ウラミン・スキャンダルの根源

アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件


ジュアン・ブランコ(Juan Branco)

国際法研究者
L’Ordre et le monde. Critique de la Cour pénale internationale
(Fayard, Paris, 2016)(未邦訳)の著者


訳:村松恭平


 原子力分野における世界の一流企業アレヴァは、今回の「騒乱」を抜け出すのに苦労している。フクシマの事故以降、フィンランドや[フランス北部]フラマンヴィルにおける第三世代の原子炉開発の遅れがこの産業界の将来に対する不安を高めている。だがそれに加え、アレヴァというこのフランスの公企業がアフリカの3つのウラン鉱床に対して行った不可解な投資もまた、特に問題視されている。[フランス語編集部]



 血のように赤く、細い1本の川が、植物が支配する王国を貫いている。現代世界から忘れ去られたその道の長さは134キロメートルに及ぶ。5年前に巨大な機械を使って大急ぎで作られた燃えるようなラテライトのこのルートは、中央アフリカ共和国のバンガスーとバクマを結んでいる。世界で最も貧しい国の一つであるこの国全体には繁栄が、労働者たちには富が、フランスには1世紀分のエネルギーがそこからもたらされるはずだった。そのルートは「新世界」の大動脈になると約束されていた。この「新世界」構想は、南アフリカ、[カナダ東部の]トロント、パリ、そしてヴァージン諸島を結びながら急いで描かれた。今日、そのルートは獰猛で貪欲な植生に飲み込まれ、至るところに亀裂が入り、蝶と赤アリに占領されながら、もはや沈黙のみを保っている。そして、21世紀の始まりの中で最も大きな産業界スキャンダルの一つが浮上した。

 私たちは首都のバンギを出発し、バクマへと向かった。貧困に陥った人々と[内戦のため武器を携えて配備された]部隊の間を通り抜け、2日間かけて移動した後も、すぐに故障してしまうオートバイに乗ってさらに数時間を要した。しだいに細くなる車道、木の枝、ひどい湿気、激しく照りつける太陽によって、結局はオートバイから降りることを余儀なくされた。目的地に着く前には大小さまざまな川を横断しなければならなかった。[バクマの南に位置する]バンガスー周辺に広がる原始林をこれらの川は育んでいる。そして、ついに集落が現れた。建てられた小屋はその土地から掘り出された土で作られ、屋根は枯れ枝で覆われ、室内にはマットレスのないベッドが置かれていた。そこは匂いも色彩もない、朝6時から夕方6時まで一年中太陽が照りつける土地、その自給自足の生活環境が、奇怪な巡礼者の一団によって定期的に邪魔される土地でもあった。彼らは利益に目を輝かせながらこの地に赴くが、その暑さによって体力が奪われ、探し求めていた金色の毒にいつも押し返された。そうして彼らは帰らざるをえなかった。ある鉱石によって囲まれた土地。その鉱石は西洋に永続性を約束し、日々少しずつその形を変え、最終的には「呪い」となった。それはウランだ。世界で最も巨大な原子力産業グループ、アレヴァの崩壊の秘密がこれらの小屋にはあった。

中央アフリカの国庫に払い込まれた800万ドル

 このフランスの企業グループは2007年に、その前年からバクマ鉱山の権利を保有していた会社、ウラミンを買収していた。中央アフリカ共和国の東部に位置する巨大なウラン鉱脈の「発見」[訳註1]はこの国に大きな希望を与えていたため、当時[2003〜2013年]大統領だったフランソワ・ボズィゼ司令官はアレヴァに対し、とある村の近くに原子力発電所を建設するよう求めた。その村には飲料水も、電気も、電話もまだなかった。アレヴァの幹部たちは住民たちに学校やスタジアム、病院の計画を示し、その予算合計は10億ユーロに達していた。彼らはそれらをこの地域に建設しようとしていた。確かにそう約束していたのだ。

 2008年8月10日に調印され、巨額の「金銭ボーナス」が含まれた協定によって、その1カ月後には中央アフリカの国庫にアレヴァの特別資金から引き出された800万ドルが支払われた。ダイヤモンドの密売人たちが生み出していた、慎重かつ緩慢なペースが日常の雰囲気を覆っていた首都、バンギ。この支払いが完了してまもなく、その首都では車や飛行機、そして巨大な建設機械が溢れた。この国の中で100名強の人員が募集され、地質学者や地形学者を養成しようとバンギ大学もまたこのプロジェクトに「動員」された。2011月3月、栄光時代の到来を宣言するため、ボズィゼ「司令官」はバクマにあるその小さな村にみずから赴いた。

