・サンダースという、左派にあって政治的にも存続可能で政権をとって代わり得る人物がいたのである(13)

 選挙戦終盤のクリントン陣営の集会では、拡声器からしばしばアンドラ・デイのポップ賛歌『ライズ・アップ』(立ち上がれ)が高々と鳴っていた。2016年の大統領選では確かに反乱が起こったと言えるだろう。そしてそれはクリントン陣営が予期したものではなかった。民主党が本当に熟考しなければならないことは、アウトサイダーの年ともいえるこのときに、民主党内でも起こった反乱は、トランプのホワイトハウスへの道を遮断する最善の方策であったかもしれないということなのである。




  • (1) Kevin P Phillips, The Emerging Republican Majority, Arlington House, New Rochelle (NY), 1969.
  • (2) Michelle Alexander, ‘Why Hillary Clinton doesn’t deserve the black vote’, The Nation, 10 February 2016.
  • (3) Robert E Scott, ‘US-China trade deficits cost millions of jobs, with losses in every state and in all but one congressional district’, Economic Policy Institute, 18 December 2014.
  • (4) Chuck Raasch, ‘Obama aspires to a transformational presidency’, USA Today, 16 April 2009
  • (5) 大統領のクリントン支援をものともせず、74歳のサンダースは民主社会主義者と言って恥じず「政治的な革命」を呼びかけ、予備戦において22州で勝利し43%の票を獲得した。
  • (6) Tyler Durden, ‘The complete breakdown of every Hillary and Bill Clinton speech, and fee, since 2013’, Zero Hedge, 3 August 2015; Ben Norton, ‘Hillary Clinton is Wall Street’s preferred candidate: financial execs pouring millions into her campaign to defeat Trump’, Salon, 9 May 2016.
  • (7) Thomas B Edsall, ‘The Democratic coalition’s epic fail’, The New York Times, 10 November 2016.
  • (8) Dylan Matthews, ‘Taking Trump voters’ concerns seriously means listening to what they’re actually saying’, Vox, October 15, 2016; Zack Beauchamp, ‘These 2 charts explain how racism helped fuel Trump’s victory’, Vox, 10 October 2016.
  • (9) Nate Cohn, ‘Why Trump won: working-class whites’, The New York Times, 9 November 2016.
  • (10) Jim Tankersley, ‘How Trump won: the revenge of working-class whites’, The Washington Post, 9 November 2016.
  • (11) Seema Mehta, ‘Transcript: Clinton’s full remarks as she called half of Trump supporters deplorables’, Los Angeles Times, 10 September 2016.
  • (12) John B Judis, The Populist Explosion, Columbia Global Reports, New York, 2016.
  • (13) サンダース対トランプの戦いがどのように行われるか正確に予測することはできないが、選挙直前に調べられた全国1,638人の選挙登録済み有権者の回答では、56対44と12ポイント差でサンダースがトランプを破るという結果であった。出典は上記のようにHuffington Post 11月11日号掲載記事。


[訳注1] 南部諸州の最南部。
[訳注2] 南北戦争に結束した南部諸州は、その後の復興期においても一致団結して、全国的な趨勢に逆らって投票を行った。戦争と復興は、北部と共和党を連想させたため、南部の白人たちは結束して、反対党である民主党の頑強な支持者になった。
[訳注3] 米国南部の、カリフォルニア州からノースカロライナ州に至る、温暖な地域。
[訳注4] レーガンはフィラデルフィア郊外の農場主が集まるカントリー・フェアを最初の遊説の場に敢えて選んだが、事件の背景となる人種差別的感情を共有している白人たちにアピールすることで、その地域の(そして他地域でも同様に共感する)有権者の確保を狙ったとみられている。
[訳注5] 三角化戦略(triangulation)とは政党横断的にみて中央の勢力拡大を図り、民主党にとって政策のリベラル度で妥協しても法案を通過させた方策をいう。
[訳注6] Reno-Gazette-Journalはネヴァダ州レノ市をベースとする新聞社。USA Todayのネットワーク下にある。
[訳注7] 民主党は共和党と異なり、党大会での大統領候補指名に際し、一般代議員のほかに下記のような特別代議員の枠を設けている。各州の一般代議員は指名に際し自州での予備選・党員集会の結果に拘束されるが、特別代議員には自由裁量がある。特別代議員とは概要、1)民主党全国委員会で選出手続きを経た、各州の党幹部、資金提供者、組合幹部等、2)該当する州選出の連邦上下両院議員、州知事など公選を経た有資格者、3)歴代の正副大統領(当該州に居住の場合)など特に重要な人物、からなる。
[訳注8] ここでアイデンティティとは、自分がどのような人種、民族、文化集団に属しているかが意味をもつ「アイデンティティの政治」との関係で使われている。
[訳注9] 今世紀になって投票権を得た1980年代、90年代に生まれた世代。
[訳注10] 我々読者にとって唐突な表現であるが、分類区分の例として食品群(food group、野菜、肉、フルーツなど)という用語を当てはめたものと思われる。
[訳注11] 目標としたグループの期待に応えるアピールをしなかった場合、反発から却って得票を失うのみならず、相手方に流れる場合があることを指している。
[訳注12] 荒廃した工場に付く錆(rust)のイメージから、多くの重工業地帯を抱える北部の諸州。
[訳注13] 1940年代に結成された「アメリカ・ファースト委員会(America First Committee )」は、「アメリカが第一」とし、アメリカに戦禍が及ぶ可能性のない第2次大戦への参戦に反対し多くの賛同者を得たが、その背景に反ユダヤ的感情があるとして批判された。

(ル・モンド・ディプロマティーク2016年12月号)