 アレヴァが生み出した奇妙な夢は、グローバリゼーションが生むいつもの悪夢の様相をすぐに呈した。バクマ鉱山での初任給は毎月70ユーロにぎりぎり届く程度であったが、それは1日13時間、週7日の労働、「昼休憩なし」だったと元掘削技師のシルヴァン・ンゲケ氏は説明する。「私たちには2週間で1日しか休む権利が与えられませんでした。しかもその休みさえ、ひどい暑さの中、絶えず放射線を浴び続けるこの鉱山サイトで過ごさなければなりませんでした」。しかし、最も収入の良い中央アフリカの幹部でもあったこのサイトの主任のほうは「毎月70万CFAフラン(およそ1,050ユーロ)を受け取っていた」と、かつてそこで働いていた別の男性は指摘する。彼は解雇手当を獲得しようと3年前からバンギで闘っている。

 協定の調印から8年と1度の内戦が過ぎ、ボズィゼ氏は亡命した。バクマの鉱床は放棄された。この国の平均寿命は今もまだ50歳を超えてはいない。国民一人当たりの国内総生産(GDP)は350ドルだ。アレヴァが建設を約束していた道路や病院、学校は一つも作られてはいない。ひどい栄養失調で苦しみ、お腹が膨らんだ数十人の子供たちは、焼いた土で作られた村の小屋に住み着いていた。この村はかつて飢餓を経験したことはなかった。そしてつい最近、たった一人だけ残っていた医者も失ってしまった。村人は電気、飲料水、電話網を少しの間だけ手にしたが、今では何もかもなくなってしまった。

 その急転は、2012年のフランス大統領選挙直前に起こった。ジャンフランコ・タンタルディーニ氏は毎月第一日曜日にこの国の首都からバクマへ、小型飛行機に乗って800キロメートルの距離を移動していた。この村の小教区教会で開かれたミサに「巨人」と呼ばれた彼がやって来た。50歳ぐらいでスキンヘッド、煙草を次から次へと吸うこの大男はイタリアの元海軍将校で、フランスに帰化した。彼は2002年から2004年まで攻撃型原子力潜水艦の指揮をとっていた人物だ。スペインのオプス・デイから経済支援を受けていたこの教会に彼は入り、背もたれのない木製の椅子に座った。労働者たちと彼らの家族に囲まれながら、敬虔にその儀式にしたがっていた。

 バクマのウジェニー・ダマリス・ナキテ・ヴクレ市長は、2011年から2012年までこの村の採掘サイトを指揮していたこの白人の大男のことを鮮明に覚えている。この場所では133人が雇われ、その中の127人が中央アフリカ人だった。彼女が特に覚えているのは、ミサが終わり、タンタルディーニ氏が鉱山サイトの労働者全員を集めた時のことだ。長い沈黙の後、彼はバクマのプロジェクトが中断されるだろうと発表した。アレヴァの幹部たちはウラミン買収の直後、労働者たちに対し50年間分の仕事を約束し、定期的な賃上げとボーナスを見込んだ契約書にもサインさせていた。それにもかかわらず、中断が告げられたのだ。

 「ピッ、ピッ、ピピピピ……。」ガイガーの放射線量計測器が鳴る。高く伸びた草の間を通り過ぎるとシャツは汗でびっしょりとなり、呼吸するのも難しくなった。気温は35、36、37、そして40度まで上がっていく。バクマの鉱山キャンプはアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』の「無人地帯」のようだ。その呪われた空間では植物と廃墟と錆が混ざり合い、徐々にその区別が消え去って一つの塊を形成していた。失敗に終わった専門家の派遣プロジェクトと「フランス・アフリカ関係」が保たれた40年という時間が、この場所にある巨大な凹地に集約されている。その凹地は放射能にまみれ、泥と落ち葉からなる厚い層が建造物をすっかり覆ってしまっている。それらが放棄されてからはまだ4年も経っていない。鉱石のサンプルを保管するために使われたプラスチック製の箱が地面に数百個も転がっている。一方、数メートル先にはアルミニウム製の密封袋がそこかしこを覆い尽くしていた。放射線を発する鉱石のかけらを運ぶために使われていたそれらの袋はアレヴァが完全に放置していったものだ。今日ではそのすべての袋が破れた状態にある。「フラニ族はおそらく食料用の袋と混同してしまっただろう」とかつて現地で働いていた掘削技師が私たちに言った。

 非常に重要であり、かつ細心の注意を要する諸作業はまったく行われなかった。たとえば、放射性廃棄物を埋めること、施設や道具の汚染除去、周囲に暮らす人々にとっては必須となるだろう鉱山サイトの安全確保といった作業だ。最も基本的なルールすら破られ、注意標識も設置されず、危険な場所へのアクセスを禁止する柵もない。私たちがこの場所にある主要な鉱床に危険を冒して足を踏み入れた際、そこは放射能で溢れていた。小さなトウモロコシ農園とコブ牛の群れに挟まれた畑の真ん中に、放射性廃棄物がそのまま放置されていた。その廃棄物の真上の放射線量はこの地域の自然被曝量の40倍(1)、フランスの原発で働く労働者に対して許可された最大被曝量の17倍の数値を示していた。最後の赴任者がこの地を去ってしまったため、医療施設は完全に取り壊されてしまった。現地の職員たちの健康診断データもどこかに消えてしまった。調査は何も実施されなかった。

 その村から数千キロメートルの距離にあり、フランス国家が所有する株式会社アレヴァは、2015年3月に48億ユーロの損失を発表した。6000人の雇用削減を含んだ会社の立て直しに乗り出さなければならない。国はアレヴァの財務状況を改善するために50億ユーロもの増資を行わなければならなかった。その一方、「原子炉」事業は2017年までにEDF[フランス電力公社]へ完全に委ねられることになる。この21世紀の産業スキャンダルと、それがもたらした損失を示した天文学的数字は、中央アフリカ共和国のこの小さな村からしてみれば、まったく想像もつかない世界の話だろう。ナミビア(トレコピエ)、南アフリカ(リスト・クイル)、中央アフリカ(バクマ)の3つの「幻の」鉱山買収の際、数十億ユーロもアレヴァが支払ったことをどう理解すればよいのだろうか? ひとかけらの鉱石も得らないまま、それらの鉱山はすぐに閉鎖されてしまった。そして、この公企業の会計報告に40億ユーロの「丸損」が記載された。この額は中央アフリカの国家予算の20年分に匹敵する……。

 ヴクレ氏は70歳を過ぎた今もなお畑で日々働いている。彼女はこの事件について説明された際、アレヴァがこのプロジェクトに投入したその金額を3度も聞き直した。アレヴァから10万CFAフラン(200ユーロ)を得るために2年間も闘わなければならなかったことを彼女は思い起こした。それは村役場の改修という、彼女の村でなされたたった1度の投資だった。社会政策と保健衛生の改善を目的として40万ユーロが支出される約束だったが、今日それはどこにも見当たらない。計算上、40万ユーロはこのサイトに投資された資金の0.5%以下であり、プロジェクト全体の予算のたった0.01%でしかない。ある村人は苦い表情をしてこう語った。「アレヴァが用意していた社会的な活動は、鉱山キャンプの主任が友人の赴任者たちと月に1回、週末に催すバーベキューだけでした」。

 アレヴァは今日、バクマから撤退した理由をインターネット上で簡潔に掲載している。「フクシマ事故以降のウラン価値の下落と、数カ月前からこの国で進んだ治安の悪化を理由として、2012年9月、アレヴァは中央アフリカ共和国バクマにある鉱山開発の中断を発表しました」。この鉱床の買収は実際、ウラン争奪競争の真っ最中になされた。スポット価格(直物買い)は当時最も高い値に達していた。だがその値は、もともと長期契約の取引で、当該期間においてその変動が比較的小さかったウラン市場の現実からはかけ離れていた。さらに、フクシマの原発事故よりもずっと前に、そしてアレヴァが他の鉱山(とりわけモンゴルの鉱山)やカナダのシガーレイクの大規模な開発へ投資する直前に、そのサイトの解体はすでに始まっていたのだ。「実際のところ、このサイトには採掘機械は一つも持ち込まれなかった」とその当時現地にいたアレヴァの幹部は打ち明ける。「開発は行われないだろうと私たちは2009年から感じていました」。すなわち、フクシマの事故の2年前のことだ……。

 安全性に関する議論はほとんどなされなかったようだ。状況が深刻化したのはそれから1年半が経ってからのことである。アレヴァの通知には2012年6月24日に発生した鉱山サイトへの襲撃が言及されている。この日、鉱山キャンプの主任が暴徒化した労働者たちを連れて鉱床へ向かっているのを目撃したとバクマに住む住民たちが語っている。ある地質学者は匿名を条件にこう話す。「その主任は彼らが欲しいものを“略奪”するよう指示し、[アレヴァに委託されて]その場所の警備を担っていたフォックス・グループに対し、彼らを撃たないよう求めました」。アレヴァから下請けとして現地に派遣されていた男性はこう付け加える。「私たちがこの襲撃についてアレヴァの若い社員たちと話していた際、彼らはいつも苦笑いを浮かべていました」。それは幻だったのか? いずれにせよ、この出来事の直前にはタンタルディーニ氏が機密扱いのすべての文書の持ち出しと、有能な職員たちの避難を命じていた。なぜなら、バクマの鉱山は産業やエネルギー面に関わる考察とは別に、ある重大なスキャンダルを包み隠していたからだ。それは3年前からフランスメディアの政治・司法欄を賑わせている。「ウラミン事件」だ。

 ステファン・ダテルス氏とジェームズ・メロン氏により、10万ドル(9万1000ユーロ)の開始資金(2)で2005年に設立されたウラミンという会社は、すぐに南アフリカ、ナミビア、中央アフリカにある3つの鉱床に投資を行った。バランスシートをより美しく見せたかった彼らは、その鉱床について綿密な調査を実施した。2005年3月には30万ドルという価値が付けられ、2007年のはじめには1億5000万のドル資産(鉱業に関連する資産はそのうちの5000万ドル未満)を保有していたウラミンは、アレヴァによって2007年6月に買収された。その買収金額は、25億ドル(18億6000万ユーロ)だった。こうした戦略はダテルス氏が保有していた他の3つの会社が辿った結末に奇妙なほどに重なっていた。それらの会社は莫大な金額で国家主導の巨大グループによって買収され、その後、すぐに報告書からもレーダーからも消えたのだ。彼の主要な会社であったオリエル・リソース・PLCもメシェルというロシアのグループによって買収された。この会社の価値も買収される数カ月前には60%も上昇していた。さらにこの会社は、租税回避地に置かれたある架空の会社の共同所有主として「パナマ文書」に記載されている。

 ウラミンの失敗によって巨額の損失を被ったのみならず、アレヴァは2010年にさらに数億ユーロを失った。彼らは一度も開発されなかったナミビアの鉱山を所有していたマレニカ・エナジーの株をダテルス氏から購入した。そして次に、当時アレヴァの子会社だったエラメがインドネシアにあるウェダ・ベイの「幻の」ニッケル鉱山を買収したのだ。その額は2億7000万ドル(1億9800万ユーロ)だった。「一時中断」すると公式に発表されたこのニッケル鉱山も、結局のところ開発は一度も行われなかった。

アレヴァというフランス国家の「腫瘍」

 一連のこうした高額な取引をどのように説明できるだろうか? ヨハネスブルクのMail & Guardianによると(3)、アレヴァがウラミンの価値を過大に評価して買収したのは、その取引金額の一部を使い、数億ユーロもの手数料を南アフリカ共和国のタボ・ムベキ大統領一族の口座に払い込むためだったという。アレヴァはその見返りに数カ所の原子力発電所と、1カ所のウラン濃縮工場の競争入札を勝ち取ろうとしていた。こうした想定は他のいくつかの情報ソースによっても繰り返されている。中央アフリカ共和国の元鉱業担当大臣による次の談話も、バクマに関わる同様の裏金取引の疑惑を強めている。「私たちは、アレヴァがウラミンをカモフラージュとして利用していたとすぐに思いました。いずれにせよ、ウラミンは一時的な手段でしかなく、いずれ巨大な原子力企業を生み出すための足がかりとして利用されているのだと皆が知っていました」。

 元税務調査官の彼は入閣後、複数の採掘企業から与えられた「ボーナス」のおかげで運転手付きの四輪駆動車と、フランスにあるいくつもの大邸宅の所有主となった。彼は中央アフリカ共和国の首都で唯一の五つ星ホテルに私たちを迎え入れた。そのホテルの部屋1泊の価格は市民の平均年収に匹敵する額だった。「これらの事件は大統領府が直接的に扱っていましたが、情報は流布していました。バクマ鉱床の競争入札が公開された時、アレヴァの提案内容は馬鹿げたものでした。なので、私たちはウラミン側の提案を受け入れざるをえなかったのです。そして、アレヴァはこの機会を捉えました。[2007年の]ウラミン買収の際、バクマ鉱床の採掘権の価値を過大に見積もったのです。公金横領を実行するのが目的でしょう」。

 アレヴァは「別格」の企業だ。中国、南アフリカ、ニジェール、ドイツ、ナミビア、ガボンといった多くの国々において、腐敗、そして保健衛生と環境の面での怠慢な対応が疑われているアレヴァは、フランス国家の「腫瘍」である。原子力委員会(CEA)を通じ、国がアレヴァの主要株主となっている。フランス原子力産業の民間・軍事利用に取り組むアレヴァの事業は、国防機密として部分的に覆い隠されてはいるが、アンヌ・ロヴェルジョン氏の指揮のもと2000年代のはじめに組織の立て直しが促進された。彼女はフランソワ・ミッテラン氏のもとでフランス大統領府補佐官を務めていた人物だ。「イクス=ミンヌ」(X-Mines)というフランス共和国で最も強力なエリート集団に属している彼女は、メンバー間の人脈を積極的に渡り、政治派閥を横断する処世術を発揮した。たとえば、2007年にはニコラ・サルコジ氏が彼女に高等教育省のポストを勧め、その後、2012年には今度はフランソワ・オランド氏が彼女を入閣させようと試みた。

 アレヴァのトップの座にいたロヴェルジョン氏は特別な自由裁量権を求め、実際にそれを手にした。そのおかげで彼女は国の管理当局による監督を介す必要がなくなり、アレヴァを崩壊へと導いた壮大な作業所の建設プロジェクトを開始した。そうして、当時経済大臣を務めていたティエリー・ブルトン氏、そして下院議員でルヴァロア市長だったパトリク・バルカニ氏を通じたエリゼ宮による直接の監視のもとで、ウラミンによる鉱床の買収も放棄も行われた。2008年にバルカニ氏は中央アフリカ共和国大統領の怒りを静めるために仲裁に入った。当時そのポストにいた高官が私たちにこう話す。「ボズィゼ氏は[アレヴァから]裏切られたと感じました。彼はたくまれていたことにすぐ気が付き、採掘許可を取り消していったんそれを白紙に戻すと脅すことによって、バクマ鉱山の開発を阻止しました」。[現在]中央アフリカ政府がこの国の検事局に提訴した内容によれば、バルカニ氏は当時の争いを解決に導いた働きによって500万ユーロの手数料を受け取ったとされる。

 アレヴァ・グループはなぜ、おそらく彼らならその価値をよく知っていたであろう鉱床に、少なくともその価値の30倍のお金を支払ったのか? 彼らの部局が明確に示しているように、およそ1億ユーロをなぜそこに投資し、開発権を確保するためにフランス政治界のあらゆる人物を動かすことに決めたのだろうか? その後、その鉱床はいとも簡単に雑草の中に放棄されてしまった。はっきりした説明をこのグループができなかったことにより、一つの結論が導かれた。鉱業界に詳しいヴァンソン・クルゼ、調査員のマーク・アイヒンガー、ウィキリークス(4)、さらには[アレヴァと中央アフリカ共和国の]仲介者だったサイフ・デュルバーといった人々によれば、ウラミン買収の唯一の目的は、おそらく最終的にはフランス国家の力を増強させる巨大な闇取り引きシステムを実行することだったという。

 かつてボズィゼ氏によって副大臣に任命されたデュルバー氏は、2015年7月2日、ルノ・ヴァン・ルインベケ判事によって尋問された。彼は詐欺事件で逮捕され、フランスにおいて3年の禁固刑に処された。しかし、情報局との間で何かしらの取引があったと彼自身が認めたにもかかわらず、奇妙なことに、その3カ月後に彼は釈放されていた(5)。彼の名前はウラミン事件に関わる様々な記事の中で何百回も登場したが、国の金融検事局を率いているエリアンヌ・ウレット氏は、2回続けて行われた私たちとの面談の際、「彼のことは一度も聞いたことはない」と主張した。この検事局は数カ月の態度留保の後、詐欺、外国人公務員の腐敗、職権乱用、虚偽情報の拡散、そして不正確な会計提出を理由として、2015年3月に[アレヴァに対し]2度の事情聴取を行うことをようやく決めた。

 [問い合わせてみたところ、]アレヴァは中央アフリカ共和国側から「業務管理履行証書」 を入手したというプレスリリースを私たちに送りつけただけだった。しかし、ウィキリークスや私たち自身の調査で見つかった諸資料は、彼らの言い分とは明らかに異なった事実を示している(6)。今回の事件に取り組んでいるスラッグ・ニュースグループのジャーナリスト、ボリス・エジェとエティエンヌ・ユベールは防衛大臣官房から脅しをかけられた(7)。また、ロヴェルジョン氏はアレヴァの鉱山部門の元部長セバスティアン・デ・モンテスュ氏を訴追した。彼女の行動を監視するために雇われたある専門コンサルタントと私立探偵(8)に、アレヴァ側から報酬が支払われたというのが彼女の主張だ。

 2013年3月、中央アフリカ共和国ではフランスから暗黙の承認を得ていたとされる民兵グループ「ソレカ」がボズィゼ氏を権力の座から退けた。その後、ウラミンやこの領域内のアレヴァの活動に関するあらゆる記録資料がひそかに消えてしまった。この民兵グループが政権を握ったまさにその日、この国で鉱山事業を担当していた局長の家がくまなく捜索され、略奪された。アレヴァが大慌てでバクマを離れる前、 そして中央アフリカ共和国による調査隊がこの地へと向かっていた時、当時現地にいた地質学者によれば、タンタルディーニ氏が彼の協力者たちに対し「データを全て消去する」よう注意したようだ。その後、鉱山サイトに置かれていたハードディスクすべてがリフォーマットされ、サーバーには鍵が掛けられた。彼はアレヴァのあらゆる記録資料を飛行機に積み込むよう命令したという。その後、この「キーパーソン」は素晴らしい昇進の機会を得て、海運国営企業コルス=メディテラネのトップに就いた。彼は今、会社更生法がこの企業に適用されるのを監督している。

 中央アフリカ共和国はもはやアレヴァに関する資料の1枚すら保有してはいない。したがって、このフランスの企業グループに対するあらゆる現地訴訟が困難になっている。現鉱山大臣のジョゼフ・アグボ氏はこの件について「まったくの無力」だと言う。彼は事を進めようと何度も試みたが、「この場所でアレヴァの代理を担うバンギ人の公証人 」を経由しなければアレヴァと連絡を取ることはまったくできなかった。そして、そのバンギ人は喋るのが得意ではなかった。いずれにせよ、中央アフリカの労働者たちはアレヴァに対する訴訟手続きをバンギでなんとか開始し、目下進行中だという。しかし、中央アフリカ共和国の検事、ギスラン・グレゾンゲ氏はうんざりしながら「[そのような件は]まったく聞いたことがない」と話す。

 この事件に関わるフランス人の当事者たちは、私たちの質問に誰一人として答えなかった。ロヴェルジョン氏は取り調べを受けることになって以降、2回のインタビューしか承諾しなかった。彼女はパリジャン紙の中で、ウラミンの買収は「すべての監督機関と政府の承認を得て」なされたと断言している。一方で、その資産価値を減らしたことも、子細にわたって会計基準を守った上で発表したという(2016年3月30日)。彼女は[TVチャンネル]フランス3で(9)、サルコジ氏の二つの計画、すなわちカタールの利益となる鉱山部門の民営化と、ムアンマル・カッザーフィー[カダフィ]が統治していたリビアへの原子力発電所の輸出が行われれば、彼女自身がアレヴァから排除されていただろうと説明した。ロヴェルジョン氏はまた、ウラミンの買収について、彼女の夫であるオリヴィエ・フリックには何も話してはいないと主張した。彼はこの計画に関与し、インサイダー取引を行ったとして調査を受けている。彼はウラミンがアレヴァに買収される直前に[スイスの]ローザンヌにある会社ヴィジシ(Vigici)を通じてアレヴァ株に投機を行ったとして嫌疑をかけられている。そこから彼は30万ユーロの利益を得たといわれている。

 アレヴァがバクマにやって来た際、そのサイトを指揮していたミカエルという名の南アフリカ人が鉱山キャンプの入口に労働者たちを集めた。当時、まだその土地の権利はウラミンが所有していた。彼はあきらめの口調と現場リーダーが使うような大げさな言葉づかいを混ぜながら、こう発言した。「ウラミンは終わった。我々は吠えるが食えない犬だった。これからはきっと、我々は吠えるし食うこともできる犬になるんだ」。




[訳注1] バクマの鉱脈はフランス原子力庁によって1949年に発見され、1960年の中央アフリカ共和国の独立後、1964年にさらなる綿密な調査が始まった。http://www.monde-diplomatique.fr/2016/11/A/56796


(ル・モンド・ディプロマティーク2016年11月号)